第9話 下見

 俺は木島の会社のシステム部門で働きながら、休日になるとあちこちを歩き回った。正確に言えば走り回った。特にお気に入りの場所はセンダガヤ周辺。グルグルと新しく建設される予定のスタジアムの周りを走る。ジョギングパンツに漢字のプリントされたTシャツ姿だった。


 何もないことを表す「虚無」という文字をあしらったTシャツは、俺みたいなガイジンが着ているとかなりシュールらしい。日本が好きな人畜無害な外国人を装うにはうってつけだった。ゴリラよりちょっとスリムな俺の印象がどれほど改善したかは正直分からない。


 俺の恰好を見た木島は苦笑した。

「うん。まあ、悪くない。暗い路地で出くわすんじゃなけりゃ悲鳴は上げないんじゃないか。ミスター」

「これでも精一杯努力はしているんだがね」

「その濃いサングラスはやめた方がいいな。髪の毛も伸ばした方がいい。まるで未来から来た殺戮アンドロイドみたいだ」


 月日は飛ぶように過ぎていく。木島が密かにネットを巡回して兵隊として物色している人間は10人近くになった。怖気づくのもいるだろうし、広大な敷地の全地点をカバーするためには2倍は欲しい。木島も同意見で、更に別の掲示板を探すと言っていた。


 Xデーが近づいて来るに従って、俺達の準備は慌ただしくなった。会場周辺に配置する兵隊はあくまで騒ぎを起こすだけで、スタジアムの中には入ってこない。実働部隊は俺と木島の2名だけだ。それで1ダースはいようというボディガードに守られた相手を襲撃しなければならない。


 そのためには外と同時に中でも派手な騒ぎを起こして隙を作る必要がある。また、俺と木島がスタジアムに入る方法も考える必要があった。武器の持ち込み方法も検討しなくてはならない。銃自体は金属探知機に引っかからないにしても、X線透過では形状がバレる。それに弾丸自体は金属製だった。


 スタジアムの内部の様子も詳しく知りたい。見取り図は木島がどこからか手に入れてきたので頭に叩き込んでいたが、図面と実際の造作にはずれがあるのが通例だ。何より肌に叩き込んだ感覚と頭の中でこねくり回したものの差は歴然としている。何としても中を見なければならなかった。


 スタジアムの外観がだいぶ形になってきたころ、木島が声をかけた。

「ミスター。現場を見に行こうじゃないか」

「そんなに簡単に入れるのか?」

 木島は無造作にストラップを掲げて見せる。工事関係者の文字が入っていた。


「待たせたが、これから内装工事が始まるんだ」

「手広くやっていると思ったが、工事も請け負うとはな」

「いや。俺は飲食店の下請けさ。スポンサーの飲食店の孫請けだよ」

「そうか。いずれにせよ。中が見られるのはありがたい。しかし、急だな」


「ああ。いくつもの工事が同時進行で動いているからな。正直言って、本体工事が続いているこの時期に中を確認する日程を取るのはきつかった。おっと、時間があまりない。続きは車の中で」

 俺は木島の運転する車に乗り込む。


 俺は運転免許を取得していない。木島がいうには日本の免許を取るのは面倒なのだそうだ。教習所という民営の施設に長期間通う必要があるし、何より日本語での筆記試験がある。それに時間をかけるのは無駄だとの判断だった。確かに道路の左側を走るということにも違和感があったので運転は諦めた。


 建設中の敷地に入るにはダッシュボードの上に置いてあったクリアファイルに入った紙切れがあれば十分だった。

「なあ。この紙に特殊加工はしてないよな?」

「ああ」

「ゼロックスで複写すれば」

「たぶん通行できる」


 木島のあっさりとした返事に俺は少し頭痛がしてきた。

「そんなんで警備は大丈夫なのか?」

「まあ、日本てのはそんなところさ。一つ魔法の言葉を教えてやるよ」

 所定の場所に車を止めて木島は車を降りる。俺も身をかがめて外に出た。


「どうも~」

「なんだそれは?」

「まあ、ミスターじゃ無理だが、日本人同士なら、この言葉で大抵の所は通り抜けられる。特に通用口とかはな」


 木島はヘルメットと通行パスを俺に投げてよこす。メインスタジアムの外観はほぼ完成していた。木を大胆に使ったのが売りらしい。制服姿の警備員の横を通り過ぎながら、木島は愛想よく言った。

「どうも~」


 首から提げているパスを良く確かめもせずに警備員は道を開ける。確かに木島の言ったとおりだった。

「それとこのグレイの作業着ってやつは個性を消してくれる。だいたい何かの用があるように見えるのさ」


 木島は自分の服の胸のところを引っ張って見せる。俺たちはスタジアムの中を歩き階段を上って木島が請け負っている飲食スペースにたどり着いた。その間、さりげない風を装いながら俺の目はビデオカメラのように委細漏らさず周囲の状況を記録していく。


 スタジアムの中を覗き込むとサラダボウルの中に落っこちたかのような錯覚にとらわれた。屋根のない中央部分から弱々しい冬の太陽が差し込んでいる。俺はここに観客が埋まった姿を思い浮かべ、決意を新たにするのだった。




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