第五章
第五章
その日も、博と玲は、依頼してくれた人たちの所に向かっていた。今回の依頼人は、駅からすぐ近くのところに住んでいたので、歩いていくことができた。
「しかし、玲さん。」
と、博は声をかける。
「今回は、子供さんからの依頼なんて、びっくりしてしまいましたね。」
確かにタブレットを見たときは、びっくりした。すべて平仮名で、「おかあさんをげんきにしてあげてください。」と、書いてあったからだ。博が、慌てて、「おうちの方はどなたかいらっしゃいませんか?」と打ち直すと、今度はしっかりした漢字かな交じり文で、こう返ってきたのである。
「すみません。妻が、二年ほど前から、うつ病になっていて、娘が、心配になって勝手に送ってしまったのだと思います。すみません、子どもの勝手なことで。本当に申し訳ありません。」
たぶんこれを打ったのは、お母さんの旦那さんで娘さんの父親だろう。博は、こういうことを返答していい物だろうかまよったが、玲は子供さんの話のほうが、もっと信ぴょう性があるだろうからという事で、依頼を受けようといった。
「いいえ、娘さんにとっては、大変なことなんでしょうし、施術に行きますよ。希望日を教えて下さい。」
と、玲が返信を打ち込むと、相手は、なんだかびっくりした様子だったのか。暫く返事は返ってこなかったが、三十分ほどして、
「それでは、お願いしようと思います。今度の日曜日、来ていただけないでしょうか。住所は富士市、平垣本町、、、。」
と返ってきた。それは、お父さんの苦渋の決断だったのではないかと思う。其れは確かにそうだろう。子供さんがいきなり依頼をしてしまって、あとから大人がそのとおりにするというのは、結構勇気がいることだから。
「平垣本町なら、近いなあ。歩いていける距離じゃないですか。直ぐに行ってやりましょう。」
「そうですね。」
二人は、指文字でそう言い合って、今度の日曜日に、その通りにすることにした。
そして今日がその日曜日という訳だ。
「えーと、この角を曲がってすぐと言っていたな。名前は、月岡さんと言っていたな。お母さんの名前は、月岡幹子さんだったね。依頼をしてきたのは、月岡あかりちゃん。お父さんの名は、月岡清さん」
と、博は、タブレットを見て、改めて依頼者の名前を確認する。
「ここですね。」
と、玲が、月岡と書いてある表札のある家の前でとまった。
まあ、二階建ての普通の家だ。たぶん、お父さんが会社ではたらいて、そのお金で、この家を建てたのだろう。いわゆるマイホームだ。
別に入るのに躊躇しそうな家ではなかった。それほど立派なせったかの大屋敷という訳でもないし、酷く生活に困窮しているような家でもない。
「それでは、入りましょうか。」
博は、急いで、インターフォンを押した。
「はいどなたでしょうか。」
若い男性の声が聞こえてきた。
「あの、俺たち、依頼を受けた、中山と、小澤ですけど。」
と、博が急いで言うと、インターフォンの向こう側で、ああ、有難うございます、という声が聞こえた。そして、廊下を走っていく声がして、がちゃんとドアが開いた。
「ああ、よろしくお願いします。お待ちしておりました。」
と、先ほどの若い男性の声がする。この男性が、あの清さんかと、博は確信した。何処にでもいそうな、平凡なサラリーマンという感じの人であるが、ちょっと、疲れたような顔をしていた。
「このおじさんたちが、お母さんを助けてくれるの?」
と、たたたっと走ってくる音がして、一人の小さな女の子が、博の前にやってきた。おじさんと言われて博はちょっと、ムカッと来てしまったが、それを無視して女の子は、
「早く、お母さんを何とかしてください。あたし、早くお母さんと遊びたいんです。」
というのだった。いいかたこそおませだが、内容はやはり子供だった。はやくお母さんと遊びたいなんて、子どもでなければ言えないだろう。
「お父さんではだめなのかい、あかりちゃん。」
博が先ほどの仕返しに、そういう事を言ってからかうと、
「お父さんもいいけど、お母さんもいいの!」
と、あかりちゃんは、そう答えを出した。
「とりあえず、上がってください。妻はこっちにいます。」
清さんに言われて、博も玲も部屋の中に入った。
「よろしくお願いします。お邪魔します。」
二人は、軽く敬礼して、このお宅、つまり、月岡家の中に入った。あかりちゃんは、とてもうれしいのか、ぴょんぴょん跳ねて博や玲のまわりを跳ねまわっていた。
「ここにいるんですが。」
