第二章
第二章
今日は、学校は休みだった。いつも通り、宿題をやろうとすると、数学のノートが、ページが切れているのに気が付く。そこで博は、近くにあるショッピングモールの100円ショップに行って、新しいノートを買いに行くことにした。
ショッピングモールまでは、家からすぐだった。いつも人通りが多くて、どっからこんな大人数がやってくるんだろうというくらい人がやって来る。みんな、買い物して本当に楽しそうだ。どこかの人は、必ずどの家族も問題があるというけれど、買い物をしている人たちは、みんな楽しそうで、問題なんて何処にもないように見えて、何だかうらやましいなと思ってしまうのだ。
博は、100円ショップに行って、B5サイズのノートを買った。これで、数学のノートは当分大丈夫か、と、思いながら、家に帰ることにした。
100円ショップからすこし離れたところに、銀行のATMがあった。まだ未成年者の博には、ATMというのはあまり縁のある店舗ではなかった。だから、今日も黙って通り過ぎるつもりだった、のだが。
「一体何だというんですか。こっちはね、あんたさんの相手をして居られるほど、暇じゃないんだよ。そういう時はちゃんと、通訳さん付けるとか、そっちがしっかりするべきじゃないの?」
という声が聞こえてきたのだ。確か、ATMの近くにいる、太った警備のおじさんが、そういう声をしていたなと思った。通訳をつけるという事は、若しかしたら、外国人の人でも来ているのかなと思った。でも、そういう訳ではなさそうで、
「だからねえ、アンタ。そうしつこくまとわりつかないでもらえないかな?いくらおつりが足りないからって、たったの100円だけでしょ。だったら、それくらい、我慢しなよ。それに、ノートのページが切れたっていう、アンタにも落ち度があるじゃん。それを言うならさ、アンタも、ここには100円ショップも、文房具屋もあるんだから、先にノートを買ってきてから、ATMを利用しなよ。それがマナーってもんじゃないの?」
と、警備のおじさんの声がそう聞こえてくる。そうやって流暢に伝えているのなら、外国人という訳でもなさそうである。博は、何があったのか、ATMのほうへ行ってみることにした。
ATMの前に行くと、警備のおじさんが予想通りいた。その隣に立って、一生懸命右手を動かして何か伝えようとしている人物は、あれ、どこかで見たことがある人物なような、、、。
「中山さん!」
間違いなく、向かいの家に住んでいる中山さんだった。たぶん、なにかを警備員さんに伝えたくて、筆談で伝えようとしたのだが、いつも持ち歩いている、ノートのページが切れてしまって、困ってしまったのだろう。
「だから、やっちゃったことはやっちゃったこと。先にノートを買ってこなかったあんたも悪いの!」
いつもは、お客さんに対してにこやかに笑って、いらっしゃいませとか、ありがとうございましたとかいう警備のおじさんなのに、この人に対しては、たいへんな冷たい態度になっている。大人というものは、都合のいい人には愛想がいい癖に、自分の癖に合わないと、すぐこうして冷たい態度をとるのである。博は、学校の先生が何回もそういう態度をとっているので、慣れていた。だから怒りも何もせずに、すぐに警備さんのところに近づいていった。そして、自分の買ったばかりのノートを、中山さんの前に出して、
「これ、使ってください。」
と、博は、にこやかに笑った。でも、中山さんは、こんなものをもらっていいのだろうかという顔をしている。
「かまいません。ノート何て、また買い直せばいいだけの事ですし。其れよりも、警備さんに早く伝えたいことがあるんでしょ。」
と博は、笑ったままそういうと、中山さんは申し訳なさそうに右手を動かして、ノートを受け取った。そして、持っていた鉛筆で、改めて何か書く。警備さんはそれを見て、
「ああ、そうですか。ちょっと待ってくださいよ。ほかにも、故障を疑っている人を見かけたんですね。」
という。中山さんは頷いて、また何か書いた。
「昨日も見かけて、その時は近いうちに修理をするから、待ってくれと頭を下げていたのに、なぜ先ほどのような態度をとっていたんですか、、、ああ、ああ、すみません。そうですね。確かにそういう苦情はほかのお客様からもありました。其れは認めます。」
とノートを読んで、また頭を下げる警備のおじさん。それでは、中山さんのような人に対する態度と、他のお客さんにする態度とが、そんなに違うのかと博も驚いていた。中山さんは、再び鉛筆を取って何か書く。
