幕間① 呼ばれている
これはSNSで仲良くなった木村さん(仮名)の体験した話である。彼女の著書のファンであり、感想を送ったことから交流が生まれた。
彼女が一冊ホラー漫画を出したことは事実である。そして、もう二度と出さないということも。
「どうせもう描くつもりもないしこれを発表する気もないから、どうしてくれてもいいですよ」
とある日突然ネームの状態で漫画のファイルを送ってきてくれた。それをありがたく使わせていただき、いくつかの修正(物語に出てきた「まるだいの会」などは仮名である)を入れて文字に起こした。
しかし、せっかくネームまで切ったのに漫画にしないのは勿体ない、そう言うと彼女は顔を曇らせて、
「危険ですから」
と言う。
由美子さんが消えてから、ふとした瞬間に壁が軋む物音がするのだという。
「それはきっと聞いたこと読んだことに引き摺られたんですよ」と言ったが、実際に目の前で人が惨たらしく死んだ人にはなんの慰めにもならなかったかもしれない。彼女はそれに対して「私の部屋、新しいんです、それなのに毎日どこでもギシギシガサガサ」と答えた。しかし、古い家でないにしても日中と夜間の温度変化で部屋が軋むのはよくあることだ。それにその「ギシギシガサガサ」という例の音を重ねてしまっているだけだと思われる。
正直なところ、木村さんには申し訳ないが私はホラー好きでありながらそういった類のものを完全には信じていないのである。
統合失調症やレビー小体型認知症などの患者は幽霊などいもしないものが見えるという訴えをすることがよくある。(ホラーが好きだという話をしたら思いつめた様子で『家に座敷わらしが20体いる』と告白されたこともあるがその患者も精神疾患を有していた)
霊的体験をした人間の全員が精神疾患ではないと思うが、とにかく私は見たことも聞いたこともないのであまり信じていないのだ。恐怖心がないというわけではないので勿論怖い話を読んだり聞いたりすれば怖いのだが。
だから木村さんの話も半分くらいしか信じていない。
彼女は私と同じホラー愛好家だが、ずっと繊細な心の持ち主なのだろう。医療従事者として言うのは憚られるが、病は気から、というやつである。
そもそもこの話も霊的な現象よりも由美子さんという女性キャラクターのサイコっぷりの方が恐ろしかった。こういう一方的な性格の厄介な女性はどこにでもいるものだ。そういう女性への忌避感がうまく表現されたキャラクターだと思った。
この話の原案(漫画のネーム)を渡してすぐ、木村さんは唐突にアカウントを削除した。私は彼女との連絡手段を完全に失ったわけである。いや、本当は連絡を取る手段なら他にいくらでもあるが、私は連絡する気がない。
彼女の漫画を文字に起こすうち、気付いてしまったことがあるからだ。
私が先ほど褒めた不気味な「由美子さん」が職場の通院患者である可能性があるということに。
私は「由美子さん」に直接会ったことはない。しかし思い当たる人物がいるのだ。
木村さんに原案をもらう数ヶ月前のことだろうか、休憩室でくつろいでいると看護師の中山さんに声をかけられた。
中山さんは私の同好の士と言っていい存在で、霊感がありたびたびその手の話を提供してくれる。
「先生、昨日変な患者さんが来たのよ」
中山さんはにやりと笑って小声で言った。彼女は怪談を語る時いつもこの顔をしている。
「なんか旅行に行ってから具合が悪い、絶対に何かに取り憑かれてるって言うのよ」
「なんか来るとこ間違えてますね」
私が笑いながら答えると、中山さんは首を振った。
「でも実際症状は出てるのよ、肩関節周囲炎。腱板が断裂してて」
肩関節周囲炎とは、一般的に五十肩と呼ばれたりもするものだ。40代以降の中年に発症することが多い。
「完全断裂ですか?おいくつの方です?」
「38歳」
「ウーン結構若いな。まあでも中年だし、そんなに不思議なことでは」
「澤井先生は外傷だって言ってたけどね」
「なるほど。で、その人どうしたんです」
中山さんはコーヒーを一口飲んで言った。
「あんまり熱心に憑かれてる憑かれてるっていうもんだから、私先生のこと話したのよね。怪談とか不思議な話ばっかり集めてるヘンな先生がいてその先生なら詳しいかもって」
