終章

終章

蘭から、「抗議の電話」をもらってから、その翌日の事であった。

今日も博は学校に行く気になれず、家の中にずっといる。お父さんとお母さんは、そんな博を見て、引きこもりというものになってしまわないかと心配している。お父さんとお母さんに、カウンセリング事務所というものがあってね、そこでお話を聞いてもらおうよと誘われても、博はそういう所にはいく気になれなかった。

それでも寛大なお父さんとお母さんは、それ以上問い詰めることはしなかった。先ず、博が自分で動き出すのをまとうと、お父さんは結論付けてくれた。お母さんは、本当に心配そうだったけれど、お父さんのいう事に、反対しようとはしなかった。

その日も、部屋の中に閉じこもって、博は本を読んだり、インターネットで好きなサイトを見たりしていた。不意に、タブレットがまた鳥の声を上げる。なんだろうと思ったら、メールの受信音であった。

「今日は、いい天気ですね。博さんはお元気ですか?お願いですが、水穂さんが、博さんと、玲さんにお会いしたいそうです。いつでも空いているときで結構ですから、製鉄所まで会いに来てください。私たちはいつでもお待ちしております。」

この文書は、由紀子さんのモノだなとわかった。由紀子さんに、玲さんが亡くなったいう事を、言うことができなかった。返事を書こうと思ったけれど、どうしても書けなかった。

「此間の、台風はどうだったんでしょうか。私たちは事前に製鉄所に避難していたので、何も被害はありませんでした。でも、潤井川の周辺は、本当に大変だったと聞いています。本当に富士市も広いですね。片方は、何事もなかったかのように、普通に生活することができて、ほかの地域は、完全に壊滅何て、恐ろしい世の中です。こういう時こそ、軽い気持ちで語り合える関係が、一番重要だと思います。だから、気軽な気持ちで、会いにいらしてくださいね。」

と、由紀子さんのメールは、そう書いてくれてある。博は、声にだして読んだ。そういう、声に出して、読むことも、玲さんは出来なかったんだ。声に出して読むことによる安心感というものが、玲さんには得られなかったという事だ。何だか、考えることは、いつまでも玲さんの事ばかり。それではいけないという人もいるけれど、博には気持ちを切り替えることはできなかった。

でも何だか、製鉄所に行ってみたい気がした。由紀子さんのこのメールで、博は自分のしてしまったことを、誰かに話して、そのつらさを共有してくれる環境を、手に入れられるような気がしたのである。もっと短く言えば、其れこそ、一番欲しいものだと思う。

博は、玲さんと一緒に水穂さんを治療に行った時のルートで、タクシーを走らせてもらい、玲さんとの思い出を思い出しながら、製鉄所へ行った。道中、復旧工事が行われていて、迂回をしなければならないかと思われた。でも、その必要はなく、警備員さんに案内してもらいながら、同じ道を通って、製鉄所へ向かった。もう、倒れた街路樹も、電柱も撤去されて、新しいものが植えられたり、新しい電柱を取り付ける工事も行われている。途中で、建物を壊しているところもあった。多分、建物疎開のように、これからの災害に備えて道を広くしたりしているのか、それとも被害にあった住宅が、建て直しをするために住宅を壊しているのか、よくわからなかったけど、これからに向けて、みんな動き出しているのである。

俺も、前向きに動かなきゃ。と思うけれど、玲さんをああしてしまったという、事実はどうしても消せなかった。神様が乗り越えられない試練はないというけれど、でも、俺は、もうこんな大きすぎるほどの試練を与えられて、もう乗り切れないような気がする。

俺は、玲さんになんていう酷いことをしたんだろう。

其ればっかり、罪悪感が渦巻く博なのだった。

もう少し走ると、ちょっと高台の地域に来た。確かにこの地域は倒れた電柱もないし、切れた電線もない。街路樹は一部の枝が折れたりしているが、倒れてはいない。ところどころ、土の上に、草が生えていて、小さな花が咲いていた。勿論、花は雑草の花であるが、こういう酷い状況でもしっかり花を咲かせることができるなんて、雑草って案外すごいんだなあと博は思ったのであった。雑草の花は、もしかして、桃源郷へ行くための桃の花に近いのかもしれない。

