血と鉄と硝煙の2020

新巻へもん

第1話 エピローグ

 俺はずっと戦場で生きてきた。両親に捨てられ孤児院で育った俺は家族を知らないし、愛というものが何かを理解できない。何の為に生きているのか分からない俺が死を恐れなかったのは当然だろう。別にいつ死んでも惜しくは無かった。傭兵として各地を転々とする。レバノン、ベイルート、バグダッド。


 仲間は次々と変わった。死ぬ奴、麻薬に溺れる奴、精神を病んでおかしくなる奴。だが、俺は何故か生き延びた。別に優秀だったわけじゃない。戦場では優秀な奴ほど危険と隣り合わせだ。そりゃそうだろう。任務を命ずる人間も成功を期しているわけだ。出来るやつほど次々と困難な現場に引っ張り出され、消えた。


 一方で、惜しくない奴も損な役回りが回ってくる。確実に死ぬと分かっている場所に貴重な人材を送り込む馬鹿はいない。まあ、いないこともないが極まれな例だ。そういう意味では俺はそのどちらでも無かった。ナンバー3。エースでは無いが捨て駒にするには惜しい男、それが俺だ。


 そして、死と隣り合わせのストレスを発散するのに俺には酒と女があれば良かった。硝煙の匂いを消すにはその2つがあれば十分だ。麻薬には決して手を出さない。勇者が廃人になるのを見れば十分だ。任務から帰還すると盛り場に繰り出して浴びるように飲み、女を買った。民間軍事会社PMCはそれほど気前がいいわけでも無かったが貯えを気にしなければそれなりの気晴らしができる。


 明日をも知らぬ暮らしをしていた俺を変えたのがシェーラだった。俺は彼女に会って生まれ変わった。初めて愛を知り、家族の温もりを理解した。俺はその時に勤めていたPMCの伝手で某国のサイバー部隊に潜り込む。どうやら俺にはこの分野の才能があったらしくたちまちのうちに頭角を現した。死と隣り合わせの生活から離れ安定した基盤を手に入れた俺はシェーラに求婚する。


 シェーラはやがて身ごもり、女の子を生む。アイラと名付けた娘は天使だった。子供が生まれたのを機に俺は外国に行くことを提案する。俺の技術ならどこでも食べていける自信があった。日常に死が潜むこの町は危険だと言ったがシェーラは首を振る。


「でも、この町は私の大切な故郷なの。それにあなたがいれば私たちは安心よ。だって、あなたは強いでしょ」

 シェーラの言葉は俺の自尊心をくすぐり、転居の話は立ち消えになる。そして、その半年後に悲劇が起きて、俺は自分の判断の甘さを呪った。


 もうすぐアイラの誕生日を控えたその日に俺は市場にでかけて、アイラの欲しがっていた猫のぬいぐるみを買う。砂っぽい通りに車を走らせながら、俺は誕生日までどこにこのプレゼントを隠しておくか頭を悩ませていた。きっと、このぬいぐるみを渡したら、首に抱きついてきて伸びた顎髭の感触も厭わず頬ずりをするだろう。


 満面の笑みを浮かべながら、

「パパ。大好き。ね、この子の名前は何がいいかな?」

 その場面を想像して思わず頬を緩ませる。バックミラーにはごついおっさんが不釣り合いなニヤニヤ笑いを浮かべていた。


 通りを曲がって、我が家の建物が遠くに見え始めると車の上を何かが凄いスピードで通り過ぎて行く。デルタ翼が特徴的な戦闘機だった。なぜこのような場所の低空を? 俺の疑問をよそに、そいつは腹の下から何かを吐き出す。時間が引き延ばされ全てをスローモーションに変えた。ロケットブースターが点火し、ミサイルは飛行を続けて建物に激突する。パッと炎と煙が立ち上り、我が家を瓦礫の山に変えた。


 俺はアクセルをベタ踏みするとポンコツに出せる限りのスピードで車を走らせる。タイヤ痕を地面に残しながら急停車すると、まだ火の出ている瓦礫の山に突入した。祈るような気持ちで建物の残骸の中をはいずり回り、その中から見慣れたシェーラの赤いスカーフを見つけた。シェーラの名を叫びながら周りの煉瓦や石をどける。


 ようやく頭の周りをどけることができたが、それ以上掘り進める必要はなかった。シェーラの首から下がない。半狂乱になりながらアイラの姿を探し求めた。神様、もし、居るなら、せめて俺の娘だけでも助けてくれ。……そして、神は居なかった。絶望の叫びをあげ瓦礫の上でひざをつく俺の上に辛うじてそれまで立っていた建物の残骸が降り注ぐ。何かが頭を強打して俺は意識を失った。


 病院のベッドで目を覚ました俺は生き延びてしまったことを呪う。いっそのことあの場で2人と共に死ねたならどんなに幸せだっただろう。病院の医師や看護師は皆親切だった。現実を否定し生きることも否定する俺に必死の治療を施す。だが、俺はその救いの手を握ることを拒否した。


 もう後追い死の事しか考えられなくなっていた俺を現世に引き戻したのは皮肉にも例のデルタ機の現地司令官だった。病室にノコノコとやって来て遺憾の意を表明する。

「これは避けられない事故だった。君の不幸には申し訳なく思う。もちろん、できる限りの金銭的補償は」


 怜悧な顔をしたその野郎のセリフをそれ以上聞いていることはできなかった。俺をベッドに固定する様々なテープや管を引きちぎりながら飛び降り、その野郎の顔をぶっ飛ばす。付き従っていた護衛がホルスターから銃を引き抜こうとしているうちに一人を蹴り飛ばし、一人を組んだ両手で叩きのめした。


 さらに怒りの矛先を探す俺に対して、四方八方からテイザーガンの針が突き刺さる。高電圧の電流が流れ全身の神経網が悲鳴をあげる中、口から血を流す司令官に向かって2歩踏み出したところで再び俺は意識を失った。

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