ステータスオープン!

 クローリクが部屋を出ていってから、待つこと数分。


 本当に違和感無いなー、むしろ現実よりも動きやすいなー、なんてことを考えながら、僕は身体を動かしていた。

 最初は肩を回したり、軽くジャンプしてみたりしていたけれど、しばらくしてコンコンコン、と三回ノックが聞こえてくる。


「はーい」


 僕は反射的に答えた。

 ラジオ体操をしながら。


 もう一度言おう。

 ラジオ体操をしながら。


 入ってきた女性は、ポカンとしていた。

 ちょうど始めたばかりで、上体をそらす所だったんだけどね? 人が入ってきたから、本来ほどほどに止めておくところを勢い余って過ぎちゃって……ただいまブリッジなうです。イナバウアーのやり過ぎちゃったバージョン。わー身体柔らかーい。

 逆さまの視界で、女性の呆然とした顔がはっきり見えた。


 僕は何事も無かったかのように姿勢を正すと、女性に向き直る。


「どちら様ですか?」

「え、あ、えっと」


 女性はまんまるに見開いた目を瞬かせて、言葉を詰まらせた。


 丸い縁なしの眼鏡をかけ、ココア色の髪をボブヘアにした女性だ。髪と同じ色合いのローブは靴すら見えないほど丈が長く、手にも厚手の革手袋をはめている。

 唯一露出している肌は首から上だけだ。その肌は真っ白で、頬は赤みが差し、鼻も口も小さめ。大きなルビー色の瞳は、いつの間にか外が見えるようになった窓から差す日の光を受けてキラキラと輝く。顔立ちのせいか、背丈の割に幼い印象が強かった。


 彼女は僕を上から下まで舐めるように観察して、しきりに首を傾げる。

 ? 顔に何か付いてたかな? おっかしーなー、姿見を見たときは特に何もなかったと思うんだけどなー。


 ここで第三者として考えてみよう。

 入った部屋の中に、ブリッジをしてる人がいる。視線はしっかりこちらを向いている。しかもしばらく相手が動かない。

 うーん……不思議、というか、不気味だ。そりゃポカンとするよね! むしろ叫ばれなかっただけマシだよね!


 それにしたって、過剰に驚かれてるような気がしないでもない。そりゃ、初対面でブリッジをしている人なんてそういないけど。

 ……僕と楓雅の初対面は、楓雅がブリッジしてた。僕と違って嬉々として驚かせようとしてたし、あの時は「僕を笑顔にさせたい」っていう理由があったけど。今みたいな偶然で見られることは、後にも先にもここだけだと良いなぁ。

 楓雅は今もたまにやるからね……。


 それにしても、驚いた顔がリアルだ。こちらを奇異の目で見てくるし、かと思えばプルプルと頭を振って困惑に目を潤ませるし。次の瞬間には憧憬が混ざるという、何だか複雑な感情が目まぐるしく切り替わりながら表情に表れている。ここまでくるくる表情を変えるなんて、素直というか感情が豊かな人だね。

 と、いうか。これ、本当にNPC? 反応が本物の人間にしか見えないんだけど??


 ……ハッ!

 まさか、この人は!


「プレイヤー……?!」

「ふぇっ?! ち、違います! 私は決して【天神族ガイア】ではないですぅ!」


 僕が懐疑的な視線を向ければ、女性は手をパタパタ振りながら訂正した。

 まぁ、そりゃそうか。チュートリアルは、他のプレイヤーが入ってこられない、特殊な空間で行われるんだもんね。

 じゃあ、やっぱりこの人はNPCなのか? 肌の質感とか感情表現とか、普通の人としか思えないのに!


 というか、ガイアって……あ、そっか。こっちの住人は、プレイヤーの事を【天神族ガイア】って呼ぶんだっけ。逆に僕達プレイヤーは、彼等の事を【地人族ユニトス】と呼ぶんだよね? これもパッケージに書いてあったのを覚えてる。

 しかも、僕がプレイヤーと言っても天神族と返ってきたってことは、彼等には僕の言葉がある程度翻訳されて聞こえるらしい。地人族と僕達で、言語が異なるのかな? こっちの本とかも、外国語みたいになっているのだろうか? うーむ、気になる。


 プレイヤーの最初の種族は【天神族】だ。要するにチュートリアル用の特別仕様で、プレイヤー本人のレベルが上がらない代わりにデスペナルティが無い種族だ。UTSでは、職業とは別に種族レベルが存在しており、クローリクの言った【学生】は職業レベル、こちらはプレイヤー自身のレベルに制限をかけてくる。

 【天神族】は、【学生】同様チュートリアルが終わったら強制的に変更され、以降二度となれなかったはず。地人族からの呼ばれ方は変わらないんだけどね。意味が元天神族って事になるらしいよ。ここも多分、翻訳機能のおかげでそう聞こえるだけで、本当は別の単語でも使ってるんじゃないかな?

