第3話 オファー
俺がこの男を見つけることができたのは運が良かった。英語を不自由なく操れるだけの語学力があり、そして、戦士、本人は否定していたが本物のサムライだった。墓地の木陰の下で、あまりの暑さに耐えきれず涼んでいるふうを装って俺は木島と意見交換をする。後で知ったがこの男は日本人としては変わり者の部類だった。
「俺は木島だ。あんたの名前は?」
一瞬のためらいの後に言った。
「ジョン・スミス。これでも本名だ」
木島は片眉を上げたが何も言わなかった。
「それで、さっきの話は本気なのか?」
「もちろん、そのつもりだ」
「なぜ、俺に声をかけた? まるで待ち構えていたように?」
「単なる偶然だ。ただ……」
「ただ?」
「俺の計画には、日本人のパートナーが必要だ。俺に日本人の知り合いはいないので頭を悩ましていたところに、偶然見かけたというわけさ」
「いいだろう。その話が本当だとして、なぜ日本人を探していた?」
俺は逡巡したが、この木島という男を信用することにした。今まで会ったことのある日本人は、自分探し中の旅行者か、フリーのジャーナリストを名乗る人物だけだった。どちらも地面に足が付いていない感じで、荒事には向いていない。その点、この木島という男には芯の強さを感じた。
俺は東京で開催されるオリンピックの会場を狙うということを打ち明ける。自分はフランスには入国できないこと、東京しかチャンスは無いということも。木島は黙って俺の話を聞いていた。話終わると二人とも沈黙する。木島は顎の先をつまんで考え込む。
俺はじっと待った。ボールは木島にある。どれだけ待つことになろうとも、ここは相手の出方を見るしかない。兵士にとっては身動きせずに待機するのも必要な技能だ。木島はほどなく口を開く。
「2つだけ聞かせてくれ」
「疑問があればいくつでも」
「いや。現時点で確認したいことは2点だけだ。あんたは目的を達成するために、どれだけ無辜の人を巻き添えにするつもりだ?」
「必要ならば何人でも」
俺は躊躇いなく言ってのける。木島にとって同国人を巻き添えにするという話は許せないはずだ。だが、ここははっきりさせておく必要がある。
「必要なら?」
「ああ、そうだ」
「それは、あんたが憎むフランス大統領がやっていることと変わらないぞ」
「そうかもしらん。それで、質問の2つ目は?」
「どうして俺をそこまで信用する?」
「別に信用している訳じゃない。ただ、俺にはパートナーが必要だ。そして時間も無い。それで、目の前にあるチャンスに飛びついた。それに、仮にこの話を日本の治安当局に話したところで、ミスター木島が笑われるだけの話だろう?」
「もし、俺がその治安当局だとしたら?」
俺は笑った。
「俺の調べた限りでは、日本にはあんたみたいなタイプの警官はいない。着る物に金がかかりすぎている」
木島は肩をすくめて見せた。
「普段からこんな洒落たモン着てるわけじゃねえよ。ただ、そういう約束だったんだ」
木島は目を細めて真新しい墓を凝視すると小さな声で付け足す。
「果たせなかったけどな……」
それから木島は11桁の数字をゆっくりと諳んじてみせる。
「俺の携帯電話の番号だ。もし、日本に来ることがあったら電話をしてくれ」
それだけ言うと日差しの中に歩みだし、再び墓石の前に立つ。俺は数字を繰り返して暗記すると踵を返して墓地の外に向かって歩き出した。
俺はポンコツに歩み寄ると鍵を開け、手にハンカチを巻いてドアノブを引っ張る。ハンカチ越しにも火傷しそうな熱さが伝わってきた。反対側のドアも開けて空気を入れ替える間に、先ほどの会話を反芻する。パーフェクト。あまりの好都合ぶりに罠を疑いたくなるほどに木島はうってつけの男だった。
これからやろうとしているのは、個人で世界の強国のトップを暗殺することだ。ほとんど不可能に近い。それを無関係の人間の巻き添えなしに達成できるなんて考えるのは、夢想家か、とんでもない大馬鹿野郎だ。木島はそれを理解している。戦争に正義など無い。勝つか負けるかだ。
木島はその勝ち目の薄い戦いに身を投じる気があるという。成功率もさることながら、生還率はほぼゼロ。標的を殺すことに成功したとしても、同時に複数の弾丸が俺達の体を貫くことになる。これは壮大な命がけの戦いであり、手の込んだ自殺でもある。その点も木島は理解した上で、俺に了承の意を伝えてきた。電話番号はそういう意味だ。
俺はシェーラとアイラを失ったときに、一緒に逝けなかったことを悔いた。すぐにでもこの世に別れを告げるつもりだったが、その前になすべきことがある。最高権力者の座にあろうとも、撃たれれば血が出るし、傷を抉れば痛みを感じる。そんな単純なことを証明するのだ。
力を持つ者はボタン一つで人を粉々に吹き飛ばすことができる。持たざる者はそれに対して身を賭して反撃するしかない。そして、それをテロだと非難する。いいだろう。お前たちがそこまで俺達を貶めるなら、それはそれで構わない。お上品ぶった連中に思い知らしてやろうじゃないか。
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