レビュー執筆者:戸崎亨
(レビュー初めてです……なにかまずいことしてたら教えてください)
・89話まで見て
あらかじめ言っておかなければいけないことがある。
それはこの作品が持つ魅力に触れるには、登場人物の心の機微に少しでも共感しながら、圧倒的文量を理解と共に読むしかない。
故に、生半可な覚悟でこの作品に向き合うのは非常に失礼だ。
「魅力的な話なら5話くらいで面白さが伝わってこないといけないでしょ」
と言っている人には全くお勧めできない。
私の主観だがこの話の面白くなり始めるのは30話を越えた頃だ。そして85話辺りまでは作品に夢中になるに必要なプロローグであるとも言っていいと個人的には思っている。(作者の意と反していたら心からお詫びしたいと思う)
それでもあえて言おう。これは読み進めれば進めるほど面白くなってくる。
するめ――と言っては大変失礼にあたるだろうが、噛めば噛むほど味が出るそれと同じように、読み進めれば進むほど面白くなってくる。
レビューへ至った今回のポイント。
① この作品にかける作者の情熱の仕事量に感動!
② 美しい地の文。
③ ファンタジー世界で感じる『リアリティ』。
①について
まず読み始めて驚いてほしい。ちなみに私は初めて見た時、こんな顔をしていたと思う。→(・□・)
この作品には、少しでも読みが難しい漢字にはすべてふりがなが振られている。
恐らく小学生が習う漢字以外にはほとんどすべて振られている。ただでさえ執筆という作業では文字に起こすことが一番時間がかかるというのに、その上でふりがなを振っているのは、読者への配慮に他ならない。重厚な物語に少しでも夢中になってほしいという作者の願いが垣間見えた気がした。
もちろんそれだけではない。地の文の量が圧倒的に多い。私は書いていると、ついスピード感を意識して会話文を多めにしがちだが、この作品はそんなことはない。それでいて、決して多いとは感じない。豊富な表現が決して読むのを飽きさせないのだ。
これほどの表現がすらすら出てくるのなら、それは作者の力量に感動する。しかしすべての話がスラスラかけたわけではないだろう。実際に文字に起こして初めて分かる苦悩もあるはずだ。それでも決して折れずに書いているところに感動する。
戸崎「すげー! まじすげー!」
小説執筆者とは思えない語彙力のない感想で申し訳ないが、最初を読み進めている時には、この作品にかけている情熱に感動していた。
②について
先ほども少し言及したが、この作品の中では地の文を読むのに飽きが来にくい。もちろんその感じ方は人それぞれなので、来る人もいるのだろうと思う。
しかし小説初心者だよーという私を含めた多くの人には、ぜひ勉強のために見てもらいたい文章がたくさんある。これほど表現に富んだ文をインターネットで無料で読める時代なんだなと思ったほどだ。(もっともネット小説を見始めて1年もしていない新参者の話ではあるのだが)
もちろん、この作者以外にもたくさんの地の文が素晴らしい人がいるのでそちらも見てもらいたいが、少なくとも、それらに引けを取らずおすすめはしたいと思うレベルだと、個人的には思っている。
小説は、言葉で相手にいかに状況と、登場人物の心情を、正確に相手に伝えられるかが重要であるのは言うまでもない。この作品に出てくる多くの表現の数々を見れば、自然と、『あ、この表現自分も真似したいなー』というものがあると思う。
戸崎「よく書けるなぁ……こんなに」
そんなことを思いながらこの作品を見ていた。
③について
主人公の少年はどこまでも子供だ。卑屈で、弱虫で、それでたまに我が儘で。だからその感情の動きに魅入られる。そして周りの人物たちも、目立つ性格をしている人はただ1人としていない。強いて言うのなら、ヒロイン(?)がかなり強気なくらい。しかし、彼らの性格はしっかりと読者である読者に伝わり、この人だったら確かに「そう思うだろうな」「そう行動するだろうな」という納得ができる。そしてその折り合わせと主人公に甘くないご都合主義の限りない少なさが、ファンタジーの世界において『リアリティ』を感じさせる要因になっていると思う。
実を言うと私もそれなりに世界観の構築と、自分の作品に懸ける熱量は誰にも負けないと思っていたのだが、この作品を見て改めて魅力的な物語を書くには自分の覚悟と努力が足りなかったと思ってしまった。
