ひび

 二月の初め、合格発表の日。月夜は酷く退屈そうな顔をしていて、自分の受験番号を見つけた時でさえ、欠伸を噛み殺しながら「あった」と一言口にしただけだった。引き替え、僕は気持ちに余裕がなくて、羅列された番号の0から9まで全てが毒々しいものに感じられた。自分の番号を見つけた時、何度も手元の受験カードと見比べて、合格に違いないか確かめた。そういう僕の大袈裟な反応を見て、月夜は自分の合格よりも僕の合格を安心しているようだった。


「合格、みたいだ」


「おめでと。今年からも同じ学校だね」


 月夜のその言葉には、心からの喜びが滲んでいた。或いは、僕ら二人が同時に落ちたのだとしても、あの時と同じ喜び方をしたのかもしれない。僕も多分、同じだ。もう一度、月夜の居場所になれることが嬉しかった。


「これで、居場所に困らないかな」


 そう呟いたのは、月夜の方だった。彼女が言わなければ、その台詞を言うのははきっと僕だったと思う。けれど、彼女に言われるのはやけに胸がざわついた。不安と焦燥が巣食う。


「困らないよ。困らせない、僕が」


 いきがって、不細工に言い放った。月夜は口に手を当てがって、少し可笑しそうに笑う。馬鹿にされてるのかと思って、顔から火が出そうだった。

 

「当たり前でしょ、私だって困りたくないもん。その言葉に誓って、約束してね」


 半笑いの顔をしながら、僕の目の前に小指を突きだす。


「僕、まだ君との約束破ったことないだろ?」


 小指でそれを握りながら、彼女から目を逸らした。月夜はやっぱり僕の反応を面白がって、茶化すみたいに言葉を返した。


「それはなんだから。未来はなにが起こるかわからないし、一応ね。もちろん、夕陽を信用してないわけじゃないけど」


 僕は、彼女が求めているものを何パーセント満たせるだろう。浮かれたり、沈んだりする気配が飛び交う中で、僕の思考も浮き沈みを繰り返していた。月夜は小指を離すと、僕の唇にそれを押し当て不敵に笑った。そして、自分の唇にも小指を当てる。あの時の仕草の魅力は、今の僕の方がよくわかると思う。初心うぶすぎて、鈍すぎて、あの頃の僕には理解が追いついていなかった。


「取り敢えず、私から合格祝い。夕陽も近いうちに頂戴ね。私も、きちんとした物をまた渡すから」


 そう言うと、彼女は何処へ行くのかも言わず、人混みの中に消えてしまった。白い小指の華奢な感触はもどかしいばかりで、そう長く覚えていられなかった。

 彼女の合格祝いに、なにを渡そう。少なくとも、あの小指に見合うもの。僕は自分の小指を眺めて考えたけれど、あの小指と僕の小指では、不思議に釣り合いが取れない気がした。


♢


 部屋中をふるわすアラームの轟音を食い止め、再びベッドの上に力つきる。あの時の彼女が目に浮かぶ。僕はなにを渡したんだっけ。僕が渡されたものは、よく覚えている。ベッドの上から白い木机の上に見えたガラスの筆。カーテンの隙間から零れた光が、淡く、反射させていた。

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