【終章】秋風が吹いたら
泣き喚いていた私が夏彦の死を冷静に受け入れられたのは、夏彦から届いたメッセージをもう一度見返したときだった。
「今までの嘘は今日のための伏線だったんだ」
もしも夏彦が自分に明日が来ないことがわかっていたのだとしたら、昨日送られてきたメッセージの最初の文が嘘で、この文が真実という事になる。
夏彦は一日に一回嘘をつくけれど、それ以外で私に嘘をついたことはない。そしてこの意味深長なメッセージは、私に何かを伝えたかったのだと確信している。
だから私は、夏彦の家へ向かわなければならない。お葬式も終わって夏彦を送り出した後で、また夏彦の事を思い出すのは辛いだけだとしても、私はまだどうして夏彦が嘘をついていたのかという理由を教えてもらっていない。
この何年か分、夏彦がついてきた毎日の嘘は一体何個になっているのだろう。どの嘘が伏線だったのかなんて一つ一つ考えていたらキリがないけれど何となく、どれが重要なのかは分かっている気がした。
さっきまで夏彦を想って泣いていた私は、気持ちを切り替えた。夏彦の家に行くのだから、とびきり可愛い勝負服を着よう。
「そのロングスカートは似合っていないと思う」
あれは確か、いつかの日の嘘だったよね。クローゼットから夏彦に評判が良かったデニム生地のロングスカートを取り出した。
それに合わせるトップスは白いシンプルなシャツだ。シンプルだけど無難に可愛くて、夏彦にもこの服を着ていた時に白が似合うって褒めてもらえた物。
さらに、夏彦からもらった白いシュシュでいつもよりも高い位置で髪を結ぶと、スマホと財布だけを鞄に入れて家を飛び出した。必ず残されている夏彦の最後の嘘を早く見破りたくて、自然と足が速まった。
夏彦の家に着くと、お葬式の時よりも部屋中が暗い雰囲気に包まれているような気がした。おばさんに挨拶をして和室に通された私は、夏彦にお線香をあげた。
昨日は夏彦の死を受け入れろと言わんばかりに部屋に充満していたこの香りが、今日は謎を解く前の儀式のように思えた。
「夏彦の部屋に入らせてもらってもいいですか」
私の急なお願いにもおばさんは快く承諾してくれた。久しぶりに夏彦の部屋に入ると、夏彦の香りや生活感がそのままで、少しだけ目頭が熱くなった。
「勝手に漁ってかまわないからね」
そう言って、おばさんは私に気を利かせて部屋から出ていってくれた。夏彦の部屋に一人になった私は、どこを探すべきなのかを必死に考えていた。
「机の左の箱の中に入れてる」
その時不意に思い出した嘘は、探し物のヒントにぴったりだった。確か、本当の隠し場所は机の引き出しの奥だったよね。
引き出しを開けると、これまでの賞状や成績表なんかが綺麗に並べられていた。その奥に手を突っ込んで探すと、それらしき手紙があるのを発見した。
手紙は茶封筒に入っていて、外側には「秋葉へ」とだけが夏彦の字で書かれていた。その字を懐かしむようになぞりながら封筒から手紙を取り出すと、ゆっくりと開いた。
これを読めば、本当に嘘の理由がわかるのだろうか。それとも、どうでもいい話だけを延々と書いてあったりして。私宛に書かれた夏彦からのメッセージを、少し疑いながら読み始めた。
✴︎
秋葉、よくこの手紙を見つけたね。さすがだよ。
君が、僕が嘘を付く理由を知りたがっていたから、
初めてこの話を誰かに打ち明けるよ。実を言うと、
数年前から、僕は毎日秋葉が死ぬ夢を見ていた。
君を助けたくて、夢でシミュレーションを行った。
夏が終わるまで君の命は何度も失われかけた。ほ
んとうに夢と同じ状況が起きたとき、怖かったよ。
大丈夫かな、また明日秋葉に会えるよなって。