「ああ、そうですね、今日の100円は、一寸ATMの故障という事なので、直ぐに返金することができません、どうかその時まで我慢していただけないでしょうか。」
「中山さん、100円なら、僕が差し上げますよ。」
博は、ふいにそういうことを言った。おどろいた顔をする中山さん。
「しかたないじゃないですか。振り込んでお釣りが足りなかったなんて言うトラブルは、ATMではよくあるそうですから。」
「そ、そう、よくあることよくあること。じゃあ、お客さんが待ってますから、そっちに行きますね。」
博がそういうと、警備さんは、その言葉を待っていたかのように、やいほいと逃げて行ってしまった。表向きはほかの客のところに行ったのだろうが、それはあくまでも口実で、本当は、二人から逃げて行ってしまったのだという事が、博にも中山さんにもわかったようだ。
後は、二人だけが、そこに残された。中山さんは、ノートをどうしようか、といいたいのか、困った顔をしている。端正な顔立ちの人だから、比較的表情は読み取りやすいのが、せめてもの救いだった。博は、中山さんのほうを見て、
「そのノート、そのまま使ってください。どうせ俺のやつは、また買い直せばいいですし。また、100円ショップに寄って、買い直しますよ。」
と、言った。中山さんは、じゃあ、お言葉に甘えて、とノートに書き込み、深々と礼をして、またノートに何か書く。
「お礼に僕がノートを買いなおしますからって、そんなことしなくても大丈夫ですよ。」
博は、ノートを見せられてそういうことを言うが、また何か書く中山さん。
「いいえ、お礼はちゃんとしなければ、こちらも申し訳ないのでって、俺、そんなことされたら照れますよ。」
すると、同時に、ショッピングモールに設置されていた鳩時計が、12回なった。ちょうどお昼の時間だった。
「じゃあ、ノートではなくて、お茶かなんかのほうがいいですね。俺、まだお昼ご飯を食べてないんで。」
博がそういうと、中山さんは、にこやかに笑って、
「じゃあ、その通りにしましょうか。行きましょう。」
とノートに書き込んだ。
二人は、レストラン街に行った。博は、フードコートのようなもので十分だと思ったのだが、中山さんが、連れて行ってくれたのは、高級なレストラン街であった。ちょっと緊張するなと思いながら、博は中山さんと一緒に、イタリア料理店に入った。
ウエイトレスの案内で、二人は一番奥の席に座った。この方が、ほかの客の声もあまり聞こえてこないので、うるさい場所が嫌いな博は、好都合だった。
ウエイトレスがメニューを持ってくると、博は大盛でミートソースを注文した。中山さんは、ペペロンチーニを指さして、ウエイトレスには通じた。すると中山さんが、ノートにまた何か書く。それを見ると、
「あなたのお名前は?」
と書かれていた。博は急いで、
「あ、はい。俺は、小澤博と言います。」
と言い、中山さんが指さしている、ノートの場所に、小澤博と書いた。
「中山さんこそ、お名前は何て言うんですか?」
博が聞くと、中山さんは、鉛筆を取って、
「中山玲」と書き、漢字の横に、「なかやまあきら」と書き込んだ。ちょっと変わった名前だけど、この文字はそういう読み方をするらしい。
「ありがとうございます。俺、こんな高級なレストラン来たの初めてだから、ちょっと緊張するなあ。」
博がわざとおどけたように言うと、玲は、また何か書き込んだ。
「足はあれから、痛みますかって、、、。いや、もうすっかりです。おかげさまで楽になれました。」
と、博が言うと、また何か書き込む玲。
「一回の施術で、もうすっかり何て、やはり若い人は早いですねって、あの、失礼ですが、」
博は、そこで言葉を詰まらせ、これを聞こうか聞くまいか、一寸迷ったのだが、でも、聞いてみたいという気持ちが勝って、ちょっと聞いてみることにした。
「あの、あの時の話なんですけど、俺の肩掴んで、いったい何をしたんです?」
すると玲は、にこやかな顔をして、ノートに次のように書き込んだのであった。
「靈氣を流したんです。顔つきが、いかにも痛そうな顔してたから。はあ、なんて読むんですか。この漢字。」
博が靈氣という文字を指でなぞると、玲はその隣に、れいきという平仮名を三文字書く。
「れいき、それ、何ですか?」
すると、玲は、こう書いた。
「日本で独自に開発された、痛みを取ったり、心の平安を促す、癒しの技法ですよ。」
