第4話 来日

 俺は勤めていた会社を辞めた。ゴタゴタ続きでちっとも出社をしていなかったのですんなりと退社できる。身の回りの物を整理して一度本国に帰った。大都市圏の郊外に居を構えると悠々自適の生活を始める。周囲には中東で働いていたんだが、運よく仮想通貨の投機が当たって小銭を稼いだので帰国してきたと吹聴する。


 本当は後ろ暗い金をダークウェブで資金洗浄したものだった。ネットの海には稼ぐ手段は山ほどある。合法なものから非合法なものまでより取り見取りだ。働かずにフラフラしている奴は警戒される。真実を少しだけ混ぜ込んだ嘘の方がバレにくい。


 準備に3カ月ほどかけてから、俺は勇躍して日本への機上の人となっていた。タイムリミットまでは3年と数カ月。まずは相棒に連絡をとり、日本での活動拠点を設けて作戦を練らなければならない。焦りは禁物だが、それほど余裕があるわけでは無かった。なんらかの方法を見つけなければ、外国人である俺はずっと日本にいることさえままならない。


 空港から電車に乗る。1分の狂いもなく運行されていることに感心した。その几帳面さは称賛に値するが、反面、予想外の事態に対する即応能力に欠けるのではないか? ややもすると事前に決められた通りに行動することに慣れ過ぎており、そこに付け入る隙がありそうだと考える。


 長期旅行者が愛用するというホテルに腰を落ち着けると、スマートフォンのSIMカードを差し替えた。すっかり諳んじてしまった番号をプッシュする。数コールしたところで、落ち着いた声が出た。

「木島だ」


「ジョン・スミスだ。ミスター木島。話がしたい」

 電話口の向こうでごそごそと何かしている。

「あいにくと今は手が離せない。明日の12時に上野動物園のサル山の前で」

 それだけ言うと電話が切れた。


 ホテルのフロントに行き、ガイドブックを入手する。上野のページを見つけると動物園はすぐに分かった。どこの都市でも動物園はガイドブックに出ている。取り立てて変わったところがあろうと無かろうとだ。動物園の場所は確認できたが園内の配置までは分からない。まあ、その点は問題ないだろう。


 ついでに買い物をしたいと告げるとすぐ近くにあるコンビニエンス・ストアの場所を教えてくれた。狭い店内に可能な限りの食料品や日用品が売られている。アルコール類も充実していた。俺はアイラが生まれてから酒を止め、あの日を境に再び酒に溺れ、そして、目的ができてからというもの、また禁酒生活に戻っている。


 よく分からないが、鳥の胸肉と思われるパッケージとサンドイッチ、ソーダを買って部屋に戻る。軽いストレッチと筋肉トレーニングをしてシャワーを浴びた。買ってきた物を小さなテーブルにあける。白い塊は想像通り鳥の胸肉を軽く燻したものだった。テレビを見ながらゆっくりと食事をして、しばらくすると狭いベッドで眠りについた。


 翌朝、アラームで目覚めるとカーテンを開ける。朝日を浴びて覚醒すると着替えて町に繰り出した。約束の時間までの間を無駄にするつもりはない。まずは土地勘を手に入れなければならなかった。各施設の場所、周辺の状況、それぞれがどれほど離れているか、そして人の目。


 俺が異国人として日本で目立つのは覚悟していたが、ガイドブックを片手に歩いている分には単なるツーリストとして見られているようだった。向こうから声をかけてくることも無い。異分子だと認識をされているのは間違いないが監視されている感じはしなかった。


 それでも、今できることはあくまで目測の範囲に限られる。本当は正確な距離、高さを測りたいところだったが、それは別の機会に譲らざるを得ない。それは旅行者の振る舞いとしては奇異に過ぎる。とりあえず、地名を頭に叩き込み、脳内の地図に場所を書き込んでいく。


 まずは環状線に乗って、東京都主要な場所を車窓から見て行く。ほぼ建物で埋め尽くされた町だったが、数駅ごとにひと際高い建物がそびえる中心街が姿を現した。その度に車両には多くの人が乗り込み降りていく。その姿はまるで社会性昆虫のようで個性を感じられなかった。


 1周したところで、環状線を横切る鉄道に乗りかえる。センダガヤという駅は、この巨大な東京という都市のセントラルに位置する割には殺風景な駅だった。作戦の要となるメインスタジアムは建設中で、白い鋼板に覆われた空き地でしか無い。ただ、設計図から想像するにスタジアムを狙撃するポイントが存在しないことは明らかだった。


 これだけ高層の建物があるのだから、近隣に一つぐらいはあっても良さそうなものだが、この一帯にはなぜか存在しない。その点を考慮してこの場所を選定したのだとすれば、日本の治安当局の能力は想像よりも高いことになる。過去にスナイパーによる銃撃事件を経験していないにも関わらず、それを防止できる場所を選定するとは侮れない。


 元々、遠距離射撃でターゲットを狙うつもりは無かった。俺自身の銃の腕は悪くないがロング・ショットを決めるとなれば話は別だ。それに、この国に精巧な狙撃銃を持ち込むことが困難である。とはいえ、相手の能力の一端を見せられたことで俺の気持ちは自然と引き締まり、闘志を新たにすることとなった。

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