 ちなみに、ソースは楓雅だ。


 さて、この人が地人族なら、クローリクの言っていた案内人だろうか?

 だったら挨拶しないと。


「今日からこちらでお世話になります、ユズハ・ティトロンです」

「えっ? あ、あぁあの……こ、この学園で、寮母兼PET管理員を任されています、【飼育員】のマリア・トーチです……?」


 マリアさんかぁ。顔立ちに似合う、静謐ながらもかわいらしい名前だ。


 マリアさんは完全に腰が引けていて、困ったように眉を下げ、首を傾げた。

 まだブリッジを引きずってる? 楓雅みたいな確信犯じゃないし、あんまり気にしないでほしいんだけどな。

 彼女の警戒を解くべく、僕は精一杯笑ってみる。口の端を少し持ち上げた程度だけど、やりたいことはそれでも出来るはずだ。楓雅や友人達曰く、僕の笑顔は威力があるらしいし。何だろうね、威力がある笑顔って。


「PET管理ですか?」

「ひぇあ、はいぃっ。この学園に通う方は、まずPETを選ぶことになっているので! なので、PETを選んでもらうついでに、私が編入生の、その。学園案内も請け負ってるんです……けど……と、ところで、その」

「【飼育員】は職業ジョブですか?」

「ふぇっ?! あ、はい! 特殊生産職で、モンスターに分類されていない生物を飼う事の出来る職業ですよ。あの、それで」

「僕、PETを選ぶの楽しみだったんです。よろしくお願いします」


 マリアさんの言葉に被せるように、自分の言葉を重ねていく。軽くお辞儀をして「これ以上僕に何も聞くな」と無言の主張をすれば、彼女は何か言いたそうに口をもごもごさせて、たっぷり二十秒逡巡してから、大きく息を吐いた。

 どうやら、ブリッジについて聞くのは諦めてくれたようだ。僕はそう確信してからそっと頭を上げて、困った顔のままのマリアさんを見上げる。


「それで、どこでPETを選ぶんですか?」

「……寮三階の、保卵室です。で、ですが、まずステータスを見るところからですね。PETを得るためにも、必要な行程ですから。これ自体は簡単で、ステータスオープン、と唱えるだけです。やってみてください」

「ステータスオープン?」


 マリアさんに言われるまま言葉を紡ぐと、ピコンッ♪ という軽い機械音と共に、目の前に透明な板のようなものが現れる。上から順に黒い文字が浮かび上がって、僕のプレイヤーネームが最初に出ていた。






 Player name

   ユズハ・ティトロン


 Race

   天神族【変更不可】 Level 0


 Job

   main / 学生 Level ∞

   sub / 【解放されていません】


 Status

   HP  100

   MP  100

   SP  10

    STR  10

    VIT  10

    AGI  10

    DEX  10

    INT  10

    LUK  72






 名前、職業、その他能力値が書かれたそれは、タブレットのように操作できるらしい。大きさはA3くらいで大きめだけど、念じれば大きさは自由に変えられるようだ。横から覗くと、5ミリほどの厚さがあるようで、裏は文字が透けている。触った感触は硝子に近いかな。

 あと、他の人には見えないらしい。つまり、他人からはただ空中で指を動かしているようにしか見えないわけだ。指の動かし方によっては、指揮者とかエアピアノとかに見えそうである。


 ステータスパネルの右横には、幾つか立方体のアイコンが浮かんでいる。

 分かる模様は、剣、四ツ葉、手紙、王冠。

 分からないのは、何やら口を開けた猪みたいなやつと、ただ円が描いてあるだけのやつと……流れ星っぽいやつ。

 何にせよ何のアイコンか分かんないけど、何これ?