そうこうしている間に、製鉄所の前でタクシーは止まった。博は、運転手にお礼を言って、御金を払い、帰りも乗せてくれと頼み、タクシーを降りた。

製鉄所もいつもと少しも変わっていなかった。特に倒れた木もないし、電線が切れたりもしていない。近くを流れている用水路も、いつも通りにちょろちょろと流れているだけである。この辺りは被害が少なかったんだなという事が、直ぐにわかった。

博は、製鉄所の正門をくぐって、しずかに玄関の戸をガラガラと開けた。

「ごめんください。」

すると、奥の方から、車いすの音が聞こえてきて、

「おう、待ってたぜ!来てくれてありがとうな。水穂さんが、お前さんに会いたがってたからな。こう見ても、僕らも心配だったのよ。」

と、杉三がやってきた。しかし、そこにいたのは博だけなのを見て、

「あれ?今日は一人かい?あの、例のシャクティパットはどうしたの?」

と、気が抜けたように言った。

「ああ、すみません。ちょっと彼は、大事なようがありまして、今日どうしても来られなかったんです。だから、今日は、僕だけが代わりにまいりました。」

博は先日蘭から責められたこともあり、玲さんが亡くなったという事は、口にできなかった。もし、亡くなったと言ったら、また何か言われてしまうかもしれない。

「まあいい。此間の台風も尋常ではなかったし、まだ片づけができてなくて、落ち着かないだろうしな。まあ、それはしょうがないよな。次はぜひ、連れてきてもらいたいよな。」

杉ちゃんはそんなことをいっている。次はぜひ、というのはもう不可能なのだが、博はそれも言えず、

「ごめんさい。次に来れるかどうかわかりませんが、本人には言っておきます。」

とだけ言った。

「そうか。ありがとうな。それでは本人に言っといてくれや。ま、今日は、たいへんなところから、わざわざ来てくれたんだろうからよ。ちょっと中に入れ。お茶でも飲んでいきな。」

と、杉ちゃんは言った。そんなことしなくてもいいのにと思ったが、本音の部分では、誰かに台風の事を話したくてしかたなかったので、中に入れと言われて、本当はうれしかったのである。

「ほら、入れ。今お茶淹れるから。お茶が入る前に、四畳半で待っててくれるか?水穂さんも、由紀子さんもそこにいるから。」

杉ちゃんにそういわれて、博はその通り、四畳半に行った。ふすまを開けると、咳き込んでいる声と、由紀子さんが大丈夫?と声掛けしているのが見えた。でも、由紀子さんたちは、博の存在に気が付いてくれて、

「あら、いらしてくれたんですか。すぐお茶が入ると思いますから、そこで待っててください。」

由紀子さんが、博に自分の隣に座るように言った。博は、わかりましたと言って、ちょっと一礼し、由紀子さんの隣に座った。

「おーい、取り合えず、お茶と葡萄を持ってきたよ!」

杉ちゃんが、車いす用のトレーに、急須と湯呑、そして、葡萄の乗った皿をのせて、やってきた。由紀子さんはすぐに立ち上がり、トレーの上に置いた急須と湯飲みを取って、床の上に置き、お茶を注いだ。博の目の前に、なんとも言えない渋い香りのする日本茶と、ラグビーボール型のブドウが乗った皿が置かれた。

「ま、ユックリ飲んでくれや。大したお茶じゃないけどよ。あと、これは、恵子さんが送ってきた葡萄で、品種名はかいじ。」

杉ちゃんにそう促されて、博は、お茶を飲んだ。熱湯で淹れたお茶ではないので、すぐ飲むことができた。変な西洋の甘いお茶よりも、こういう気分のときは、渋い日本茶のほうが良かったのだ。博はこの渋いお茶を飲むと、気分がだいぶ良くなった。杉ちゃんにもう一杯飲むか?と聞かれて、すみませんというと、また由紀子さんがたっぷり注いでくれた。こういう事ができるなんて、本当に、すごいことだと、博は改めて感じたのである。

水穂さんだけがお茶を飲まなかった。軽く咳き込みながら、杉ちゃんたちがお茶を飲むのを眺めていた。杉ちゃんと由紀子の世間話で終わってしまうのかなと思ったら、不意に水穂さんがこんなことをいう。

