PETを決めよう

 マリアさんに懐かれました。


 いやぁ、涙が治まってもずっと愚痴を吐露していたから、都度励ましたり慰めたりしてたんだけど、やがて落ち着いたマリアさんが目元と同じくらい顔を真っ赤にしたまま笑ってくれたんだよね。

 そのふわりと浮かべられた笑顔が、もう、かわいいのなんの……こほん。


 どうやら、完全に心を許せる人だと認定されたようです、やったね!


 懐いたマリアさんは、最初とは打って変わって晴れやかな表情になり、口調も何故か、少しだけだが引っ掛からないようになった。態度も僅かに自信が滲んでいる。

 良い傾向だけど……色々と段階をぶっ飛ばしている気がしないでもない。


 ちなみに、ちゃんとズボンはもらったよ。スカートと同じ模様のスラックスで、ストレッチ素材なので伸びる伸びる。……ちょっと面白いけど、伸びきったら嫌だからほどほどにしとこう。こういうのって、『ゲームなんだし大丈夫』って言われても心配になるよね。


「で、では、付いてきてください」


 マリアさんに付いて、僕はいよいよ部屋の外へと踏み出した。これも学園指定なのだろう、学園のエンブレムが刻まれた明るい茶色のブーツをはく。


「この寮の私室では、靴を脱ぐ事になっています。世界共通、というわけでは、ありませんが、主流です」

「校舎内でも脱ぐんですか? それとも履き替え?」

「あ、いいえ。校舎は、入口に浄化魔法がかけられているので、そのまま入れます。窓にもかけられていて、服に付いた外の土や水なんかを、持ち込ませない仕組みになってるんですよ」

「わぉ、ファンタジー」


 生活の基本は欧米スタイルで、プライベートは日本スタイルって解釈で良いのかな?

 うーん、いい感じに混ざってる。


 廊下はお城のような、と言うと大袈裟なので西洋のお屋敷風と言った方が近いかな? 天井の高さはそこそこだし、豪華なシャンデリアとかも無いし。クリーム色のツルツルとした壁に、木目調の、しかし触れれば金属的な感触のする柱が一定間隔で設置された廊下だ。天井もクリーム色で、柱と同じ間隔で埋め込まれたガラス球には光る石が幾つか入っている。あれが明かりらしい。

 電気とかどうするんだろう? って思ったけど、この世界では科学で出来る事を魔法で代用してるのかも。もしかして、科学文明はおざなりなのかな?


 この世界のエネルギー事情も、気になると言えば気になるけど、今はそれとは別の問題に突き当たっていた。僕はお喋りが好きだけど、いかんせん現実では喋らないから喋る度に疲れるのだ。ゲームの身体だからか、HPが削れない限り身体的な疲れは無いはずなのに、精神的な疲労のせいで顎が痛い。

 こういった疲労感も再現率が高いんだな、と感心する反面、物凄く面倒でもある。

 結果、余計な事まで考えて、少しずつ精神的な疲労が溜まる悪循環! 遂には頭痛までし始めた気がして、少し憂鬱だ。


 一方マリアさんは、スキップしそうなテンションで階段を下りてるんだけど……危ないから普通に下りません?


 ハラハラしながら階段を下りていくけど、何かが起こる事も無く無事に三階に着く事が出来た。

 けれどそこで、僕は目を丸くする。


 階段のすぐそばに、扉があったからだ。


 廊下すら無く、上の階と同じクリーム色の壁があるだけ。壁の中央に、でんと佇む扉が鎮座している。

 構造自体は別に問題無い。扉の先に、一階分の空間が広がっているのだろうから。ただ違和感が無いのが逆に違和感をもたらしていた。モヤモヤとした感覚が胸の中を這い回るような、気持ち悪くはないけど、どこまでも不気味というか。それが違和感というわけだけど。


「扉しか無いんですね……」

「あっ、これは、一時的な措置です。用事が済めば元に戻りますっ」


 マリアさんはわたわたしながら説明してくれた。どうやら、PETの卵を手に入れるまでの特別な仕様らしい。だから、不安定でこそないものの、この扉が現れている間、寮三階の空間はずっと歪んだ状態なのだとか。

 なるほど、それが違和感となっていたわけだ。注視しないと気付けない程度の感覚らしいけど、プレイヤー補正だったのかな?


「で、では、開けますね」


 観音開きの扉は重そうだったけど、マリアさんの細腕でも開いた。物凄く重そうな音がしたけど、そこはたぶんゲームの不思議って奴だね。

 ……そうだよね?


