第6話 転生者たちは対決する

「―――ノア……!」

 ソフィアが急に飛びついてきたんで、俺は慌てた。

「?!」

 勝気で強気なソフィアが、ここまでおびえたようにすがりついてくるなんて初めてだ。

 しかも、悲痛なともいえる声で。

「どうした!?」

 急に具合でも悪くなったのかと焦って抱きしめつつ顔をのぞけば、真っ青だった。

 心なしか震えてる。

「真っ青じゃないか、気分悪いのか? それとも貧血?」

 宰相も慌てて、ソフィアに駆け寄った。

「なにっ? 身重なんだ、無理しちゃいかん」

「宰相、すぐに病院へ!」

 兄上まで自ら走ってって連絡しそうな勢いだ。

 ソフィアが蒼白なままかぶりを振る。

「……ちが……」

「違う? 何が? あ、しゃべらなくていい。ソフィア、悪いけど『読む』ぞ」

 俺は触れたものの記憶を読むことができる。思った・感じた直後に記憶を読めば、ほぼリアルタイムで相手の考えてることが分かるんだ。

 ソフィアが目で許可したんで、『読ませて』もらった。

“……ここにいたくない。あの男から一刻も早く離れたい……”

 それ以上読まなくてもピンときてしまった。

 ソフィアが、未来がここまでおびえる相手。

 それはたった一人しかいない。

未来みく、まさか」

未来みく! おまえか!」

 ほぼ同時にβ国王が言った。

 あっちも色をなしてソフィアを指さしてる。

 ―――テメェが未来みくの名を呼ぶな!

 カッと一瞬で頭に血が上った。

 ソフィアをしっかり抱え込みながら睨みつける。

 一気に部屋の温度が急降下した。すさまじいプレッシャーに「ひっ」とエリニュスや刑務官が叫んでたがどうでもいい。

 もし常人がここにいたら、殺気だけで気絶してただろう。

 遠慮もへったくれもない本気度に、兄上がとっさに俺の肩をつかんだ。

「ノア、落ち着け」

「嫌だ」

 これが落ち着けるか。

 未来みくの人生をボロボロにし、その子たちにまで生涯消えない傷を負わせた男だ。

 なんでこいつまでこっちの世界に……っ。

 ギリ、と歯をかみしめる。

 転生したのは俺と未来みくだけだと思ってた。俺だけが未来みくと一緒なんだと。

 嫉妬と怒りで理性が塗りつぶされそうになる。

 ―――それを引き戻したのは他でもないソフィアだった。

“……ノア……”

 震えながらもぎゅっと俺の服を握りしめる。

「―――」

 ソフィアは俺の殺気を恐れてはいない。それは俺が絶対危害を加えないと信用してくれてるからだ。

 元夫と違って。

「………………。ソフィア」

 ……ああ、そうだ。

 ソフィアは俺の。

 ふうっと息を吐く。

 ソフィアの体を持ち上げ、お姫様だっこした。ショック受けてる妊婦が立ちっぱなしはよくない。

「……ごめん。大丈夫だよ。ソフィアは俺が守る」

 殺気を一般人でも耐えられるレベルまで落とした。

 それでも完全には消さない。こいつ前にして抑えるなんて不可能だ。

 兄上がホッとしたように手を離した。

「ノア、一体どうした」

 俺はそれには答えず、未来みくの元夫に問う。

「ソフィアに何の用だ」

 低く底冷えのする声で詰問する。

 β国王はそれで初めて俺に気付いたとでもいうように、傲慢な態度でねめつけてきた。

「あん? なんだ貴様は」

「俺はソフィアの夫だ」

 だからテメェはとっとと失せろ。

 言外にそう告げれば、奴は眉を寄せた。意味を理解するのにしばらくかかったらしい。

 やおら、奴は嘲笑してきた。

「ふむ、そういうことか」

 いちいち腹が立つ。また怒りが頂点超えそうになった。

 奴はふんぞりかえり、下卑た笑いを浮かべながら、

「うむ。いいだろう、気が変わった。エリニュスなどどうでもいい。勝手に処分しろ。それより未来みくをよこせ」

「っ」

 ソフィアがビクッと震えた。

“いや……!”

