第5話 最大の敵、現る

 平日昼間、仕事中。

 職員室で休憩取ってると、バタバタと走ってくる足音がした。

 なんかデジャヴ。

 あれ?

 でも足音が違うわ。

 これノアじゃない。

 首をかしげて考え込んだ。

 これは確か……。

 ガラッとドアが開いて飛び込んできたのは、性別不明の二十歳だった。

「ソフィア! 大変よ、来てちょうだい!」

「ケヴィン兄さん」

 驚いて名を口にした。

 兄といっても実の兄じゃない。従兄弟だ。

 父の姉の子にあたる。兄弟のいないあたしにとっては本当の兄同然の存在。

 現在伯父さんの後を継いで若き公爵となり、すでに妻子持ちである。政治家として有能で父も目をかけており、時期宰相有力候補と言われてる。

 ……え、ちょっと待て? なのかって?

 語尾が妙じゃなかったかってことね?

 うん、まぁね。

 ケヴィン兄さんはオネェである。

「どしたの」

「ちょっとここじゃ話せないわ。あ、園長、ソフィア借りてきますね。国家の一大事なんですよ」

 中性的な美人?美形?で、文官の制服着てなければ女性にも間違われる美貌の従兄弟は、実にオネェ言葉が似合う。

 赤い長髪を後ろで一つに束ね、切れ長の茶色い瞳。あたしと似てるものがあるとよく言われるが、こんなイケメンと凡人のあたしのどこが似てるんだろう。

 こっちはツリ目でキツい印象なのに、ケヴィン兄さんは温和だし。

 小さい頃は背の低かったケヴィン兄さんと並ぶと、確かに血のつながりが分かる感じだった。でも今は180センチ超えてるしなぁ。

「あら、もちろん。早退届けはこっちで書いとくから、ソフィアちゃん行ってらっしゃい」

「ありがとうございます」

 理解の速い園長の許可を得て、急いで着替え一緒に出る。

「走っちゃだめよ。歩いて行きましょ。ソフィア、妊娠してるでしょ」

「はは、さすが慣れてるね。ステラも妊娠中だもんね」

 ステラはケヴィン兄さんの妻で、あたしの親友だ。彼女がうちに遊びに来た時ケヴィン兄さんが一目ぼれし、大の男嫌いの彼女にあの手この手で近づいてゲットした。

 そのテってのが「オネェキャラ」なんだけど……。

 だからまぁ、実際モノホンとは違うのよね。恋愛対象は女性だし、このキャラ最大限に利用してるとこがある。

 なにしろ政治家で次期宰相候補と言われる男が、しな作ってみなよ。たいていの相手はドン引きして油断する。そこにつけこむのが上手いんだよなぁ。

 つけこまれた最大の人は奥さんステラだね。

 さすがは切れ者と名高い父が目をかけるだけはある。単に甥っ子ってだけじゃ気にも留めないもの。父はそういう冷徹なところがある。

 したたかさの権化な従兄弟を見上げると、彼はコロコロ笑った。

「もう五人目だもの。子供は何人いてもかわいいわよねェ」

「ほぼ毎年生んでるステラ、尊敬するよ。よく体力あるよね」

 あたしじゃ絶対無理。

 体力的なの理由と、ノアみたいなのわんさかいたら色んな意味で死ぬって理由で。間違いなく心労で倒れる。

「うちの奥さん、近衛だもの。アタシより体力あるんじゃないかしらー」

「ステラんとこ、男系でみんなマッチョだもんね」

 代々要人警護を生業とする家で、ランクは侯爵なのにガチムチマッチョぞろいで「ほんとに貴族か?」と思われる家ナンバーワンである。

 女子が生まれたのは数百年以来とかで、ステラはそりゃもう暑苦しいマッスルたちに溺愛されて育った。

 その結果、反動で男嫌いに。

 そりゃ朝から晩まで家の中を半裸の筋肉ダルマたちが闊歩してるわ、あちこちで鏡を前に決めポーズ取ってるわ、筋肉強化の話しかしてないわ、誰が最高の筋肉か日々競い合ってるわ、じゃあねぇ……。

