第8話 現夫と元夫
手配を済ませた俺は秘密の地下牢へ向かった。ここはかつて国が秘密裏に処分したい人間を入れておくのに使われた場所で、片手で数えるほどの人間しか存在を知らない。
過去に収監されたラインナップも「うげぇ」って言いたくなるようなのだ。国王暗殺を謀った他国のスパイなんかかわいいもんで、数百人を誘拐し人体実験して化け物を生み出したあげく街一つ消滅させたマッドサイエンティストとか、自分の殺人衝動を満たすためだけに某国との戦争を引き起こそうとした戦闘狂とか。
ま、国を治めるってのはきれいごとだけじゃやってけないってことさ。闇に葬られたことがけっこうあるって話。
ああそうそう、本来のストーリーなら成長したオスカーとリアムを戦わせる原因を作ったはずの組織の連中もいるぞ。俺がぶちこんどいた。広いんで、ここからは見えないけど。
地下牢は天然の鍾乳洞を改造して作られたものだ。薄暗く、光源はヒカリゴケのみ。
その洞穴に鉄格子の牢屋っての想像した?
違うんだなこれが。ほら、上見てみ。繭みたいなのがぶらさがってるだろ? あれだ。
「様子は?」
俺は牢番の巨大グモにたずねた。
十メートルはゆうにあろうかという巨体で、日本で言うと土蜘蛛に相当する怪物だ。はるか昔に悪さしてたこいつを王家の先祖が捕まえ、「やることないなら働け。タダメシぐらいを置いてやる気はない」って就職させたとか。
元・人食いライオンを保育園の守衛にしてるソフィアみたいな凄腕の調教師が、先祖にもいたんだなぁ。
土蜘蛛は頭を下げ、
「これは殿下。最初の頃はわめいてましたが、すっかり大人しくなりましたよ。ふぉっふぉっふぉ」
好々爺みたく笑い声たててるけど、見た目は妖怪である。
あー、ほんとだ。泡ふいてひっくり返ってる。さもありなん。慣れてる俺でも、ここにずっといろって言われたら悲鳴あげるわ。いくら今じゃ平和主義ののんびりじいさんで人間は絶対食べないベジタリアンだと知っててもさ。
囚人はこのクモの出す特殊な糸で作った透明の繭型檻に入れられ、天井からぶら下げられる。落ちそうに見えるけどクモの糸ってのは地球でも研究されてるように意外と強くて、落ちないんだ。
「最近の若いもんはメンタル弱いですな! ま、わしも珍しく本気でおどかしましたがの」
「へぇ? 珍しい」
ほっといてもいるだけで大抵の人間に有効なんで、じーっとしてることが多いよな。で、時々年のせいか寝てる。もうおじいちゃん。
「当然じゃろが。こやつはソフィア会長にひどいことしたんじゃろ。許せんわい!」
グッと拳握って力説。ところでクモの拳ってどこ。
「会長?」
「あの子はわしら一族にとっちゃ恩人なんじゃ! 平和なもんで子孫が増えすぎて食費に困っておったらのぉ、あの子がみんな雇ってくれたんじゃ」
「食費て」
現実的ィ。
「どこで雇ったんだ?」
「紡績工場じゃ。わしらの糸で布を作れば、強くて防御力の高いものができると言っての。耐火布とか防刃布とか言っとったかのう?」
ああー。この世界には化学繊維がないからな。
「もしかして軍の装備や消防隊の隊服に使われてるやつか。ある特定の工場から仕入れてるって聞いてたけど、あれソフィアの持ち物だったのか」
ええー。ほんと俺の奥さんの個人資産てどんだけ?
「おかげでみんな自分で自分の食い扶持稼げるようになりましてのう。わしらクモ一族はどうしても外見から人間に嫌われ迫害されるもんで、働き口がなかったんですわ。……そんな恩人の敵はわしら一族の敵じゃー! ぎっくり腰が再発しても構わんっ、退治してくれるわ!」
エイエイオー!とばかりに声はりあげる。
うん、クモってぎっくり腰なんの?
……ていうか、こんなふうに、ソフィアって人望あるよなとつくづく思う。俺がβ国王潰しのために動き始めたら、ものすごい勢いで勝手に有志が集まったもん。国内外問わずソフィアのためなら!ってひっきりなしに連絡が来て、なんか世界レベルで動いてた。で、俺ほとんど何もしてないうちに片ついてた。
もしオスカーがシナリオ通り悪役になってたとしても、ソフィアが鶴の一声発すれば終了じゃね?
母は強しってほんとだなぁ。
つくづく思うんだけど、破滅シナリオ防ぐ役目はソフィアであって、俺って添え物だよなぁ。何で俺もオマケみたいについてきたんだろ?
いや別にいいけどさ。強くて美人な嫁さんのオマケ扱いで十分です。身の程知ってるんで。ソフィア大好き。うちの奥さん最高。
あれ、話がそれた? 何の話だっけ?
「あ、起きた」
洞窟が震えるほどのクモの掛け声に、β国王が飛び起きた。
慌てて周囲を見回し、机とか潜り込めるものがないと分かると頭抱えて体丸める。まるきり日本の学校とかで避難訓練で教わる通りの行動だ。
「地震と勘違いしてんな」
条件反射でこういう行動取るあたり、日本人だな。小さい頃から火事・地震の訓練やってて染みついてる。
うなずいてクモを下がらせ、軽くジャンプして飛び上がった。奴の眼前の空中に停止する。
「地震じゃねーよ。顔上げろ」
奴はおそるおそる顔を上げ……俺だと分かると途端に敵意もあらわににらみつけてきた。
へぇ、まだくじけてないんだ。
ちょっと感心した。
がんばるなぁ。蹴飛ばした時、未来のDV受けてた記憶を注入、エンドレスで流れるよう設定しといたのに。未来側の記憶なんで、被害者側のものだ。つまり痛みや苦しみを体験できたはず。
それでもこれだけキレるとか。本気で自分は悪くないと思ってんだな。
典型的DV男は吠えた。
「このっ、きさま何をした?! あの役立たずの『二番目』の夫の分際で!」
「うるせぇよ。未来を役立たずとか言うんじゃねぇ。つーか、何なんだその二番目っての強調してんの? 何番目とか最初とか、ほんとこだわるやつだな」
β国王は―――あ、もう地位はく奪されてて元国王だった。元国王はなぜか胸を張った。
「当然だ。俺さまが一番目だから偉いに決まっている」
……うう~ん?
