第6話 昔話
奥のドアを開けると表よりも豪華な部屋があった。そこに腰を落ち着け、料理や飲み物が運ばれてくると女たちは姿を消す。
「思った以上に羽振りがいいんだな」
「それが何か問題かね?」
「いや」
木島は笑う。
「これだけの物を持つ俺がそれをなげうつことを訝るのは当然だな。実は俺は病気持ちでね。それほど先が長くない。いくら財産があってもあの世には持っていけないからな。納得したかね?」
俺は頭を振る。
「もっともらしい説明だ。それに嘘をついてまで俺を騙す理由が考えられない。だが、それを鵜呑みにはできない。俺が想像もできない理由で嘘をつく理由があるかもしれないからな」
「それはお互い様じゃないかね。私もあんたの素性を良く知らないしな」
「今日はそれを解消するために来た。フェーズ1。まずはお互いのことを公開しよう。信頼関係がなければ、計画は絶対に失敗する」
「いいだろう。どちらからにするかね?」
俺はバッグの中からパスポート、新聞の切り抜きを張り付けたスクラップブックを取り出す。思い起こすことすら忌まわしい記事だったが、俺の素性を明らかにするには必要なものだった。俺はそれらを木島の方に押しやる。木島は黙ってそれらを熟読し始めた。
しばらくして顔をあげると木島は言った。
「いいだろう。ミスター。あんたが自称する通りの男だということは分かった。次は私の番だが、証明は難しい。おっと、待ちたまえ。あるにはあるんだ。だが、日本語なんだよ」
取り出した小さな紙片を俺に示す。
「これは難病にかかっていることを国の機関が証明するものだ。ここに私の名前があるだろう。そして、これが私の運転免許証だ」
運転免許証の写真は確かに目の前の男のものだ。そして、名前を示す直線の組み合わさった文字、あとで「木島周平」と知ったものは同じように見えた。
「そして、これが私の罹っている病名だ。英語だと……」
木島はその名を口にする。スマートフォンで翻訳して、目の前の紙片と比べて見るとこれも同じように見える。俺の表情を観察していた木島は言葉を続けた。
「俺の病気は治療法が確立していないが、すぐに死ぬわけじゃない。ただ、合併症を併発すると大抵の場合は助からないのさ。俺がまだ若い頃、そうやって死にかけてね。その時俺を救ってくれた医師が中山葉子さ。あんたと会った時に墓参りしていた相手だ」
木島は紙ナプキンにボールペンで名前を書いて見せる。確かに墓碑銘にあった名前だった。
「どこの病院も匙を投げた俺を救ってくれたのが、中山先生とその旦那さ。小さな医院を開業していてね。難しい手術だったらしい。うちの家は裕福じゃなかったから、治療費を全額払える当てもなかった。それでもな、あの先生は引き受けてくれたんだ。1%の可能性があるなら賭けましょうってな」
木島は静かに言う。だが、その声にこもる感情はひしひしと伝わってきた。
「そのお陰で今こうやって、ミスターと話をできている。その後、中山先生は外国に出かけて医療活動に従事するようになった。旦那を亡くしてからは、ますますのめり込んでいったよ」
そして木島は自嘲気味に笑う。
「俺はさ。馬鹿だったんだよ。折角助けてもらった命なのに、明日への恐怖に怯えてグレちまってね。気が付けば叩けばいくらか埃が出る身分になっちまった。金はできたがね。そして、昨年、また病気が再発した。やっぱり、どこの病院でも匙を投げられたよ」
「それで、また頼ろうと思ったんだな」
「ああ。俺はチャンスだと思った。中山先生にまた診てもらおう。そして、今度は前回の分も含めてちゃんと治療費を払おうってな。実はもっと早く礼を言いたかったんだが、俺はこんな感じだろ? 軽蔑されるかと怖かったんだ」
確かに木島は品行方正という感じではない。
「中山先生は医師の前では患者はみな平等だと言っていた。だから、今なら先生の前に出れると思ったんだ。そして、俺が死んだら、すべてを先生に遺そうと思ってたんだよ。あまり綺麗な金じゃないが、先生ならそれを正しく使ってくれると思ってたんでな。なのに!」
木島の顔に血が差す。表情は変えなかったが体内を流れる激情の渦が放射される。
「先生は俺より先に逝っちまった。なんでだよ。俺みたいなクズより先にあんな人が先に死ななきゃならない? まったく神も仏もねえ」
俺はゆっくりと目の前の茶色い液体を飲んだ。不思議な味のする飲み物だったがアルコールは入っていない。木島も酒は飲んでいなかった。こういう大事な話をするときに酒を飲む人間は好きではなかった。別に飲むのは構わない。ただ、話が終わってからだ。
「良く分かった。もう十分だ」
「納得したか?」
「いや。完全に納得はしていない。元からあんたを信用するしかないからな。俺一人でこのミッションを完遂するのは無理だ」
「そこは口だけでも信用したと言えばいいだろうに」
「あんたと間で隠し事は無しにしたい。そうじゃなくても問題が多いんだ。それよりも、どこから手を付ける?」
木島はニヤリと笑った。
「まずはミスター。結婚してもらおうか」
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