博と玲が案内された居間で、お母さんつまり幹子さんがテーブルの前に座っていたのが見えた。博はおどろいてしまう。人間というより、テーブルの前にでんと生えたお化けキノコのような感じだった。つまりそれくらい太っていて、女という気がしないくらいの体形になっていたのだった。静かにしてはいるけれど、その代わり気持ち悪い人間になってしまったような、そんな気がした。
「おい、お前。中山さんが来てくれたぞ。ちょっとこっちを向いてくれるか。お前、このままではいつまでたっても良くはならないじゃないか。」
清さんが、そういうが、その女性、つまり幹子さんは、何も振り向かなかった。何だか、薬を飲んで、呆然としているような、そんな感じだった。
「お母さん、ぼっとしてないで何かいったらどう?」
しまいにはあかりちゃんまでそういうことを言い出した。
その間にも、玲はその女性を冷静に観察した。玲さんの顔は真剣そのものだ。博は、これからどうするのか、心配でしょうがなかった。こんな、目と鼻が突いただけのお化けのような人を、玲さんは、本当に何とかしてくれるのだろうか。
そっと玲さんが、しずかにその女性の肩に手を触れた。
そして、肩、腕、背中など、次々に体の各部に触れていく。
そういうことを繰り返して、一時間ほどたった。
玲さんが、そっとその手を肩から離す。
「お母さん!お母さん!」
と、あかりちゃんが、お母さんに声をかける。今までのお母さんは、声をかけても振り向いてくれなかったと清が証言していた。そしてお母さんは、怖い顔をして、にらみつけるのだとあかりちゃんも言っていた。
「お母さん!」
あかりちゃんが、もう一回、お母さんに声をかけると、お母さんは、そっとあかりちゃんのほうを振り向いた。
「おかあさん!」
そっとあかりちゃんの方を向いてくれたお母さん。
あかりちゃんは、お母さんに抱き着いた。
「いや。初めて見ました。妻があかりのほうを振り向いてくれたなんて、二年間の間何も在りませんでした。あの、どういうからくりで、なんとかしてくれたんでしょうか?」
と、お父さんはそんなことをいっている。
「いえ、僕は、たいしたことをしていません。ただ、お母さんの気の巡りをよくしただけの事です。」
玲は、タブレットを出して、メモアプリにそう書き込んだ。
「気の巡り?」
「ええ、それだけの事です。人間には、気の巡りというのがあって、血の巡りと同じくらい大切なんです。血の巡りは肉眼で確認できますが、気の巡りというのはそうではありません。何等かの理由で、気の巡りが阻害されると、気力がなくなったり、やる気がなくなったりするんです。僕は、それを改善してあげただけの事です。」
と、タブレットで丁寧に説明する玲さんは、なんだか僕よりずっと大人で、すごい人何だなあと博は、感心してしまうのだった。もし、口が利ける人であったら、もっと有名になれただろうにと、博は、もったいないという気がしてならないないのだった。
「あの、すみませんおじさん。」
と、いつの間にかあかりちゃんが、紙と鉛筆を持ってやって来た。何か書こうとしているのだろうか。それを見て、玲がちょっと驚いた顔をする。
「あの、おじさん、お母さんをきれいにしてくれたこと、作文に書いてもいいかしら?ちょうど学校で作文の宿題があったの。」
あかりちゃんはそんなことをいうのだった。
「いや、それは無理です。そういう事はお断りしているので。」
と、玲は、思わずそういう風に指文字で示したが、
「いいじゃないですか。玲さん。本人を楽にしただけではなく、あかりちゃんまで楽にしてあげられたんですから。あかりちゃんが感動しているんですから、それは大事にさせてあげればいいじゃありませんか。」
博はそう言ったが、玲は首を縦には振らなかった。なんでだろう。と博は思った。
「いや、ぜひ、書かせてやってくれませんか。こういう、体験をしたのは初めてだったと思いますし、それよりも、あかりは母親の事が、本当に好きなんです。ほら、あんなに嬉しそうにしているじゃありませんか。」
清さんがそうしめす通り、あかりちゃんは、にこやかに笑っている母親と一緒に、テレビを眺めているのであった。
「先生は、うちの家族に、こういうとちょっと大げさですけれども、希望をくれたようなものです。其れは、あかりだって、そう感じているんじゃないでしょうか。妻があかりに笑いかけることはもうないと思っていました。それを実現させてくれたんですから、あかりが作文を書いてもいいでしょう。先生、ちょっとだけで結構ですから、あかりに作文を書かせてやってください。本当に、先生のプライバシーを侵害するようなことは、かかせないで置きますから。」
