第九章
第九章
其れからの事は、博もよくわからなかった。丁度観音堂から戻ってきた直後、避難指示が解除されて戻ってきた母や父なんかと鉢合わせして、すぐに自宅に連れ戻されたのだ。玲さんの事は、もうどうなってもいいというか、博は玲さんと話をすることもなく、自宅に戻されてしまったというほうが正しいという事だろう。そのあと、玲さんはどうしたのとか、玲さんの事を話す暇なんかまったく与えられなかった。博はすぐに救急車で病院に送られて治療を受けて、その間に、家の修理とか片付けとかは、すべて済まわされてしまったのだ。まだ未成年者ということで、そういう事にはかかわらなくていいというのが、法律上の建前だが、博はそういう事に一切かかわらないというか、関われないことに何か不満を持ってしまった。なんだか親戚が来てくれたり、ボランティアの人が来てくれたり、或いは政治家や、行政書士何かも来てくれて、色々助けてくれたらしい。其れはありがたいことだけど、当事者である自分が、いられないのはちょっと寂しいというか、じれったいことだ。博は、早く大人になりたいと思った。大人になれば、自らの意思で行動もできるだろう。それは、大人になれば、人をからかうこともできるようになるということだけど。
そして、台風から、数週間たったある日。博は、終に病院から出ていくことを許される。正直に言うと、自分の病名も何が何だかよくわからないまま、退院してしまったという感じだった。とりあえず、医師や看護師が、おめでとうと言ってくれて、お母さんとお父さんが、丁重にお礼を言って、何だか自分はぼんやりと病院の入り口を歩いて行って、お父さんが買った新しい車に乗せられて、博は家に帰ったのであった。
もう、町は元に戻りつつあった。まだ所々に倒木が倒れていたりして、迂回をしなければならないこともあったけれど、お父さんたちはやがて元に戻るのではないかと言っていた。
「お母さん、玲さんはどうなった?」
車の中で、博は聞いたのだが、お父さんたちはそんなこと感じたことなかったなという顔をしていた。まあ、お父さんたちも、自分たちの事で精いっぱいだったのかも知れない。それもそうだよな、と博は思った。それくらい今回の台風の被害は甚大だと、テレビのニュースでやっていたのは見ていたので。
「とりあえず、家に帰ったら、何でも好きなもの食べていいわよ。」
お母さんが優しくそう言っているが、なんだか自分の言っていることがはぐらかされた様で、博は、ちょっと嫌な気持ちがした。
「ありがとう。」
と、博は、それだけ言って、大人たちに玲さんの事は言わないことにしておいた。
とりあえず、建て直された自宅に帰り、お母さんが作ってくれたピザを食べ、まだ退院したてなので少し休んだ方がいいとお母さんが言ったが、博は復興したばかりの富士市をちょっと散歩したいと言って、すぐに外へ出たいと申し出た。お母さんは心配そうな顔だったが、お父さんはいいじゃないかと言って許してくれた。
博はすぐに歩道橋を渡った。退院したばかりの足は、ちょっと動きが鈍くなっていた。あの時、突撃開始したときのような、すばしっこい動きはできなかった。其れでも、博は、重たい体を動かして、歩道橋を渡って、向かい側に移動する。そして、あの平屋建ての家の前に来た。
博の家は、建て直しをしなければならないほど被害があったというが、玲さんの家は何も昔と変わっていなかった。これはどういう事だと博は思ったが、あまり玲さんの家は被害がなかったのだと考え直す。
博は、急いで、インターフォンを押した。
それでも反応がないことはもう知っていたから、博は急いで玄関のドアを開ける。もし、玲さんがいてくれればあのビービーとなる笛の音が聞こえて来るはずだけど、何もしなかった。
「玲さん!お久しぶりです!やっとかえって来れました!博です!」
玄関先でそう言ってみるが、何も変わらなかった。
「玲さん!」
もう一回言ってみるが、やはり反応はない。留守かなと思ってガチャンとドアノブに手をかけると、ドアは施錠されていなかった。という事は中にいるんだなと考え直して、博はすぐにドアノブを引っ張り、玄関ドアを開け、中に入ってしまう。
「玲さん、どうしたんですか、いるならいるんでしょう?いるなら出てきてくださいよ。」
そういって博は今までしてきたのと同じように、中に上がり込んでしまった。そして、廊下を歩いて、居間に入る。