俺は首をひねった。
「あのさぁ。なんでそんな『時間や順番が早い=偉い』って謎ルール妄信してんだ? 自分は偉いすごいって自己暗示かけてるようにもみえる」
奴はギョッとしたように目を見開いた。
「そこがどうも気になるんだよ。断罪するのは簡単なんだけど、どうしてこうなったのか原因を突き止めとく必要がある。なぜ未来の人生を無茶苦茶にしなきゃならなかったのか、俺は夫として知っておきたい」
右手を伸ばし、糸の隙間をぬって、最愛の女性のかつての夫の頭をつかむ。
「『視せて』もらうぞ」
☆
ぼくには何もない。
頭の良さも運動神経も才能も、弟のほうが優れてる。あいつは天才だ。自分がただの凡人、いやそれ以下だと思い知らされる。
なんで似た容姿をしてるのに、あいつはあんなに何でもかんでも持ってるんだ。
でもぼくは長男だ。ぼくのほうが先に生まれたんだからな。だからぼくは偉いし、あいつより『上』の存在なんだ。
だってパパやママがいつも言ってるもん。「長男は偉い」「次男以下や娘は召使いみたいなもんだ」「長男だけが選ばれた人間なんだぞ」って。
……間違ってる?
そんなことない! 間違ってるもんか! 正しいんだ、ぼくを笑う者は敵だ、クズだ、ブン殴ってその愚かな考え矯正してやる!
―――物心つく頃から、ぼくと一つ下の弟とはあきらかに差別して育てられていた。
『長男』であるぼくは欲しいものはなんでも与えられ、かっこいい新品の服も着られるし、毎日おいしいものをたらふく食べられる。まさに王子のような待遇だった。
同じく『名家の長男』な父は『長男』であることを誇りに思っていて、強く賢く、ぼくの目標だった。神様ともいえる。
母は常に夫を立て、支え、何でも言うことをきいていた。
「あの人はとってもすごい人なのよ。分かってあげられるのはわたしだけ。時々きついこと言うけれど、わたしのためを思ってのこと。あの人の言う通りにしていれば間違いないわ」
それが口癖だった。
『長男』のぼくの世話も王子様と侍女のようにかいがいしくしてくれる。ぼくを生んだことをとても名誉なことだと考えていた。
一方、弟は着るものもお古で、サイズもあっておらずブカブカ。色も柄もちぐはくで不格好、髪の毛もボサボサ。食べ物もぼくらの余りが与えられるのみで、同じ食卓につくこともない。日の当たらない押し入れみたいな部屋に独りでいるのが当然だった。
なぜならあいつは『長男』じゃないからだと父は言った。
食卓につけるのは主人である父と『長男』のぼくのみが許されているんだと。母も食事は別で、どこかでさっさととってはすぐ戻って来てお茶を淹れたり醤油をとったりとやらねばならない義務がある。
父は自ら大切なことを書きしるした書物を作り、毎朝ぼくに読み聞かせるよう母に命じる。賢いぼくは早々に暗記し、一緒に読んだ。そうすると父も母も喜んでぼくをほめてくれた。
―――そう、ぼくは特別な存在。
絶対的支配者、神のごとき父を継ぐ選ばれし人間なんだ。
うれしさにぼくは胸を躍らせ、ますます父の教えを守るようになった。
ぼくがほしいものは何でも手に入る。持ってなくて欲しければ、人から奪えと教えられた。
「おい。それ、ぼくによこせよ」
弟がおさがりの玩具で遊んでるのを見かけ、惜しくなったぼくは命じた。
ちょっと壊れたからやったんだけど、弟はどうにか修理して使っていた。しかも壊れてたのが分からないよう改造していて、かっこよくなっていたんだ。
「それ、パパが高い車だって言ってたしな。おまえにはもったいないだろ」
嫌がったから無理やり奪い取った。泣いてる? どうでもいい。ぼくにすぐ返さないのが悪いんだ。
「まあまあ、どうしたの?」
泣き声をききつけ、母がやって来た。状況を判断すると、弟を叱る。
「だめでしょ、お兄ちゃんがほしいって言ってるんだからあげなきゃ。あなたは弟でしょ」
父も母も、いつだってぼくを叱らない。間違っているのは弟だと言って弟を叱る。
ぼくは正しい。誰より優先されて当たり前。
それが『当然のこと』だった。
保育園でもぼくは両親に教わった『正しいこと』を実践した。誰かが持ってるものが欲しくなれば、殴ったり蹴ったりしてでも取る。ぼくの言うことをきけないバカを教育してやってるんだから非難されるいわれはないのに、先生たちには怒られた。
ムカついて父に報告すると、その日のうちに園に行って抗議してくれる。大きな声で『正義』を主張する父はとてもかっこよかった。自慢の父だ。
最終的にはいつも怯えた先生たちは言うことをきいた。それも当然。だって父は神様のように偉大な存在で、正しいんだから。
大声を出す、物をたたいたり壊して相手の覇気をくじく、威圧し高圧的な態度で上からたたきのめす……そうするものなのだとぼくは学習した。
「いいか。あいつらみたいに学習しないバカはこれくらいしないと覚えないんだ。とにかくたたきのめせ、潰せ。まったく、幼稚園の教師なんて女ばっかだ。女ってのはな、お前の母親を見ても分かる通りバカだろう? いくら言っても覚えない、ミスばっかりする、俺様の人生が常に快適であるよう努めない。これだから……」
「ちょっと、お父さん。女性蔑視がすぎますよ」
たまらず反論した園長を父はさらに苛烈な攻撃で黙らせた。
「いいか。こうやってやればいいんだ。覚えておけ」
「はいっ、パパ!」
何人もの大人を屈服させる父の姿に感動した。
忠実に父の教えを実行していると、そのうち誰もぼくに近寄ってこなくなった。ようやくぼくの偉大さが分かったようで、かしずいてるんだな。ふふん。
友達? 友達って対等なんだろう? ぼくのほうが『上』なんだぞ。このぼくに友達を作れなんて、なんておこがましい。
小学校にあがった僕は、地元から少し離れた私立に通うことになった。駅から一人で電車に乗っていくんだ。大人だろ?