基本的に一つの作品を作るときにその中で見せられるのは自分の作った設定のほんの一部だ。その裏には膨大な世界観が広がっている。そしてその世界観の細部までしっかり設定できていなければ、これほど納得がいくファンタジーを作るのは難しいと思う。
この大作に敬意を表し、自分にとっての最初のレビューにしたいと思い、今日はこの文面を書いた。ちょっと長くなってしまったが許してほしい。時間がとれるのなら是非見てほしい一作だと私は思っている。
私も今後の話を楽しみにゆっくり追っていきたいと思う。
読み進めるにつれて、どこまでも、どこまでも、人間のウソ、社会のウソ、読者のウソを、深い闇に覆いながら、暴いて、心を深くえぐっていきます。
ファンタジーなのに、過剰なまでのリアリティー、逃亡を許さぬ作者の視線、まるで、読者全員を打ちのめしてゆくかのような・・・。この悪夢が、これからどのように変貌するのか、このまま徹底的な悪夢として人を打ちのめし続けるのか、私には見当もつきません。ここはある意味で牢獄であり、檻の扉が開いているのに、私は逃げ出して自由になる道を選べませんでした。最後まで読むでしょう。
ページ数まで打たれていますが、この物語は、一度は何らかの形で、書籍化されたものなのでしょうか?
読みきるには、かなりの覚悟が必要かと思われますが、それでも、読書という旅の中で、一種の通過儀礼、ある意味で洗礼、を受け容れるならば、ここには途轍もない質量の、宝物が、眠っています。私は、ここからも希望は生まれる、闇の中からも光は生まれうると、言いたいです。
児童文学としては、この残酷な世界を体験するのに、子供たちがどこまで耐えうるのか、気になります。しかし、これは真に希少な、傑作ファンタジーではないかと、まだ途中ではありますが、感想を抱いております。私は速読な方ですが、何度も何度も読書の途中で立ち止まり、自らを省みなければ、なりませんでした。
ここまで読むのに、2日半かかりました。
場合により、このレヴューも書き直すことがあるかもしれません。それほどまでに、現の悪魔は、私を虜にしたのです。
軽い仕掛けのホラーなどより、はるかに恐ろしい。
思い切って、避けられないリスクを受け容れて、この物語の中に、飛び込んでみる勇気を、出してみてはいかがでしょう? きっと、あなたは現実にファンタジーの登場人物となって、ご自分が求めているものを、見つけることができると思いますよ。 世吉より
弱い少年と強い少女(あるいは弱くもない少年と、強くはない少女)の物語を、「記憶を譲る魔法」というギミックが掻き回すのだ。
たとえば、私達の記憶の中の景色や感情は、自分に何度も言い聞かせたり、他人に何度も言い聞かされたりすれば上書きされて歪んでしまうことはある。
そうあれ、そうあらねばと思えば、信じ込むことはできる。
しかし、魔法を使えば一瞬で、跡形もなく、記憶は消えてしまう。
魔法で譲った記憶は、元の持ち主には忘れられて、別のそれらしい記憶に置き換えられてしまう。
譲った者はどんな記憶を譲ったのかも忘れてしまうし、やりようによっては、忘れたことすら忘れてしまう。
それどころか、この世界では「忘れたい」と思った記憶を知らない内に奪われることもある。
誰がいつ、何を忘れたのかも判らなくなるし、今ある記憶も疑わしくなる。
自己同一性や人格の土台になるはずの「記憶」、それが揺らぐ環境で、少年少女は何を信じ、軸にするのか。
そんなことを考えさせるファンタジー。
主人公が強くてかっこいい、女の子にモテモテっていう小説(しょうせつ)は多いよね。
でも、そういう小説を読んで、君の心は震(ふる)えたかな? 誰(だれ)にも分かってもらえない悲しい気持ちを、語ってくれたかな?
この『現の悪魔(うつつのあくま)』は、そんな「君」のために書かれたファンタジー小説だよ。
親がいない。友だちからいじめられている。大人たちの言うことが信じられない。言葉にならないモヤモヤがある。体が弱い。
この物語の主人公ルーツも、君と同じ悩(なや)みを抱(かか)えてる。
だからさ、試(ため)しにチラッと読んでみてよ。
もしかしたら、読むのが止まらなくなっちゃうかもしれないよ。