お友達の彼女は、ポエマーさんです。

 午前中の講義が終わって、学生達は昼食をとるために、我先にと教室を出て行きます。だけど私は、そんな人の波について行こうとはせずに。席についた、ままぼんやりと頬杖をついていました。

 私はきのう、失恋した。何の心の準備もできていないまま、まだ何も始まってもいなかったのに、夢見ることすらできなくて。それが叶わない恋って気づいてしまったから。


 さっきの講義中も、気持ちはほとんど上の空。ノートだって、まともにとれてはいません。こんなんじゃレポートの提出だってできないけど、そんな事すらどうでもいいように思えてきます。こうして休むことなく講義に出ているだけでも、たぶん頑張っている方ですよ。


 だけどそんな呆けている私に、近づいてくる影が一つ。


「美久ー、どうしたのボーっとしちゃって? お昼いかないのー?」


 声を掛けて来てくれたのは、大学で仲良くなった、友達の春香ちゃん。私よりも頭一つ分くらい背の高い女の子。と言っても、春香ちゃんが長身と言うわけじゃなくて、私がミニマムサイズなだけなんですけど。

 お昼になるとそんな春香ちゃんと二人で、学食に行くのが定番なんですけど、生憎今は食欲がありません。


「春香ちゃん……ごめん、今日はちょっと食欲が無いの」

「どうしたの? お腹でも痛い?」

「そう言うわけじゃないんですけど。ちょっと……」


 具体的な事は言わずに、曖昧にぼかしておきます。だけど春香ちゃんはそれだけで何かを察したみたいで、顔を覗き込んできました。


「ちょっとって顔じゃなさそうだけどなあ。絶対に何かあったでしょ。お財布を落としたとか、失恋したとか」


 それは全くの当てずっぽなのでしょうけど、『失恋』と言う言葉に、思わずピクリと反応してしまいます。そして春香ちゃんは、そんな細かい動きを見逃しませんでした。


「え、もしかして本当に? ええー、美久、好きな人なんていたの? あ、でも失恋って……」

「は、春香ちゃん、声が大きい……ちゃんと話すから、少し静かにしてください」


 きっともう、下手に隠しても無駄でしょう。私は同じバイトの永井先輩に恋をしていたという事や、その先輩に彼女がいたと言う事を、包み隠さず春香ちゃんに話しました。


「ええと、それは……ご愁傷様。お昼、アタシが奢ろうか?」

「いいですよ。食欲無いですし」

「だったら……それじゃあせめて今の気持ちをポエムにでもする? ショックな事があっても詩にする事で、痛みを和らげるって聞いた事があるから。何なら私がやってあげても……」

「それだけは止めて! 春香ちゃんのポエムの題材になるなんて、恥ずかしいよ!」


 即座に大慌て手却下します。

 実は春香ちゃんはポエムを書くのが趣味なポエマーさんなんですけど、失恋の慰めでこんな事を言い出すことからも分かるように、感性がだいぶ独特で。この子の書くポエムは読んだ人を笑顔にしてくれるんですけど……自分の事を詩にされると言うのは恥ずかしすぎます。


「それなら止めておくけど。でも辛いのはわかるけどさ、ご飯はちゃんと食べておいた方がいいよ。ちゃんと食べて体力つけないと、元気なんて出ないんだから。心が健康で無い時は、まずは体から健康にならなくちゃって、病院の先生が言ってたよ」

「ああ、春香ちゃんが夢中になっているって言う、あの先生ね」


 あの先生と言うのは、以前に春香ちゃんが足を怪我して入院した際に、担当医だった病院の先生。私もお見舞いに行った際に会ったことがあるけど、実年齢よりも大分若く見えて、優しそうで爽やかで、人の良さそうな先生でした。何でもポエムを始めたのも、先生が詩が好きだからだとか。

 春香ちゃんはその先生にすっかり心を奪われてしまっていて、退院後も連絡を取って会っている。入院して恋の病にかかると言うのも珍しいけど、そんな積極的な行動力は、少し羨ましいって思います。もっと早くに行動していたら、もしかしたら失恋しないですんだのかもしれない。永井先輩が彼女さんといつから付き合っているのか分からないから、なんとも言えないですけど。


