水色

 さて、次は二通目の手紙の送り主、未唯(みゆ)との場合の話をしようと思う。


 高校時代、私と彼女は同じクラスでいつも行動を共にしていた。昼休みになると毎日、教室でいっしょにお弁当を食べていた。彼女はトマトが苦手だったので、よく私が食べてあげていた。かわりにブロッコリーを交換していた。

 未唯はクラスの中で目立つ存在ではなかったけど、優れた観察眼を持っていて話題が尽きることはなかった。彼女と一緒に過ごすと、何気ない日常に彩りと安心が生まれた。私はそれがとても好きだった。ひっそりと控えめに佇む、底の知れない泉を思わせた。

 何かの形でお返ししたいな、と思っていた。しかし私は面白い話が出来るタイプの人間ではなかった。いつもただ相槌を打ってばかりいたけど、彼女は「私は話を聞いてもらえるのが好きだから、いままで通りでいいよ。誰にでもこういうちょっと変わった話をしたいとも思わないし。むしろいつも聞き上手で感謝してるよ」と言ってくれた。


 高校卒業後の未唯は、医療事務の専門学校へと進んだ。しかし肌に合わなかったらしく、一年足らずでやめた。私は大学進学で地元から離れていたこともあって、未唯とはそれほど頻繁には連絡を取り合っていなかったが、このあたりの時期から手紙のやり取りを始めた。

 専門学校をやめたばかりの彼女は病んでいた。これからどうすればいいのかわからなくなったらしい。高校時代の彼女とは明らかに様子が違っていた。覇気がなく弱々しい印象を受けた。心の水面は下がり、小さなことで波風が立つ様子だった。

 未唯はとてもとても私に話を聞いてもらいたがっていた。ちょうどまた昔のように。私は彼女のそんな相手に選ばれたのが嬉しかったし、弱い一面を見せてもらえるのを光栄に感じていた。彼女をより一層いとおしく感じていた。


 はじめのうちは久しぶりにじっくりと言葉を交わすわけなので、彼女の熱心さにもそれほど違和感は覚えなかった。親友との再会といった趣だ。

 しかし、時が経つにつれて異変が浮かび上がってきた。未唯は私の大学の友人との関係を微に入り細を穿って知りたがった。私と別の友人が仲良くしているところを想像するだけで、底なし沼に落ちていくような気持ちになるらしい。それでも聞かずにはいられないらしい。


「こんなことばかり聞いてごめんなさい。でも、もっと私を見ていてほしい。他の人とは違う特別な存在として扱ってほしい」と、真っすぐにその気持ちを伝えてきた。彼女はとても弱っているのだと思った。

 そして未唯は根が正直というか、自分の感じたことをなるべく正確に相手に伝えるという行為にある種の責任感を持っている。私は悪い気がしなかった。


 でも喧嘩した時もある。私が晴香とも手紙を送り合っているということに、彼女は意外なほど激しい怒りをあらわにした。それは地中に溜まったマグマが大地を揺るがせて噴き出してくるような種類の怒りだった。もうそのやり取りは暗礁に乗り上げていると説明しても、なかなか信じてもらえなかった。


「恥ずかしいから言わなかったけど、未唯との関係が一番大事だよ」女同士なのに、私はいつの間にか告白じみたことをしていた。なだめているうちに出た言葉だったが、本音でもあった。彼女はそれを大げさに喜んでくれた。


 その言葉を境に彼女は落ち着いていった。嫉妬深さもなりを潜め、高校時代のような穏やかな深みを取り戻していった。それは静かな山奥のダムの水面を思わせた。

 また、雨降って地固まるって本当にあるんだな、と私は思った。喧嘩をした後、未唯のことを今までより近くに感じていた。



 私は嫉妬という形であっても、求められるのが好きなんだと思う。自分にあまり自信がないので、直球な言葉で認められるのも嬉しかった。未唯は過剰なくらい私のことが大切だと言ってくれた。それは人によっては引くかもしれないくらいの熱量だったけど、私は嬉しかった。

 未唯は心理的な洞察が鋭く、自分の感情の理由に自覚的なところがあったので、話せばわかる相手だった。自らの正義に溺れて頑なになっているタイプでもなかった。こちらが苦手なことを伝えると、建設的な解決策を提示し、態勢を細やかに変化させるのが得意だった。まるで柔道家の重心の移動のようだと思った。


 一方、私は自分の考えを語るのにも勇気が必要で、その粗探しをされるのがすごく苦手なんだと思う。晴香は行動的でエネルギッシュな人間なので、うまくいってるときは大きな成果が出せるけど、空回りするとひどい惨状にもなりかねない。人に認められたい気持ちが悪い方に出て、私にまで対抗意識を燃やされても困ってしまう。自分を向上させるのではなく、人をけなすというやり方になるのが本当に残念だった。こんな言い方も結果論かもしれないけど。

 そんな風になってしまうのも、現在の彼女を取り巻く環境がよほど不向きなのだろうか。それとももう昔とは違う。変わってしまったということなのだろうか。私が美しい思い出に執着しすぎているのだろうか。



 * * * 



 私は自室のテーブルの上に置いた二通の手紙を、ベッドの上から横目でぼんやりと見比べていた。文字は読めず、全体的な印象くらいしか目に入ってこないくらいの距離で。空はいつしか暮れ始めていた。近所の子供たちの声は聞こえなくなっていた。


 未唯の手紙は、内容から丸っこい文字まで何もかもが親密さに満ちていて、暖かい感情をもたらしてくれる。まるで優しさのかたまりを手渡しされているかのようだ。時間をかけてくれているんだとはっきりとわかる。

 そんな手紙に対してのお返事は熱が入ってくる。私も気持ちを込めて、暖かい感情を交換したくなる。こちらもまたそんな手紙を書こうとして、その難しさに出会い相手の心遣いに気づいたりもする。一度や二度でなく、そんな手紙を私に送り続けてくれたことに、心の深い所からふつふつと感謝の念が湧きあがってくる。


 最後の一行。「いつもありがとう。これからもよろしく」という文字。一本の水色のアンダーライン。

 私はそれを再び見るのではなく脳裏に思い描いた。そして心に深く刻み込もうとした。これからも待ち受けているだろう困難に立ち向かえるように。私は支えられているのだと思えるように。日常の中のふとした瞬間に彼女を思い出せるように。


 ベランダから見上げた空は時間が経っても相変わらず曖昧で、雨が降り出しそうにも見えた。しかし赤みが差す雲間から一筋の光がきらきらと漏れ出していて、それが何かを照らし出すようで妙に印象的だった。子どもの頃に夢中で読んだ絵本のように、私を別世界へと誘ってくれそうな気がした。


 さて。まだ全てが解決したわけじゃない。忘れたふりなんて出来ない。もう一本のアンダーラインを。

 だったら私は、どうすればよかったのだろう。これからどうすればよいのだろう。

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一本のアンダーライン Haruki-UC @sora-ti

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