「陛下、ノア殿下、叔父様。ソフィア連れてきたわよ~」

 陛下の執務室に入ると、その三人がそろってた。

 すかさずノアが飛んでくる。

「ソフィア! 歩いてきたの? 大丈夫か、具合悪くなってない?」

「あのねぇ、散歩とか適度な運動は必要だって言ったでしょ」

「そうよォ。あんまり太ると難産になるし、妊娠中毒症や高血圧の危険もあるんだから。ドクターストップがかかってるんじゃなければごく普通の生活レベルは動きなさい」

「うむ。とはいえ、立ちっぱなしはまずいな。ソフィアちゃん、座って座って」

「あ、すみません」

 陛下に勧められるまま、大人しくソファーに座る。当然のごとくノアが隣に座ってきた。

「宰相とケヴィンも座ってくれ。一応周囲に音漏れ防止の魔法かけてるが、なるべく声は落として話したい」

 椅子を移動し、円陣に座ったところで陛下が口火を切った。

「―――緊急に集まってもらったのは他でもない。エリニュスの件だ」

 あたしは黙ってまたたきした。

 前作を覚えてるだろうか? 見てない人は見てね。←露骨な宣伝

 かつて『女神』『国一番の淑女』とうたわれた美女エリニュス。

 おしとやかで上品、優しく慈悲深い貴婦人に見せかけてた彼女の本性はとんでもないものだった。初見で看破したあたしとは犬猿の仲。

 彼女は大量殺人・殺人未遂・殺人教唆の罪で逮捕され、投獄された。家も取り潰され、家族は離散・国外追放。そこまでは前作に書いたと思う。

「とんでもないことになった」

「どうなさったんですか?」

「刑を一時停止、あるいは国際問題になるかもしれない」

 ええ?

 首をかしげる。

 エリニュスは王族を殺した大逆罪がある。刑を執行しないわけにはいかないはず。

 それに、国際問題って、何で?

 ノアがため息ついて、

「死刑確実と知ったエリニュスは、とてつもない爆弾投下したんだよ」

「どんな?」

「本人曰く、妊娠してるんだってさ」

「…………」

 あたしはゆっくり眉間をもんだ。

「……ああ、エリニュスも既婚者だったもんね、ありえなくはない。受刑者が妊娠してた場合、この国の刑法によれば最低でも出産まで刑の執行は停止される……だったわよね」

 これでも宰相の娘なんで、父に六法たたきこまれてる。

 受刑者は罰を受けなければならなくても、お腹の子に罪はない。よって、子供が生まれるまで執行停止となる。もちろん刑務所からは出られないが。

「一般的には、生まれてきた子は配偶者や親族に渡されるか、拒否された場合は児童養護施設に預けられる。今回の場合、配偶者であるジャックは精神病院に入院中のため無理。どっちの親族も引き受けたがらない可能性が高い」

「だろうなぁ。って、ちょっと待って。違うんだよ」

「何が」

「エリニュスが父親の名として挙げたのは、夫のジャックじゃない。β国王なんだ」

 さすがのあたしもこれにはぽかんと口を開けた。

 ……はぁ?