すごいだろ? 地元でこの私立に行けたのは誰もいないんだぞ。
そこは名門と言われる小学校だった。金持ちや名家の子どものみが通えるという。ぼくの家も何百年と続く由緒正しき家系。うむ、この僕にふさわしい。
入学式翌日、僕は堂々とした態度でそう言って自己紹介した。
「―――クス……」
ん?
誰か今、笑ったか?
ムッとして見回せば、なぜかだれもが笑いをこらえていた。どう見ても僕をバカにした顔で。
「おいっ、なんでこの僕を笑った! 何様のつもりだ無礼者! 土下座して謝れ!」
一瞬みんなぽかんとした後、爆笑が弾けた。あきらかな嘲笑だった。
先生もあきれたような表情だ。
なんだこれ。今まで誰もこんな僕をバカにしたことなんてなかったのに……!
ぼくはカッとなって怒鳴った。
「ふざけるなっ! 僕は『長男』なんだぞ、偉いんだぞ! よくも笑ったな、バカはこうしてこの僕みずから教育してやる!」
父が母にやってたように、近くの子を次々殴りつけた。
悲鳴があがり、みんな逃げ出す。僕は追いかけ、足の遅い連中の背を蹴りつけたり頭を殴ったりした。
「バカはこうでもしないと分からないんだっ。痛みを与えでもしなきゃ、自分が悪いって自覚もできないんだからな!」
机が倒れ、椅子が転がる。
誰かのランドセルからキーホルダーが外れて転がった。
「おっ。これ、僕が好きなキャラのだ。よこせ」
いつものようにポケットにしまう。するとすぐさま持ち主の女子が飛びついてきた。
「返して! それわたしのよ!」
「ああ? うるさいなぁ。やっぱ女ってのは。キーキーキーキー、ヒス起こすばっかで。黙って僕の命令聞いてりゃいいんだよ!」
頬に思いっきり張り手くらわせた。そいつは床に倒れこんだ。
「きゃああ!」
「ひっ!」
「いいかげんにしろ――!」
急に5,6人の男子がキレて押しよせ、僕を床に引き倒した。手足を押さえつけられる。
「なにをする無礼者! きさまら、僕を誰だと思ってるんだ?!」
「うるせぇ、この暴力ヤローが!」
暴力? 暴力ってなんだ?
駆けつけた先生たちに取り押さえられながら校長室へ連れて行かれ、さらに警察まで来た。
やがてクラスの保護者も集まり、父と母も駆けつけてきた。
父の姿を見て、僕はすぐ報告した。父ならきっとほめてくれるはず。
「パパ、ねぇ、こいつらおかしいんだよ! 僕が悪い、謝れって言うの。僕はパパに教わった通りにしたのに。正しいことしたのに、なんで怒られなきゃなんないの? だから僕、パパみたいに教育してやろうと―――」
「このバカ!」
ガンッ!と脳天をすさまじい衝撃が襲った。壁まで吹っ飛ぶ。
殴られたのだと気付いたのはしばらくしてからだった。
「うわっ」
「ちょ、ぼく、大丈夫かい?」
……パパが、殴った? 僕を?
これまで一度も殴られたことなんかなかった。殴られるのは『バカ』な母や弟で、僕は違う。だって『長男』だから。
後で分かったことだが、この時脳震盪を起こしかけてぼんやりしていたらしい。
呆然としていると、怒りで赤どころか真っ黒になった父は先生や保護者に向けて頭を下げた。
「申し訳ありません! どうかお許しを……この通りです!」
みんな軽蔑しきった目を返しただけで、無反応だった。
青ざめた父はその場に膝をつき、土下座する。
「申し訳ありませんでした!」
パパが謝ってる? 人に? 自分が悪いって?
すごくて強くて世界一偉い、神様みたいな存在が、バカだといつもののしってる相手に?