「つ、次に、装備です。ゆゆ、ユズハさん。こっ、ここに貴方の制服があるので、まず、ステータス横の、剣のアイコンに触れてください」


 手渡されたのは、左腕にエンブレムの入った制服。

 Pコートの丈をボタン部分以外長くしたデザインの、白を基調とした制服である。エンブレムは校章だろうか。五芒星とペン、剣や盾などが描かれた、ファンタジー感溢れるデザインだ。エンブレムは黒地に金の縁取りがされていて、何だか微妙に制服と合っていない。……何かあるんだろうけど、無言で催促されている気がしたので一旦横に置いておこう。


 剣のアイコンをつつくと、こちらも硝子に触れたような感触の後、アイコンはくるりと一回転し、ステータスパネルと同じくらいの大きさと薄さに伸びる。

 剣の絵は色が薄くなって全体へ広がり、今の僕をそのまま写した画像と、その横に正方形や長方形の何も描かれていないアイコンがびっしり出てきた。

 あっ、画像の僕に近いアイコンは無地じゃない。なるほど、装備のための個別パネルってわけだ。


 今は『無難な町人服』というものを着ているようで、胴体や足といったパーツごとに、無難な町人の~とついたシャツ、ベスト、パンツ、靴を装備している。

 そして、今手に持っているものは【シグニール学園の制服】という名前のようだ。持っている分にはセット扱いで、纏めて『持っているもの』として表示されるらしい。マリアさん曰く、アイコンをタップしながら自分の画像にスライドすれば一発で着替えられるとのこと。


 やってみるとあら不思議! 着ていた服が光りながらシュルリと空気に解けて、上から順に消えていく。

 え、まさか裸に……あっ、なりませんよねー。このゲーム、年齢制限十歳以上だもんねー。R-18表現は無いよねー。

 消えたそばから別の光が、帯のようにシュルリと巻き付いて服の形を取った。トータル五秒ほどで変化は終わる。サイズはピッタリで、着心地はまあまあだ。サラサラしていて、柔らかい。ストレッチ素材を使っているようだった。


 パネルを見れば、先程まで着ていた村人の服は、横にあった【インベントリ】という欄に移動している。手に持っていた制服はきちんと僕の画像へ反映され、下方にVIT+5やDEX+10などの効果が追加で表示されていた。


「こ、このように、装備品には元からの能力以外にも、副次効果が付いているものもあります。さ、先程までユズハさんが着ていた服は、基本装備で、防御力が全く上がらないものです。これから先、その辺りも注意して、装備品を選んでくださいね」


 微笑むマリアさんに促されて見れば、ステータスの方も変化があった。括弧付きで、装備分の加点された数値が表示されているのだ。

 つまり、元の数値分に加えて装備品でもステータスを補えるということだ。どのゲームでも基本的な説明だけど、自分をカスタマイズするのは当然ながら初めてで新鮮である。何せ見る専だったからね!


 真新しい制服のまま、その場でくるくると回る。モンスターとの戦闘があるからだろうか? 制服は軽くて動きやすく、戦いやすそうである。

 何度か回っていると、マリアさんが微笑ましそうに僕を見ていることに気が付いた。


「せ、制服、お似合いですよ」

「ありがとうございます。ただ、何でエンブレムと制服の色合いがミスマッチなのか気になりますけど」

「そ、それは、また後にしましょうか。い、今は、PETを選びましょう」


 あ、そうだった。

 制服に気を取られたけど、そっちが本命だったよ!


 マリアさんはどうやら制服とエンブレムについて何か知っているようだけど、確かに今はPETを選ばないとだよねぇ。すっかり忘れてた。

 PET選びは楽しみにしていたのに、それを忘れてたなんて……このゲームを始める前から気になっていた仕様なのに!


 こっそりとため息をつくけど、何を思ったかマリアさんははっとなって慌て始めた。

 ……あれ、何かあった?


「あっ、あぁああ、あの、すす、すっ、すみません! 私、いつまで経ってもどんくさくて!!」

「え」


 ……本当に何を思ったのか、マリアさんは顔を青ざめさせて、急にペコペコと謝ってきた。


 どんくさい? まぁ、確かに言動はオドオドしてるけど、個性の範囲内だよね?

 むしろ会話のテンポがゆっくりめなのは、僕には嬉しいんだよね。楓雅は早いんだよ。微妙についていけなくもないから指摘できないけど。


 大事なことを忘れた僕自身には苛立ったけど、決してマリアさんには怒っていない。

 あぁ、そこを勘違いされたのかな?


 推測している最中も、マリアさんは止まらない。何故だかこれまでの失敗や、言動のせいで弄られやすいだとか、個人情報をばら蒔いている。これは、早めに止めた方が良いのでは?