 大丈夫。

 強く彼女を抱きしめた。

 ソフィアは渡さない。

「誰が渡すか。ソフィアは俺のだ。俺の―――」

「なんですってぇ?!」

 かぶせ気味に強化ガラスぶったたいたのはエリニュスだった。

 え? うっわ。

 般若の形相した『国一番の淑女』に、ちょっと冷静になれた。自分より激昂して醜悪なレベルの人間見ると、自分はスッと冷静になれるもんだよな。

「わたくしよりその女のほうがいいっていうの?!」

 奴はふんと鼻を鳴らした。

「なんだ、うるさいハエだな。貴様が見かけはいいだけの強かな悪女だということは初めから気づいていたさ。外見は確かに美しいが、悪臭を放っていた。余が気づかないとでも思ったか? このすばらしい頭脳の持ち主たる余にとっては、愚者の思惑など容易に透けて見える」

「なっ……!」

 絶句するエリニュス。

「すげぇ上から目線とナルシスト発言」

 思わずツッコむ。

 その根拠って何だよ。

 にしても変だな。ソフィアの記憶見た限りじゃ、元夫は外面よかったはず。家の中じゃ亭主関白なDV夫でも、外じゃ品行方正な旧家のお坊ちゃんだと思わせてたんだ。偽装は完璧で、だれもが騙されてほど。

 こんなあからさま野郎になったのは今世からか?

 だとしたら、なんでここまで悪化したんだか。

「子が生まれたら、余を殺して国を乗っ取ろうと考えていただろう。この妖婦め」

 ああうん、その予想は当たってる。

 馬鹿だけどそこまで馬鹿じゃないのか。

「そっ、そんなこと考えてませんわ!」

 エリニュスが気弱な被害者のふりしたけど、今さらだ。どんな男もドン引く鬼の形相見せられちゃーなぁ。

「貴様の容姿はよく、『女神』とも称されていたから利用できると思って、余の子の母親にしてやる栄誉を与えてやろうと思ったが。道具として使えないのなら捨てるまでだ」

「わっ、わたくしを利用したですってぇ?! このクソ野郎!」

「口調。地が出てる出てる」

 指摘する俺。

 『淑女』どこ行った。

 つーか、β国王の言い分最悪すぎ。男尊女卑どころじゃねーぞ。これ、現代日本で言ったら炎上するな。

「愚か者め。我が国に来れば贅沢三昧、何もかも思うがままだと勘違いしたか。最初から貴様など牢に閉じ込め、子が生まれたらすぐ処分予定だったのだ。余を謀ろうとした大罪でな」