「杉ちゃん、悪いけど、博さんと二人にしてくれないかな?」

「へ?」

水穂さんはいきなりそんなことをいった。

「ちょっと、二人で話したいことがあるの。博さんと。」

「何だよ。話したいことって。其れより、咳き込んで大丈夫?」

心配そうにいう杉ちゃんだが、水穂さんは黙って頷いた。

「杉ちゃん。ちょっと話させてあげましょ。何か秘密のお話でもあるんじゃないの。」

と、由紀子さんがそういうので、杉ちゃんもそうだなと言い、外へ出ることにしてくれたようだ。

「わかったよ。ただ、無理だけはしないようにね。」

と、杉ちゃんはそういって、由紀子さんと一緒に四畳半を出て行った。二人が行ってしまうと、部屋は一気に静かになった。

「あの?」

水穂さんは、何とかして起き上がりたいみたいだったが、体力的にそれが無理なのだろうか、布団に崩れ落ちてしまった。

「あの、大変なら、無理をしないでねたままで話してくれて結構です。」

と、博が言うと、水穂さんは申し訳なさそうに頷いた。しかたなく、あおむけではなくて、横向きに寝て、博と目を合わせた。

「僕と二人で話したいって、水穂さん何のようなんですか?」

と、博は聞くと、

「何時亡くなったんですか?」

と、水穂さんは、しずかに聞いた。え?そんなこと、知っていたのだろうかというような響きがあった。

「知ってたんですか?玲さんのこと、、、。」

博は思わず口にしてしまう。見る見るうちに涙をこぼして、わっと泣き出してしまった。

「泣かないで。」

水穂さんは優しかった。そっと、博に枕元にあったチリ紙をくれた。博は急いで其れで涙をふくが、涙はまだ止まらなかった。

「だって俺、申し訳ないことをしてしまいました。中山さんに、本当に申し訳ないことをしてしまいました。俺、中山さんに超能力を使って、商売をしようと持ち掛けて、結局中山さんをあんなふうにまで追い詰めて。そんなことしないで静かに生活させてあげてれば、中山さんも生きていられたかも知れないのに。」

水穂さんは黙ってその話を聞いている。

「俺、どうしたらいいのか。俺、あんなことをしなければ、俺がみんな悪いんです。俺がああいう事をしようって、中山さんに持ち掛けたりしなければ、中山さんもまだ生きていられた。中山さんは殺人の容疑もかけられたと遺書には書いてあったけど、言ってみれば俺が殺したようなものですよ!」

博の文体は、だんだんめちゃくちゃになってきた。人間、感情が高ぶると、言葉に出して言うことは、難しくなるのだ。

「あの台風のとき、俺、中山さんと一緒に逃げたんです。避難所に言ったけれど、すごい偏見で入らせてもらえなかったから、しかたなく高台にある観音堂に逃げて、そこで数時間いさせてもらいました。それだけだったんです。でも、台風が収まって観音堂から戻ってきたときに、中山さんが、俺の事拉致したと言いがかりをつけられてしまいました。中山さんは警察へ連行されて、酷い取り調べを受けたそうです。口が利けないから、嘘も作れると、勝手に変な当てつけをされて、挙句の果てに、俺のこと殺害しようとしたんじゃないかって、変なでっち上げを作られた様で、、、。俺の姓なんです。みんな俺が悪いんです。俺が、あんなことをしなければ、絶対にあの人は、もっとながく生きていられたのに、、、。」

「そんなことありません。中山さんがそうなったのは、運命だったんでしょう。人間は、どうしても人間の力では変えられないことって、本当にありますから。いくら努力しても努力しても、人間の力ではできない事は、いくらでもありますよ。」

水穂さんは静かに言った。

「水穂さんが、いくら慰めてくれても事実は事実ですし、、、。」

博はまだ泣きはらしたままだった。

「博さんは、これからどうするんです?」

不意に水穂さんがそういうことを言う。

「これからどうするって、、、。何も考えられませんよ。」

とりあえず博はそう答えた。

「なんだか、学校に行く気にもならないし、学校に行って、勉強する気にもなれない。僕は、もう生きているのが嫌になっちゃった。」

博は、自分の本音をそう言ってしまったのである。

「博さん、何もないのなら、学校に戻りなさい。そして、これから、癒しとか、ヒーリングとかそういう世界からは一切縁を切りなさい。そうして普通に高校生をやって、普通に上級学校に行って、普通に就職して、普通に家庭を持って暮らしなさい。そうして、生きていくしか、今の社会では幸せとは言えない。癒しとかそういう業界はね、眞實性が何もない、虚偽の世界なんですよ。だから、そういうところに、二度と手を出してはならない。」

