身体……そして、心が痛いです。

「泉さん、その怪我どうしたの?」


 永井先輩が驚いたように声をあげる。

 引ったくりにあった次の日の夕方、バイト先の本屋に出勤した私の手には、包帯が巻かれていた。

 あの後、幸いにもスマホはバッグの中ではなくてスカートのポケットに入っていたから、警察に連絡して事情を話して。また、転んだ際に手を怪我してしまったから、病院にも行って治療してもらった。

 包帯姿は見ていて痛々しいでしょうけど、実は怪我は大したことがなくて、軽い捻挫と擦り傷です。お医者さんが言うには、少しの間安静にしてたら治るとの事でしたけど、財布が奪われちゃったんですから。バイトを休んで次のお給料が減るのだけは、どうしても避けたいです。

 家にあった預金通帳でお金は下ろしましたけど、やっぱりお財布を盗られたのは痛いですよ。


 先輩と店長に、昨日起きた事を説明します。店長は、白髪交じりの頭をしたアラフィフの男性。気の良い性格で、ケガをしたなら無理はしない方がいいって言ってくれましたたけど、そうはいきません。

 手はこんなだけど、ちゃんと仕事はすると言う意思を伝えると、快く承諾してくれました。


「そんな目に遭って大変だっただろう。くれぐれも無理をしないように。永井君、何かあったら君が手伝ってあげなさい」

「それはもちろん。けど泉さん、本当に休んでないで平気? 手だけじゃなくて、足も怪我しているんじゃない? 歩き方、いつもと違うけど」

「こ、これは大丈夫です。何でもありませんから」


 歩き方を指摘された私は、慌てて否定します。足は本当に、怪我なんてしていないのですから。ただ、歩き方がおかしいと言うのは、間違ってはいませんけど。

 でもこの足は、転んだ際にどうかした訳じゃなくて。その原因は昨日、春香ちゃんと行ったボウリングにあるのですよ。ああ、こんなことなら、5ゲームも遊ぶんじゃなかった。5ゲームと言うことは100回、ボウリングの玉を投げたと言うこと。普段そんなにやるわけでもないボウリングの動きを100回もやったせいで、現在絶賛筋肉痛なのです。

 あの玉を投げる動き、てっきり疲れるのは手だとばかり思っていましたけど、普段は使わない足の筋肉を酷使するみたいで、今朝起きてから足が痛くて、上手く歩くことができなくなっていたのです。

 バッグを引ったくられて困っている時にこれだなんて、まさに踏んだり蹴ったり。大学に行くと、春香ちゃんも同じようにぎこちない歩き方をしていて、二人揃ってため息をつきました。こんなの恥ずかしくて、永井先輩には絶対に話せません。


 先輩は心配してくれましたけど、私は「大丈夫です」、「平気ですから」と言った言葉を並べて、余計な気を使わせないように努めていきます。

 だけど言葉を交わす度に、心はズキズキと痛みます。だって引ったくられたバッグの中には、永井先輩から貰ったブレスレットが入っていたから。

 せっかく貰ったのに、こんな形で失ってしまった事が、あまりに申し訳なくて。それなのに優しくフォローしてくれる先輩に、ついまたときめいてしまっている自分がいて。喜んでいいのか、辛くあるべきなのか、悩むところです。

 そして、そんなお世話になりっぱなしなバイトも、終わりに近づいた時、ふと店長がこんな事を言ってきました。


「泉さん、昨日あんなことがあったばかりじゃあ、一人で帰るのも不安だろう。永井君、送って行ってあげたらどうかな?」

「そうですですね。疲れもあるみたいですし、俺は構いません」

「えっ……ええっ!?」


 ま、待ってください。それって先輩と二人きりで帰宅するってことですか。

 好きな人と並んで歩く。それは普通に考えたら、喜ぶようなシチュエーションなんですけど。現にこの前買い物に行った時は嬉しいなって思いましたけど。失恋したと言うのに、何故か日に日に先輩の事を思うと辛さが増していってしまっている私としては、戸惑いの方が大きいです。

 好きなのに、その気持ちが決して自分に向くことはないって分かっているから。仕事に支障をきたすわけにはいかないからやらないけれど、できることなら距離を起きたいって思っているくらいなのに。

 昨日実際に彼女さんを目の当たりにしてしまったのは痛かった。あんなに仲が良い姿を見せられたら、ますます自分が惨めになっちゃいます。更に今は、せっかく貰ったブレスレットまで引ったくりに盗られて、合わせる顔が無いと言うのに。

 だけど当然そんな私の事情なんて知らない永井先輩は、戸惑う私を見て、何か勘違いをしたみたいです。


「あー……もしかして迷惑?」

「迷惑だなんてそんな……でも仕事中も手伝ってもらったのに、わざわざ帰りまで送ってもらうわけにはいきません。先輩の方こそ、迷惑なのでは……」

「だから、俺は構わないって。もちろん嫌だったら、無理にとは言わないけど」

「い、嫌じゃありません。けど……」


 だめです。ちゃんと断りたいのに、続く言葉がどうしても出てきません。ううん、断れないのはきっと、まだ永井先輩に未練があるから。

 迷いと未練の塊のような私は、先輩の押しに勝てるはずもなくて。


「よろしく……お願いします」


 とうとう最後は、首を縦に降ってしまいました。自分では下心があるってわかっているから、後ろ髪は引かれるけれど、それでも断るなんてできなくて。怪我や筋肉痛だけでなくて、何だか胸の奥にも痛みを感じます。

 そんな罪悪感を覚えながらも、結局は永井先輩の好意に甘えて。二人揃って帰路につくのでした。


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