天地がひっくり返ったよりひどい衝撃だった。慌ててとりすがる。
「なんで謝るの?! こいつら、パパが言ってた『バカども』だよ? 人に謝るな、パパはいつも正しい、言うこときかないやつは怒鳴ったり殴ったり蹴ったりして服従させろってパパが教えてくれたんじゃない!」
「うるさい!」
これまで何人も怒鳴りつけて言うこときかせてきた気迫で言われ、後ずさった。涙が出てくる。
「ど……どうして怒るの? ぼく、パパがいつもやってるようにしたよ? 上手くできたよ? ねぇ、なんでそんな怒るんだよぅ。パパが言ってたじゃん。パパは『長男』だから偉い、その『長男』な僕も偉いんだって。他の人間なんて召使い同然で、奴隷みたいに扱っていいんだって」
「うるさい! 黙らないか!」
僕を蹴飛ばそうとした父は警官に拘束された。
「はいはい。お父さん、子どもに暴力ふるっちゃあダメだよー」
「……ぼうりょく? さっきから聞こえるそのぼうりょくってなに?」
みんな僕に憐みの視線を向けた。
「知らないんだ。そっか……。一体どういう育て方を」
「ねぇ、パパ、どうしてぼくを殴ったの? 教わった通りにしたよ? それにぼくは『長男』だから何やったっていいんだってパパが」
「黙れ黙れ黙れ黙れバカがああああ!」
父は大暴れした。これまでの暴れ方がかわいくみえるほどだった。屈強な警官が4,5人がかりで取り押さえる。
そこへ一人の老人が歩み出た。
「―――君はクビだ」
とたんに父がぴたっと動きを止め、蒼白になって老人を見た。なんとこの老人は父が勤める会社の会長だったらしい。
「まったく……前からパワハラやモラハラで問題視されておったが、ここまでひどいとは知らんかった」
「そ、そんな、社長! それはその―――あいつらが悪いんです! 私はですね、優秀な社員として、ベテランとして指導してやろうと―――」
「そういうところが駄目だと言っとるんだ。君は何様だね? 自分は優秀で偉いと勘違いし、世界が自分中心に回っていると思い込むとは社会人としてあきれる。女性差別の言動もあまりにひどい。さらに、君の息子がうちの孫娘にしたことは決して許せることではない」
僕が徴収したキーホルダーの持ち主は会長の孫娘だったようだ。
父はさらに顔色を悪化させ、うってかわってもみ手して媚びへつらい始めた。
僕もようやく何かまずいことをやったんだと理解した。何が悪かったのかは分からなかったけど。
―――それから僕らは連れて行かれ、警察やら児童相談所やらなんとか委員やら専門家やらに調べられた。
「いいかい。君のご両親が言ってたことは間違ってる。DVや虐待にあたるんだ」
「教育が間違ってるどころじゃないね。あれはもはや洗脳に近い。毎日自分が書いた『聖典』なんてものを読み聞かせるとか。狂ってる」
「地元の商店から、いわばみかじめ料とるとかヤクザみたいなこと代々やってたらしい。『聖典』に書いてある語句を色紙に書いたやつとか、趣味の手工芸品を強引に売りつけることもしてたって。本人たちは上手いと思ってるけど、お世辞にもそうとは言えない出来栄えだ。前の代からはボロボロの古着やゴミ同然のものを押しつけて代金払え、なんてのも始めたってさ」
「ヤバイ新興宗教も顔負けのことやってたみたいだな。もちろんみんな嫌がったけど、暴れるから恐くて払い続けてたらしい。警察呼んだら殺してやるって脅されてたとか。狭いムラ社会だから……」
「長男だから無条件に偉いなんて、いつの時代の話やら」
「自分に自信がないんでしょうねぇ。だから人を攻撃し、威圧的な言動で人を服従させて自分は正しいと思い込み、安心感を得る。自分より『下』の存在がいないと精神が保てないんでしょう」
「典型的DV加害者ですな」
「母親も止めるか逃げるか助けを求めるかすればよかったのに。ああ、むしろ喜んで一緒にやってたから無理なのか。母親も相当だなぁ。殴られてもうれしそうにしてたし」
「そうそう、余罪も出てきたよ。近くの農家から農作物盗んでた犯人、この両親だった。上の子……ほら、暴力事件起こしたほう。おとなしくていい子な弟のほうじゃなくて。そっちの子が畑に入り込んで勝手に果物食べてるから注意したら、親がいつもやってるって。小作人の畑なんだから地主がいくらでも勝手に持ってってもいいんだって教えてたってさ」
「小作人て! いつの時代!」
「だもんで調べたら、倉庫からも盗んでたみたいだ。他にも商店で万引きもやってた。子供に与えてた服や玩具のうち、高値のものはほとんどが万引きしたものだったよ」
「えええ。金がなくて?」
「いや、払える金はあるのに払わなかった。よくあるケースだ。両親ともに万引き常習犯だったようだよ。これまではバレてなかったのか、あるいは店側もあのモンスターペアレントを恐れて黙ってたのか」
みんなが言ってるのが聞こえる。
僕の信じていたものはなくなってしまった。
僕の世界は崩れ去った。
父は偉大な神のごとき存在じゃなく、両親ともに窃盗犯だった。
高級ブランドものだと思ってた服も持ち物も、ただのファストファッションか偽物だった。両親は真実を僕に隠し、気づかないようにさせていたんだ。
「あんな安物や偽物を高級品と勘違いしてるとか、ウケる」
「センスも超悪いよなー」
「自慢げにでっぷり太ったお腹突き出してふんぞり返ってたよね、ひっくり返らないかなと思ってた。本人はあれで自分は世界一のイケメンだと思ってたらしいよ」
「マジ? バカじゃん。しかもあいつの親、泥棒だったってね。しかも常習犯だったんだって」
「知ってる知ってる。なぁ、聞いた? なんであれでここ入れたのかと思ったら、金だって。大金積んで入れてくれって頼みこんだらしいよ」
「土地売って借金したって話でしょ? ほんとかな。横領したんじゃない?」
「ありえそー。上司の子どもとか会長の孫が通ってるから付き人に、ってヘイコラして推薦してもらったのに、その『ご主人サマ』にやっちゃあねぇ」
謝罪しろと両親にまでこっぴどく叱られ、歯を食いしばって登校すればそんなささやきばっかりだ。
……もしかして、今まで僕が気づいてなかっただけで、周りはみんなそう思ってたのか。保育園でも笑われてた? 遠巻きにしてたのも僕に畏敬の念を抱いてるからじゃなく、ただ嫌われてただけ?
自分一人が「ぼくってスゴイ!」って勘違いして、悦に入ってただけなのか?
トイレに行くといって逃げ、鏡を見ればぶくぶくの肉の塊が映っていた。制服がはちきれそうなほどのぜい肉。首は埋もれ、顔も不健康な色。歩くだけで息が切れ、走ることもできない体。
―――醜い。初めて気づいた。
呆然としてるとしびれをきらした父に引きずり出され、教室に連れて行かれた。頭をつかまれて下に押される。
「ほら、謝れ! お前が誠心誠意謝れば、クビを撤回して下さるかもしれないんだ!」
ギリギリと歯を食いしばった。
なんでぼくが謝らなきゃならないんだ。
「……もうしわけ、ありませんでした……っ」
声を絞り出した。悔しくてたまらない。
認めない。ぼくは、ぼくが間違ってるなんて認めない!