 しかし、何とか宥めようと口を開けば怯えられ、頭を撫でようとすれば怖がられ……僕、マリアさんより小さいんだけどなー。


 最初はまだ余裕があったんだけど、こんな状態で十分も経つとさすがに焦れてくる。僕は、表情筋は死滅してても、人でなしではない、はずだ!

 ぶっちゃけチュートリアル云々ではなく、マリアさんの目が溶けないか心配になってきたんだよね……。そのくらいわんわん泣いてるのに、ハンカチもティッシュも持ってないし……。


 あんまりこういった場面に遭遇したことの無い僕は、ひどく焦っていた。楓雅はこんなことで泣くような柄ではないし、その両親も然り。話すのは楓雅の知り合いばかりで、これまた柄ではない。

 となると、経験則が何一つ活用出来なくて目の前がくるくるする。


 だから、というわけではないけれど、その時僕は最大の過ちを冒してしまったんだ。


「こんな時に言うのもあれですが、僕、男です」

「……えっ」


 うん、いつ言おうか迷ってたんだけどね?

 背は低いし、声は高いし、髪型が女子のおふざけで編み込みハーフアップだし……まぁこれは自分でも気に入っちゃったから続けてるんだけど。昔から女の子扱いは定番の弄りネタだったし、自虐ネタにする程度には慣れてたから、今更女の子の髪型でも気に入ったら使うようになってたんだ……。

 だからって、ゲームの中でも女扱いはないと思うんだ。男女の設定とかやった覚えはないけど、だからってこれから先男の娘としてチュートリアルを行おうとは全く思えないんだもの。何より楓雅に聞かれたら絶体笑いの種にされる!

 だから、まだ替えが利く内にスカートはやめたいんだ。白地に黒のチェック模様は良いと思うけどさ? ミニスカートはちょっと、ねぇ?


 と、こんな感じで指摘をすれば、とどめを刺してしまったようで。

 その時点で既に目がかなり潤んでいたし、何なら零れこそしないものの涙自体は出ていただろう。それが僕の言葉を聞き終えた途端に、まるで壊れた蛇口の如くドパッ! と、溢れだした。

 最終的に、度を増してわっと泣き出したマリアさんは床に這いつくばって額を床に打ち付け始めてしま……えっ。


「わゎ、私、私っ、何て事を!! よ、よりによって、天神族の方の性別を間違えるなんてぇ~!!」


 読み方はまんま地球って意味だけど、漢字にするとかなり大仰だもんね、天神族。気分を害してはならない的な扱いなのだろうか。マリアさんの反応を見るに、そんな感じだよね。


 ところでマリアさん、おでこ大丈夫???


「あの、僕は昔からよく女の子に間違われてたので、むしろ一発で見抜くのは至難の技なんですけど」

「だから吸血族の落ちこぼれなんて言われるんだ~!」


 う~ん、聞いてないね!


 というか……【吸血族】?

 それはたしか、UTSのパッケージにもあった、代表的なレア種族では? 全体的に能力が高い種族で、基本的に日光が苦手な夜型の種族。誇り高い者が多く、人に頭を下げるという行為が苦手って……うーん、マリアさんは少数派の方だね!

 

 あ、吸血族だから肌がやけに白かったり、目が赤かったりするのか! なるほどー。


 ── ではなく。


 えっ、マリアさん?

 まるで、釘を打ち付ける金槌みたいな音が響いてるんですけど?! どんだけ石頭……じゃなくて! 血が!! 出てる!!!

 この部屋救急箱ある?! 吸血族って治療行為OK?! あっ、それとも血を吸わせるのが良かったりする?!?! 首か! 首差し出せばいいのか?!?!?!


 ……その後、混乱は一時間ほど続いた。

 厳密に言えば、僕が混乱したまま腕をまくって、マリアさんの頭と床の間に差し込んだ辺りでマリアさんは一気に頭が冷えたのだそう。危うく僕の細腕が折れるところだったらしいけど、その前に正気を取り戻してくれてよかったー。

 自分よりも混乱してる人がいると、途端に冷静になるって本当なんだね。


 吸血族は回復力も高いらしい。マリアさんは血の痕こそ残っているものの、何度も打ち付けた事による腫れや裂傷は、僕も落ち着いた頃には綺麗サッパリ消えていた。


 ファンタジーなゲームってすごい。

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