シネマ~cinema~

 ずっと昔、姉の友達と二人で映画を観に行ったことがある。まだぼくが中学生の頃のことだ。

 映画の内容はよく覚えていない。何か中学生にはまだ早めのラブロマンスだったように思う。一番よく覚えているシーンは、スクリーンからの光に照らされた彼女の横顔だ。恋人たちが東欧の田舎町で再会するくだりで、彼女の瞳がかすかにうるんでいたことが、未だに忘れられない。


 その後もいろんな女性と映画に行く機会があったが、あの時の彼女の横顔に匹敵するシーンにはなかなかお目にかかれない。東欧の田舎町で再会する物語でないといけないのかも知れない。しかしぼくはその映画のタイトルをすでに忘れている。そして、当の彼女はもう誰かの人妻になったと風の噂で聞いた。

 人生とは刻々こくこくと失われる旅だ。そんなことをぼくは考える。



   〇



 とある夏の黄昏どき、ぼくは映画館の路地裏で一匹の猫を拾った。特に猫が好きなわけでもなかったが、そこにはやむなき事情があった。何というか、よく喋る猫だったのだ。


「するとおぬしは、えいがをろくにみにゃいで、めすのよこがおばかりながめていた、こういうわけかにゃ?」


 女性の横顔ばかりを追いかけているうちに、とうとう頭がおかしくなったのかと思ったが、どうやらそうではないようだった。ただ単にこの猫が異様によく喋るというだけの話のようだ。

「まあ、結果的に言うとそういうことになるのかも知れない」

 ぼくはそう答える。猫はお行儀よく座りながら、ぼくの言葉に頷く。

「えいがかんしょうのしかたなどひとそれぞれにゃ。じゃがえいがをみるときはえいがにしゅうちゅうするほうが、にゃんというかゆたかなじんせいだとおもわにゃいか?」

「うん、それはそうかも知れないね」

「にゃかにゃかものわかりのいいやつにゃ。ついでといってはにゃんだが、わしをおぬしのいえにつれていくがよいにゃ」

「どうしてそんな話になるのだろうか」

 本当に、どうしてそんな話になるのだろうか。

「つべこべいうにゃ。おぬしはようするにこころがつかれてるにゃ。わしものこころえをしらんわけでもにゃいから、おぬしのこころのすきまをうめてやるにゃ。そのたいかに、わしのせわをするがよいにゃ。おたがいうぃんうぃんだにゃ」

 その理屈はおかしいと思ったが、どうおかしいのかを指摘することも出来ないまま、ぼくはその猫を連れて帰ることになった。何とも妙な成り行きになったものだ。

 わが家へと向かう道すがら、東の空に丸いお月様がのぼっていた。それを何とはなしに眺めていると、隣を歩く猫が唐突にこんなことを言った。

「おぬしのはにゃしでおもいだしたが、よおろっぱのひがしのほうのぶんかでは、つきのもようがおんにゃのよこがおにみえるというはにゃしにゃ」

「へえ、そうなんだ」

 日の暮れ落ちた町に涼しい風が吹く。ぼくはあらためて東の空のお月様を眺めてみたが、そこに女の横顔が見えるかどうかは正直怪しかった。東欧の人々は、どんな想いであの月を眺めているのだろうか。



   〇



 そして現在に至る。今、その猫はぼくの家を根城ねじろにしながら、気の向いた時だけぼくの話に耳を傾けるのが仕事だ。名前はまだない。

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