ガラスの筆

♢


 陽気な風が、真新しい制服の裾を揺らす。寮から最寄りの駅の改札をくぐってホームに出ると、同じ制服に身を包んだ人間が何人か見えた。その中から見知った顔ぶれを見つけては、声をかけるにかけられず、視線をまごつかせる。月夜はまだ来てないんだな、自然とそう考える自分がいた。

 持ってきた小説を読みながら電車を待っていると、ポケットの中でスマホが振動した。電源を入れて、なれない手つきでLINEを開く。月夜からだ。


『夕陽って、結構セーフク似あうね。なんかウケる』


 文言を見てから直ぐに、駅のホーム全体を見回す。そのどこにも、彼女の姿は見受けられなかった。


『どこに居る? 僕が来た時にはいなかったろ?』


「そうそう、だって今来たんだもの」


 唐突に聞こえた声に一瞬、体が硬直する。後ろを振り返ると、したり顔の月夜がカラカラと楽しそうに笑っていた。彼女も、真新しい制服を着ていた。まだ、月夜のスタイルは抑えられていて、真面目風にカッチリと着こなしている。まるで、周りの制服姿に足並みを揃えてるみたいで、少しだけ月夜らしくない感じがした。


「というか、来た時も探してくれたんだ。嬉しいねぇ、愛されてるなぁ私」


 平気そうな顔で言う月夜は、いつも以上にはしゃいでいるように見えた。僕は嬉しくもあったが、からかわれるばかりなのは気に入らなかった。


「からかうなよ、もう二度と探さないぞ」


「それはダメ。だって私、探してくれないと平気でどっか行っちゃうから。気まぐれなの、目を離さないで」


 月夜は髪をいじりながら、背筋の冷えることを平気で言う。今も昔も変わらない、彼女の悪い癖だ。まるで、本当の不安を悟らせないための演技みたいだと、たまに思う。


「探してくれる?」


 僕は茶化さないで、真面目に、月夜の顔を見た。きっと、茶化しても良かったのに、そういう気分になれなかった。

 

「ちゃんと探すよ」


 月夜は「ありがとう」とだけ呟いて、それ以上僕を見なかった。



 校門をぬけ、ザワつく生徒玄関の雰囲気に呑まれながら、僕と月夜は立ち尽くしていた。僕らはどうやら別のクラスになったらしい。流石に事は上手いようにばかり運ばない。仕方のないことだけど、悔しい気がした。僕は気づかれないように、彼女の様子を横目で見た。月夜はやっぱり、分かっていたような顔をしていた。僕の方に気がついて、少しだけ残念そうに笑う。僕も合わせて、はにかんで笑った。


「まぁ、クラスが別れたくらいどうってことないよ。私だって何とかする」


 月夜は余裕のように振舞っていた。一瞬、自分に言い聞かせるように、小さな声で「大丈夫」と口にした。


「本当に大丈夫?」


「私をなんだと思ってるの。このくらい、なんてことないじゃない。それに、夕陽はもう充分頑張ってくれたし」


 暗に、もう僕にできることはない、そう言われている気がした。実際、僕にどうこうできることじゃない。なに、クラスが離れるくらい大丈夫だろう。そんなことくらいで、僕らが疎遠になるものか。遠距離恋愛じゃあるまいし。冗談めいたことを心に聞かせても、気持ちは全然晴れなかった。


「今日は一緒に帰ろう。入学祝い、まだ渡してないだろ。一緒に選んでくれよ」


 明るい話題が欲しい。彼女と過ごす時間を増やしたい。口に出した言葉は、そういう僕の欲望を忠実に表していた。彼女は黙って頷くと、僕に背を向けて、自分の教室に歩いていった。


♢


 入学式とか、クラスメイトの顔合わせとか、全てが現実味のないままに終わっていった。虚像によって描かれた、絵空事みたいな一日だった。放課後、静まり返った駅のホームで月夜と待ち合わせた。駅にやって来た月夜は、病を抱えた人のようだった。目は虚ろで、おぼつかない足取りをしていた。改札をぬけホームのベンチに座ると、月夜はおもむろに僕の手を取って、それを両手で弄びはじめた。丸く握ったり、強く抓ったり、爪で刺したり、指先で撫でたり。月夜の不安定な情緒は波のように、僕の手の上で揺れていた。


「ごめんね」


 月夜は僕の手を離すと、萎んだ声を出した。僕は行き場の無い右手をポケットにしまって、謝んなよと言った。今日みたいな日ばかりではないにしろ、これからも多分、月夜はこんな風になる時がくる。それを覚悟しておこうと思った。


「立てる?」


 月夜は何も言わずに立ち上がって、スカートの汚れを払った。


「月夜、帰る?」


 『帰ろう』と言い切ってしまえば、月夜は素直に自宅へ帰っただろう。それがわかっていながら、そう言い切らなかった。月夜は首を振って、次の電車を待つ少ない列に並んだ。借りてるアパートとは逆方向の駅に向かう電車だ。黄色い線の内側に促すアナウンスが鳴り出して、僕も同じように列にならんだ。


「今日さ、帰りたくないよ」


 小さく、僕にだけ聴こえるくらいの声量で、月夜はそう呟いた。消え入りそうな声の覇気なさがそのまま、月夜の小ささを表しているように思えた。

 

♢


 ネオンの海に揺れる人波が、街の夜を深く青く染めていた。このざわついた空気はやけに久しぶりな気がする。人混みの中にいると、無条件に、自分がとても情けない生物のように思えてくる。未だにおぼつかない月夜の手を引いて、不安にすくむ足を前へと踏み出した。空は、並び立つビルの明かりばかりで、月も見えなくなっていた。不穏な夜の空気が馴染んでしまわないように、足早に人混みを歩いた。


 ショッピングモールに入って、雑貨屋を見て回る。月夜が好きな歌手のアルバム、可愛いスマホケース、変な柄のTシャツなんかがあって、月夜はそのどれもに反応を示したけど、どうもパッとしないようだった。僕も大して欲しいものは見つからなくて、結局、流れで本屋に行くことになった。それまで、月夜は僕の問いかけに短く答えるくらいで、他のことは全く喋らなかった。本屋に入って、本棚を眺めながら歩いていても、月夜の様子は変わりなかった。

 なにか彼女の気を引くものでもないか。思考も歩みも低迷していると、ふと、月夜の手が指の隙間から零れた。振り返ると、月夜はショーケースを見つめて立っていた。万年筆とか、高価な文房具が陳列されているその中を、月夜は真剣に覗いているようだった。僕は月夜をショーケースの前に連れてきて、声をかけた。月夜はなにも答えなかった。ふと目をやると、精巧なガラス造りのペンがショーケースの中から、月夜を誘っているようにも見えた。月夜の視線と照らし合わせてみると、これだけの文房具がある中で、月夜とガラスペンだけがお互いのことを見つめあっている。月と太陽みたいに、惹かれあっているようだった。


♢


 制服のブレザーを着て、机の横に投げてあったリュックサックを持ち上げる。机上に転んでいたガラスペンをケースにしまって、リュックの中に放りこむ。壁にかけてある時計とカレンダーを見る。まだ時間に余裕があるなとか、そういえばもうすぐ春休みだなんて思考が右から左に抜けていった。何もかもが失われたような五年の歳月、なんて大袈裟には思わない。けれど、春が近づくと、三日月の夜を想うと、心はバランスを崩しそうになる。深呼吸をして、薄暗い自室のドアを開ける。ここから今日もまた、虚しくなった日々に溶け込むのだ。

 

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