玲は首を垂れて黙っていたが、清さんはなおも重ねてそういうのだった。
「俺だってそう思います。あかりちゃんが成長するきっかけになったと思います。だから、そのことを作文に書かせてやりましょうよ。あかりちゃんは、きっと感動していると思いますよ。」
博に言われて、玲は口が利けたらそうですねと言いたげな表情で、しずかに頷いた。
「ありがとうございます!そうしたら、さっそく今日の事を作文に書きます!」
あかりちゃんは、何処からかノートを出して、さっそく何か書き始めた。口はおませなこと言っているのに、やっぱり子供らしく、にこにこしている。お母さんはその隣でその様子をにこやかに笑って、眺めていた。
「あかりは、こう見えても作文を書くのが好きで、いろんなことを作文に書いて伝えるのが好きなんです。」
と、お父さんが言った。博は、
「そうかそうか頑張って!」
と応援しているが、玲は何か不安そうな様子だった。その不安そうな様子は、博にはよくわからなかったが後で意味がわかる。
その数日後の事であった。博が、何気なく手に取った岳南朝日新聞の朝刊に、岳南朝日小中学生作文コンクール、という見出しがあった。すでに高校生となっていた博には、小中学生の作文何て、と思ったが、その受賞者名簿に
「大賞、月岡あかり」
と書いてあったので、目が飛び出すほど驚く。
大賞という事は、つまり作文を書いて、提出し、賞をもらったという事だろうか。
そしてもう一枚ページをめくってみると、なんと大賞作文というものが掲載されていた。タイトルは、
「私のお母さん」
というものである。博は思わず声にだして読んでみた。
「私のお母さん。一年、月岡あかり。」
一年生だったのか。そんな風には見えなかったな。
「私のお母さんは、二年前におばあちゃんを亡くしてから、うつ病という病気になってしまいました。初めは、何もするきがしないという事から始まっていき、そのうち段々食べ物ばかり食べるようになって、みるみるうちにふとっていきました。お父さんも、お医者さんのいうことをしっかりしようとするけれど、おかあさんはそれを守りませんでした。たぶんきっとお母さんは、つらくて仕方ないということだったんだと思います。お父さんではどうすることもできなくて、私たちは、もうだめになってしまうのではないかと、いつもいつもわたしたちは思っていました。」
なるほど、一年生の子が、そういう作文を書かなければならないほど、お母さんは深刻だったんだろうなと思う。
「でも、ある日の事です。お母さんとお父さんが知らないおじさんが、私たちの家に来てくれました。
おじさんは、お母さんのからだに手を当てて、お母さんをなぐさめて、お母さんを笑えるようにしてくれました。私は、お母さんがまた笑ってくれたことを、本当にありがたく思っています。お母さんが、また今までと同じ、優しくてきれいなお母さんになってくれるように。私は、お母さんが大好きです。そして、お父さんも大好きです。そして、お母さんをきれいにしてくれたおじさんが大好きです。本当に、心からありがとうございました。」
一年生らしくない文章だが、でも本当に一年生の子どもらしく、素直な気持ちを書いてあって、こちらまでほのぼのしてしまうような、そんな作文だった。
「そうだ、玲さんに知らせなきゃ。」
博は、急いでその新聞を以て、向かいの家へ向かう。
玄関の戸を開けて、玲のいる居間へ飛び込むと、玲は、タブレットで何か作業をしていた。
「玲さん、これ、見ましたか、この記事!」
玲は、新聞を取ってないようで、博の顔を見て何のことだという顔をする。
「之ですよ!」
博は、そういって、新聞記事を見せた。
玲は、ぎょっとしたような顔をする。そして、すぐに、月岡さんの家に電話してくれないかと指文字で示した。博は、しぶしぶスマートフォンの電話を取って、月岡さんの家に電話をかける。
電話に出たのはお父さんだった。お母さんではなくて、まだいいと、博は思った。
「あの、月岡さんですか。実は今日、岳南朝日新聞にあかりちゃんの作文が載っていたものですから。」
博がそういうと、
「はい。学校の先生が貴重な体験作文として、ぜひコンクールに出したいといったんですよ。すみません、学校の先生には逆らえなくて、提出させてもらいました。すみません、初めに玲さんにお話しておけばよかったんですけど、学校の先生も結構強引で、反論する暇がなくて、、、。」
