墜ち続けながら

「ああ、いつから墜ちているのだったかしら」

彼女は漆黒の闇のなかを逆さになって墜ちつづけていた。


最初は、ちょっとした好奇心だったのだ。

その夜の淵は恐ろしく、でもそれだけに好奇心を掻き立てられた。

「少し覗くだけなら……大丈夫……」

「あの微かに聴こえる歌声は何?」

隠されているもの、知らないもの、見てはならぬといわれるものにほど、人は惹き付けられてしまう。


あっ!と思った時には、すでに墜ちていた。

前後左右上下、全てが漆黒の闇のなかをただ墜ち続ける。


そういえば


ふと、何かを忘れているような気がした。

此処におちた時、彼女の手はもっと大きく骨ばっていた。

髪も、もっと長かった……はず。


今の彼女の髪は肩に届くかどうか。

手もあの頃よりも小さく柔らかい。


ああ、そうだ。


不意に思い出す。


彼女はあの時、あの瞬間、〈還りたい〉と強く願っていたのだった。


裏切られ失くし続けることに疲れ果てて、よろける足で見つけたこの夜の淵は、不思議に心を惹き付けた。


そして


墜ち続けながら、彼女は気づく。

彼女自身が、どんどん若返っていることに。

このままいけば、最後は赤子にもどるのだろうか。

そして、その先は?


彼女という存在は、ひとつの命の種にもどるのか。


それもいいかもしれない。


不思議に安らかな気持ちで、彼女は墜ち続ける。

桜色の頬をした少女は目を閉じ胎児のように丸まっている。

また、少しその顔は幼く無垢に変わっていく。



闇鴉たちが、ゆっくりと墜ちてきたその赤ん坊を見つけた。

黒猫が音もなくやってきて、その天鵞絨びろうどのような長い尻尾で、スヤスヤと眠る赤ん坊を、そっと抱きとった。


夜ヲ想ウ、ウタが静かに流れている。


もうすぐ満月。


傷ついた優しい魂たちを乗せるために、月の小舟がやってくる。

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夜ヲ想ウ、ウタ つきの @K-Tukino

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