月夜
◇
ガラスペンを買った夜、僕らはどちらが言い出すともなく、近くの公園に向かった。
「綺麗......」
筆先の反射が、
「これで、かぐや姫の続きを描いてみて」
今思えば、この言葉は月夜の単なる無茶ぶりで、取るに足らない戯言だったようにも思う。でも、かぐや姫の続きと言われると、僕も気まぐれに色々想像してしまって、次第にそのあやふやな想像を形にしたくなった。
「いいよ、やってみる」
月夜に言われるまま瓶の蓋をあけ、ガラスペンの筆先を
「そのペンね、夕陽に似てると思った」
夜明けの光がさし始めた頃、うわ言のように月夜は呟いた。
「脆く見えるのに簡単には壊せない。そういう風に、精巧に作ってあるでしょ? けど、いずれ絶対に壊れるから、壊れる前に手放したいんだよね」
「僕は別に、壊れたりしない」
「君はもう壊れかけてるよ。私は普通じゃないから、異常な人がよく馴染むんだ」
明け方、四月の風はまだ冷たい。震える膝を抱えて座る月夜に、僕は自分のブレザーを手渡した。月夜はおずおずと受け取って、顕になった膝にブレザーをかぶせた。
「僕の普通は月夜だから。周りの人からすれば異常なのかもしれない」
「そうだと思う。でも、今なら戻れるよ」
「戻るもなにも、僕にとって僕はずっと普通だし、君も普通」
朝日に晒された土の、かわいた匂いが喉に迫る。澄んだ空気の面は失せ、インクも随分目減りしていた。インクの瓶を振る月夜を見ていると、未だ四阿の空には星のような光が走って、まだ見ぬ物語が瓶の中から飛び出てくるような気がした。
「でも、普通な月夜が、僕の特別なんだよ」
眩しい外の光に目を細めながら、虚空へ語るように呟いた。月夜は、何も答えてくれない。少しだけ月夜の方を見てみると、彼女は瓶の表面をなぞって、大切そうに両手で覆った。月夜と僕の距離感が、ようやく見えた気がした。僕はガラスペンをケースに閉まって、自分の鞄に入れた。
「失くさないでくれよ?」
「わかってる。ちゃんと預かっとく」
「その瓶さえあればまた、君に物語を描くから」
約束を交わす度に、月夜と僕は離れていった。二人で集まって小説を書いたのも、結局これっきりだ。僕は月夜に近づこうとして、月夜はその逆に行こうとしていた。今も昔もすれ違う。僕らは分かりあっているようで、一度もわかりあったことなどなかったのかもしれない。
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