#2

「七美、それ、騙されてるよ」

 私——星野七美の話を聴き終わるや否や、深山亜夜は放り投げるようにそう言った。彼女は私の小学校時代からの腐れ縁で、こうして地元に戻った時には必ず会っている。亜夜は大学への進学を選ばず、親が経営している喫茶店の手伝いをしながら小説家を目指して日々研鑽を積んでいるらしい。とりあえず大学に行っておこう、程度の将来設計で行動した私からすれば、その思い切りの良さは羨ましかった。

「んーでも、飲み会の場ではいい人達だったんだけどな…」

「例えば?」

 物言いは直裁的だけれど、一応人の話を聞く姿勢があるのは彼女のバランス感覚の優れたところだ。

「何というか、客観的というか。宗教の形は取っているけれども、信じるものは神様でも宇宙でも何でもよくて、むしろ心に信じるものがあるということが重要なんだって。みんなそういう思いだから、カルトのような狂信者はいないし、無理に信仰を押し付けるつもりもない、みたいなことを言ってたよ」

「ふうん。世の中の批判を先取りしたような言いぶりだね。小賢しいというか。気に入らないな」

 表情を変えることなく彼女は言う。つっけんどんな言い方に昔は腹も立てたものだけれど、慣れてくるとこれほど信頼に足る態度もなかった。まして自分などよりずっと明晰な頭脳を持つ亜夜の口から発せられるのだから、なおさらだ。

「だったら、私も行こう。近いうちにあるんでしょ、そのイベントというのは」

「え?」

 意外な申し出に、素っ頓狂な声が出てしまった。

「大丈夫、議論なんかしないよ。カルトを論破しようとしてはいけない、は鉄則だし。ただ検索してみると、ちょっと気になるところがあってね…。うん。ネタになる」

 貪欲な作家先生の一言だった。


 ……結論から言えば、ひかりのみちというボランティアサークルは、『耶麻上会』という宗教団体の下部組織だった。シンボルマークらしき目玉模様がそこかしこに飾られており、その派手な色遣いは少し下品ではあったものの、お祭りに来ているような気分にさせられる。


<——この例からも分かる通り、また最新の量子力学でも証明されているように、我々の意識がまず先にあり、それにしたがって貴方の眼前に世界が展開されているのです。ここに来て下さっている方々の中には、辛い言葉かもしれませんが……貴方がもし何か世の中に不都合を感じているのだとしたら、それは貴方自身の心的態度がそれを生み出しているのです。我々耶麻上会の祖である耶麻上ハツヱは戦前の時代からその事実に気づいており…>


 我々の冷めた態度とは異なり、集まっている聴衆は相応の真剣さで聞き入っている。しかし話しているのは前田が「あの御方」と表現した人物ではないようだ。

「ううむ……」

 私の隣では、亜夜が難しい顔をして唸っていた。

「何か気づくところでも、あった?」

 小声で尋ねると、亜夜は躊躇いがちに答える。

「何だか、ちぐはぐなんだよな……言っている内容は意識や認識が世界の在り方の先に立つという世界観で、昨今のスピリチュアルによく見られる主張と酷似している。一方で、私が調べたところでも確かに彼らの成立年代は相応に古い。ならば教義にもその世界観の中での一貫性が見られて然るべきなのに、そうは見えない。言ってしまえば、成立年代だけは古い集団が、流行りものの思想をいろいろなところから借りてきてつなぎ合わせた、という感じがする」

 知的好奇心をくすぐられる話題になると亜夜は多弁になる。

「……つまり?」

「つまり」

 亜夜は自分を納得させるかのように呟く。

「彼らは自分達の誇れる教義を広めたいのではなく、とにかく人を集めたいと考えている」

 そういって、彼女は黙り込んでしまった。

 何の目的で?

 そう聞こうとして、壇上に上がった別の人物に目を奪われた。

「それでは、現在の我々のリーダーにご登壇いただきましょう。前田修治さんです!」

「え……?」「ん……? 現在の?」

 私の疑問と亜夜の疑問は種類が違うもののようだったけれど、目の前の状況の方に意識が囚われてしまう。

 あの日、熱心に私を勧誘してきた前田が、無数の目玉マークを施されたカラフルな衣装に身を包んで現れた。笑顔を浮かべているけれど、どこか雰囲気がおかしい。

『皆さんは……』

 マイクで増幅されているせいか、前田の声はボックス席で聞いたものとは違っていた。

『私を、見て、ください。私の、振る舞いを、見ていてください。それが、助けに、なる、はずです』

 あの日聞いた、あの流暢な誘い文句とは全く異なるトーン。国語の教科書を音読させられている小学生のような、たどたどしい口調。

『今、私は、この姿を、していますが……本当は、違いました。次にお会いするときには、また、別の姿だと思いますが、皆さんには、分かると思います。願えば、姿さえ、変えられます。願いましょう。願いましょう』

「七美、ダメだ。これはいけない。すぐに出よう」

 前田の様子に目を奪われていると、亜夜は急に焦ったような声を出し、私の手を引っ張った。私はこの先が気になったけれど、亜夜が慌てるのは珍しい。渋々ながら彼女の手に引かれるがままに、会場を後にした。

 急に立ち上がった私達の背中に、無数の視線が突き刺さるのが感じられた。

 その中に、とりわけ強い思いの込められた視線があるような気がしたけれど、おそらくそれは気のせいだろう。それが少し悲しげだったことも。


 会場から出ると、亜夜は私のスマートフォンを取り上げ、前田の連絡先を見つけ出すや否や、サークルを抜けるという意味の文面をあっという間に書き上げた。形だけの確認という様子で私に内容を見せると、明確な返事を待たずに送信ボタンを押した。その勢いで、着信拒否まで済ませてしまった。

「これは関係ないと思って見過ごしていたが……あのY町では戦前、ちょっとした事件があったらしいんだ。村八分になった家族の子どもが病気で死んでしまった、という事件なのだけれど……まあ、細かい話はいい。私の思い過ごしならばそれでもいい。ただ万が一の可能性を考えると、七美。彼らに、関わってはいけない」

 真剣な目で語る亜夜に言い返すだけの動機は、私にはなかった。

 翌日、前田が憔悴した様子で学内を走り回っているのを見かけたけれど、慎重に避けていたら、そのうち見かけなくなった。

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神様だけが見ていない 綾繁 忍 @Ayashige_X

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