明くる日の、月へ《1》
◇
「どこまで行くの」
「海」
「馬鹿だと思う、気が狂ってる」
月夜の小言が、頻度を増していく。彼女を連れ出し、家を出たのは何時間前だろうか。「大人になりに行こう」と嘯いて、海という目的地だけを宛に、ここまで歩いてきた。知らない町を横切り、街灯の間隔は段々と広くなり、今は知らない山道に差し掛かっている。自分でも、気が狂っていると思う。それでも、僕は歩くということに、変な希望を持っていた。
ただ、ある場所を目指して、一心不乱に歩く。身も心もすり減らして、その先にある景色が、僕らを何者かに変える。そんなドラマがあったなら、人生はもっと楽勝かもしれない。淡い期待が無いわけじゃないけど、本質はそこじゃない。
「あと何秒でつくの?」
「知らない」
「これから私、どうなるの?」
「わからない」
「夕陽、本当に気が狂っちゃったの?」
「そうかもね」
粗い砂利を踏む音ともに、月夜の言葉は段々荒れていく。たまに、啜り泣きのような声も聞こえた。僕は振り返らず、ただ歩いた。月夜もただ、僕の背を追ってきた。
「こんなのってないよ、辛すぎる」
「人生ほどじゃないよ」
「辛いものは、辛いよ」
妖しい木々のさざめきが、月夜を不安にさせているようだった。僕にも、それを拭ってあげる余力はなかった。僕らはやっぱり小さな子供だと、改めて思った。小さなまま、大きくなったのだ。
「どうしてこんなに、辛いことばっかり」
今までにない、決定的な泣き言を月夜がこぼす。振り返ると、月夜は膝を崩して、地面に座り込んでいた。木々の隙間から漏れ出た月光が、恐ろしく暗い月夜の顔をあらわにした。
「もういいよ、帰ろう」
「帰れないよ、どの道僕らは行くしかない」
「なんでそう強情なの。無理だって言ってるのに」
鋭い感触が、頬を掠める。月夜の目には、困惑と激情が混在していた。錯乱したみたいに、手元にある大小まばらな石を掴んでは、闇雲に投げる。
「無理だよ、無理なの。だって、こんな辛いことやって何があるの? 人生も、将来も、不安だらけ。家族も、友達も、信用なんて出来ない。こんな世界で、たかだか歩くことに身をすり減らす意味なんてない。これじゃ、私は救われない。なら、君なんか......要らないんだよ」
感情の篭った、一際大きな石が左胸を打つ。硬い骨を叩く音が、鈍く空に響いた。痛くて、胸に手を当てる。月夜はふと我にかえって、潰れたような顔で僕を見た。
「全然痛くないよ」
一瞬、月夜の肩が震える。まるで、この世でいちばんか弱い動物のように、怯えた目をしていた。おもむろに、月夜は辺りの地面を探って、鋭利に尖った石を探しあてる。もう何をしようとしているのか、考えるまでもなく明白だった。力む彼女の手を掴んで、僕は強く月夜の名前を呼んだ。
「それじゃ本当に、月夜は止まったままだ」
「止まったままでいい、この不安が消えるのなら。億劫な日々を意味もなく生きるより、何倍もマシでしょ」
僕は、月夜の持っている石を払い落として、彼女の体を両手で持ち上げる。
「その答えを、今から出しに行くんだよ」
弱々しい抵抗を受け止めて、先の見えない山道を再び歩き始める。悲しいくらいに細くて、弱々しくて、小さな月夜を抱いていく。
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