 へぇ。

 俺と兄上と宰相は眉を上げた。

 こいつ、エリニュスの思惑に気付いてたどころか一枚上手だったようだ。エリニュス殺そうとまで考えてたとは、なかなかたいした悪党だ。

 エリニュスも恥辱と怒りでわなわな震えてる。

「こ、殺すつもりだったですって……?!」

「不要になった道具はただのゴミ。捨てるだけだ。ああ、子が余の子でなくても構わなかったぞ。それならそれで、不貞を理由にこの国を攻めることができたからなぁ」

「不貞って、それは自分たちのことじゃないのか?」

 俺たちは開いた口が塞がらなかった。

 当時も今も、エリニュスは既婚者だ。逮捕以来ジャックの身内は離婚してほしがってるが、ジャック本人が精神的におかしくなってるため本人の承諾が取れず、できない状況だ。

 エリニュス側も離婚申し立てしたが、同じ理由で受理されてない。皮肉なもんだな。

「自分たちこそ不倫の挙句子供作っといて、よくまぁそんな暴論吐けたもんだな。それ以前に妊娠っての嘘だけど」

 β国王は都合よく事実を無視した。あからさまにそ知らぬふりする。

 自分の都合のいいようにしか考えず、現実を直視しない。自分だけが世界一だと妄信してる。

 ……ここまでとは、あきれたな。

 事実を無視してるのはエリニュスも同じだった。

「お腹の子は間違いなく貴方様のお子ですわ! ひどいです……っ、不貞を疑うなんて」

 この期に及んでウソ泣きして、儚げ美女装う神経はたいしたもんだ。

「ふん、夫がありながら余に近付いてきた悪女のくせによく言う」

「あれ? 不貞行為働いてたってのは自分たちだって認めてんじゃねーか」

 指摘してやれば、二人とも知らんぷり。

 人の話聞けよ。

「とにかく貴様のようなやかましいだけの女はいらん。第一、妊娠は嘘なのだろう」

「そこもちゃんと認識してんじゃねーか」

「余の役に立たないならいらん」

 おい、だから聞けよ人の話。

「この美しく、女神とも称されるわたくしを不要ですってえええ?!」

「余に必要なのは跡継ぎたる男児を生むものだ。他にいくらでも候補はおる」

 男児だけ、か。そういえばβ国王はやたら息子を熱望してたな。

 男尊女卑な考え方の持ち主だからかと思ってたが、未来みくの元夫なら納得した。長男以外は人間扱いされない家で育ち、それが当たり前だったっていう。

 普通なら大きくなるに従って周りも見えてくるし、自分とこの家の考え方が世間一般とはだいぶかけ離れてるのに気付くとこだが。気づいても、自分が絶対的な存在でなくなるのを恐れて断固認めようとしなかったんだろうな。

 弱いやつだ。

 弱いからこそ、力じゃ敵わない未来にDVやったんだろう。そうやって『弱者』を痛めつけて自分のプライドを維持した。力で誰かを支配すれば、自分はすごい偉い強いと錯覚できるから。

 蔑みの視線を向ける。

 天罰だろうな。こいつは山ほどの妃妾を抱えながら、ただの一人の男児も得られてない。

 β国王の子は不思議なまでに女児しか生まれていない、というのは有名な話だ。

 この男が前世でも熱望した『男子』は一人も誕生してない。まるで何かの意思が働いてるかのように。

 こいつは生まれてきたのが女児だと知ると母親もろとも処刑を繰り返し、今じゃ「β国王の子を身籠った女で生き残れる者はいない」のが常識だ。

 それを知ってたからこそ、エリニュスはなるべく早くβ国王を殺そうと目論んでたともいえる。生まれてくるまで男女どっちかは確定しないし、運よく息子が生まれても、何を理由に処刑されるか分からないもんな。

 『息子』を渇望するβ国王の狂気は年々悪化の一途をたどってるらしい。最初は好みの女性を狙ってたのが、途中から男系の女性や男児の出産経験のある人妻ばかり狙うようになった。少しでも確率を上げようと思ったか。

 それでも生まれてくるのは女児ばかりだった。

 無理やり連れて行かれ、最後は殺された女性たちが気の毒でならない。

 β国王は俺の視線に気付き、顔を朱に染めて反り返った。

「何様だ、余に対して無礼な! さあ、早く未来みくをこっちによこせ。余自ら教育し直してやる。そいつは馬鹿でどうしようもない。痛めつけて体に思い知らせてやらないと分からないくらいなのだからな!」

「断る」

 きっぱり拒絶した。

「被害者面してんじゃねぇぞ。被害者は未来みくのほうだろうが。テメェはまぎれもない加害者だ。さんざん殴る蹴る暴言吐くのDVしといて、自分の行いを正当化するな!」

“……ノア……”

 ゆるゆるとソフィアが俺を見あげた。

“……ああ……そうね。ノアはあたしを傷つけない。……ここなら安心できる”

 ホッとしたように少し体のこわばりが消えた。

 俺は優しくその背をなでた。

 甘やかされた暴君は激高して爆発した。

「愚かでまともな教育を受けてないソレを躾けるという、正しいことをしたのだぞ?! 功績を称えられこそすれ、非難される覚えなどないわ!」

“……っ嫌だ嫌だ嫌だ! 言ってることが昔とちっとも変ってない。気持ち悪い……!”