「わぁ」


 促されるままに足を踏み入れると、そこには大量の卵がずらりと並べられていた。


 卵は奥行きのある本棚に間隔を空けて並べられており、大きさはダチョウの卵くらい。それぞれ模様が違い、卵の中身を示す動物の紋章が浮かび上がっている以外は、色も模様もランダムらしい。ざっと見ただけでも似たような色や模様が二、三組見つけられた。

 それが、だだっ広い部屋にずらりと。余裕をもって、大量に。かろうじて部屋の端が見えるけれど、幅も奥行きもとんでもない事がよくわかる。


 ぽかんとしていた僕だけど、マリアさんのくすくす、といういかにも『微笑ましい』とでも言いたげな声にハッとした。

 見れば、本当に微笑んでいる。

 わぁかわいい。


「こほん……ここが保卵室、です。PETは最初から生物の形をとるのではなく、特殊な例を除いて、人の手に渡る前は、卵の姿で過ごすのです」

「うさぎもですか?」

「兎もそうですよ。あと、猫、犬、熊もですね」

「わぉ、ファンタジー」


 哺乳類に属する動物も卵から産まれるとは……あ、そういえば昔からある使役バトル系冒険ゲームでは、どんなモンスターでも卵から生まれるんだっけ?

 あと、カモノハシは哺乳類なのに卵生だったはず。でもそういう例外以外も卵から……PET自体普通の動物じゃないけど、やっぱり不思議だ。うーん、さすがゲーム。


「寮の三階は、生徒および教職員達のPETを預かる施設なんですよ」

「この階の部屋全部、PET用なんですか……?!」

「ふふ、はい。PETは基本的に契約主と共に行動するのですが、中には付き従えるのには向かない子も、それなりにいるので」


 言われてみると、パッケージにいたPET達は、小動物も多かったけど、中には虎や象など、物理的に大きすぎる動物もいた。成長前の段階でも大きい場合、そういつも一緒にはいられない、と。

 想像してみる。戦闘では頼りになりそうだけど、授業中や休み時間に校舎を闊歩する、虎や象。

 ……控えめに言って、圧迫感が凄まじい。というか、普通に通れない。


「いや、でも、PETは生まれる時は子供の姿とか。だとしても大きい種はいるでしょうけど、三階全部使うほどですか……?」

「PETはたしかに、生まれたてだと子供の姿です。ですが【学生】と違い、PETにレベル制限はありませんし、時間経過で成獣化もします。幼獣から成獣にかけて、契約主の戦い方や動きの癖などを観察し、サポートする本能がありますから、成長スピードは千差万別ですが……それと、PETの種類毎に部屋分けされます。それぞれの部屋に空間を拡張する魔法がかけられているため、見た目と中身の広さが段違いなんですよ」


 今度お見せしますね、と微笑むマリアさんは、とても楽しそうだ。


「一応、PETはアイテム化して持ち歩けるのですが、外に出しておくだけで成長するんですよ。アイテム化している間は経験値が入らないので、一時的とはいえ離れるとしても、こうして外に出しておきたい人達のPETを預かっているんです」

「あ、なるほど」

 

 ちなみに、この階にはもう一つ小さな部屋があるらしいけど、そこはマリアさんの私室だそうだ。それと、PETの救護室も兼ねているという。PETも状態異常にかかるそうなので、何かあればここに来ると良いようだ。

 ……注意事項を話すマリアさんは、ルビーのような瞳を潤ませていた気がする。しっかり覚えとこう。


「ここは、自分のPETを決めるための部屋、です。初めてPETを手に入れる人がいると、この部屋が自動的に現れるんです。魔法による特殊な空間で、条件を満たせば消えてしまいます。また、後から新しくPETを手に入れる子に付いて入っても、卵には触れません。このように」


 マリアさんの手が、近くにあった卵や本棚をすり抜ける。スカッスカッとすり抜ける様は、実にシュールだった。

 本当に一度きりの特別イベントなんだ……ふざけずちゃんと選べ、って事だね!


 そういえば、マリアさんのPETはどこにいるんだろう? 今は一緒にいないみたいだし、元の三階にあるという部屋で彼女を待っているのだろうか。

 ユニトスもPETは手に入れられるらしいけど、特別なキャラでない限り、プレイヤーのPETよりも性能が劣るらしい。けどどんな子がいるのか単純に気になるし、機会があったら見せてもらおうっと♪


「一応言っておきますと、卵の模様と生まれてくる子の能力に関連性はありません。毛並みの色は違いがありますけど、余程の事がない限り、生まれたばかりの形は種類ごとにみんな同じで、性格も能力も所有者のお世話の仕方で決まるんです。ここではどの動物を選ぼうか、くらいに考えて選んであげてください」

「あ、はい」


 これまでどこかのほほんとしていた声が、急に冷気を帯びる。

 ……マリアさんにここまで言わせるってことは、前にやらかした人がいたのかな?


 卵の模様によって能力に差はない。生まれた瞬間のステータスは、どのPETも差はない、か。

 例えばうさぎと亀ではAGIに差があっても、うさぎとうさぎ、亀と亀同士なら差はないってことだ。それで、初期ステータスは差がなくとも、育て方によっては思わぬ方向に化ける可能性が高い、と。

 うん、やっぱり面白そう!