「玲さん?」
玲さんは居た。
テーブルの前で横になっていた。
でも、首周りに、なにか包丁のような刃物が刺さっていて、その目は閉じていた。
そして、両手は、その凶器をしっかり握っていた、、、。
「玲さん!」
急いでその両手に触れてみると、玲さんの体は冷たくなっている。居間のテーブルの上に、丁寧な文字で書かれた、レポート用紙が置かれていた。
「あのような扱われ方しかできないのであれば、僕はここで生きていくことはできません。短い間だったけど楽しい思いをさせてくれてありがとう。」
その文字と台風があった日の日付、中山玲という署名、つまりこれは遺書で、玲さんは自殺したのだ。
「な、な、なんで、、、。」
レポート用紙はもう一枚あった。読んでみると、誰かが遺体を発見したら、葬儀は行わず、この家の庭に粉にしてばらまいてほしいという内容である。つまり玲さんは頼れる身内も何もいないという事か。こういうやり方はいわゆる自然葬と言って、欧米などではよくあるようだが、博はとてもそんなことをする気にはなれなかった。
「俺、そんなつもりだったんじゃないんです!観音堂にいったのは、ただ、安全なところに行きたいと思っただけで、、、。」
三枚目のレポート用紙には、博がけがをして救急搬送された後、玲さんは警察に連行されて、未成年者拉致の疑いをかけられたという事実が書かれていた。自分は身の潔白を一生懸命話したが、全く通じず、花野井にかつていたという事もあり、殺人の疑いまでかけられたという事も書かれている。どうして、警察も、周りの人たちも、障害者がかかわると一気に冷たくなるのだろう。とりあえず、自宅に帰ってくることはできたが、もう、自分の身の潔白を表現するには自殺をするしかないと思っても、仕方なかったという記述もあった。
レポート用紙はその三枚で終わっていた。博に関しての記述は名にもなかった。もし、俺が、玲さんの下へちょっとでも行くことができたなら、玲さんが何もしていないとどんなに声帯がつぶれても主張し続けることができたのに、、、。博はつくづく自分の年齢を呪った。どうして自分は、自分の意思で何も行動できないんだろうか!
「玲さん、、、。」
とりあえず、首に刺さった包丁でも抜きたかったが、これをしたら自分もまたおかしくなったのではないかと思われてしまうのでそれはできなかった。もう、これはお父さんやお母さんに頼るしかないのか。また僕は安全なところに送られてしまうのだろうか、そんなの嫌だ、、、。
博は見る見るうちに涙が出て、わーっと床に手を付けていつまでも泣いた。
不意に、誰かがインターフォンを押しているのが聞こえてくる。
「おい、博。どうしたんだ。中山さんの家にお前の靴が置いてあるから、心配になって見に来たけど。」
自分にはお父さんとお母さんがいる。それは、うっとおしい存在だと今まで思っていたけれど、この時ほど頼りたいと思ったことはなかった。
「博?どうしたの?中山さんと何かあったの?」
しまいにはお母さんまでそういうことを言っているのが聞こえる。
博はもうパニック状態になって、なにがなんだかわからない声を上げて、その場に泣き伏した。お父さんとお母さんは、何があったかを感じ取ってくれたらしい。静かに家の中に入っていく。
「博。もう泣かなくていいよ。お父さんとお母さんに任せて、、、。」
お父さんがそう言いかけると、
「嫌だ!俺は、俺の意思で玲さんを送りたい!未成年だとか、保護が必要だとかそういう事はしなくていいから、ここに書いてある通りに玲さんを送るのは絶対にやめてくれ!」
と、博は叫ぶ。お父さんとお母さんは、テーブルの上にある三枚の文書を確認して、
「わかったよ。きっとこの人は、一人で逝ってしまうのは寂しいだろうから、三人でしっかり送ってあげよう。」
「博が、中山さんと仲良くしていたのは、知ってたわよ。あんたの事だから、あたしたちが質問すると、うるさいな!とか言うと思って黙ってたの。」
お父さん、お母さん、そんなことを知っていたのか。もう初めから、オミトオシだったんだ。
やっぱり、大人というものはすごい。
俺は、そんなお父さんやお母さんに、なんであんなに反抗し続けたのだろう。
「とりあえず、遺体の処理をしてもらうから、葬儀屋さんを呼びましょうね。」
お母さんは、しずかにスマートフォンで電話をかけ始めた。