 ぎゅっと目をつむって震えるソフィアを守るように抱きしめ、怒鳴り返した。

「どこが正しいんだ! 人格否定に暴力ふるうなんて、立派な犯罪だろうが!」

「馬鹿は殴るくらいしないとものの道理すら理解できぬ。痛みを与え、ようやく己の罪を自覚するのだ。まったく手間のかかる。余自らわざわざ正しき道に矯正してやっておるのだ!」

 こいつは自分こそ正しい、他人の間違いを正してやってる・教えてやってるんだからありがたく感謝しろと心の底から思ってる。それが暴力行為や犯罪に該当するんだってことが分かってない。

「このクズがぁ!」

 β国王が拳を振り上げた。愉悦と優越感たっぷりな、不気味な表情で。

「……っ!」

 ソフィアの顔が土気色になる。

“昔もこうやって、この男はいつも殴ってきた……っ”

「貴様も考えがおかしいな! 妻は夫のために尽くし、どんなことでもする奴隷だ。だから夫はどんなふうに扱ってもよい権利がある! それに未来みくの妻だった、つまりオレ様の所有物で優先権がある!」

「前世の話でしかも離婚した元夫だろうが! 大体、夫婦ってのはな、どっちかが偉いとかじゃねーんだよ! 対等な立場でお互い協力しあって家庭を気づいてくもんだ! 未来みくはテメェの所有物でも奴隷でもねぇ!」

 俺は本気で殴りかかって来た奴に、今度こそ容赦なく蹴りをたたきこんだ。

 正当防衛。

「ぐえっ!」

 カエルが潰れたみたいな音は、巨体が壁突き破る轟音にかき消された。

 百キロ超えと言われる肥満体は、あっけなく片足一本の蹴りで吹っ飛んだ。

“…………!”

 ソフィアと宰相が唖然としてる。ケヴィン兄貴は「ザマぁ」って笑い飛ばした。

「……あーあ」

 兄上がため息ついて頭をかいた。

「ノア、よく我慢したけどやっぱやっちまったか。殺すなよー?」

「殺してねぇよ。そんな簡単に楽にしてやると思うか?」

 また転生するかもしれねーし。また未来の近くに現れたら冗談じゃない。

「本気でやってたら即死だ。あえて殺さずにおいてやったよ」

「余計危ないな。ところでお前、ソフィアちゃんの前で本性出していいのか」

 あ、やばい。

 急いで牙むいた猛獣みたいな様子を消した。

 ついキレちまった。さすがに未来みくの元夫なんてとんでもない敵が現れたもんで、リミッター外れたよ。

 普段は記憶を操るなんてチート能力のせいもあって、かなり自制っていうかむしろ意図的にアホ方向にいってるんだけど。

「ごめんソフィア、びっくりさせて」

 恐がらせたかな。嫌いって言われたら俺死ぬ。ソフィアに今世でも拒絶されたら、生きてる意味ないし。

 おそるおそるソフィアをうかがえば、まだ顔色悪い。

「……ノア、あんた……」

“……薄々勘づいてはいたけど、けっこう強かったの?”

