第10話 死

 ついにその日が来た。


 予期せぬ延期というハプニングがあったものの予定の競技は滞りなく終了し、閉会式でこのお祭りも幕を閉じる。そして、あの男の人生も。オリンピック旗の手渡しを受けるために、予想通りこのスタジアムを訪れていた。俺は狭いキッチンから出ると白いエプロンを外して麻のサマージャケットを羽織る。


 俺は金属製のビールタンクを持ち上げると底に固定してあった拳銃を取り出して後ろのベルトに挟む。サマージャケットはサイズが大きいので立っている限りは見える心配はなかった。俺は通路を歩いて貴賓席のある場所の近くに移動する。ようやく薄闇に包まれつつあるスタジアムのトラックから何かが飛び上がり光を放ち始める。


 ドローンイルミネーションだ。複数のドローンが複雑に絡み合い光で色々な模様を形成する。イルミネーションに合わせて音楽が流れフィナーレに相応しい荘厳な雰囲気を盛り上げていた。異変は急に起こった。何十機ものドローンが急にコントロールを失って最大加速で観客席に突っ込んでいく。


 ガシャン、ガシャン。衝突音とともにスタジアムは悲鳴と狼狽の声に包まれた。今頃、イルミネーションを請け負った会社のエンジニアは顔色を失っているだろう。こんなことは起こるはずがない。ドローンとはVPN回線で接続され外部からの干渉をはねつけることになっていた。


 しかし、現実にドローンは数キロの重さのミサイルとして観客席を襲っていた。最初からそういう命令を書き込まれたチップを搭載しているのだから当然だ。自分たちが購入したドローンにそんな仕掛けがしてあるとは夢にも思わないかっただろう。


 この段階ではまだ事故なのかテロなのか判断できない。ターゲットが左右の人間に話しかけ、スマートフォンに話しかけていたやつが返事をする。事態を把握しようとしているのだろうがうまくいかないようだ。ターゲットは不安そうな表情をしながら、一方で急き立てている。


 スマートフォンを持っている人間の顔つきが変わった。周囲のスーツを着込んだ連中に指示を出す。どうやら兵隊たちも仕事を始めたようだ。スタジアムの敷地に数か所しかないセキュリティゲートを固める警備員を襲撃しているはずだ。手当たり次第に今までの恨みつらみを罪もない人にぶつけているところを想像する。


 この戦いに正義なんてない。ただ、俺たちは無から有を生み出したわけじゃない。社会システムから取りこぼされた人間はいずれ自棄をおこして社会に牙をむく。俺たちがしたのは彼らに囁いただけ。どうせ騒ぎを起こすなら派手にやろうじゃないか。


 今や、テロであることが判明した。ターゲットとその周辺は明らかに緊張感を増している。ただ、周囲に油断なく視線を走らせているが、移動を開始しようとはしない。想定通りだ。スタジアムのスピーカーからむやみに動かず落ち着いて行動するように繰り返し案内しているがあまり効果は出ていなかった。


 一般人の間にテロという言葉がさざ波のように広がってパニックが発生する。みな、やみくもに出口に向かって殺到した。屋根に取り付けてある照明から火花が飛び散り、ポンという音とともに観客席に落下を始める。それを見た護衛たちはターゲットをかばいながら、フィールドへ移動を開始する。


 阿鼻叫喚の渦の中でターゲット達がフィールドに降り立つのを見て、真似をする人間が現れだした。中には冷静な人間も少しはいるようだ。俺もその流れに乗ってフィールドに降り立つ。被っていた帽子を脱ぎ、その中に拳銃を握った右手を滑り込ませる。


 裏手の方でドンという鈍い音が響き、背中の方が赤く照らし出されるのを感じた。炎が通路を通って噴き出したのだろう。仕掛けておいた発火装置が時間通りに作動したようだ。それを想定して背を向けておいた俺と異なり正面から炎を見てしまった連中は顔を伏せる。


 ターゲットまでの距離は30メートル弱、俺は帽子を持つ手を挙げてその中の拳銃を向けた。ゆっくりと引き金を引く。パンパン。乾いた音は辺りに響き渡る騒音にかき消されて頼りない音だった。不運なことに俺が撃った瞬間にターゲットの方向へ走り寄ろうとした集団がいて、SPが人垣を作った。


 1発は不幸なSPの頭を吹き飛ばし、もう1発は標的の耳を吹き飛ばし他に過ぎなかった。俺はさらに2発撃ったがターゲットには当たらず、数発の鉛玉が俺の体に突き立った。俺の手から拳銃が落ち、俺はたまらず膝をつく。胸が焼けるように熱かった。


 日本の警察官の制服を着た男の手に握られたリボルバーから煙が上がっていた。男は素早く弾倉をスイングアウトし弾込めをする。制帽の下の顔は俺の見知った顔だった。木島の沈んだ黒目が俺を見据える。ようやく我に返ったSP達の2人が駆け寄ってくると俺の胸倉をつかんで罵声を浴びせた。

「この野郎。誰に頼まれたっ?!」


 俺にはもう口をきく体力も残っていなかった。SPに体重を預ける形で目で木島の動きを追う。空いた左手を帽子に当て敬礼をすると流暢な英語を使いターゲットに大声で話しかけた。

「ムッシュ。お怪我はありませんか?」


 ターゲットは血の気の引いた顔に無理やり笑顔を浮かべる。

「いや。助かったよ。貴官のような警察官が日本にいるとは。首相に伝えよう。貴官の名前は?」

 遠くで声は聞こえないが唇の動きでそう読めた。


「その必要はないでしょう。覚えておく時間もないでしょうし」

 きっと木島はそう言ったはずだ。次の瞬間、木島の手にしたリボルバーが火を噴き、ターゲットの頭を血まみれにする。数秒遅れてSPの撃った弾が木島に突き立った。


 ダンスを踊るように木島の体が跳ね地面に倒れ伏す。そこまで見て取ると急速に体の末端から冷えがやってきて俺の視界は消えた。そんなことを願う資格はないのは百も承知で俺は神に願う。あの世でシェーラとアイラに会えることを。


 望みは薄いかもしれない。なんといっても彼女たちは天国、こちらは地獄行きだろう。まあ、仕方ない。復讐を選んだ時点で半ば諦めていたことだ。それも悪くない。連れはいるんだ。最高の相棒と一緒に地獄めぐりでもするさ。ぐわらという何かが燃え落ちる音が俺の聞いた最後の音になった。



-完-

 

  


 


 

 

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血と鉄と硝煙の2020 新巻へもん @shakesama

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