認めたら心が壊れてしまう。ぼくの心を守るために、決して認めてはならないんだ。
会長の孫娘が代表して答えた。
「きちんと何が悪かったのか理解し、反省し、二度と繰り返さないのなら謝罪を受けましょう。誤った教育をしていたのはご両親ですし。生まれた時からそう育てられていれば、それが正しいと思い込んでしまうのも無理はありませんね」
子供とは思えぬほど落ち着いて力のある声。
―――格が違う。
これが『本物』か。世界にはもっと『上』がいるんだと悟った。
家柄とか生まれとかじゃなく、個人の素質が全然違う。菩薩のような笑みを浮かべる相手を恐いとさえ思った。
……だけどぼくは。
父はまた土下座した。それを見て、慌てて母も隣で土下座する。
「本っ当に申し訳ありません! 子供なもので、冗談を信じ込んでしまいましてねぇ。ええ、ええ、お嬢様のおっしゃる通りですとも。もちろんこれからはきちんと教育いたします!」
あきれるくらい媚びてる。ぼくをかばってくれないどころか、責任をかぶせるのか。
「―――どうやらお父さんもお子さんもまったく反省していないようですね。悪いとすら思ってない。口先だけだわ。己の非を認められず、ちっとも理解していない。出て行きなさい。二度とその顔見せないように」
その子は冷静に真実を見破り、言い放った。
僕は退学処分となり、地元の公立に転校せねばならなくなった。
「嫌だ、行きたくない。あれだけ自慢して私立行ったくせに退学になったのかってヒソヒソ言われる、笑われる……!」
校門の前で抵抗した。僕が着てるのはダサいと分かった私服だ。金銭的余裕のなくなったうちに、新しい服をそろえる余裕はなかった。
なぜか? 父がクビになったから。それどころか両親ともに訴えられ、逮捕されるかもしれないという。恫喝・暴行・窃盗の罪がいくつもあるからだとか。二人は必死で金をかき集め、示談に持ち込もうとしている。
僕は賢いから、この頃には僕と父の行動が自信がないからこそ、自尊心を守るために『長男』=自分は偉いって考えにこだわってるんだと分かっていた。何もないと知っているから、プライドを守りたくてそう思い込みたかったんだと。
今抵抗してるのもプライドゆえだ。
分かってる。だけど決して認めない。
「みんなが、この世界がおかしいんだ。おれは間違ってない!」
そうだよ。父だって言ってる。
「お前がちゃんとしつけしてないからだ!」
父は怒って母を殴る頻度が増えた。家のあちこちに血の跡が残る。
僕―――おれもくやしまぎれに叫んだ。
「うん、おれは悪くない。間違ってない。おれこそ正しい。……なのにどうして笑われなきゃならないんだっ」
最後は遅いと迎えに出てきた先生たちに連れて行かれた。
おれを見たクラスの連中はざわついた。
「げっ、あいつだ。保育園一緒だったんだよ。いなくなってホッとしてたのに」
「近寄るなよ~。隣の席とかマジ勘弁。何されるか分かんない」
「私立でクラスメート殴ったとか、なんか奪ってトラブル起こしたってうわさの?」
「あたしたち保育園時代やられてたもん。本当だよ。大事なものは隠しといたほうがいいよ」
ザワザワはそのうちクスクスになった。
「……っ!」
耐えきれず、とうとうおれは教室を飛び出した。
そのまま家に帰り、二度とこの小学校に行くことはなかった。
不登校になったのと、両親のうわさも広がり、街にいられなくなったからだ。父の転職という口実でおれたちは引っ越した。引っ越し先で父はどうにか職を見つけた。
けれどやはりおれが小学校に行くことはなかった。
不登校になったおれを最初は責めた父も、そのうち「お前のすばらしさが分からないアホどもだらけのとこなんか行かなくていい」と励ましてくれるようになった。
「あそこはお前にふさわしい場所じゃない。お前はとっても偉くてすごい子なんだから、学校なんてくだらないもの不要だ。お前は何も間違ってないぞ。いい子だな」
「だよね! あいつらがおかしいんだよ!」
嘘だ。おかしいのはおれたちだ。
うるさい、分かってるよ。言うな。そう思い込まなきゃやってられないんだよ……!
教師だの相談員だのカウンセラーだの、おれを訪ねてきた人間は全部追い返した。このおれが謁見の機会を与えてやる価値もない。
―――そういえば、気づいたことがある。最近弟を見かけない。どうやら家にもいないらしい。
確かどっか施設に『保護』されてるんだっけ? なんでだろう? ま、どうでもいいや。『長男』じゃない弟はこの家にとっていなくてもいい存在だもんね。
それに……。
「弟くんのほうは優しくていい子なのにねぇ。頭もいいし。よくあんなねじれた家でこんなマトモな子が育ったものね」
「ほんとに。容姿もいいし」
幼い頃はあまり変わらなかったおれたちの容姿は、年を経るごとに差が出てきた。弟は群を抜いて整った顔立ちで、誰もが羨む容姿に成長していた。
しかも天才で運動神経もよく性格も穏やか。世間の人はみんな弟を褒める。
おれは両親以外に褒められることはないのに、弟は両親以外のみんなから褒められる。本物の尊敬と「すごい」って言葉をもらえる。
「ふざけるな! お前なんか『次男』のくせに! おれのほうがすごいんだぞ、偉いのはおれだ!」
珍しく帰って来た弟をおれは父のように殴りつけた。
顔面を赤くはらした弟は、泣きもせず無言で冷笑してきた。幼いころは大泣きしていた弟は、いつ頃からかこういう態度をとるようになっていた。
「―――っムカつく! 何様だちくしょうめ!」
いくら殴っても蹴っても、弟は泣かなかった。
くやしい。なんでこいつは思い通りにならない。おれの言うことをきかない。おれより優れてる。
『次男』のくせに。『長男』だけが、おれだけがすごいはずなのに。思い込みたいことがこいつのせいで崩れてしまう。
プライドを守るために、なんとしてでもこいつを屈服させなきゃ。
父も母もおれを止めなかった。それどころか「よくやった」「偉い子ね」と教えを実践するおれを褒めてくれる。
もっと褒めて。おれは間違ってないと言って。二人しか言ってくれないんだから。
中学校もまったく行かずに三年が過ぎた。高校はというと、私立に行きたいとおれは言った。誰も俺のことを知らず、レベルの高い学校なら「笑われない」だろう?