「うん、そうだよ。だから大丈夫、ソフィアには危害を加えるもの近づけさせない。何があっても守るよ」

 グッと親指立ててみせる。

「それはいいが、壁の修理費用、お前の給料から引いとくぞ」

「えええ兄上、今言わなくてもー。色々台無しじゃん」

「しょーがないわねェ。壁貫通してるわよ。ほんと、ソフィアのことに関しては本気出しちゃうんだからァ」

 ケヴィン兄貴はのんびり言って、震えあがってるエリニュスや刑務官たちを無視し後片付けを始めた。

 いつもありがとな。ソフィアの身内で信用できる実力者なケヴィン兄貴は、ずいぶん前から俺の協力者である。

「ケヴィン兄貴、後で徹底的にシメるから、特別房ブチこんどいて」

「し、シメるって何するの?」

 ソフィアは知らなくていいんだよー。

 にっこり。

「…………」

 兄上と宰相がやれやれと言いたげに肩をすくめた。

 止める気はないっぽい。止めても聞かないの分かってるからだろうな。

 まぁでも一応きちんとした理由つけるため、ある文書を渡しておく。

 チラ見したケヴィン兄さんがニヤリと笑った。

「ああら、心置きなくシメられるわねェ。……ま、かわいい従姉妹に害をなそうとしたんだ。も参加させろよ」

 後半で急にドスの効いた地声に戻ってる。

 ソフィアがビクッとなった。

“け、ケヴィン兄さん、地が出てる……”

 うーん、物腰柔らかな草食系装ってるけど、実態は危険人物なんだよなぁ。俺と似た者同士だって兄上に言われたことある。

 ソフィアを妹同然に思ってて大事にしてるし。同じ人を大切にしてるって点で共通点がさ。

「オネェ口調消えてるぞ」

「当然だろ? オレにとってソフィアは大事な妹だ。妹を傷つけられて黙ってられるか」

「け、ケヴィン兄さん……」

「あっ、ソフィアは何も考えず、ぜーんぶアタシたちに任せてゆっくり休みなさいね~。妊婦は休息しっかりとらなきゃダメよっ?」

 オネェに戻り、メッと指さし指振る似非オネェ。

「……そう言われても……」

 俺は優しく肩をたたいた。

「ソフィア。がんばらなくていいんだよ。俺が守る。だからお休み」

「……ノア……」

 ソフィアが泣きそうな子供のように顔を歪ませたかと思うと、俺の首に両腕回してしがみついてきた。

 ……恐かったよな。

 気丈な彼女がここまで弱った姿は初めてだ。それほど過去追い詰められてたわけだ。

 でも今は俺がいる。

 俺は自分の思考を『見せた』。

 俺は読み取った記憶を人に見せることができる。もちろん自身の記憶も可能で、感じて記憶した直後のを見せれば、リアルタイムで相手に伝えられる。

“……うん。あたしはもう、一人じゃない”

 安堵が伝わってくる。

“かつてあたしがほしかったもの。温かくて強い、頼れる誰か”

 身重で離婚し、子供二人育てるのはどれだけ大変だっただろう。俺には想像もつかない。

“一人で子供たちを守り育てるのは、正直辛いと思う時もあった。でも、あの子たちを守れるのはあたししかいなかった。あんな男を選んでしまったのはあたし自身の失敗だから”

 違うよ。未来みくのせいじゃない。DVする側のほうが悪いんだ。

 未来みくはよくがんばったよ。

 肩を一滴、温かいものが濡らした。

“……ありがとう”

 張りつめていた緊張の糸が切れたのか、彼女は安心して意識を手放した。


   ☆


「ひとまずソフィアを医者に診せないと。その前に、だ」

 エリニュスを独房へ戻させる。その際俺は、刑務官とエリニュスそれぞれに一瞬触れた。

 記憶消去完了。

 実は一瞬の接触で事足りるんだよ。

 ソフィアは知らないけど、俺の能力は訓練してけっこうなレベルまで到達していた。

「これでよし。兄上、ソフィアは元の俺の部屋運ぶ。そっちに医者呼んでくれ」

「分かった。それよりノア、何を『消した』?」

「別に。覚えとかれちゃまずい部分、ソフィアの前世に関する箇所の会話消しといただけだ」

 兄上が質問を続けようとする。

「それなんだが、一体どういうことだ?」

「後で全部話すよ。ソフィアが先」

 子供時代~独身時代まで使ってた俺の部屋に運ぶ。家に帰るより早く、診療所よりセキュリティがしっかりしてる。密談するにはこっちのほうがいい。

 知らせを受けてすっ飛んできた医療チーム総出でソフィアを診察した。

 どんだけ丁重に扱われてるんだ。病院一時閉めて全員文字通り走って来るって。しかも猛ダッシュ。

 兄上の勅命のせいもあるけど、ソフィアの影響力と人望ってすごいよなぁ。

 ソフィアは自分に俺と違って特殊能力もないし凡人だって言ってるけど、俺に言わせればソフィアのほうがよっぽどすごい。魔法みたいな目に見える効果を発揮する代物じゃないだけで。