 今度はこめかみを押える。

「……えー、それって堂々と不倫してた挙句、子供作ってましたってのを暴露したってことよね?」

 みんな一斉に頷く。

 ……マジっすか。

 うっそでしょー。

 はー。

 あきれた。

「あーあ。ったく、エリニュスも馬鹿ねぇ。嘘つくならもっと上手い嘘つきゃいいのに」

 肩をすくめる。

「あの女の嘘つきは今に始まったことじゃない。何せ国中騙してたんだから。どうせ死刑になりたくないがための大ボラでしょー?」

 ただ疑問点は、あいつそんな嘘下手だったかな。

「妊娠してるかどうか検査すれば、一発で分かるじゃないの」

「それが検査を断固拒否しててさ」

「ほーら。ノア、あんたも騙されてんじゃないわよ。あんたならすぐ分かるでしょうが」

「いや、俺もすぐ嘘だって分かったって。冷静に裏取って証拠つきつけてやろうとしたんだよ。そしたらほんとに逆算してそれくらいの時期、β国王と接触してんだ」

 ほら、と報告書渡してくる。

 『女神エリニュス様』と名高かった彼女は親善大使として色んな国に行くことがあった。β国もその一つで、その時「お声がかかった」とのこと。

 あきれが地の底深くめりこんで、星の反対側まで突き抜けそ。

「いくら内心嫌ってた夫置いてきたからって、滞在中平気で不倫してたとか。面の皮すごいわー」

 何メートルあるのか測ってみたいね。

「ジャックが気の毒になってくるよな」

「しかも相手がβ国王って。この前新聞社がやった、結婚したくない男ランキングぶっちぎりの一位じゃん」

 不細工、ものすごい肥満、新陳代謝が異常なのか汗がすごい、性格悪い、ナルシスト、超のつく男尊女卑で差別主義者、差別的発言でしょっちゅう炎上してる、プライドが山より高い、人の話を聞かない、自説の演説会が大好き、女好きで人妻でも構わず手を出す、etc……あらゆるマイナス要素を集めまくったような有名な男である。

「β国は長子相続制じゃなくて、時の王の指名制よね。前の国王は長男より次男を指名してたんでしょ? 次男はマトモで人気あったのよね。ところが前王と共に事故死……だっけ?」

 あきらかに長男が疑わしいと皆思ったが、疑った臣下は次々処刑・処罰されたらしい。以後、恐怖政治をしいていると聞く。

「本人は関与否定してるな」

「どう考えても怪しいじゃない。エリニュスもよくこんなのと不倫したわねぇ。当時次男はまだ生きてたはずでしょ、そっちのほうがずっとマシじゃない。あ、操りやすそうだったから? なら納得」

 暗君の後ろに立ち、糸を操って動かす様子が簡単に想像できる。

「でも接触があったからって、β国王の子とは限らないわよ。ノア、あんたに内蔵されてる嘘発見器使ってさっさと暴いてきなさい」

 ビッと指さす。

 ノアは頭をかいた。

「内臓に嘘発見器って。……まぁそんなもんだけど」

 はい、ここでいきなり質問です。

 ドンドン、パフパフ~。

 さぁ、始まりました。唐突にクイズ大会!

 異世界転生もので主人公にテンプレといえば、なんでしょーぉか?

 ……チッチッチ、チーン。

 はい、正解は『チート能力』です。

 そう。例にもれず、ノアにはあるのよ。

 前作じゃまったく触れなかったけどね。

 というのも、これは極秘事項だから。

 決して表に出してはいけない力。

 ノアの特殊能力―――それは『記憶を読み、さらにそれを見せることができる』というものだった。

 サイコメトリーに加え、読んだ記憶を他人に見せることも可能。

 たぶんつきつめれば記憶の改変や忘却もおそらくできる。本人にその気はないようで、試したことはないんだけど。

 この力を有益に使うため、ノアは軍人つまり警察に入った。仕事以外でこの力を使うことはない。

 悪用すれば危険だと自覚してるからこそ、自分で固い制約を課してるんだ。

 このことを知ってるのは、ここにいるメンバーの他は皇太后様と、亡き前国王のみ。

 あたしはノアと違ってチート能力なんざ持ってないが、ノア見てるといらないなって思う。大変そう。

 大きすぎる力は持つにふさわしい人間でなければ持っちゃいけないわ。凡人のあたしが望むのは平穏な生活である。

 つくづく定番チート能力なんかなくてよかったと思う。平凡で凡人万歳。

「これは仕事の範囲内だもの、当然使ったんでしょ。で、結果は?」

 ノアはヒラヒラ手を振った。

「ソフィアの言う通り、そもそも妊娠自体が嘘だったよ」

 ほらね。

「ただ、本人は本当だと思いこんでる」

「思い込みが激しいもんね。嘘を喝破したらブチギレたでしょ」

「そりゃもう、悪鬼のごとく。しかも絶対認めない。本気で信じ込んでるんだよ。それだけならまだいい。問題はここからだ。エリニュスは逮捕前日にβ国王と連絡とってて、妊娠したと話したらしい。で、β国王が乗り込んできたんだよ」