一度、夢に出てきた人が言っていたのだけれど、どうやら僕の前世は死神らしい。だからこそ君の死を事前に知れて、同時に君に死をもたらしかけて。僕のせいで君がいなくなってしまうのは許せなかった。
それで僕は、君を助けるために動こうと決意したんだ。君が嘘をつく人が嫌いだと言ってくれたのは、僕にとって都合が良かった。毎日嘘をつくことで注意を促せたからね。
何度もそうやって君を救ったんだけど、夏が終わる日に起こる事故だけは何故かどうにもできなかった。本来なら、秋葉と僕がこの事故に遭ってしまうはずだったんだ。そして、どうあがいても僕だけが生き残ってしまうはずだった。
この未来を変えるために、僕は秋葉と距離をとることを選択した。そして、和花を巻き込んで無理矢理運命を変えることにした。君の大切な友達も巻き込んでごめん。だけど、そうまでしてでも君の命だけは助けたかったんだ。
僕は夏彦だから、夏の終わりに美しく散るよ。そして、秋になれば君の出番だ。同時に、死神の僕がいなくなれば、秋葉は平穏な日常を手に入れられるよ。おめでとう。
あ、僕のことは心配しないで。またどこかで死神にでも生まれ変わって上手くやるだろうから。最後に、この手紙には例のごとく嘘が一つだけ書かれているから注意して読んでみてね。僕の最後の嘘と、真実をどうか見破って欲しいな。今までありがとう、秋葉。
✴︎
一文字ずつ、一文ずつ文字を追う毎に涙が溢れてくる。視界が歪んでばっかりで、手紙を読むのには苦労した。
夏彦からの大切な謎解きの手紙は汚せなくて、涙が目からこぼれ落ちそうになる度に、服の袖や夏彦の部屋に寂しそうに置かれてあったティッシュで拭くのに必死だった。
一文字一文字を噛みしめて読んでいたら、たったこれだけの文を読むのにこんなに時間をかけてしまっていた。
やっと夏彦が嘘をつく理由を知ることができたのに、全然嬉しくないよ。全然すっきりしないよ。手紙じゃなくてきちんと言いなさいよ。それに結局、和花のこともちゃんと助けてるじゃない。
なんでわかってたんならもっとシミュレーションして、自分も助かる方法を見つけなかったのよ。夏彦は絶対、また大嘘つきに生まれ変わって女の子を何人も泣かせる人になるんだ。絶対そう。
ねえ、だから、最初に嘘をつく人が嫌いだって言ったのに。夏彦のせいでもっと、……うっ、うっっ。
今泣いているのは悲しさや寂しさや嬉しさなんかじゃない。怒りだから、夏彦に対する怒りなんだから。変な書き方していると思ったら、この手紙の本当のメッセージにも気づいてしまったじゃない。
ちょっと無理矢理過ぎでしょ。もうちょっと上手くできなかったの? いや、不器用な夏彦にしては、上手くできてるよ。ちゃんと私に伝わったもんね。
最後の嘘は、夏彦のことだから変な嘘にしているだろうと思ったら本当にそう。嘘をついているって言うのが嘘なんでしょ。この手紙に書いてあるのは、真実だけ。その信憑性を高めたくて、最後に嘘を付け足した。
……わかるよ、夏彦のことだから。私だって、いろいろ回りくどい性格している夏彦が大好きなんだもん。
私は感情が高ぶるのを抑えようとして、少し震える手で夏彦からの手紙を封筒の中に戻した。その時に、「秋葉へ」という文字がもう一度目に留まって封筒をそっと両手で抱きしめた。
……この手紙を書いた夏彦はもういない。
私は、そのことを分かっているようで、分かっていなかったんだと思う。手紙を丁寧に自分の鞄にしまった後、夏彦との過去の思い出に縋りたくて、さっきと同じ引き出しを開けた。
今度は、奥まで目一杯に。賞状の奥に並んでいたのは、私たちの思い出そのものだった。二人で写っている写真、私が渡したお土産、おそろいで買った学業成就のお守り、バレンタインデーにあげたチョコレートのラッピング、そして、三日前のレシート。