「精神的ショックと貧血ですね。母子ともに命に別状はありませんよ。念のため点滴しておきましょう」

 点滴のおかげか、生気が戻ってきた。

 真っ青になってた宰相もホッと胸をなでおろす。普段は冷徹にふるまってても、人の親。娘はかわいい。

「よかった……」

「本当にな。ソフィアちゃんに万一のことがあったら、ノアが暴走する。……ってオイ、何にまにましてる」

「え? ソフィアが俺の部屋にいて、しかもお腹に俺の子がいるかと思うと感無量で」

 診察中もずっと握ってた妻の手なでながらつい感動に打ち震えてたら、兄上に頭はたかれた。

「いてっ」

「キモイ。が、通常運転てことは、冷静になったってことだな」

 えー、俺、キモいのが通常運転なの?

「兄上、ひどくね?」

「ひどくない」

「そうねェ。オスカーくんなんかドン引きしてるわよ」

 母上が急きょ迎えに行ってくれて連れてきてくれたオスカーが、「うーわー……」って目で見てた。

 ちなみにリアムは別室で母上がみててくれてる。

「だって、俺にとってソフィアは前世から恋焦がれてた女性なんだよ。ずっと好きで、それなのに俺の馬鹿な言動が原因でフラれた。でも忘れられず、最期まで想い続けてた大切な人だ」

 前世じゃ握ることすらできなかった彼女の手を包む。

 悔恨と愛情に目を細めた。

「……これから話すことは信じてもらえないかもしれない。ぶっちゃけ、俺のことだから妄想だろって言われるかもな。ま、なんなら後でソフィアに確認してくれ。保証してくれるからさ」

 こう前置きして話し始めた。

 俺とソフィアの前世のこと。そこで読んだ、この世界そっくりな創作物とそのストーリー、オスカーとリアムが戦う未来を。

 話し終わった時、みんな唖然としてた。

 そりゃそうだよなー。

 兄上がものすごく混乱した顔で、

「ノア、それマジで言ってるのか? おかしいおかしいと思ってたが、ついにイカレたか」

「実の弟に向かって言うセリフじゃない。だからさぁ、ソフィアに確認とってよ」

「まぁいくらアホなお前でも、すぐバレる嘘つくほどマヌケじゃないだろう。ソフィアちゃんの同意があるって言うなら信じられるな」

 あっさり信じた。

 ソフィアへの信頼度ハンパない。

 ん? 俺の信用がないだけか?

 自分で言っててむなしい。

 宰相もうなずいた。

「なかなか荒唐無稽ではありますが、だとするなら納得です。娘もどこで知ったのかという知識を多々持ってるのが気になってました」

「ふぅん。死んでもついてくるなんて、アンタもけっこうがんばるわねェ」

「うん、俺もそう思う」

 我ながらよくやった。自分で自分を褒めまくってあげたい。

 俺はオスカーに視線を移し、

「このこと、オスカーには言うつもりなかったんだけどな。本人にバラすのはルール違反な気がしたし、まだ子供だろ。この世界が俺らの知ってる漫画と似てるっていっても、すでに過去は変わり、違う歴史に突入してる。同じ未来になるとは限らないし」

