夢遊

 ──いつからか、夢を見るようになった。


 それは、三日月の夜。僕が小説を書く夜に、決まって見る夢だ。夢の中で、僕は月の海を漂っている。孤独な水中の世界を、ポツポツと弾ける水泡の音と、暗闇を仄かに照らす月明かりだけをたよりに進んでいく。誰もいない、僕一人だけが確かな世界では、自分の抱える孤独がよく目に見えた。周囲と、自分との間に生まれるひずみ。誰かに理解されたい衝動。誰のことも理解できない苦悩。全てが数式の証明みたいに、淡々と問われ、簡単に解かれていった。僕はこの場所を何度も訪れ、明瞭になった孤独の本質を紙に書き起こした。小説を書くということは、その過程からして僕自身を肯定する力を持っていた。これは、生きがいだと思った。

 作業に没頭していくうちに、自分はひょっとして、物語のために生まれた機械装置なのではと思うことさえあった。僕は自分の物語を愛していた。誰にも邪魔をされない夢の世界も、そこへ僕を導く月夜の魔法も、同じように愛していた。

 

 けれど、それが永遠に続かないのは運命のようなものだった。月の夢にしゅうする生活も、運命に従っていずれ終わる。ずっと、予感だけが胸の内にはあった。それが今日、実現したまでのことだ。この夢は、僕だけの世界ではなくなってしまった。

 一人の少女が立っていた。夜の空気のようになびく、長い黒髪。淡い白光をまとった肌。その麗姿には見覚えがあった。もし、月夜が人の形を取れるのだとすれば、彼女のような姿をしているのだろう。そう思わせる、オーラのようなものがあった。

 波の模様を捉えながら降り注ぐ月明かりのさきに、彼女はいた。柔らかな背筋のラインが、三日月に重なって見えた。

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