夏彦の大切なものは全て私にまつわるもので、それは胸が締め付けられるほど嬉しかった。
一つ一つ手に取って、思い出を掘り起こしていった。私は全部、全部その時の記憶を事細やかに覚えていた。それは夏彦も同じ気持ちで、私の気持ちが一方通行では無かったことを知って、また嬉しさと切なさがこみ上げた。
古いものから順に見ていって、遂に一昨日のレシートまで行き着いた。打ち込まれているのはたった二本のチョコレートアイス。
私にとって三日前は、もう随分と昔の日のように感じられる。あの日の夏彦が、いつもとどこか違うような雰囲気を纏っていたことには気づいていた。
急に奢ってくれたから、とかではなくて、二人を遮る壁のようなものがなかった気がしていた。別れ際にいきなりされた質問だって、どこか変だった。
けれど、今ならその意味が少しだけ分かる。夏彦は「最後に」私に質問したんだ。もし今、夏彦に聞き返されたあの時あの瞬間に戻れるのなら、大好きだよって叫ぶのに。
あの日の私は少し混乱していて、勇気を出した言葉を聞き返されて、怒ってしまった。だから、ばいばいも言わずに一人で家に帰って。夏彦と会えるのが最後になるとも知らずに。
気持ちをきちんと伝えていても、夏彦はきっと私を振って、同じ行動を取ったと思う。だけど、ラッピングやレシートまで保存してくれるくらいに私を好きでいてくれた夏彦に、きちんと伝えたかった。
夏彦に守られた私の時間は明日からも進んでいって、毎日は普通に過ぎていく。けれど、どの教室にも夏彦はいないし、嘘が送られてくることも無い。
それは今の私にとっては普通では無いことだけど、きっといつかそれが普通になる日が来てしまうのだろう。夏彦とのやりとりの履歴が下の方に埋もれていって、そして私はいつかまた新しい誰かに恋をして、夏彦との思い出を細部まで思い出せない日もやってくるかもしれない。
それは悲しいことだけれど、けど、あの日に食べたアイスの味とこの苦くて切ない気持ちだけは、私は一生忘れられないと思う。
✴︎
私はその後夏彦の部屋で、思い出に浸れるだけ浸ってから家を出た。そういえば手紙で夏彦は夏の終わりに散ったと言っていたけれど、昨日も一昨日も立秋ではなかった。
暦の上での秋なんて、もうとっくに過ぎている。それでも外は相変わらず暑くて、歩き始めてすぐに身体中から汗が吹き出した。まるで、夏彦のことを想って全身で嘆いているように。
この時、この道を歩いていたのは私一人だけだった。辺りは静けさに包まれていて人影を感じられないどころか、元気の良い子供の声や自転車の微かな音さえも聞こえてはこない。
けれど私は一人ではなくて、すぐ側に夏彦が居てくれるような気がした。そう思うと、さっき出し尽くしたはずの涙が瞳を覆い、また頬を伝って流れていく。
最初の涙が一滴肌から溢れ落ちて、道のコンクリートを濡らしたその時だった。むさ苦しく周りを取り囲んでいた暑い空気の中に、冷ややかな空気が流れ込んでくるのを感じた。
その互いに異なる二つの空気は退け合うことはなく、一瞬にして溶け込んだ。その空気は、私の頬を止めどなく流れる涙をそっと包み込んでくれるような、優しい風だった。
街路樹が葉を揺らす音、道の上にある砂が巻き上がる音、遠くで虫が囀る音、そして、抑えているのに時折溢れる私の嗚咽。様々な音は調和して、風は私の耳へその音を届けた。
確かに今、私の耳には秋風の音が聞こえた——。
秋風が吹いたら 朝田さやか @asada-sayaka
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
わたし、オトナ宣言!/朝田さやか
★46 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます