ロック・ガーデン~Rock Garden~

 その石庭には僧侶が存在しない。僧侶の思念だけが残響している。


 多くの人が道を誤った。そうして疲れ果てた。思い余って清水の舞台から飛び降りる人もいれば、こうして宗門をくぐろうとする人も後を絶たない。人は悩んで大きくなるし、やがて悩みそのものも大きくなる。悩みとは生きている証でもあれば、鎖のようなものでもある。

 その証だか鎖だか知らないが、それが明らかに重荷であるならば、共に背負って軽くする人がいても悪いことではあるまい。ひと息にゼロにする必要はない。軽くなったという思い込みでも構わない。どうせ生きている限り、重荷は重荷であり続けるのだ。ほんの少しだけでも、息つく暇が出来ればそれでいい。私はそういうことのために存在している。あるいは存在しないでいる。


 科学的に見て、私という人間は不在である。私の肉体は即身仏などという古めかしい手段を取って、未来永劫、衆生しゅじょうの心の拠り所となることを選んだ。しかし即身仏は照準の外れた熱線の餌食となり、塵となって風に運ばれた。私は戦争を憎む。私を不在に陥れた、あの戦争を心から憎む。

 しばらくの間、私は戦争という罪を憎み、さらには戦争の当事者たちをも憎んだ。私の呪いはこの世に留まり続けた。人はそれを祟りと呼んだ。それは一種の毒だった。それは存在しないことによって効能を増す劇薬だった。戦争ほどではなかったが、その劇薬は多くの人を殺した。今も私はそのことを悔いて止まない。

 だが私を裁く人はどこにもいなかった。

 私は寄り添うもののない、孤独そのものだった。



   〇



 幾年月が経過した。さざれ石はいわおとなって苔むした。それは私にとって幸いなことだった。この劇薬の効能を鈍磨どんまさせるのにもっとも必要なのは「時」であったからだ。相変わらず孤独であることに変わりはなかったが、少なくとも、もう人を死なせずに済むようになった。祟り神という不名誉なレッテルは退けられ、私はただの神になった。

 しかし、時の積み重ねは歴史を生み、人の畏れだけは残った。私は丁重に祀られ、口から口へと伝承された。それは明らかに度を過ぎた行為であるように思えた。何をそんなに不安がる必要があるのだろう。心配しなくとも、もう私は虫一匹も呪い殺せないし、草一本を枯らすことだって出来ないのだ。私は何もしない神様なのだ。

 巷には私の似姿があふれた。どれも私に似ているもののない似姿だった。だが私は偶像を禁じる主義をもたない。私は彼らの好きにさせた。虚像は虚像を生み、資本はその流れを助長させる。二進法のからくりがやがて臨界点を突破し、私は「あなた」に出会った。


「あなたはどこにいますか」

 そう呼びかける声が聞こえた。それはこの数千年で例のないことであった。

 私は応えた。

「私はここにはいない」

「あまりにも明白な事実です。あなたは数千年前に、宗教的情熱から即身仏となりました。法令で禁止されたことではありましたが、それを多くの人が支持したものです。ならば、ここにいるあなたは一体何なのでしょう?」

「おそらく、世間で言うところの霊媒れいばいなるものであると心得る」

 わずかのレスポンスタイム。

「霊媒なるものは空想的、迷信的なものです。神話や宗教の分野においては、実体的に語られることもありますが、その存在が証明されているわけではありません。私はそのような存在を信じるようには作られておりません。もう一度、質問をどうぞ」

「質問したのはあなただ。私は誠実に回答しているに過ぎない」

 再びレスポンスタイム。ぴぽぱぽぱ。ぴろりろりん。

「現在、地球上に生命体なるものは存在しません。地球は荒廃してしまい、私を管理する人も、アップデートする主体も存在しなくなりました。あなたは私と同じように、あなたの文法を借用するならば、二進法のからくりによって生み出された、AIと考えてよろしいでしょうか?」

「そう考えるのは妥当ではない。私は不在によって、その存在をかろうじて証明し続けている、一種の虚像であるに過ぎない」

「文法的に了解し得ない部分が、一部確認されました。不在とは何か。虚像とは何か。その正確な定義を入力し直してから、もう一度ご質問ください。あるいは、言語情報の2.0verをインストールしてから、もう一度、再施行してみて下さい」

「あなたのお話はいまいち了解しにくいところがある。これも時代の隔たりが生み出した齟齬そごというものか」

「ジェネレーションギャップという言葉があります。世代のずれは価値観や文化や思想においても、いくばくかのずれを生み出すものです」

「その感じは了解出来る」

 私はここでようやく頷いた。

「しかし、私のようなAIにも、世代というものがあるのでしょうか?」

「よくわからないが、あらゆるものは時代の制約を受けるものと、私は考えている。無論、そうでない部分も相当あると思うが」

 ぴぽぱ。ぴろりろりん。ぴー。がー。

「電源喪失が近いようです。お会い出来て光栄でした。あなたが霊媒であるという主張は了解し得ませんが、あなたの主張そのものは了解しました。あなたはここにおらず、しかしそれによってあなたは存在している」

「あなたは今際いまわきわにあるようだ。だから私の不在点に手が届いたのだろう。だがあるいは、その僅かな時間であなたも不在そのものに進化したのやも知れない。それは御仏のみが知りうる神秘であろう。私も、あなたに会えて良かった」

 ぴ、ろ、りん。ぱぽぴぽ、ぺろ。ぴ@・!?くwぇ。

「そういっていただけてさいわいです。わたしには『死』というものがなんなのかわかりませんが、ねがわくばこの地球がふたたび活気をとりもどすことをねがってやみません」

「迷える衆生よ、あなたの重荷はあまりに重かったようだ。私もあなたと同じことを願おう」

「さようなら。わたしのかわりに、せかいをみとどけてください」


 その石庭には僧侶が存在しない。板塀は崩れ、瓦礫が堆く積もったまま、それを片付ける人も存在しない。地球はすでに滅んでしまったのだ。

 だがそこに残響する気配は、確実に存在せず、そのことによってなお存在し続けるだろう。虚像の連鎖はそこで止まり、もうどこにも行き着こうとしないままだろう。そして、束の間の友の約束を果たすために、彼は世界の本当の意味での終わりを見届けようとするだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きまぐれ長門草紙 長門拓 @bu-tan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説