ジークハルト学生寮
閉じた扉は光の粒子となり、壁ごと消えていった。
下から空気に溶けるように消えていくその光景は美しく、全てが光となって消えるまで、僕は柄にもなく見とれてしまう。
後に残ったのはまっすぐ伸びた廊下だけ。卵にも描かれていた動物の紋章が、それぞれ刻まれた赤い扉が、一定の間隔を開けて延々と取り付けられている。
本当に一回しか来られない初回限定のイベントなのだと、今更ながらに実感する。何度来たとしても、うさぎを選ぶ事に変わりはないけどね!
それにしても、と。光が収まった廊下を、僕は舐めるように観察する。
扉が消えて現れたのは、終わりが見えないほどに長い廊下だ。それだけなら、何も問題は無い。
けど……あれ?
五階の廊下もこんなに長かったっけ??
というか、この寮広すぎない???
目を白黒させながら記憶の棚を漁ってみるも、五階の廊下は向こう側の壁が見えていたはずだ。特別記憶力に自信があるわけでもないが、それは間違いない。
これで下の階が広くて上の階が狭いのなら問題無いだろうけど、胸の辺りがモヤモヤとして気持ち悪い。スッキリしない。不快感が拭えない。
根拠なんて何も無いのに、何かがおかしい事は分かるのだ。
何秒か何十秒か、うんうんと唸った僕は、ふと思い出した。
そうだ、五階や四階で見た廊下には、
あの階段は上にも下にも続いていたはずなのに、何で三階には階段が無いんだ?! ゲームの仕様か、ご都合主義なのか!
僕の様子がおかしい事に、マリアさんが気付いたらしい。しばらく顎に指を当てて考えてから、やがてハッとなり、ああ、と呟く。
「これはですね、【空間拡張】の魔法による効果ですよ」
「【空間拡張】……ですか?」
「はい、文字そのまま、空間を拡張する魔法です。たとえばこのように廊下を長くしたり、新しく部屋を作ったり、部屋を広くしたりすることが出来るんです! 区切られた空間内のみという制限が付きますが、相応の魔力と魔法に対する適正があればどなたでも使える便利な魔法ですね。市販の魔道具にもなっていますし、実質使えない人はいないでしょう。形や大きさなどを自由に変えられますし、外観は一切変わらないんですよ」
僕が疑問に思っていたことを、マリアさんは楽しそうに説明してくれた。
【空間拡張】かぁ。それが使えれば、僕の私室も少しは広く出来るだろうか。今のだと少し窮屈なんだよねぇ……ハッ!
「もしかして、隠し部屋とかも作れたりするのでは……?!」
隠し部屋。子供の頃、誰もが作っては大人に見つけられ、作っては見つけられ……それでも誰も知らない『秘密の隠れ家』。それを求めた者達の夢の集大成!
隠し部屋、それはロマン!!!
── と、楓雅が半年前に叫んでいたのを思い出す。
十中八九、この魔法を見つけたからだな。
あの魂の雄叫びから、UTSへの勧誘が激しくなったんだよね。僕はそこまで隠し部屋とかにはロマンやら夢やら抱かないんだけど、楓雅はほら、そういうのが気になるお年頃だから。
このゲームでは作れちゃうらしいし、そりゃあ楓雅も興奮するよねぇ。
「結論から言えば、隠し部屋は作れますね」
「わぉ、すごい。あとマリアさん、心を読むスキルでも持ってます?」
「いえ、持ってませんよ。ただ、過去に隠し部屋を作ってそこをゴミ箱代わりにした悪臭騒ぎがあったり、鍵を厳重にしすぎて危うく餓死寸前になった生徒がいましたから。シグニール学園の生徒、およびこの寮に住む方には、必ず話すことなんです」
先程とは正反対に眉を寄せるマリアさん。……当時の生徒はもちろん、マリアさん自身も被害を被ったのだろう。その表情は、苦虫を何匹も同時に噛み潰したように歪む。
悪臭というと、生ゴミでもあったのだろうか? それが部屋一つ分、長期間放置されていたとしたら……そ、想像しただけで吐き気が。うぷっ。
……如何わしい系統の話がないのは、僕が十八歳未満だからかな? たぶんそうだよね。
隠し部屋が自由に作れるなら、人には見せられないものを隠す人が一定数いるはずだもの。楓雅の場合、珍しくとった零点の小テストを隠したりしてるしね。
僕? 僕は隠すようなものはないかなぁ。今現在疚しいことは無いし。
本当だよ?