「ゲッ」

 思わずうめいた。

 最悪じゃないか。

 ケヴィン兄さんが顎に手やって、

「なにしろβ国王は人妻でも関係なく自分のものにしたがる人間でしょォ? 自分の子を身籠った愛人を処刑する気か、って怒鳴りこんできちゃったのよねェ」

「浪費がたたって国庫が底をつきかけているはずだ。おそらくこの件でごねて、こちらから金を絞り取ろうという魂胆だろう」

 父が分析する。

「普通に考えれば、一国の王が大量殺人犯の死刑囚と不倫関係にあったなんて隠しておきたいもんよねェ。エリニュスの場合、冤罪はありえないし」

 モロに現行犯で捕まり、自供もしてるもんね。

「言ってることも論理が支離滅裂だ。あれは何を言っても無駄だろう。本気で王妃に据えるつもりだな」

「はああ? 世界中から総スカンくうわよ。ていうか、これでエリニュスが夫をスケープゴートにして始末しようとしたの分かったわ。妊娠したと思ったのがきっかけね」

 プライドの高いエリニュスにとって、破れた夢の第二王子の妃より『王妃』の座は薔薇色に見えたはず。たとえ悪評まみれの王でも、自分が操ってやればいいだけだ。

 それで殺人も辞さなかったってわけ。

「医師の診断書を見せても無駄ってことですか?」

「おそらくは。偽物だとまくしたてるだけだろう」

 うわぁ、めんどくさい。

 うーん、どうしたもんか……。

「β国王も、今のエリニュスの状態をその目で見ればおかしいと気付くのでは?」

「それができればねェ」

 三人とも顔を見合わせる。

「何か問題でも?」

「大あり。百聞は一見に如かず。行ってみるか?」

 ?

 よく分からぬまま、エリニュスの収監されてる特別房へ向かうことになった。



 某所にある、重犯罪者専用特別房。

 強化ガラスで仕切られた面会室で刑務官と二人待ってると、向こう側にエリニュスがやって来た。

 遠くからずっとわめいてるの聞こえたな。元気だね。

 エリニュスについてる刑務官はゴリゴリのマッチョ、もとい屈強な女性。あえて「見るからに力じゃ勝てない」人を担当にしたんだろうな。

 面会人があたしと知ると、怒りのあまり途端に黙った。

 よかった、話はできそう。

「久しぶり。元気そうね」

「……っこの、よくも来れたものね! アバズレが!」

「言葉遣いひどいよ」

 指摘してやった。

「まぁ、本性知ってるあたしに取り繕う意味はないけど。それより……」

 立ったまま地団駄踏んでるエリニュスを見やる。

「少しふくよかになった?」

 囚人であるエリニュスの格好はきらびやかなドレスじゃなく、機能性優先の決められた服だ。いわゆる囚人服。シマシマじゃなくグレーのツナギ。

 お腹周りが丸み帯びてるのがはっきり分かった。

「女性に対してデブですってえええ?!」

「いや、腹部がずいぶん膨らんでるなと思って」

 嫌味じゃないよ。事実を述べたまでだし、オブラートに包んだじゃん。

 ……にしても、おかしいな。

 単純に肥満なら、体全体的につくはず。でもボリュームアップしてるのはお腹周りのみだ。まるで臨月の妊婦並みの出っ張り具合である。

 それにそもそも食事はカロリーコントロールされてるはず。特別房に収監された者には差し入れも認められず、脂肪がつく原因がない。

 てことは。

「ずいぶん詰め込んだもんだね。タオル丸めて何本? そこまでして妊婦装うって……いくらなんでも失礼じゃない? すぐバレるし」

 あまりに嘘が下手すぎる。

 いきりたったエリニュスは怒鳴った。

「ふざけんじゃないわよ! 何もつめてないわ! 見てみなさい!」

 がばっと勢いよく裾をまくり上げる。ぽっこり膨らんだ腹部があらわになった。

 同性で、しかも仲の悪いあたし相手なもんだからって、遠慮もへったくれもないな。

 ……って、それどころじゃない!