でも、あの時、肩を掴んだだけなのに、そういう事が出来てしまうなんて、ちょっと信じられない。若しかしたら、この人はどこかの魔術師か何かなのかとまで思ってしまうほどであった。それか、グリーンマイルに出てきたジョン・コーフィーみたいな癒しの超能力を持っている人なのかもしれない。
でも、玲は、続けて以下のように書いていく。
「単に癒しの技法なだけで、ファンタジー小説に出てくるような、魔法ではありませんよ。日本ではなかなか、こういう事は信用してもらえないから、余り詳しい説明は割愛しますけど、ヨーロッパとかアメリカでは、結構人気のある民間療法なんです。」
「そ、そうですか、、、。でもすごいですね。俺、説明がどうのこうのより、俺の痛い足を、治してくれたので、それをお礼したいですよ。本当に、有難うございました。あの時は。」
博は、中山さんがその靈氣という物の説明はあまりしたくないと言いたいのかなと思って、あえて聞かないことにした。その代わり、お礼をしたほうがいいなと思い、静かに礼をした。それを見て、またノートに玲は何か書く。
「信用してくださってありがとうございます。」
という事は、なかなか、信じてはもらえなかったという事か。もしかしたら、変な嫌がらせでも、されていたこともあったのかな。そこで、博は、自分の感想を素直に言うことにする。
「俺は、すごいと思いました。だって、俺の足、その何とかってのをやってもらった後で、すごく楽になりましたもの。だって、行くときは、もう足が痛くて、どうしようもなかったのが、あのあと、すごく楽になりましたから。其れは紛れもない事実ですし。それはすごいなあと思いましたよ。」
そういうと、玲は、なにか指を動かした。たぶんこれがきっと、ありがとうというモノなのだなと博は思った。
「中山さん、あ、もう玲さんと呼んだ方がいいでしょうか。その手の動き、俺にも教えてくれませんかね。俺、いちいちノート買うよりも、そうした方が、早いかなと思って。あ、やむを得ずというわけではないですよ。ただ、玲さんともっと話してみたいという事で。」
博がそういうと、ちょっと驚いた顔をしている玲だったが、少し考えて、また何か指を動かした。
「今の動きは何ですか。」
博が聞くと、
「ありがとう。」
先ほどと同じ手の動きをして、玲はノートに書いた。
「あ、そうやればいいんですね、じゃあ、俺が、聞きたい言葉をノートに書きますから、それをその手の動きでやってみていただけないでしょうか。」
と博は、まずノートに、こんにちはと書いてみる。すると玲は指を五回動かした。
「あ、それがこんにちはっていう意味なんですね。じゃあ、おはようございますは?」
また指で答える玲。
「あ、ありがとうございます。俺、これからどんどん覚えていきますので、ジャンジャン教えて行ってください。」
博がそういうと、
「今度、指文字の一覧を持ってきますよ。」
と、玲はノートに書いた。つまり手話とはまた違うものであるが、でも、片手の動きで何か伝えているのだろう。博は、それを一生懸命覚えることにした。数学の勉強より、こっちのほうが、よほど楽しそうである。ふいに、玲の手がまた何かささやいた。
「何ですか?」
と博が言うと、
「はい。施術をされてそんなにお礼をしてもらったのは、初めてでしたから。」
と玲はノートに書いた。
「初めてって、ほかにもお客さんはいろいろいたでしょう。肩こりがひどいとか、そういう人が、なにか、依頼をしてきたんじゃありませんか?あれだけの事ができるんだったら。」
と、博がびっくりしてそう聞くと、
「そんなことありませんよ。インチキ霊媒師とか、そういう風に言われてばっかりです。まあ、こちらが反論ができないので、仕方ありませんね。」
とノートに書く玲。
「其れは、きっと、宣伝方法が下手だったからではありませんかね。」
と、博は言った。玲は、初めてそういう発言を聞いたようでちょっと首をかしげる。
「今まではどういう風にして、宣伝をされていたんですか?」
博が聞くと、玲は、広告を駅前で配るしかなかったとノートに書いた。確かに、電話もできないので、問い合わせ電話にも応じられないから、そうするしかなかったのだろう。
「それじゃあ、ちょっとやり方を変えてみましょうよ。電話ができないのであれば、今はメールもあるし、SNSもあります。それを使って宣伝してみればいいのではないでしょうか。問合せはメールやSNSのメッセージを使って。インチキではないという事はSNSにしっかりと書き込んでくれれば、大丈夫ですよ。」
博が説明すると、玲は、スマートフォンもタブレットも持っていないとノートに書いた。