不登校でも家で勉強していたから学力に自信はあった。ほら、おれは賢いから。
けど現実は志望校どころか第二希望も第三希望も落ちた。自己採点したところ、なんと合格点の半分以下だった。
おれは賢いと思ってた。でもこれも思い込みだったと突きつけられた。一般的な模試も受けず、勉強していたのは教科書だけ。問題集もやってたことがない。それで受かるわけがなかったんだ。いつものように客観的な評価と視点が欠落していた。
「嘘だ……嘘だ!」
こんなの夢だ、現実であるもんか。絶対おれは認めない!
「お兄さん落ちたんだって? 弟君なら余裕だったろうけど、兄の方じゃあねぇ」
「相変わらずプライドだけは高くて勘違いしてて、痛々しくてかわいそうになってくるね」
うるさいうるさいうるさい!
弟はもうほぼ施設に入っていて帰ってこない。高校に進学したいと言ってるらしいけど、両親は拒絶した。働いて、おれがどうにか入学できた高校の学費を稼げと命じる。
ケンカになり、ついにお互い絶縁したらしい。どうでもいい。あいつが完全にいなくなれば、おれはいつか両親の目が覚めて優秀な弟をかわいがるんじゃないかと戦々恐々としなくてすむ。
可能性は低いけど。父は特に、自分のアイデンティティを否定することにもつながるんだから、まずしないとは思う。それでも可能性がゼロじゃないなら、芽はつんでおかなきゃ。
高校に入るにあたり、おれは外では「真面目・堅物・いい人」を演じることにした。父の失敗は外でもあの状態だったことだ。けどおれは賢い。社会が間違っていても、それが大多数の考え方なら表向き迎合しておけば成功するはずだ。
そうして陰で嘲笑うのはなかなか楽しいもんね。おれは寛容だから、愚民どもを表向き許してやる心の広さを持ってるんだ。えらいだろ?
しつこく追跡調査してる警察だの児相だのなんだのかんだのも、反省した・改心したふりをしてごまかした。うっとうしいハエはさっさと追い払うに限る。おれの演技が卓越してるからだが、騙される連中は実に阿呆だ。
おっ、『卓抜』って難しい言葉使えるおれ、頭いい。『阿呆』も漢字で書けるんだぞ。さすがおれだな。ふふん。
高校生活は何事もなく過ぎた。当然だ、おれの演技はアカデミー賞ものどころかそんなもの遙かに超えている。
ただ順風満帆とはいかず、大学も志望校に落ちまくった。どうにかある大学に入ったが、就職でも落とされまくる。このおれが必死に演じ、愚民相手に媚びへつらってやったのになんて無礼な。
その理由が分かったのは何十社目かでだった。面接官の一人にあの私立小の保護者がいたんだ。もちろんおれは覚えておらず、気づいたのは向こうだ。
「大人になって更生したかもしれないけど……あれだけのことしてたしねぇ……。君、他にも××社とか〇〇社受けてたよね? 実はあっちにも同窓生の保護者がいて、注意するよう連絡回ってきたんだよ。悪いけど今回は……」
繰り返すと、あの私立に通ってたのは社会的地位のある家の子どもばかり。彼らのネットワークにより、おれの将来は絶たれたのだと悟った。
「あいつらのせいでおれが落とされただと?! 許せない!」
そもそも事件を起こしたのは誰だ? 自分だろう?
「うるさいっ、おれは何も悪くないんだ! おれはすごくて偉くて優秀な選ばれた人間。愚民どもにその価値が分からないだけなんだ!」
いいや。ぼくは何にもない自信過剰の勘違い男。すぐ暴力に走り、社会から認めてもらえない、親以外の誰からも褒められたことのない無価値な馬鹿だ。
「うるさい……っ、おれは……!」
連中の息のかかかってない小規模な会社にようやく就職できた。バカな上司や客相手に頭を下げて働く日々。
ちくしょう。
「みんなこの世界が悪いんだ。おれのすばらしさを理解できないみんなが悪い。おれはすごいんだ」
昼間、鬱屈した気持ちで取引先からの帰り道。
……ほら、『鬱屈』って単語が出てくるあたりかっこいいだろ? 賢いよなぁ。しかも何も見ずに漢字で書けるんだぞ。
公園で近くの保育園児が騒いでいた。クラスで遊びに来ていたらしい。
「チッ、うるさいな。これだからガキは」
イライラしながら睨みつけるべくそっちを見ると、一人の保育士に目が留まった。
美人というほどではないが、人目を引く若い女性。長い髪を後ろに一つで束ねただけのファッションセンスのカケラもない髪型に、すっぴんに近いメイクのなし具合。それにエプロンをしているだけなのに、なぜか凛としている。
おれは彼女から目が離せなかった。
彼女はガキどもがどんなに失敗したり、バカな行動を取っても嘲笑したりしなかった。それどころか聖母や菩薩のように包み込む。
彼女の周りだけが温かく見えた。
「―――彼女が欲しい」
強烈に思った。
「彼女なら、こんなぼくでもきっと笑わない。あの子供たちに対するように、優しく包み込んでくれる。ぼくを認めてくれる」
彼女が笑いかけているあの子供たちになりたかった。
それからのおれの行動は早かった。
彼女の勤務先を突き止め、名前も入手。興信所に依頼して調べ上げ、どうにかして彼女に近付いた。彼女の好みの男を演じ、結婚までこぎつける。
両親としては金持ちで自分たちに楽させてくれる嫁や、母のように盲従する嫁がほしかったようだが、彼女の職業が保育士なことから最後は納得した。
「……まぁ、保育士なら子供を育てるの慣れてるだろう。大事な跡継ぎを『正しく』育てられるだろうから許してやろう」
……けれどほころびは早い段階で現れた。
「趣味や単に出かけたいって時いつでも送り迎えして、望むものを食べたいときすぐ作って出して、言われなくても食べたいもの察して用意して、家事も全部やって、いついかなる時も読んだらすぐ駆けつけて何でも言うこと聞け? 私は召使いでも奴隷でもない!」
父は納豆にネギが入っていないという理由で激怒したり、欲しい時にその時食べたいものがないとよく怒る。出かける時も母が車で送迎するのが普通だった。
母も年で、父の要求を叶えられないことが多くなった。ようやく自分も『下』の立場の人間を使えるようになったことに喜んでいるふしもある。
おれを許してくれると思っていた未来の反抗に、カッとなって殴りつけた。
「黙れ! 主人はおれさまだ! 嫁は主人の命令に従ってればいいんだ。おれさまが好きに使っていい存在なんだ。黙っていうことをきけ!」
幼いころから教え込まれたセリフ、父がさんざん言っていた言葉が口を突いて出た。
だって、おれには未来だけだったのに。他には誰も褒めてくれない。優しい君なら、こんな何もないおれを認めて包みこんでくれるはずだったはずじゃないか。
裏切ったのはどっちだ。
頬を押さえながら、未来は呆然とおれを見上げた。
そんな目するな。おれが悪いことしたみたいだ……違う、おれは正しい。
教え通りに妻を叱責したおれを、両親は褒めてくれた。未来もその場は大人しく従った。
でもしばらくするとまた反抗する。
力で制圧しては抵抗されるの繰り返し。
「なんでおれを否定するんだ。君までおれを笑うのか!」
どうしえて上手くいかない? 父も先祖も代々これで成功してたのに。
やっぱりぼくが駄目な子だから?