と、お父さんは申し訳なさそうに言っている。
「あかりには、おじさんの名前とか住所とかそういう事は書かせないようにしていたんですが、学校の先生が、手を使って、妻を癒した所は、必ず書くようにとおっしゃったものですから、、、。」
玲さんは、そのお父さんの文句を聞いて、パっと顔をテーブルに伏せる。
「玲さんどうしたんですか。」
博は、思わず電話をするのをやめて、玲のほうを見た。
もう電話の事なんかどこかに消し飛んで行った。それくらい、玲さんの顔は深刻だった。
「玲さん、今のなにがいけなかったんですか?」
博はそう玲さんに聞くと、玲さんはポロンと涙をこぼす。
「玲さん?」
そして、テーブルに付さったまま、泣きはらす玲さん。博は、どういうことだと混乱する気持ちと、玲さんの事をもっと知りたい気持ちで、玲と向かい合うように座った。
「あの、玲さん。あかりちゃんの作文は何がいけなかったんですか?ちょっと教えてくださいよ。俺だけではなく、あかりちゃんまで、可哀そうな思いをしなきゃいけないことになりますよ!」
ちょっと語勢を強くして、博は玲さんにセリフと指文字と両方示した。耳が遠いという事ではないから、玲さんに口で行ってもわからないという事はないのだが、指文字と一緒に示したほうがいいのではないかと思ったのだ。
「玲さんお願いです。話してください。最近玲さんは変ですよ。自分の仕事を人に口外するという事がそんなに怖いことなんでしょうか!」
「博君、花野井って知っている?」
玲さんは、指文字ではなのいというものをしめし、メモ用紙に花野井と書いた。
「それが何だというんです?そんなものしりませ、、、。」
と言いかけて、博はハッとする。花野井。
「あ!もしかして、十年前に、電車を爆破させテロを起こした組織ですね!」
そう、それだけはいくら世間知らずの博も知っていた。あの事件は、ほんとうに恐ろしい事件として、当時センセーショナルに報じられていたのである。高学歴で、将来を嘱望されていた若い人たちが、花野井の教祖に洗脳され、東京の電車内で爆弾を爆発させ、自爆テロを起こした。まだ小学生だった博も、なぜこんな事件を起こしたのか、授業で討論会を行ったことがある。それくらい日本中が震えあがった、事件を起こした宗教団体だったのである。
「その花野井と、玲さんが何の関係があるんですか?もう花野井の代表は逮捕されて、事件は解決しているはずではないの?」
博は声と指文字を使ってきく。指文字は不格好になりはじめる。大体の人はそう考えるだろう。大体報道で取り上げなくなれば、事件は解決したと一般の人は思うはずである。
玲さんは首を強く横に振った。
「何ですか。も、若しかして、玲さんもそこにいたという事ですか?」
博がもう一回、今度は声だけで聞いた。今度は指文字を忘れていた。
玲さんは首を縦に振った。
「そんな、まさか、、、。じゃあ、あの時のテロ事件にも玲さんは?」
博がもう一回聞くと
「実行したわけではないけれど、花野井の教祖の下に居たことはありました。花野井の教祖が、霊気の講習会やっていて、僕はそこで少し習っていたことがあったんです。最も花野井に居たのはたったの数か月程度で、すぐ脱退してしまいましたけど。」
と、玲さんは答えた。
「なんだあ、それくらいですかあ。」
博はなんだか気が抜けてしまって、がっくりと落ち込む。
「そんなこといちいち気にしないでくださいよ。すでに花野井の教祖も逮捕されていますし、あの事件の実行犯は自爆で全員、もうこの世にはいませんよ。もう花野井の事件は解決されているんですから、そんな小さなこと、気にしないで施術を続ければいいでしょう。」
つまり玲さんは、施術の方法が口外されることで、花野井の施術につながってしまうことを恐れていたのか。やっと謎が解けた。と、博は思った。
「それに、似たような施術をやっている奇術家はいっぱいいるんですから、それと同じだといってごまかしてしまえばそれでいいんじゃありませんか?」
「そうかなあ。」
と、玲さんの手が動く。
「そうに決まっているじゃないですか。花野井の事件何て、当の昔に解決しているし、そのうち忘れ去られていますから、今は、堂々とやっていればいいだけの事ですよ。」
博は、にこやかに笑って、玲さんを励ました。
玲さんの顔はまだ、曇っていたが、そうだね、とほっと溜息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます