第2話

 さて、ここまでお読みになって、きっと皆さんはこの後も熱心にその「柳麺むら多」に通い詰めたんだろう?とお思いになったでしょう。でも、僕はそんな愚は犯しません。だって、そんな毎日彼女の顔を拝みに行っていたら、まるでストーカーみたいでしょう?だから僕は、ここであえて店に行く頻度を減らすことにしました。余裕のない男は嫌われますからね。そもそも、僕と晃子が結ばれる運命にあるのであれば、わざわざ毎日会いに行く必要なんてないのです。たとえ晃子が地球の裏側に住んでいようと、結ばれるときは結ばれてしまうのだから。

 それに、僕だって小説を書く人間として、少しの不安が恋のスパイスになるということも知っています。それまでずっとあの店に通い詰めていた僕が、突然来なくなったら晃子はどう思うでしょうか。一体あの人はどうしてしまったんだろう、生身の私を見て気持ちが冷めてしまったんだろうか、などと心配するのではないでしょうか。年頃の女性にこう思わせるのは心苦しいことですが、会えない時間があるからこそ相手への思いもいや増すというもの。大人の男なら、少しくらいは駆け引きもできなければいけないのです。


 そう思ったので、僕は1月ほど間をあけ、夕刻にふたたび「柳麺むら多」の暖簾をくぐろうとしていました。すると、視界の隅に晃子の姿が映りました。この時間帯は彼女は店にいたはずですが、シフトの時間が変わったのでしょうか。見れば、晃子は先日僕の隣に座っていたあの金髪の男に話しかけられ、困った様子でうつむいています。あんな大柄な男に威圧されたら怖いでしょう。どうしたものかと思案していると、なんと男は晃子の肩を抱き、店の前に泊めてあるミニバンへと拉致しようとするではありませんか。僕は急いで駆け寄ると、男をにらみつけ、毅然とこう言いました。


「君、嫁入り前の娘をどこへ連れていくつもりだね」


 男はきょとんとした表情で僕を見おろすと、やがて表情をゆるめ、


「いや、これから彼女のご両親にあいさつに行くんですよ」


 そう言って照れくさそうに頭を掻きました。


「あいさつだと?君のような男が彼女のご両親になんの用だ。まさか遊郭に売り飛ばそうというんじゃないだろうな」

「あの、ちょっと何言ってるかわかんないんですけど」

「しらを切るな!晃子さんはそんなにおびえているじゃないか」

「ああ、彼女はシャイな方なんで……」

「横文字でごまかそうとしてもだめだ。女性の意思を無視して車に連れ込もうなど言語道断だぞ」

「いや、彼女とはもう十分話し合って決めたことなんですよ」

「何が話し合いだ。君のような大男の言い分に彼女が逆らえるはずもあるまい」


 僕ですら緊張を強いられるこの男相手に、晃子が本音を言えるはずもありません。彼女は今にもこの場から逃げ出したいに違いないのです。僕が実力行使に及ぼうかどうか考えていると、


「あの、俺らは急いでますんで、このへんで失礼します」


 形だけ頭を下げると、男は晃子を車に乗せ、そのまま走り去ってしまいました。僕は強く拳を握り締めたまま、その場に立ち尽くしていました。




 それからは、柳麺むら多に足を運んでも晃子の姿を見ることはありませんでした。彼女のツイッターも止まっていましたが、一月ほどが経ち、晃子はひさしぶりにこうツイートしました。


 晃子 aki_novel


 今日この日から、この人とともに新しい人生を歩むことになりました。少女漫画好きなかわいい人です。まだ尻に卵の殻がくっついてる新米夫婦ですが、どうか末永く見守ってやってくださいませ。


 午後5:26


 そのツイートには、新郎新婦の写真が添付されていました。晃子の隣に立っている男の顔は隠されていましたが、間違いなくあの金髪男です。僕は落胆しました。僕が晃子と結婚できなかったことに、ではなく、晃子があの程度の男を選んでしまった事実にです。愚連隊のような風貌で、漫画のようなくだらない娯楽を愛する男のどこに魅力があるのでしょうか。しかし、こんな男と結ばれたからには、晃子もその程度の女だったのでしょう。しょせんは似合いの夫婦なのです。今思えば、晃子の小説はそれほど大したものでもなかったし、表情にもどこかしら下卑たところがありました。ああいう一見おとなしそうに見える女ほど男には与しやすいと思われ、陰では案外遊んでいたりするものです。おそらくあの金髪男以外に、何人にも股を開いていたことでしょう。ひょっとすると、今晃子の腹の中にはあの金髪男とは別の男の子がいるのかもしれません。そんなことはつゆ知らず、あの馬鹿──今だけは波動の低い言葉を使うことをお許しください──は晃子と睦んでいたりするのではないでしょうか。

 僕はこの程度の女と結ばれなかったことを、かえって幸運だと思わなければなりません。晃子の正体を知る前にうっかり縁談など進めてしまったら、もう後には引けなかったでしょうから。なに、この世界には女性など星の数ほどいるのですから、晃子などよりもずっと素晴らしい女性がいくらもいることでしょう。そのような女性とめぐり合うためにも、早く晃子のことなど忘れなければ。なにしろ、今日は僕がこの地球に生を受けた日なのですからね。


 というわけで、これから母の手作りの誕生日ケーキを食べることにします。そうそう、甘いものを食べるのも波動をあげるコツなんですよ。自分を愛すること、この地球においてこれほど大事なことはありません。自分を愛せない人が、誰を愛せるというのでしょうか?たまには血糖値など気にせず、自分を甘やかしてやるべきなのです。放っておくと僕たちは自分を鞭打ち、厳しい言葉を投げかけてしまうのだから。それにしても、いくつになってもやはり誕生日というのはうれしいものですね。さすがに75本の蝋燭は立てられないけれど、ケーキの表面には母がチョコレートで書いてくれた「お誕生日おめでとう」の文字が踊っています。ちょっと字は崩れていますけどね。今はこのケーキを食べて心機一転、明日からまた運命の相手を探すとしましょう。そろそろ母にも初孫の顔を見せてやりたいのでね。大丈夫、あきらめなければきっと道は開ける。あのカーネル・サンダースだって、フライドチキンのレシピが売れるまで1009回も断られているのだから。何歳から人生の本番が始まるかなんて、誰にもわからないのです。一生現役、生涯青春。この心構えで、僕は今日、そしてこれからを生きてゆきます。



 青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ

 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心

 安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ


 ──サミュエル・ウルマン

 

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明日を夢見て 左安倍虎 @saavedra

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