「そんなことあるもんか! おれはすごい、偉い、おれは優れた選ばれし人間なんだ……!」
不幸は続いた。やっとできた子供は女児だったんだ。
「なんだ、女なのか? まったく……」
露骨に両親に失望の目を向けられた。血の気が引く。
駄目だ。息子でなきゃならない。『男児』じゃなきゃ、『長男』をもうけなきゃ両親にまで笑われる。
堕ろせと命じたのに、これも未来は聞かなかった。
理想を破壊する存在なんかいらない。
それでもおれは寛大な心で見逃してやり、次のチャンスを与えてやったのに、二人目もまた女児だと判明した。
「出ていけぇ―――っ!」
おれは手あたり次第に物を未来と娘に投げつけた。身重の未来は娘をかばい、連れて飛び出して二度と帰らなかった。
代わりにやって来たのはもう十年以上会っていない弟だった。正直顔も忘れていた。
「やあ、久しぶり」
成績優秀だった弟は返済不要の奨学金で大学まで出、やり手の弁護士となっていた。離婚専門弁護士を連れていて、未来からの要求をつきつける。さらにはおれと両親に対し、弟が個人的に訴えを起こしてきた。
―――おれたちは負け、何もかも奪われた。遺してきたわずかな、大事な大事な先祖代々の土地さえも。
勤務先にも知られクビになり、金も住むところも全てなくしたおれたちに弟はかつてと同じ笑みを向けた。
胸倉をつかんでる。
「お前のせいだ! お前のせいでおれたちは! 先祖代々の大事な土地も名声も奪うなんて親不孝者め!」
弟は冷笑した。
「フン。殴る? いいよ、暴行罪が追加されるだけだけど」
ハッとして手を離した。
弟は紙の束をつきつけた。裁判所からの何かかと思いきや、それはおれが書いて未来に送った手紙のコピーだった。
「これ、あんたが未来さんに送りつけた手紙だな? 大まかに内容言うと、悔い改めなければ地獄に落ちて閻魔大王の裁きを受けるだろうとか、未来さんの親に対してこんな愚かな娘を作るなんてどういう教育してるんだ土下座して謝罪しろ・慰謝料払えとか、近日中に地獄の死者が必ず向かうとか、苦しんで苦しんで死ぬ呪いをかけるとか、これを聖典として毎日朗読せよとか……。タイトルも『呪殺・地獄への招待状~閻魔大王判決文・最終案内~』だっけ」
おれは得意げに胸をそらした。
「ああそうだ。こんな高尚な文を書けるおれはすごいだろう? 世界中の誰にもこんなすばらしい書物は書けないに違いない。難しい用語に難解な文章、独自の創意工夫に飛んだ構成に圧倒的分量。……あっ、まさかお前はこれをお前が書いたものだって、自分の手柄にするつもりか?! 許さないぞ! これはおれが書いたと明確にするため、全部手書きで書いたんだからな。鑑定すれば筆跡で分かる。もちろんおれの指紋もついているはずだしな!」
どうだ、おれの先見の明。なんて天才的。
弟は軽蔑しきった目を向けてきた。
「これを自慢できるものだと思ってるなんて、やっぱ精神的におかしいな」
「なっ……誰がおかしいだと?!」
「あんただよ。犯罪に抵触するってことも分かってないのな。何が悪いことかすら分かってない……きちんと悪いことは悪い、やっちゃいけないって誰か教えるべきだったのにな。それか、大人になって自分で気づき、認めればよかったのに」
「悪いだと? おれは悪くない!」
地雷を踏んだ弟を殴りつけた。
途端にどこに隠れてたのか警官が湧いて出て、おれは捕まった。
弟は薄笑いを浮かべ、おれをねめつけると叫んだ。
「何が親だ、家族だ! それらしいことなんか、何一つしなかったくせに。奴隷として扱い、暴力をふるい、徹底的に人格否定して僕を認めなかったじゃないか。僕の望みはたった一つさ。あんたたちを破滅させ、みじめな末路を見届けることだ!」
認められなかった……?