 あたしはとっさに浮かびそうになった驚愕の色を隠した。

 本音を隠す訓練してくれた父様、感謝。

 すばやく考えをめぐらす。

 どういうこと? 本当にお腹周りが膨らんでる。

 ノアが『調べて』るんだ、妊娠してないのは確実。それなのにこんな膨らんでるって……。

 真っ先に病気を疑った。

 よく知らないけど、内臓関係とか? ガスや水でお腹が膨らんじゃうとか。

 ……いいや、違う。

 すんなり納得する答えが見つかった。

 端的に述べる。

「想像妊娠」

「は?」

 眉をひそめるエリニュス。

「想像妊娠、って言ったのよ。何らかのきっかけで妊娠してると思い込み、本当に妊婦のようにお腹が膨らんでしまう症例がある。中には臨月サイズまでいった人もいるって聞いたことあるわ」

 人体の不思議。精神的なものがそこまで作用することがあるそうだ。

 エリニュスはすぐさまかみついてきた。

「想像ですって?! わたくしが妄想でこうなってるとでも言いたいの?!」

「色々おかしいじゃない。まず聞くけど、妊娠に『気づいた』のっていつ?」

「一か月よ。規則正しいわたくしの体が、三日たっても来ないんだもの。間違いないって確信したわ」

「あのさ……数日くらい誤差の範囲内でしょ。大体、毎月同じ日にキッチリ来るなんてまずない。そもそも一か月は28日30日31日と違ってて、毎月同じ日に来てたとしても間の日数バラバラじゃん。人間の体だもの、完璧に規則正しいなんてありえないってば」

 機械じゃないんだから。

「それに、ちゃんと検査したの? 妊娠検査薬ならドラッグストアでも売ってるよ」

「なぁにそれ? 知らないわ」

「ちょ、検査もせず言ってんの? 簡単だからやりなさいって。ドラマとかでよくあるじゃん、棒状の検査薬に二重丸出てて陽性ってシーン。あれ。ただし偽陽性のこともあるから、きちんと産婦人科行って検査してもらったほうがいいんだけど」

 陽性だって大喜びして病院行ったら違った、ってたまに聞く話だ。

「超音波検査で子宮内に胎嚢……つまり赤ちゃんのもとが確認できたら妊娠確定って診断される。こんなん」

 持ってきた自分のエコー画像プリントを出す。

 モノクロで、素人じゃ何が何やらサッパリな写真だ。あたしもいまだによく分からない。

 医者曰く、真ん中の大きな黒い部分が子宮、端っこにあるちっこい白いツブが胎児だそうだ。

「この白い豆粒みたいなやつ」

「ええ? 全然分からないわよ」

「婦人科系の検査って受けたことある? ないと最初驚くから教えとく。これは子宮口側から機械差し込んで超音波あてるの。よくあるお腹の上からあててモニターに画像映るってのは、もっと後の話よ。初期じゃ小さすぎて、上からじゃ分からないの」

 エリニュスも実際どういう健診受けるのかは興味あるようで、椅子に座って聞き始めた。

 健診で使われる診察台の写真載ってる冊子を開いて見せる。椅子みたいな形で動くんだ。これ心理的に苦手な女性はけっこう多いだろう。あたしもよ。

 予想通り、エリニュスは不快感を示した。

「なにこれ。こういうやり方なの? 嫌よ!」

「珍しく同意するわ。あたしも苦手。で、妊婦健診は自治体から補助金申請の書類つづりもらえるんで、それ記入して持ってく。けっこう書くとこあって面倒なんだよね」

 日本の場合、各自治体の窓口で母子手帳をもらう時一緒に渡されることが多い。臨月の健診までの分の複写式書類が一式入ってる。

 多少費用が安くなるけど、一回の健診で軽く数万飛ぶことけっこうあるよ。

 健診に行く際は、財布の中身に万冊を数枚必ず入れてくことです。

「妊婦健診で調べるのは、他に体重や血液検査……」

「体重!? 女性の体重を調べるですって、セクハラだわ!」

「健診だっつの。人間ドックと同じように考えなさいよ。真面目な話、体重が急減・急増してたらヤバイんだってば。あ、言っとくけど、妊婦は二人分食べなきゃってのは嘘だからね? 臨月までに増加していい体重は9~12キロと言われてる」