「あ、それなら俺が通販で、安いものを買います。今は、中古で、直ぐに見つかりますから大丈夫です。」
博は、スマートフォンを出して、すぐに安いタブレットを見つけ出して、注文してしまった。
「明日うちに来ますから、届いたら、御宅へ届けます。その前に、スマートフォンで、SNS登録してしまいましょう。」
博はスマートフォンを取って、SNSの新しいアカウントを作った。
「玲さん、事業をやるという事は、どうしても店の名前を作る必要があります。以前は何と言う名前で店をされてたんでしょうか。」
玲は、ちょっと首をひねった。店の名前なんて考えていなかったようである。
「何もないんですか?」
博もちょっと考えたが、何も思いつかず、頭を傾げた。
「じゃあ、中山療術所とでも。」
と、玲が書いて、そうすることにした。SNSのタイトルは、中山療術所という事にする。
「其れでは、玲さん。一回の施術で一体いくらくらいとったんですか?」
と、博が聞くと、玲は千円と書いた。
「何を言っているんですか。千円なんて、今時ちょっと安すぎませんかね。」
玲は、でもそれではしょうがないという顔をした。障害者なので、あまり自信がなかったのだろうか。
「では、三千円でどうですか。交通費を含めて、三千五百円でどうですか。玲さん、車を持ってないでしょう。だって、来ないだ訪問した時、家の敷地内に車は、なかったじゃないですか。」
確かにその通りだった。
「だから、遠方のお客さんがいらした場合、部屋か何かを借りて、やることになりますよね。そこに行くには、電車とかタクシーが必要になるでしょう。そのためには、どうしてもお金がかかるじゃないですか。そのためには、交通費だって請求したっていいんですよ。」
と、博は言った。玲は、そこまでの自身はないような表情をしていたが、博は、料金表として、一回の施術は3500円にて承るとSNSに打ち込んだ。そして、施術を希望する方は、ダイレクトメッセージにて、お気軽にお問い合わせください。ともSNSに打ち込む。
「よし、とりあえず、施術の料金のページは出来ました。あとは、靈氣とはどんなものであるのかの説明をここに書いてください。」
玲は、ノートに以下のように書いた。
「心の疲れ、体の疲れを取って、精神的に楽になるためのお手伝いをいたします。頑張りすぎたり疲れたりしている皆さんの癒しになれるような施術をいたします。体に触れて、体の気の巡りを改善し、心の疲れをとる、日本古来からある癒しの技術です。」
「よし分かった。」
と、博は、直ぐにその文書をSNSに打ち込んだ。
「このページは、アップロードすれば、他のパソコンでもスマートフォンでも、タブレットでも見えるようになりますからね。」
博は、急いでアップロードのボタンを押した。
「よし、アップロード完了だ。それでは、後は依頼人が来るのを待つだけですね。」
アップロードが完了した後のページを眺めて、玲は目をぱちくりさせている。
「ほら、もうここにこうして座っている間にも、出来ちゃうんです。こうして気軽に情報発信できる時代なんですよ。今は。」
と、博はにこやかに言った。玲は、たいへんおどろいた顔をして、また何か手を動かした。
「今のは何を表現したんですか?」
博が聞くと、玲は、またノートに書いた。
「僕が考えているよりも、もっと、時代は進んでいるようですね。って、もう新しい時代なんですから、堂々と、新しい物を使ってしまえばいいんですよ。第一、障害者だからって、そんな風に引き下がる時代じゃありませんよ。」
玲は、ちょっと照れくさそうに笑った。
「あの、すみません、お二方。」
とウエイトレスが、不機嫌な顔をして、やってくる。
「さっきから何回も、ペペロンチーニとミートソース、持ってきたとお伝えしているんですけどね。」
ウエイトレスは、そういって二人分のお皿を二人の前に突き出した。
「一生懸命会議をされているのもわかるけど、注文したのを持ってきたんだから、それに答えてもらわないとね。」
「あ、ああ、すみません。直ぐ食べますんで。」
と、博が言うと、
「じゃあ、どかしてくれませんか。そのノート!」
とウエイトレスもいい返した。玲は急いで、ノートと鉛筆を鞄の中へしまった。ウエイトレスは、変な顔をして、テーブルの上に、二人の皿を置く。
「ごゆっくりどうぞ!」
というウエイトレスを見て、玲も、博も、何だか笑いたくなってしまったのだった。
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