「お前の想いがちゃんと通じるように、しっかり送ってあげような、博。」
お父さんが、そっと博の肩を抱く。
お母さんが、葬儀屋さんと話が付いた、すぐ来てくれるからといった。確かに三十分もしないうちに、葬儀屋さんはすぐ来てくれた。博が見る前で、葬儀屋さんによって凶器は抜かれた。抜かれると、首周りは真っ赤な血に染まって、拭いてもらうまで出続けたが、博はその作業をなかなか目が離せなかった。遺体は経帷子を着て、白木の棺に納められた。あとは、お父さんとお母さんと葬儀屋さんと交えて、葬儀の日程が手っ取り早く決められた。博は、ほかの人と変わらない方法でと主張したが、近所の人にあれだけからかわれたことを考えると、お父さんは直葬のほうがいいといった。確かに、玲さんも、自分の事をからかった人に会うのは嫌だと博も思った。さらに葬儀屋さんと話しあって、博たちは、彼を直葬し、近隣の寺院に小さな墓を建ててやることで合意した。このとき、お父さんとお母さんが自分の事を邪魔者だとか、まだ年齢が若いから参加できないとかそういう事を言わないところが本当に素晴らしかった。博はちゃんと、玲さんとの最後のお別れに、参加できることになった。
翌日、玲さんは小さな霊きゅう車に乗せられて、火葬場に運ばれて逝った。火葬場で、博は玲さんとのお別れをちゃんとやり遂げた。骨になった玲さんを納骨することもできた。こういう作業はなかなかできない人もいるけれど、博は泣かずにちゃんとやり遂げることができた。でも、最後の一個を収め終わったとき、なぜか大量に涙が流れだしてしまって、、、。もう止まらなかった。お母さんがハンカチを貸してくれなかったら、もう顔中涙だらけになって、男として格好わるいところだっただろう。
「いやあ、こっちは何もなくてよかったな。潤井川が氾濫してたいへんだったようだけど、僕らの住んでいるところは何もなかったよ。」
と、蘭は、自宅で朝食を食べながら妻のアリスに言った。
「富士市も広いねえ。こうやって見ると、川一本はさんで、向こうは大惨事で、こっちは何もないとは、、、。」
そんなこととは裏腹に、アリスは、平気な顔をして、クライエントである妊婦さんとの会話を電話でしている。まあたしかに、新しい命というものは台風何て関係なく生まれてしまうものであるが、ちょっと気まぐれだなあと蘭は思った。
そんな中で、今朝やってきた岳南朝日新聞を開くと、新聞は台風で大惨事となったことを報道するばかりで、ほかに何も書かれていない。
「本当に、潤井川流域はひどかったんだなあ。こんな風に電柱が倒れては、身動きもできないよ。」
自分では何もできないのは悔しかった。歩ける体であれば、すぐにボランティアでがれきの撤去でもしたいと思ったが、そういうことは出来ないのはよく知っている。
テレビをつけてみると、台風の被害で、道路が冠水したとか、家が壊れたとか、停電したとか、そういう事ばかりやっている。もちろんその画面は富士市の事ばかり報道していたわけではないのだが、蘭はすべてのことが身の回りで起きているように見えてしまった。
「ちょっと、ちょっと、蘭!」
アリスがそういっているのが聞こえてきたので蘭はハッとする。
気が付くと蘭は、居間でテレビを見ていたのだった。考え事をし過ぎて、何をしていたのか忘れてしまっていたらしい。
「何やっているのよ。こんなにボケっとして!片付けているんだから、手伝ってよ!はやく、朝ご飯のお皿、流しへもってきて!」
蘭は、そういわれて急いで車いす用のトレーにお皿を乗せようとしたが手が滑って割れてしまった。
それを掃除するのだって、車いすの自分にはできない。
「蘭、ちょっと様子がおかしいわよ。ちょっとさ、あの靈氣の先生に診てもらったらどうなのよ。あんた、昔からそうだったわよね。そういう災害の報道とか見ると、自分だけが生きていて申し訳ないとか、そういう事ばっかり口走る。そういう性格、早く治してちょうだい。あたしは、毎日そういう言葉を聞かされて、どんな思いをしているか、くらい知って頂戴よ!」
アリスは、蘭が汚した床を拭きながら、そういう事を言っている。確かに、それは迷惑だという事は分かるのだが、どうしてもそこから気持ちを切り替えることはできなかった。
「ほらあ、ちょっとさあ、何とかしてもらったほうがいいわよ。ほんとにね、日本人はぐちぐちしすぎだというけれど、蘭は特にそれがひどい。だから靈氣の先生に直してもらってきて!」