「なんですって? 人一人いるのよ、二倍のエネルギーが必要に決まってるじゃない!」

「そこまで必要ないの。胎児ってちっちゃいんだから。あと、妊娠すると動悸、めまい、息があがる、こむらがえり、つわり、色々出てくるよ。出産自体めちゃくちゃ痛いし、不眠不休&絶食で二日三日なんてこともある。あんたにそこまでの覚悟と根性ある?」

 エリニュスはちょっと身を引いた。

「……本当のところ、そんなに痛いの?」

「痛い」

 即答。

 前世の経験を思い出し、眉をしかめた。

「人間の耐えられる痛みの限界、ってあたしなら評するね」

「……うそぉ……」

 しょせんは蝶よ花よと育てられたお嬢様。痛みの耐性はゼロだ。

 エリニュスは目に見えて動揺した。

 よし。

 あたしはあえて現実的なぶっちゃけ話をガンガンぶちこんだ。

「生んでもそれで終了じゃないのよ。育児はそこから何年も続くんだから。産後数日は傷とか痛いし、ものすごくぶっちゃけるとトイレ大変。残りの血が排出されるんで当然とはいえ、ドバドバ血出てビビる」

 大丈夫かってマジで心配になる。

「傷口縫ってるのと雑菌入らないようにって理由で、退院まではウォシュレット使用ね。こんな血出てるのに水あたって大丈夫か不安になったわー。でも雑菌入ったら感染症になるもんね」

「血がドバドバ……雑菌……」

「体だって産後すぐ回復するわけじゃないしね? ヨロヨロしながら、未経験の育児スタートよ。待ったなし。授乳にオムツ替えに入浴どんどん来るよ。母乳も人によって出る量違うし」

「え、勝手に必要量出るんじゃ?」

「個人差と体質でバラバラだってば。全然出ない人もいる。夜中だって赤ちゃんは泣くし、細切れ睡眠が何年も続く。まともに寝れないよー。深夜に何時間も泣き続けるとか平気であるわ。他にも病気したり……」

 急きょ園のお母さんたちから借りてきた育児日記を広げてみせた。喜びや幸せだけじゃなく、辛さやしんどさが赤裸々に書かれてる。産後鬱になった人のも借りてきたよ。

 もう見てるだけで共感できまくって涙出るわ。

 いやぁ、経験者による本物の訴える力はすごい。エリニュス絶句してる。

 度を超した妄想を妄想だと自覚させるには、現実を直視させることだ。

 トン、と机をたたく。

「残念だけど、あんたのは想像妊娠だ。医学的な話をすると、最終月経開始日を『満0日』として計算する。つまりあんたの言うように翌月予定日三日過ぎてたなら、それは二か月目に突入してる。もし本当に妊娠してるとしたら現在五か月程度のはず。それでそのお腹は大きすぎよ」