違う。お前はみんなから褒められてたじゃないか。おれがほしかった本物の尊敬を受けてたじゃないか。《長男だから》両親に褒めてもらえてたおれと違って。
そう、両親がおれを大切にしてくれてるのは長男だからだ。彼らにとって大事なのは僕じゃない。『《長男》』。
……もしおれが次男だったら? 弟みたいに扱われてたはずだ。
おれを愛してくれてるわけじゃない。
おれには何もない。
両親からの愛情も。妻にも捨てられた。
理想も破壊され、独りぼっち。彼女なら愛してくれると思った人もいなくなってしまった。
「未来……未来、どこ? 帰って来てよ。ぼくを抱きしめて。あの日、子どもにしてたみたいに。ぼくに笑いかけてよ。ぼくをバカにしないで……ぼくを認めて、ぼくを愛して……!」
ようやく気付いた。あの日おれが未来を見つめていたのは一目惚れしたからだったことに。打算で妻にしたんじゃない。それならわざわざ好みのタイプを調べ上げて演じたりしないし、両親が難色を示せば従ったはずだ。
おれはおれなりに未来を愛していたんだ。
なのに自分のせいでぶち壊しにした。そして失った。
だっておれは他にやり方を知らなかった。両親は教えてくれなかったし、許してくれなかった。だから教わった通りにするしかなかったんだ。
両親だけはおれを認めてくれた。失いたくなかった。
―――おれのせいだ。自分が愚かだったから。
ううん、おれは間違ってない。おれはすごい、偉い。
いいや、いつまで経っても己の非を認める勇気がない意気地なしだ。人のせいにするだけで自分を向上させることができない愚か者。
違うっ、悪いのはこの世界だ、周りの連中だ、未来だ。
いや、おれが……。
ううん、おれは……。
…………。
……。
☆
「―――」
俺は何も言えず、奴から手を離した。
奴は顔を覆い、おいおい泣き出す。まるで子供のように。
いや、完全に子供だな。精神が幼い。自分の失敗や非を認めることができず、山より高いプライドを守るために根拠のない信念にしがみついて。
思い通りにいかないと癇癪を起し、周囲に当たり散らす。だだをこねる子どもと同じだ。肉体が大人なだけに力が強く、周りの人や物を壊してしまう。
……怒りを通り越して哀れみさえわいてきた。
「……それで未来を傷つけ、子供たちを捨てたのか。さらに生まれ変わってチャンスをもらっても、それさえ無駄にした。多くの人を殺し、不幸にして」
今世は前世よりひどい。
奴はギッとにらんだ。
「うるさい! おれは正しい、すごくて偉くて選ばれし優秀な人間なんだ! 知らない馬鹿にこのおれさまがわざわざ教えてやろう。異世界転生ものの主人公はなぁ、世界を救う救世主なんだよ。世界で一番偉いんだ。まさに神。つまりおれさまの行動とは神の意志である! 崇高な理念のもとに行われるすばらしきこと。なにしろ世界を救うんだからな。そのためにしてやってるんだ。おれさまは何をやってもいいんだよ!」
狂人のごとく叫び続ける。
「…………。これでもまだ言うのな」
はぁ。
真面目に精神科にかかったほうがいんじゃね? ああ、前世で幼少期に専門家が診たけど騙されたんだっけ。
「背景と動機は分かった。言葉でいくら言っても無駄だってこともな」
専門家が治療しても無駄だろうなぁ……。
「でもだからって、お咎めナシってわけにはいかないんだよ。法律で決まってるし、被害者たちや遺族が許すわけがない」
「ふざけるな! 主人公であるおれさまを罰しようなど、何様だ!」
「何様でもねーよ。ただの人間だ。つーか、そもそもテメェは『異世界転生モノの主人公』なんかじゃない。ああいう物語はフィクションです(他作品ネタ)。自分がヒーローだと思い込んで天狗になってるだけだ。主人公だから何やってもいい、大量虐殺やっても構わないなんてどういう理屈だよ」
腰に両手をあてて糾弾した。
「未来を愛してたなら、なんであんなことした! 暴力加えて服従させるんじゃなく、大切に守り支えて幸せにすべきだっただろうが! 自分のくだらないプライドとどっちが大切なんだよ!」
俺の剣幕に奴はたじろいだ。
「だっ……だって、パパはママにやってたんだもん。母さんも喜んでた。ぼくはそういうやり方しか知らない」
呼び方の不安定さが顕著になってる。しゃべり方もだ。精神の不安定ぶりがよく分かる。
「おかしいって気づいてたんだろ? だったら他の方法を探せよ。色んな人に聞いて、調べて、知って、誰も傷つけないやり方を選ぶべきだったんだ。お前がその性格を直して自分の弱さと失敗を認めてれば、もっと周りに人がいてくれたはずだ。お前を好きになってくれる人だって現れたかもしれない。結局お前は自分だけが大切だったんだよ。未来を好きだと言いながら、自分をとったんだからな」
「自分を守って何が悪いんだよう! パパとママしかぼくを認めてくれない、だからパパとママの教えを守ったんだっ」
「いつまで子どもみたいなこと言ってんだ! いい加減大人になれ! 親離れしろ! たとえ自分の親でも、間違ってるんであれば従わず自分で考えろ。何でもかんでも盲従すんな」
「でも、そしたらだれもほめてくれないよぅ……!」
「いつも褒められたがってんじゃねぇ。誰かから褒め言葉を得られなければ自分が保てないなんて弱い心でいるな。人生なんて辛いこと、嫌なことがたんとあるさ。それでもみんな必死にがんばってんだ」
息を吐き、
「俺だって大失敗した。未来を失い、孤独なまま死んだ。でもそれを人のせいにしたり、認めなかったりはしない。二度と繰り返さぬように、
堂々と宣言した。
しょせんオマケでも添え物でも。気概見せてやるよ。
奴は呆然としたまま何も言わなかった。
踵を返し、地面に下りた。
土蜘蛛が心配そうな視線を向けてくる。大丈夫だ、うるさくして悪かったなと目で返した。
「……よろしいので?」
「ああ。どうやったって、俺たちは相いれねーよ。奴が罪を認めて改心することもないだろう。何より自分のプライドと心が好きな男だから」
妻子を犠牲にしてでも自分の弱さを優先した男だからな。
「あのまましばらくほっとけ」
手を振って地上に出た。
「―――」
澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。
見上げれば、空には月が浮かんでいた。
地球とは違い、ここの月は二つある。ほぼ同じ大きさで一緒に同じ軌道を描きながらも、不思議と満ち欠けはバラバラだ。
神話でよく夫婦だと描かれている。
「…………よし」
肩を一回上下させ、俺は歩き出した。
かつて得ることができなかった、最愛の人と子供たちの待つ我が家へと。
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