閑話休題。
チュートリアル最初のビッグイベントであるPET選びが終わったので、寮の案内をしてもらうことになった。
それ自体は思っていたよりすぐに終わり、今は一階のロビーに向かっている。
寮の住人は授業中だ。寮内はひどく静かで広々としており、移動も説明もとてもスムーズに進められた。また、五階以降はどの階も造りが同じで、案内の必要が無かったため、思ったよりも早く終わったらしい。
この寮は、管理者であるマリアさん以外、学生が寝泊まりするための施設だ。
生活に必要な最低限の設備が揃っており、主な施設は三階のPETを預ける部屋と、二階のお風呂場にランドリー、一階の食堂。あとは玄関近くにシャツやノートなど実用的な物を売る購買もあったので、後で個人用のノートを買おうと思う。
ステータスパネルには所持金も表示されるようで、実は制服と一緒に1000eg(エッジ)渡されていた。この世界のお金の単位はegであり、円ではなかった。食堂でも使うらしいので、無駄遣いは避けないと。
最低ランクの食事はタダらしいけど、どうけなら美味しいもの食べたいし。
ただ、僕、お小遣いをもらってもすぐ本に使っちゃうんだよねぇ。楓雅もゲームに費やしてるから、すぐ僕にせびって……あ、今はいいや。うん。忘れよ。
ちなみにこの寮の階数は、生徒数によって変動するらしいよ。中等部と高等部の寮は別になっていて、高等部の寮は隣の建物なのだそうだ。それぞれデフォルトが十二階まであり、その内四階までが共有スペース。男女は五階以降で分けられているとのこと。
……それでいくと、僕はちゃんと男子寮にいたわけだが。何でスカートを渡されたんだろう???
「天神族の生徒は、初めどこでもない部屋に現れます。そのため、案内人が会った瞬間はどちらの性別なのか分からず……うぅ、申し訳ありません!」
今にも泣き出しそうになりながら、マリアさんはペコペコと腰を折る。
とりあえず今日中に案内は終わらせておきたいので、早めにフォローは入れておいた。仕方ない理由もあったみたいだし、ならば彼女が謝る理由は無い。
無いったら無い。
今彼女の言った天神族は、僕のようなプレイヤーではなくNPCとしての天神族だろう。ゲームが始まる前の時代からこの学園に何人も来ていないと、新しい種族だ何だとめんどくさそうだし、さすがにチュートリアルとしてここを同時期に訪れる、僕以外のプレイヤーを指しているとは思えない。チュートリアルは個別のエリアに飛ばされるわけだしね。
それで、その天神族は、必ず最初はどこでもない部屋に現れる、と。
あっ、クローリクがいた時に窓の外が見えなかったのもその関係かな? 部屋の場所が決まってると、僕みたいな性別不詳に間違った部屋が割り振られるかもだし!
そうそう。今僕の着ている制服って、アジャスト機能が付いてるらしいよ。でも性別によって形は変わらないから、渡す人の判断でスカートとかズボンになるみたい。
……僕の見た目が女の子っぽいから、スカートを手渡されたんだよねぇ。
うん。
えっと。
思考、切り替えよう。
「収容人数によって階数まで変わるなんて……ファンタジーですね」
「この世界では珍しくないんですよ。実際、多くの王城や商業施設ではよく使われていますから。土地は有限ですし、見た目より中を重視する方は多いんです」
「あぁそっか、【空間拡張】は見た目が変わらないんでしたっけ。それは多用するわけだ」
「はい。……もっとも、そういった元々存在しない空間は不安定なので、あくまで一時的に作ることが推奨されていますけど」
ん? 不安定?
「以前ひょんなことから拡張した部屋が消えた子がいるんです。その場合、部屋の中身は全て、時空の狭間に消えます」
「えっ、じゃあ使わない方が良いんじゃ」
「本来は滅多に無いことなんです。先程の件も、転移魔法を封じ込めた試作の魔道具が暴発した結果でしたし。あぁ、悪臭騒ぎはこの性質を利用して、ゴミごと拡張した空間をあえて消去して解決しましたねぇ……騒ぎを起こした生徒が大切にしていたトロフィーなんかも一緒に……今でもこの『ジークハルト学生寮』の歴史に残る黒歴史です」
何だか不穏な一言が小声で呟かれた気がするけど、きっと自業自得というやつだ。因果応報とかっていうやつだ。気にしたらいけないやつだ!
けど、元が臆病なマリアさんをここまで威圧的な笑顔にさせる事件とか、どれだけの規模だったんだ、その悪臭事件。逆に見たい。怖いもの見たさってやつだね!