不意に水穂さんにそうきっぱりと言われて、博は、な、なんで?と思った。そんな、学校に帰るなんて、俺は、またそんな世界にいるのは嫌だなと思うのだ。

「もう一回言いますよ。今の社会での幸せというのは、そういう事なんですよ。普通の事が普通に出来る事。それ以外に何もないんです。癒しとかヒーリングとか、そういう物は、これからどんどん弾圧されていって、科学的に根拠のある、薬品とか、そういうしか信用されなくなっていくでしょう。人工知能とか、コンピューターがどんどん発展していって、そちらの方が人間を癒していく時代になっていき、優しさなんて、もう必要なくなっていくんじゃないでしょうか。もう、人間の良いところは全部機械に盗られてしまって、負の感情が丸出しになってしまうのですよ。だから、悪いとこだけが丸出しになっているように見える。そして、人間に残されたものは、言葉だけになって、もう、ほとんどが機械任せという時代もそう遠くないでしょうね。それを生き抜いていくには、普通の生活を、何にも躓くことなくやっていくこと。一度躓いたら、二度とおしまい。これしか、方法もないんです。」

「水穂さん、、、。」

水穂さんにそういわれて、博は確かにそれもそうかもしれないと思った。あの、避難所で見せた人の態度から見たら、悪いところが丸出しになってしまうという時代になりつつあるのも、わかるような気がした。まだ機械化されていない昔だったら、まだ弱い人にも役割というものがあった。でも、今は、何でもできてしまう時代。だから、人間の汚い感情が、丸出しになってしまうというのも、何となく感じ取れる。

そして、そういう中で生き抜いていくには、なんのつまずきもなく、やっていくことしかないという事も、そうだよな、と博は思った。

でも、博は、その言葉を聞いて、決心した。これはまだあるのではないか。その可能性のほうに、目を向けたほうが、遥かに自分は幸せになれるのではないかと。

「わかりました。俺、躓かないで生きていくことにします。でも、水穂さん。一つだけ、訂正させてもらえないでしょうか?」

「何ですか?」

今度は水穂さんが質問する番だった。

「ですから、俺、水穂さんの言う通りにしますけど、俺は水穂さんの言うような、機械が何でもしてくれて、人間の負の感情しか残らないという時代にはしたくありません。俺は、まだ、人間に出来る事はあると思う。それを探して生きていくことにします。」

「そう、、、。」

水穂さんはそれだけ言った。その顔は、バカにしているとか、冗談を言っているとか、そういう変な顔でもなく、しずかにその決断を見守っているという感じの顔だった。

「わかりました。その可能性があるのなら、僕は遠く離れたところで、見ていますから。」

水穂さんはにこやかに笑った。

という事はつまり、水穂さんも、玲さんと同じところにもうすぐ行くのかなと、博は何となくわかったのである。

「さあ、終わりにしましょう。もうこんな話をしていると、きっと落ち込んでしまうでしょうから。」

と水穂さんが言った。

「はい。俺、これからも、頑張って生きていくことにします。だから水穂さんも、最期まで生き抜いてください。」

二人は顔を見合わせて、しずかに笑いあったのであった。

その数日後、重機が入り始めた向かいの家を、博は歩道橋から眺めていた。もう今は、新しい制服を着て、新しい鞄をもって、しっかり学校に通っている。今まで通っていた高校からは、もう退学を勧められてしまったので、潔くそうすることにしたのだ。新しい高校は、少子化の時代のためかすぐ見つかった。それに、毎日通う必要もなく、一斉に授業をする必要もなく、自分のペースで続けられる。それで博は勉強が面白いと思う様になった。誰かに比べられたり、変な順位をつけられたりすることがない方が、自分もずっと楽でいられた。

重機が、玲さんの家の屋根に手をかけ始めた。あの時、玲さんは遺書の中で、家を処分し、自分の遺骨をそこへばらまくようにと言った。でも、博のお父さんたちはそうさせなかった。玲さんは、今、お寺で静かに過ごしていることだろう。お父さんの話では、家を壊して、跡地に小さな店を立てるそうだ。それが何になるか博は知らないが、玲さんもそのほうが喜ぶのではないか、と思っていた。

もう、この家で玲さんと過ごしたことは、忘れてしまおうかと思ったこともあったが、それはしないことにしよう、と博は思った。ここで玲さんと、ほんの短い間だったけど、博はその時だけ、魔法、The magicの世界に触れたのだった。

重機は、さらに轟音を立てて、あの平屋建ての家を壊し始めた。






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魔笛、The Magic 増田朋美 @masubuchi4996

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