 だけど春香ちゃんの言う通り、食欲がなくてもちゃんと食べないと、元気は出そうになですよね。いつまでもウジウジしてても仕方がない。そんな想いが、私を突き動かします。


「私やっぱり、ちゃんとご飯食べます。ちょっとは元気出したいですから」

「お、その意気だよ。たくさん食べて、元気にならなくちゃ。何なら定食とラーメン、いっぺんにいっちゃう?」

「いえ、それはちょっと……お腹壊しそうです」


 何はともあれ、立ち上がって二人して、学食に向かいます。


「そう言えば、今日もバイトなの? その……昨日の今日で先輩とまた会って平気?」

「大丈夫です。今日は先輩、シフトに入ってませんから」


 昨日まではシフトが重なる時を楽しみにしていたのに、今は会えないことにホッとしている。気持ちを落ち着かせる時間が欲しかった。


「日曜日には会わなくちゃいけないから、それまでにちゃんと切り替えないとです。でないと、先輩に迷惑をかけちゃいますから」

「ああ、日曜もバイトなんだね」

「いや、その、その日はバイトじゃなくてね。実は永井先輩と……お出掛けすることになってるの」

「へえー、先輩とお出掛け……はあっ!?」


 足を止めて、グイッと顔を近づけてくる春香ちゃん。こ、怖いよ。


「美久さんや、ちょっと確認してもいいかなあ?」

「は、はい。何でしょう?」

「その永井先輩、彼女さんがいるんだよね。だから美久は、失恋しちゃった。これでOK?」

「はい、間違いありません」

「だったらどうして、休みの日にデートに行くなんて話になってるの!?」

「こ、声が大きいです。別にデートだなんて言ってませんから」

「でも先輩とお出かけするんだよね? あ、もしかして二人でってわけじゃない?」

「いえ、二人きりです……でも、デートじゃありませんから」


 少なくとも先輩は、そんな風に思っていないはず。だけど春香ちゃんが納得いかない気持ちも、よくわかります。


「実はほら。先輩、彼女さんへのプレゼントを探してるって言ったじゃないですか。それから色々話し合ってみたんですけど、実物を見てみないとピンとこなくて」

「ほうほう、それで?」

「だからそれだったら直接お店に行って、探してみませんかって言っちゃった。私も付き合いますからって……」

「なるほどー、そう言ったのはこの口かー? 気まずいのに、何でそんなこと言っちゃたのー?」

「だ、だって先輩困ってたんですもの。それに私もあの時はいっぱいいっぱいたったから。深く考えないでつい……」


 後になって思い返して、どうしてあんな約束しちゃったかなって後悔したけど。だけど今さらやっぱり無しなんて言えなくて、憧れの先輩と二人きりでのお出掛けだというのに、その目的が彼女さんへのプレゼント探しだなんて、自分でもどうかと思います。


 春香ちゃんはそんな私を見て、大きくため息をつきました。


「あのさあ美久。断り難いのはわかるけどさ、今からでも遅くないから、行くの止めておいたら? まだその先輩の事、好きなんでしょ。なのにそんな人の彼女へのプレゼントを一緒に選ぶなんて、どんな拷問? そんなことをして辛い思いをするのは、美久なんだからね」


 春香ちゃんの言うことはとてもよく分かります。私だって、バカなことしたとは思っているもの。だけど一度引き受けちゃった以上は、一緒にいると辛いからお断りしますなんて勝手なことは言いたくないんです。


「平気ですよ。当日までに気持ちの整理さえつけておけば、後は普通に買い物するだけなんですから」

「簡単に言ってるけど、できるの?」

「大丈夫、ちゃんとできますって。絶対の絶対だから」


 それは全く根拠の無い言葉でしたけど、虚勢でも声に出すことで、できるって自分に言い聞かせたくて。それで春香ちゃんが納得したかどうかは分からなかったけど、それ以上は何も言わなくて、ポンと肩に手を置いてきます。


「美久がそう言うならいいけど、何かあったら話くらいは聞くから、相談してね」

「うん、ありがとう春香ちゃん」


 胸の痛みは依然として残ってはいるけど、こうして気遣ってくれる友達がいるおかげで、少しは気持ちが楽になった気がします。

 いい友達を持って、私は幸せ。そう思ったのに……。


「……ねえ美久、今ちょっと考えたんだけど。彼女さんへのプレゼントを、一緒に選ぶんだよね?」

「うん、そうですけど?」

「だったら、だよ。いっそのこと、わざと超ダサい物を選んで、先輩さんがフラれるのを狙うのはどうかと思ったんだけど……ダメかな?」

「ダメです! なんか人としてダメすぎますっ!」


 こんな突拍子もない事さえ言わなければ、良い子なんですけどね。





 ※おまけ。結局書いた、美久の気持ちを代弁した春香のポエム。



 えーんえーん せっかく芽生えた恋だったのに、失恋なんて悲しいよー(つд⊂)エーン

 ポカポカ温かだったハートの温度は、氷点下になってカチンコチン 凍ってて大変割れやすく、ちょっとした衝撃でバリンバリン

 彼女がいるなんて聞いてないよー そこは嘘でもいないって言ってー 内緒にしてたなんて酷いよー そんな奴はキライだ― 大大大大大キライだ― もう次の恋探すぞー

 早く来い来い次の春 やって恋恋次の恋



 春香「よし、我ながら完璧!」

 美久「やめてって言ったのに―!」

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