第10話 卵が先か鶏が先かという永遠の命題
―――気持ちが悪い。
朝から晩まで吐き気が続き、起き上がることさえできない。トイレに行くことすらおっくうだ。
あれから何日経っただろう?
元夫が現れる最悪の事態で悪阻が起き、いっこうに良くなる兆しが見えない。
何も食べられず、水すら吐く。
吐くと分かってるのにゼリー飲料を飲まなきゃならないのが苦痛でならない。少しでも栄養をというけれど、それが摂れれば苦労しないって話。
もはや点滴だけが唯一の栄養源だ。それで衰弱が食い止められるはずもなく、あっという間に四キロ落ちた。
もう腕を上げるのすらきつい。
現実逃避にテレビつけても、食べ物が映るととたんに吐き気が強くなる。しかもテレビって食べ物が映る頻度がけっこう高い。すぐに消した。
ラジオも同じ。食べ物や水って単語が出るだけでアウト。
マンガも本も読む気力がない。
吐き気から逃れる唯一の方法は眠ること―――だけど、人間そんなに眠れるわけもなく。
いっそ睡眠薬盛ってくれ、一日中意識飛ばしてたいと切実に祈った。
やたら気分は落ち込むし、何もしてないのに涙も出る。
悪阻はいつか終わると知ってはいるけど、だからって我慢できるか。
思考がマイナス方向にばかり行く。
そして思い出す。元夫に受けた仕打ちを。
嫌なことばかりが思い出される。
もう嫌だ。耐えられない。気持ちが悪い。
閉じた目から涙がこぼれる。
……そっと温かい手が頬に触れた。
「ソフィア」
目を開ければ、ノアが心配そうにのぞきこんでいた。
……ノア。
声を出すのも苦しくて、思考を『読んで』ほしいと目で訴えた。
今、何時? ていうか何日?
「今? 昼の一時。オスカーとリアムは母さんと遊んでるよ。今日は日曜」
そっか。もう曜日の感覚もないわ。
皇太后様たちには迷惑かけてほんと申し訳ない。
「悪阻だもん、仕方ないじゃん。ゆっくり休みなって。ただでさえソフィアは頑張り屋で無理するんだから」
……ありがと。
そういえば元夫は二人目妊娠中であたしが具合悪くても構わず自分の希望を優先させようとしてたな。
ノアはそこで真面目な表情になった。
「ところで、重要な話してもいい? β国王とエリニュスのことだけど。もちろん聞きたくないならやめる」
「…………」
知っとかなきゃいけないことだから。
「まず、エリニュスは想像妊娠だって自覚したからか、みるみる腹が小さくなったよ。人間の体って不思議なもんだな。野望打ち砕かれたのがかなりショックだったっぽいよ。読まれてて踊らされてたなんて思いもしなかったんだろうなー」
自分が最も優れてると思っている者は概して人の話を聞かない。エリニュスは『国一番の美女』『女神様』ともてはやされ、プライドが天井知らずに増長していた。
「それでも鬼女のごとくわめいてるのは同じ。いやぁ、元気だねー。あれなら大量の魔力がとれそうで結構なことだ」
その口ぶりでどんな処罰与えたのか想像がついたわ。
あんたも実のお兄さん殺されてるわけだしね……。
ノアは一瞬悲しそうな顔になった。
「問題はβ国王のほう。なにしろ被害が何か国にもわたってるんで、国際警察司法機構であとはみることになった」
判決文の写しを掲げる。
……あんたがかんでる組織ね。
いずれ起こるはずだったハルマゲドンに備えるためノアが作り上げたのを知ってる。
今回の動きの速さはノアの私情がたぶんに入ってる気がする。
「あいつが近くにいたらソフィアも落ち着かないだろ。ここの監獄なら遠いし、絶対に脱獄不可能。死ぬまでつないどけるよ。あっ、もう移送したから」
……なんかうれしそうな気がするのは気のせい?
まぁ、分かるけど……。
そういえば疑問が一つ。この世界で死んだらどうなるんだろう? 元夫は地球に戻るんだろうか。
それとも……。
「その男が死んだ時には、俺たちが引き取りに来よう」
唐突に聞き覚えのない声がした。
―――誰?