 多胎児ならともかく。

「ふん、妊婦がお腹大きいのは当然でしょ」

「ハッキリ妊婦さんだって分かるくらい大きいのは、八か月くらいから。五か月目じゃ、ゆったりしてる服着てたら分かんないわよ。それは臨月レベル」

 ほら、と冊子をめくって妊娠中の体の変化についてのページを開く。

「この冊子、同じもの差し入れするわ。よく読んでみなさいよ」

 監視カメラのほうに向かって合図すると、向こう側に別の刑務官が入って来て同じ冊子を置いた。

「…………」

 エリニュスは迷ったものの、好奇心が勝ったのか手に取った。

 ……さて。

 あたしはちらっと監視カメラに目をやり、うなずいた。

 こうやって自覚させたとこでβ国王を連れてくる手はずになってる。

 黙って待ってるとノックの音がした。

 頭を巡らせれば、ノア、父、陛下ともう一人とっても面積の広い男性が入室してきた。

 最初の感想は、写真より実物は横幅あるなぁってこと。漫画のテンプレデブキャラかってくらい、すごいインパクトだ。

 狭い面会室はいっぱいである。暴飲暴食・贅沢好きと聞いてる通り、なかなかな暮らしをしてるらしい。

 歩くだけで脂肪がブルンブルンいってる。本気で糖尿病とか大丈夫かな。ここで怒りのあまり心臓発作でも起こされたら困るわ。

 年は40代のはずだが、不摂生のせいか20以上は上に見えた。

 β国王はふんぞりかえって言った。

「おい。なんだ、この仕切りは。余はエリニュスを迎えに来たのだぞ。さっさと渡せ」

 ものすごく偉そうな態度。露骨に他者を見下す姿勢を隠そうともしない。

 野望のためとはいえ、エリニュスもよくこんなのと浮気したな。

 もはや感心して眺めた。

 すると、エリニュスは媚びるような笑みを張りつけ、ぱっと立ち上がった。

「まぁっ、わたくしの愛するβ国王様!」

 男性の庇護欲をそそり、優越感を起こさせる絶妙な声音と表情。大きく腕を広げたポーズも細部に至るまで計算しつくされている。これでうれしくない男はいないだろう。

 うーん、すごい。

 思わず感心してしまった。

 ここでパッと切り替えられるのもすごいよね。しかも相手は『結婚したくない男世界ランキング』連続一位な独裁者で父・弟殺しの容疑がかかってる男だ。婦女暴行、誘拐など他にも容疑は数知れず。それを堂々と「愛する」って言えるって。

 ああ、エリニュスの罪状もけっこうなものだった。似た者同士か。

 か弱い乙女の演技を続けるエリニュスはわざとらしく涙を流す。

「ずっとお待ちしてましたのよ。あなた様が助けに来て下さるのを毎晩夢に見ておりましたわ」

 目うるませてお願いポーズ+小首かしげの儚げさ演出。

 ノアと陛下が後ろで、隠してはいるけどすっごく不愉快そうなのが分かった。

 兄弟を殺されてるんだ。犯人のこういう演技見ればそりゃ不快だろう。

 頼られて自尊心が満たされ、大満足なβ国王はにんまりした。

「うむ。余が来たからには安心せよ。おい! いつまで余の玩具を閉じ込めておくつもりだ。こいつの腹にはこの余の子がいるんだぞ。早く出せ。帰る」

 玩具にこいつ呼ばわりに持って帰る?

 はー、調査通りの超絶男女差別主義者ね。

 あからさまな侮蔑の言葉と物みたいないい方に、さすがのエリニュスも口の端ひきつらせた。

 それでもすぐひっこめたのがすごい。

 えええ、まだ演技続行するの?

 マジですか。よくがんばるね。

 陛下があきれて断った。

「無理だと言ったでしょう。彼女はすでに法に則り刑が確定した身で、さらに妊娠も事実ではないと。実際は子供などいないんですよ」

「嘘をつけ! きさまらの言など信用できん。とにかくこいつには余が畏れ多くも栄誉を与えてやったのだぞ。ありがたいと平伏して差し出すべきだ!」

 うーわー、自分超偉い発言。うちの国のほうが国力遙かに上だって現実分かってて言ってるのかな。

 あ、そういえば、前作は国内だけの話だったから他国との勢力バランス書いてなかったね。

 この世界において、この国は1,2を争う大国だ。だからこそ例のシナリオだとオスカーが国乗っ取り、世界を滅ぼす寸前まで行ったわけ。小国だったら世界レベルの戦争にまでならないでしょ。

 対してβ国が大国だったのは、今や昔。歴代の王がプライドだけは高く失策を繰り返し、どんどん領土も縮小して下の下クラスまで落ちた。それでも過去の栄華にしがみついてる典型的パターンである。

 こういう人たちをあたしはよく知ってた。……思い出したくもないけど。

 過去の経験から関わりたくないなと思いながら、β国王の横顔をしげしげと眺めたその時。

 パン。

 ―――ふいに、脳内で何かが弾ける音がした。

 直後悟った。

 知りたくもなかった事実を。

 どうして分かったのか。姿形も声も全然違うのに。

 中身か? 性格がまったく変わらなかったからか?

 β



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