NPCといっても、やっぱり色んな人がいるんだなー。確かこのゲームは、どんなモブにも高度なAIを搭載していたはずで、誰一人同じ顔や性格をした人はいないらしいし。いやぁ科学ってすごい。
チュートリアルだろうと、このシグニール学園には双子設定でもない限り同じ顔のキャラはいない、と。ふむふむ。
……ふむ?
「……えっと、ジークハルト?」
「ジークハルトです」
「シグニール学生寮、ではなく」
「ジークハルト学生寮、ですね」
き、聞き間違いじゃなかったぁあああ!
えっ、学園と学生寮の名前違うの? 何で?!
「シグニール学園は、学園を創設した英雄シグニール様の名を冠しています。当時も世界中から生徒を集めていましたが、シグニール様自ら選んだ生徒だけでしたので、生徒数も少なく、校舎に寮代わりの住居スペースを作っていたそうです。今では部活棟となっている建物ですね」
「じゃあ、ジークハルトというのは……誰かの名前でしょうけど、歴代の学園長のどなたかですか?」
「シグニール様の双子の弟様です。シグニール様は精力的に生徒を集めていたので、年々増えていく生徒数に住居スペースを拡張するだけでは非効率的だと訴えたそうです。当時の【空間拡張】は今より不安定でしたし……。何はともあれ、この学生寮には寮を作ったジークハルト様の名が冠されたのですよ」
なるほど、学園そのものはシグニールという人が作って、それから数年後に学園とは別に寮を作ったのがジークハルト。
初代学園長の名前でもあるし、覚えないとね。ここは学校だし、テストで出そうだもんね♪ 何気にややこしいけど、どっちがどっちかちゃんと分けて考えなきゃ。
えっと、あー、寮がシグニールだっけ?
え、違う?
混乱している僕を見るマリアさんは、微笑ましそうに目を細めた。
「これは授業で教わるかもしれませんが……初代学園長シグニール様は、この世界を救った英雄なのです」
「世界とはまた大規模な」
胡散臭い話だ、と一瞬感じてしまったけれど、そういえばここはゲームだし、魔法もあれば魔王もいるのだ。勇者や英雄もいたっておかしくないし、何なら公式で開発者が『なれる』と宣言していた。
実際に昔いたという設定なのだろう。
「かの時代のことを、人々は神魔戦争と呼んでいまして。その時代では、魔王と呼ばれる悪逆の存在が世界を壊して回り、人々は日々消滅の恐怖に晒されていました。そこで、シグニール様は強大な力を持つ魔王を、何とか封印したのです。その封印の力を次代へと繋ぐため、シグニール様は学園をお作りになられたとか」
「じゃあ、学園に通っていたらシグニール様のお力とやらを継承出来るんですかね?」
「……どうでしょう? その辺りの伝承は欠けており、お力が何を指すのかは【考古学者】が調べても見つからないそうですし」
こてん、と首を傾げるマリアさんの顔には疑問符が浮かんでいる。これはとぼけているのではなく、本当に分からないらしい。
英雄かぁ。
Unison Trigger Strategyの世界で、プレイヤーは勇者にも、魔王にもなれる。その触れ込みに対する、一つの解答なのだろう。
こうした雑談で可能性を示唆し、プレイヤーは方向性を定めていく……僕みたいに、特別何かを目指すでもなく始めたプレイヤーには選択肢を増やし、そもそも魔王や勇者、英雄なんかを目指すプレイヤーにはその可能性を提示しているのか。
チュートリアルの最後で選ぶ職業は、チュートリアル内での行いが反映される。これはパッケージの説明書に書かれていたことだ。
もしかしたら、こういった話を聞く事で、最終的に選べる職業が増えていくのかもしれない──
ピンポ~ン♪
『 条件達成 ユズハさんはexクエスト《可能性の開拓3》 をクリアしました
チュートリアル終了後に選択可能な種族に【
選択可能な職業に【
「……あー」
どこからともなく聞こえてきたのは、軽い調子の機械音と、僕がこの世界に来た時にも聞いた女性の声。
急に聞こえてきたせいで、飛び上がるほど驚いてしまった。ちょうどマリアさんが後ろを振り返ってない時で良かったよ……見られてない、よね? ねっ?
声と内容を聞き終えた僕は、何とも言えない複雑な心情に、熱のこもる頬と一緒に顔ごと目を覆う。
今の声はレベルアップとか諸々の時に聞こえる、所謂天の声というやつだね。ゲーム中、あらゆる報せは彼女の声によって届けられるのだろう。
で、だ。
── exクエストとは何ですかね???
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