目の前の空間が歪む。
眩暈かと思ったけど違う。現実だ。
ぐにゃりと変形して二つの人影が現れる。
20代くらいの青年と、彼の片腕には小学生くらいの少女が乗っかっていた。
しかも何がおかしいって、二人とも宙に浮いている。
「―――誰だ!?」
ノアが警戒もあらわにあたしを後ろ手にかばい、抜刀した。速い。
日本人とおぼしき青年―――ついでに『神がかった』といえるくらいのイケメンだ―――は空いてる片手を挙げた。
「落ち着いて。俺たちは敵じゃない。ただ単にエラーの後始末に来ただけだ。いわば掃除役だな」
「エラー? 後始末?」
青年は浮いたまま挨拶した。
「初めましてだな。俺も地球人だ。同胞だよ。……まぁ、ちょっと普通の人間じゃないが」
それは見れば分かる。
「事情は関係ないんで省くが神の力の一部を持った、ちょっと枠から外れた存在なんだ。立場が人間でも神でもないもんで、こういうトラブル解決役を任されててな。他作品から出張してきた」
ツッコミどころ満載なんだけど。
ノアは警戒は緩めず、しかし相手に敵意がないことは理解した。
そうね。ただその……なんていうかこの二人……次元が違う?
妙な違和感を覚えた。
世界飛び越えられる時点でレベルが違うのは明らかだが。存在そのものがなんだろう。
「俺の名前は
「理由を知ってるのか?」
驚くノアに、比良坂さん……だったよね名前、は肩をすくめた。
「神の力のおかげで大抵のことは分かるんだよ。で、わけは簡単。君らはこの時点からは未来にあたる大人になったオスカーやリアムたちに『呼ばれた』んだ」
「は?!」
未来のオスカーとリアムに?
待ってよ、その言い方。他にも誰かからんでるってこと?
「未来のオスカーとリアムは君らに育てられて幸せだった。だから大きくなった時、過去を変えないためにも君らがこっちに来るよう願ったんだよ。それには他に多くの人々が賛同した。エリニュスに家族を殺された者やβ国王の被害者遺族、さらに色んな事情で君らに助けられた人々が。そのたくさんの強い思いが一つになり莫大な力を生み、時間と空間を超えたんだ」
しばし反芻し、理解したノアはなるほどとうなずき、
「ん? ちょっと待てよ。だとしたら本来のストーリーは? 俺たちの知ってる、この世界とよく似たあの本はなんなんだ?」
「そもそも君らが本来のシナリオと呼ぶストーリーはこの世界には起こりえないんだよ」
比良坂さんはあっさり言った。
「…………」
……はあああああ!?
悪阻の気持ち悪さも吹っ飛ぶ衝撃。
どういうこと!?
「なぜなら君らがいるからさ」
「意味分かんねぇ!」
「君らがいないパラレルワールドには確かに存在するが、ここでは絶対に起きない。『本来のシナリオ』に存在しない人間が二人もいる時点で、この世界は別物だからだよ」
ちょ、オイ。破滅の未来回避って大前提が崩壊したよ。
ここにきて?!
とっくに回避は成功していた。それはあたしたちが存在することそのものだった。
「海外の映画で未来からやって来た息子が、自分が生まれる未来にするために過去の両親をくっつけるって話あるだろ?」
「ああ、あの有名な映画」
「過去を変えないようにするって点で同じことだな。君らがいなけりゃ過去が変わり、歴史がおかしくなってしまう。そのために君らは『呼ばれた』わけ」
……んん? こんがらがってきた。
何が原因で結果か分からなくなってきたよ。
「じゃあ、俺たちの知ってるあの漫画や小説は。ここはあの本の世界でもないってことか?」
「違うな。あれは……。その原作本て、いつからあるか誰も知らない作者不明のだろう?」
「ああ」
「でさぁ、君、原作本を丸暗記してる上に再現してるよな?」
「―――」
ノアは一度口を開け、閉じた。
細かいところまで覚えてたのは知ってるけど、本そのものを再現までしてたのか。どんだけファンなんだ。
「いやファンなのはそうだけど、文字で書きだしておいたのは比較するためだよ。とっさには細かいとこまで思い出せないし。紙媒体で用意しておけば、いつでも調べられるじゃん。ヤバげなフラグは前もって折っておきたかった。……で、まさか」
比良坂さんは正解と指で丸を作った。
「その通り。君の再現したその本こそが原作本なんだよ」
理解した。
作者不詳の原作本は、ノアが思い出して書き記したものだった。
だから書かれてない人物もいるし、起きるはずのない事態も起きた。なぜならこの世界で現実に起きたことを記録したものではなかったから。いわばパラレルワールドのもしも本であり、ここは別の歴史。
過去を変えないため、これからその原作本を比良坂さんが持って帰るってわけだ。どうやら彼らのいる時代はすでに例の漫画やアニメができあがってるようだから、さらに過去に運ぶんだろうけど。どうやって時間遡行するんだかは謎。世界を飛び越えられるんなら時間くらい余裕だろう。
そして原作本から漫画やアニメが作られ、前世のあたしや光輝がそれを見た。死後こっちに来て、原作本のようにならないようにと奔走。オスカーとリアムを育てると決意する。結果、オスカーとリアムは歴史を変えないためにあたしたちを『呼び寄せる』……。
話が繋がった。
というか、円をかいて元に戻った?