 あとね、マリアさん。

 せっかく長々と説明してくれたけど、僕はもう、どの卵を選ぶか決めてあるんだ。


 マリアさんの説明をきちんと聞き終えたことを確認してから、ゆっくりお目当ての紋章を探す。広い上に背の高い本棚が並んでいるし、死角も多くて、なかなか探しにくい。

 僕は背が低いんだ! というかこれ、十歳の身長だと届かない場所とか無い……あ、ちゃんと踏み台とかはしごがあった。ちゃんと配慮されてた。だよね、マリアさんが触れないなら自分で触るしか無いんだし、そりゃ救済措置もあるよね。


 ではなく。


 ……。

 …………。

 ………………!


 あった!

 幸いにも目線の高さにあったそれをそっと持ち上げて、マリアさんの元へ持っていく。


「これでお願いします!」

「兎、ですね。ふふ、お好きなんですか?」

「僕の本名には、うさぎの字が入っているので。うさぎのためなら数年続けてうさぎ飼育当番になっても嬉しいです」

「そうでしたか! ユズハくんになら安心してその子を任せられそうですね♪ あ、そうだ。卵は生まれるまで、常に持っていてください。十日で生まれて、貴方だけのパートナーになってくれますよ」


 十日……そうか、PETが生まれると、チュートリアルが終了可能になるわけだ。だから、最低十日なのかな?


 マリアさん曰く、PETの卵自体は後から手に入れることも出来るそうだけど、そちらは何かあれば壊れる……死んでしまう事もあるという。

 対してこの卵は学園にしかない特別なもので、【破壊不可】【譲渡不可】といった効果が付与されているそうだ。卵から孵った後も効果は持続するらしいので、学園卒業者は二体目のPETを手にすることは滅多にないらしい。

 まぁ、死なないなら二つ目なんて要らないだろうし、学生時代を共に過ごした唯一無二なんて、特別感の塊だ。二つ目を平等に愛せるような人でなければ持たないのだろう。


 つまり、後からでも手に入るPETを持っているのは、この学園に通わなかった者が大多数という事だ。学園に通える生徒数は限られているし、その一部は王族なんかが占めているはず。この世界の人間にとっては、学園産のPETを持つのは一種のステータスなのかも。そのためだけに枠を埋めに来る者も中にはいるかもしれない。

 更に、外で手に入る卵を孵すには、インベントリから出し、常に手に持っていなければならないそうだ。その分拘束時間が増える上に、万が一にも壊れる可能性は否めない。それに対して、こちらの卵はインベントリへ収納しても、あえて部屋に置いてくるなどの処置をしない限りは、日数が経過すると自然に生まれる仕様。

 控えめに言って優遇すぎるよね? プレイヤー特典なんだろうけど。


 卵は動いたりしないけど、確かな重みと、ほんのりとした温かさが両手から伝わってくる。破壊不可らしいし、夜は抱いて眠ったら暖かそうだ。

 このゲームは、時間が引き伸ばされている関係上、ゲーム内で眠ることが出来るらしいし……よし、今日寝るときに試してみようっと。


「あ、物は手が触れている状態で【収納】と唱えれば、勝手にインベントリへ収納されますよ」

「おぉ、便利だ」

「はい! あと、目の前にある装備品をすぐ身に付けたい場合も、同じように【装着】で着られます!」

「わぉ。……うん、便利だね」

「でしょう?」


 マリアさんが浮かべた満面の笑顔を、僕はじぃっ、と見つめる。にこにこ、にこにこ。んん、純粋なオーラを感じる、気がする。

 【収納】と声に出すと、卵はしゅるんと音を立てて、インベントリへと入っていった。手から重みが消えてから確認すれば、ちゃんとインベントリに入っている。

 ……正直安心した。だっていきなり消えるんだもん。便利だけど、慣れるまでは心臓に悪そうだ。


 というかこんな便利な技術、制服を渡す時一緒に教えてくれればよかったのに。なんて考えてしまったけれど、もしかすると、泣きすぎて忘れてたのかな? あー、マリアさんならありえるよねぇ。

 うん、追求しないでおこう。


「次回からこの部屋は入れなくなります。外だとここの卵は貴重品で、二度と手に入りません。……最後の確認です。選んだ卵以外は、もう選べませんが、この部屋から出てよろしいですか?」


 出入口の取っ手に手をかけながら、マリアさんが神妙に尋ねてくる。

 目を細めて、口許は引き結んで。


 ここ以外では手に入らない貴重な卵、か。

 ……うん。


「大丈夫です」


 口の端を持ち上げて、マリアさんよりも前に自ら扉を開け放つ。思ったより重い扉だけど、迷いはないのだ。思いっきり力を込めれば、ちゃんと開いてくれた。

 最初からうさぎにしようと決めていたし、これ以降は手に入らないなら、尚更これでなくてはならない。うさぎには特別な思い入れがある。だから、これで良いのではなく、これじゃなきゃダメなんだ。

 だから、振り返りはしない。


「……それで、良いんです」


 マリアさんが、今にも消えそうな、それでいて優しい声色で呟いた。


 扉を、閉める。






 ── しゅるん、後ろで音が鳴る。






「── ん?」


 聞き慣れない音がした気がして振り向いたけど、そこには、閉じかけの扉があるだけだった。

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