「……ぼくが悪者になってリアムとたたかうってこと?」

「今はもうならないって確信してるよ。だろ?」

 オスカーはうなずいた。

 ん。

「で、この前世の話がソフィアが倒れた原因でもある。β国王は前世、未来みくの元夫だった。奴も俺たちと同じ世界から来たんだ」

 唯一愛した人に夫がいたなんて事実を口にするだけでも吐き気がする。

 その上、あの野郎もこっちについてきやがった。

 ……あー、またイライラしてきた。

「ノア、落ち着け。殺気出てる」

「あの野郎が未来みくにしてたこと思うと……しかも『未来』って呼びやがって。その名前で呼んでいいのはもう俺だけなのに」

 ブツブツつぶやく。

 やっぱあの場でもっとシメとくんだった。蹴り一発じゃ物足りねぇ。

「ソフィアが起きちゃうわよォ?」

 はい、すいません。

 スッと殺気ひっこめた。

「ったく、すぐキレないの。ソフィアのことだとアンタすぐそうなんだから。それで、元夫ってことは結婚したけど離婚したんでしょ? よかったじゃない」

「そうなんだけどさ。離婚の原因はあの野郎のDVなんだよ。未来みくに手上げてたかと思うと消してやりたくなる」

「ほほう。アレをシメるのは私も参加させてもらいましょう。よくもうちの娘に」

 宰相がほの暗い笑顔で言った。

 切れ者と言われるだけに、怒らせると恐いぞー。

「昔の因習が根強く残ったプライドだけはバカ高な家だったらしくて、嫁は奴隷同然の扱いしていい、跡継ぎの男子を生まなきゃ役立たずって感覚だったんだと。女児は不要。男児も長男以外はあからさまに差別されてた。未来みくが生んだ一人目が娘で、さらに二人目も妊婦健診で女児だと判明してDVが加速。ついに矛先が長女にも向いたんで、子供を守るために離婚する決意したって言ってた」

「は? 息子だろうが娘だろうが、どっちも可愛い我が子だろう。性別なんか関係ない。うちの子なんかめちゃくちゃ可愛いぞ」と兄上。

「もっともです。私はソフィア一人しか子がいませんが、別に娘でも何の問題もありません。大事な娘です」

「そうよねェ。あの男、男女差別は筋金入りだったのねェ」

「ていうか、自分が長男だから偉いって思いたいだけだろ。そうやってプライド保ってんだ」

 自信のなさをごまかすための口実だ。

「娘もなぜそんな男を一度でも選んだのでしょう。あんなあからさまな危険人物に惚れるほど愚かではないのですが」

「前世はあんなひどくなかったんだよ。外じゃ堅実な好青年装ってたらしい。未来は俺とは真逆な真面目で堅実な人なら、平穏な人生を送れると思ってたんだって」

「ああ、なるほど真逆ですね」

 納得された。

 ええー。

 ……あの野郎とは全然違うってことだから、いいか。

 未来が受けた仕打ちを端的に話す。

「奴は未来を逆恨みしてて、何やらかすか分かったもんじゃない。体を大事にしなきゃいけないソフィアの負担にならないよう、速やかにこっそり始末しとく」

「ぼくもてつだう!」

 オスカーが拳を握った。

「ママをきずつける悪者はやっつけてやる」

「よく言った」

「あーあ、えらい四人タッグできてる……。まぁこれ受け取ったから見ないふりするけど、ほどほどにな」

 兄上はさっき渡した書面をヒラヒラさせた。

 世界警察司法機関発行の逮捕状。もちろん対象はβ国王だ。罪状は殺人、婦女暴行などなど山のように。

 なんで俺が持ってたかって? それには理由があるのさ。

 それにしても……と考えこむ。

 エリニュスとβ国王、元のストーリーでこんなに『悪役』いたっけ?

 そりゃもっと後の時代だし、オスカーとリアムの兄弟争いがメインな話だったから、他はあんまり書かれてなかったけど。これだけの『悪役』ならチラッとでも出てきておかしくないのに。

 なんでだ? オスカーが『悪役』じゃなくなったから、他にその役目が移ったのか?

 運命を変えたことによる副作用?

 俺は黙って眉を寄せた。

 オスカーを最悪の破壊者にするつもりはない。それは変えない。だけど、その代わりに誰かがその役を引く継ぐことになるなら……。

 俺たちはどうするのが正解なんだろう?

 眠るソフィアの手を強く握りしめた。

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