卵が先か鶏が先かみたいになってる。
ノアも訳が分からず首をひねるばかり。
「……どれが始まりで、どれが結果だ?」
「さあ。どれでもいいんじゃないか」
「俺たちが呼ばれた事情は分かった。なら、β国王は?」
確かに。あれはむしろ呼びたくない案件だろう。
「あれは君らを呼ぶ声を聞きつけ、勝手に無賃乗車してきたんだ。怨念みたいなものだな。すでに過去起きた事件に関わる人間だし、はじけなかった。あれも生前望んでいた『偉い人』に生まれ変われたんだから、それで満足してればこうもならなかったんだろうが。あの男こそやろうと思えばバッドエンドを回避できたはずなんだよ。外部からやってきた、本来無関係なあの男の人生は実は変革が可能だった。君らが可能にしたのと同じくな」
…………。
「β国王がいなければエリニュスもあんなこと強行しなかったんじゃないのか?」
「今の君らにしてみれば事件は『すでに起こった事実』だからそう思うだろうな。しかしエリニュスが利用しようと目論む相手候補はβ国王だけじゃなかったのさ。他にもいて、誰がなってもおかしくなかった。つまりそこが一つの分岐点だった」
「他の未来もあったってことか」
「そういうこと。あの男は善人になって、君らとまったく関わらずに穏やかな一生を終えるパターンもありえたんだよ。せっかく別の人間として新たな人生を送れたのにもったいないことだ。前世よりもっとひどい悪人になり果て、それがゆえにエリニュスが目をつけ、破滅した」
回避するどころか自ら率先して破滅に突き進んだ。
……愚かな失敗例。
「この世界があの男を受け入れたのは、オスカーとリアムが争わないようにする『共通の敵』としてかな。エリニュスだってそうだろう。あきらかな悪役・明確な敵が存在し、共通の憎むべき敵がいることで二人は結びつきが強固になった。二人とも闇落ちせずに済んだ」
「リアムは違うだろ?」
「ラスボスと戦えるほどの実力者ってことは、相応の力だの持ち主だぞ。一歩間違えば危ないのは同じなんだよ」
ヒーローと宿敵は鏡みたいなもの。
もし状況がほんの少し違えば、向こう側にいたのは……?