「ちょっと、ヘンってなんですかもう」
中山さんは明るく笑って私の肩を叩いた。
「ゴメンねー。で、とにかく、そしたらその人担当を変えてくれその人を呼んでくれって騒ぎ出して。先生外勤だったから、今日はいないし特別な理由がない限り担当医を変更することはできませんって伝えたの」
「まあでも、正直気になりますね」
「でしょ!結局その人その日は帰ったんだけど、また明日来ますからとか言ってて怖かったんだから」
「っていうことは今日来るってことじゃないですかもう、怖い!」
「ははは。まあ予約もないのに来るのはそれ自体迷惑だけど、見つけたら先生に連絡するわ。まあ、患者さんの不安を解消してあげるのも私達の仕事のうちよ」
中山さんはそう言って出て行ってしまった。
たしかにそういう話は好きだが、集めているだけで霊能者にパイプがあるわけでも、増して解決する能力を持っているわけでもない。そう知ったら逆上したりしないだろうか。病院に来る患者は基本的には具合が悪いので精神的に追い詰められており、普段まともな人間でも危ういところがある。仕方がないことではあるのだが、やはり恐ろしいものは恐ろしい。少しは話が通じると良いのだが、などと思っていたがその日、中山さんが私に話しかけることはなかった。
二週間くらい経ってから中山さんに「五十肩のホラーな患者さんどうなりましたか」と聞いてみたら「明日来ますから」の明日には来なかったし、その後予約の日になっても現れなかったのだという。
予約をしても来ない、少しよくなったらそのままトンズラする患者などはかなりよくいるのでそのままその患者のことは頭から抜け落ちてしまった。
文字を起こすに当たってこの物語を読んでいくうち、なんだかあの患者「由美子さん」なんじゃないか、と感じた。
中山さんによるとその女性は「由美子さん」と同じように少女趣味の服に身を包み語尾を伸ばす独特の話し方をしたというのだ。さらに、プライバシーの問題で名前は出さないが、「由美子」に似た音節の本名だった。
私は木村さん含めごく数人だけにみられる状態にしてある非公開アカウントを所有しており、そこで職場であったことなどもつぶやいている。由美子さん疑惑のある例の患者が来院した時も呟いたはずなので、木村さんはそれを見ていた可能性がある。
それを知っていて私にこのネームを渡し、アカウントを消すという行為。これには二つの動機が考えられる。
まずひとつは、この怪談が事実である場合。
怪異の原因の作品を他の誰かに見せて解決するホラーと言えば「リング」が有名だが、木村さんはそれを私にやろうとしたのではないかと。しかもアカウントを消して、呪いが返ってこないようにしているのかもしれない。
この場合彼女は私のことを「どうなっても構わない人間」と判断したことになる。
もうひとつはこの話が完全に創作である場合。
わざわざ例の患者の特徴に寄せた登場人物を出した読者巻き込まれ型の怪談を作って私に読ませるという行為は嫌がらせに近いと思う。
どちらの動機にせよ、このようなことをする人は私に対して悪意があると思われるので、今後付き合わない方が良さそうだ。
そして私はさらに数ヶ月後、木村さんの動機は前者ではないか、と思うに至った。精神疾患を持つ患者の診療をしているときにふと、数年前に読んだカルテのことを思い出したのである。
怪をテーマに何か創作をする以上、「必要以上に怖がらないこと」が重要のような気がする。
ラヴクラフト御大も「恐怖心のない人間に限って想像を絶する恐ろしい物語を作る」と言っているし、良い創作をするという観点でなくても、読者の皆さんは「
(由美子さん関連の話が事実であるとするならば)木村さんのように家鳴りごときで騒ぎ戸惑い心乱すのは逆に悪い影響を受けやすいと私は思う。
そういうわけで、読者の皆様にはあまり怖がりすぎず、創作だと思って読んでいただきたい。
次に記すのは数年前、私がまだ学生であった頃、たまたま読んだ先輩の症例研究資料を創作に落とし込んだものである。
ほねがらみー某所怪談レポートー 芦花公園 @kinokoinusuki
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