アリスは、外国人らしくそういうことを言い始めた。そういうことを言ってくれたほうがかえって良かった。妻も旦那に話さないことを美徳としている人だったら、永久に変わるきっかけはなくなってしまう。
「わかったよ。それじゃあそうするよ。」
蘭はタブレットをとった。そういえば、水穂が、由紀子さんに連れられて外へ出られるほど元気になったという事を目撃した。あれも多分、きっと、何か施術をされたに違いない。だから、僕も何とかしてもらわなきゃ。急いで蘭は、富士市、霊気施術などと、検索してみた。すると、あの岳南朝日新聞社に寄稿された子供の作文が、ブログなどに引用されているのがたくさん出てきた。蘭は急いで、その作文を一気に読み上げ、この人にやってもらいたいと思った。あるサイトには、その人のウェブサイトのURLが書かれていたものもあり、そこへたどり着くにはあまり難しくなかった。
同じころ、博は、自身のタブレットに、施術の依頼ですというタイトルでメールが届いているのを、確認した。相手は伊能蘭さんという人からだった。博は、彼の悩んでいることをメールで読んでみて、もう玲さんがなくなっていることをしっかりと伝えた。すると博が予想していたのとは信じられない反応が返ってきたので、仰天する。メールには、玲さんを罵るような言葉が書いてあったのだ。蘭は時々、感情的になりやすい癖がある。
博は、メールではわかりにくいと思ったので、電話してみることにした。
「あの、伊能蘭さんでいらっしゃいますでしょうか?」
電話の主は、間違いなく蘭であった。スマートフォンだから、当然の事であるが。
「おい、亡くなったというのはどういう事なんだよ!ホームページを信頼して、お願いしたはずなのに!」
と、蘭さんはまだ感情的になっているようだ。
「あ、す、すみません。僕が知らないうちに、なくなっていたんです。僕がこの間の台風で避難しているうちに亡くなって、、、。」
博はそんな言葉しか言えない。
「君は、施術者の秘書みたいなものか?」
蘭はそういう言葉を言ってきた。博は何のことをいっているのかよくわからなかった。
「おい、教えてくれ。どういう事なんだ。急になくなったって、あの時の、台風で流されたの?でも、新聞の報道では、全員が救助されたはずだったのに、、、。」
確かにテレビでは、川に落ちた被災者を救助したりする様子が、実況中継されていたこともある。博は台風の報道を見ていなかった。彼の両親が、再び恐怖を味合わせないように、テレビをなるべく見せないようにしようと言っていたからだ。
「だって報道されていたよな。富士市では、川に流された人は、救助されて、その迅速な対応を県知事から表彰までされたんだぞ。そのおかげで台風で亡くなった人は、ゼロだったと聞いた筈だけど?」
そういっている蘭さんの声。博は改めて、障害者は、台風の被害者にもカウントされないんだという事を知った。
「あの、すみません。とにかく、中山はもうこの世にいないんです。あの時の台風でなくなっているんです。」
「だったら、ウェブサイトを直ぐに消すとか、そういうことをすべきじゃないの?」
蘭さんはそういうことをいっていた。そうか、そういう事もしなければならないのか。でも、僕には、それはとてもできない。なぜなら、中山さんは、いや玲さんは、まだそばにいるような気がして、まだ向かいのあの家に住んでいるような気がしてならないからだった。僕はまだ玲さんが逝ったという事が理解できていないのか。
「どうしてそんなに簡単に、処理ができるというのですか。何でそう簡単にウェブサイトを消すとかできるんです。」
思わずそういってしまう博。
「そういう事じゃないよ。秘書だったら、そういうことをするんだよ。それが仕事なんだよ。」
そういう言葉が聞こえてくるが、博はまた泣き出してしまう。
「君はまだ、秘書になって新人なのかな。まだたいへんだと思うが、大好きだった上司の事を思いながら、上司の遺品整理とか、頑張ってやれよ。僕も応援しているから。台風でそうと大変だったみたいだけど、立ち直ることが、上司への想いにつながるんじゃないのかな。」
という蘭さんであるが、博は、その言葉に応えることができなかった。
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