「それか、失敗例として見せるためだろう。実際に間違った例を見ていれば、自分はそうなるまいと考える。だからあの男のしでかしたことは度を越してたんだろうな」
「確かに。転生者があそこまでの大量虐殺犯になるなんて聞いたことないな」
「とりあえず、あの男は寿命まではこの世界の法による裁きを受けてもらうとして。死後はこっちに連れ戻そう」
比良坂さんは言った。
「元々地球人だからな。迷惑かけた分、地球に戻ってもさらにキッチリ罪は償ってもらおう。それから君らとは永久に関わることがないようにしておくよ。安心するといい」
「そりゃ朗報。死んでさらにその先まであいつにつきまとわれちゃ迷惑だ。とんだストーカーDV野郎だぜ。二度とソフィアを傷つけられたくない」
いつの間にか剣をしまったノアは、起き上がろうとしたあたしを助けて自分にもたれかからせた。
あたしは黙って抵抗しなかった。
「あ。ところでついでに訊いときたいんだけど。俺らって死んだらどうなるんだ? 地球に戻るのか? それとも……?」
「さあ」
比良坂さんは首をかしげた。
「どうなるかは定まってなくて、俺にも分からない。こっちの世界のルールに俺らは干渉できないし。こうやって会話するのが精一杯だ。けどまぁ、地球に戻るにしてもこの世界で来世を迎えるとしても、君ら二人なら大丈夫なんじゃないか」
「…………」
二人だから乗り越えられた。
一人じゃないから運命を変えられる。
前作の最後でも思ったことが蘇る。
……そうね。
口元に笑みが浮かんだ。
あなたとなら、きっと大丈夫。
そう信じてる。
そっとノアの腕に手を添えた。
ノアがびっくりして見てくる。
―――ややあってノアも笑った。
「そうだな」
あたしたちはお互い失敗した経験がある。それは悪いことじゃない。誰だって失敗くらいするもの。
だからこそ次はと未来をプラスに変えていける。
協力し合い、手を取り合って。
ここでこれまでずっと黙っていた女の子、妹さんが手を差し出した。
「さ、その本をちょうだい」
「あ、ああ」
ノアは急いで取って来て渡した。
装丁もこだわってるな。記録っていうからてっきりノートに走り書きレベルだと思ってたら、製本されてる。
細部までこだわって完璧に再現したんだろうな。ファンてすごいね。
なるほどこれならこれこそ問題の原作本だわ。
あたしの考えてることを『読んだ』ノアがうれしそうに、
「そう? すごい? もっと褒めて~」
別に褒めてない。ウザい。
美少女はくすっと笑った。
「じゃ、これはもらっていくね。歴史通りになるよう工作しとく」
「知人の臨時バイト先が有名漫画家でな。彼も人間じゃないんで説明が楽だ。そこに頼むよ」
ペンネームを聞いたノアはテンション上がった。
「マジで!? あの?! ちょ、サインちょうだい! 原作本あげたんだから代わりにくれえぇぇ!」
オイこら。
「……ああまぁ、それくらいはいいが。後で送っとく」
「やったぁ! 小説は再現できても漫画は再現できなかったからさぁ。絵は下手なんで。できればコミックス全巻もください」
要求のレベルが上がっとる。
子供みたくお願いするノアに、比良坂さんはあきれた。
「分かった。やるよ。適当に置いとく。あんまり直接こうやって関わるのはよくないんで、次に会うのは―――それが最後かもだが―――β国王が長い服役の果てに生涯を終える時か」
え、あんな不健康な体なのに長生きするんだ。
ああ、逆か。被害者への賠償金を稼がせるために意地でも生かしておくのか。
「その時にまた会おう。じゃあな」
「またね!」
美少女な妹さんが手を振ると姿が歪んだ。
「―――ええ。また」
あたしも別れを口にし、小さく手を振り返した。
次の瞬間、彼らはフッと消えた。
何もなかったかのように時計の針は静かに時間を刻んでいる。
「……今の二人。信じらんないけどほんとのこと言ってたんだろうなー」
ノアがふーっと長い息を吐く。
「まさか俺が思い出して再現した記録が原作本そのものだったなんてさ。そうやってぐるっとつながって……巡り巡って俺らがここにいるのか。まさに数奇な運命ってやつ?」
「そうね……。ほんと、人生って分からないものね」
つくづくそう思う。
「とりあえず言えるのは俺たちやっぱ運命の赤い糸で結ばれてたんだってことだよね! ソフィア大好き!」
「しつこい。抱きつくな」
しっしっ。
「ソフィアってば照れ屋だなぁ。……って、あれ? しゃべれてるじゃん。吐き気マシになった?」
「少しね。……安心したからかも」
悪阻は精神的なものが結構左右する。懸念が全て片付くと分かってちょっとホッとしたのかも。
そのおかげか食欲がほんの少しだけどわいてきた。
「……なんか食べたい」
「あっ、食べられそう? すぐ作ってもらうよ。何がいい?」
なんだか無性に食べたいと浮かんだものを言うと、ノアは自分で走って作ってもらってきた。
食欲が出てきたのはいいことだ。食べることは生きることにつながる。
そっとお腹をなでた。
前世じゃ不幸な目に遭わせてしまった子供たち。もしこの子がその生まれ変わりなら……。
無理ね。そんな都合のいいことは起こらない。
その罪滅ぼしになんてならないでしょうけど、それでも、今度生まれてくる子は幸せにしてあげたい。
あたしは生きていくんだ。この家族と、この場所で。
今度は幸せになるために。
ラスボス・ヒーローの父母やります! 一城洋子 @ichijoyoko
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