8個目

「…つまり、『絶対音感』ならぬ『絶対味覚』か。なるほどな。それなら今日の課題の時の手際の良さも納得がいく。お前からしてみればレシピを辿るようなものなわけだ。」

 逃げ道を完璧に封じられた蘭は渋々ながら白旗を挙げ、蘭にとってのトップシークレット、つまり対価を虎に支払うことになった。

 蘭自身が名前を付けたわけではないが、よく言い表したものだと思う。『絶対味覚』と虎が名付けたように、蘭が隠し通したかった秘密は、一口食べた物の材料や分量、調理法までも完璧に記憶し、再現することができるものである。普通に考えれば、この学校においてこれ程までに勝ち組の能力もないだろうが、蘭は別に高級料亭で働きたいわけでも高級レストランの厨房に入りたいわけでもない。実家の店の力に少しでもなれたらいいと思ったからだ。

 蘭にとって実技は邪魔なものでしかなかった。しかし、料理学校において実技がない学校は存在しない。ならばこの際、少しでも上の学校に入って見聞を広めてもいいと思った。幸いにも入学試験は実技のみで、蘭にとっては簡単すぎるといっていいほどのものであった。狙い通り、沢山の新しい知識が入ってきた。教師が作ったものを一口でも食べれば立派な教材になる蘭の力は、予想以上の収穫をもたらした。実技のテストは座学の確認のために使った。重要な部分を間違えれば、他がどんなに完璧でも評価は下がる。普通は細かいミスで評価が下がるのだが、それでは重要度が図りにくいため、あえて重要個所を間違える。結果は見た通り。ついこの間までは完璧に的中させていた。

 それを、今目の前にいる絶対的権力者に知られてしまう。上手く乗せられた形で、関わりたくもなかった、絶対に知られたくなかった相手に。もう少しで学校が終わるというのに。このタイミングで!

「それで?」

「はい?」

 色々と思い返して、悲しいやら腹立たしいやらよくわからない感情と格闘していたおかげで、まったくもって話を聞いていなかった。だいぶ素っ頓狂な声を出したと思う。すべてにおいて最悪だ…。

 しかし、虎はそんなことは気にならないようで、珍しく声を大にして熱量たっぷりに質問の意図を細かく話してくれた。

「だから、どうしてそんなスゲー力を隠す必要があったのかっていうせ・つ・め・い!俺のこのトップシークレットを知ってまで隠したいようなことか?むしろもっと全面に出していけよ!そしたら俺も張り合いが出るわ!ってかその能力マジで欲しいな!詳しい経緯とか教えろよ。」

 相当興奮しているのか、語尾がビックリマークだらけだ。人前であれだけ感情を殺せていたことに拍手を送りたくなってしまうほどの変わりようである。

「私は皆さんのような就職先を目指しているわけではありませんので、別にいいんです。ただ単に知識を増やしたいだけなので。心配しなくても、皆さんの就職の邪魔はしませんよ。」

 だからと言って教える義理もないので、適当に嘘と事実を混ぜて逃げることにした。嘘をつくときに事実を混ぜるとバレにくくなるのは有名な手法だろう。自分たちに損が無いと分かれば、たいていの問題は無関心なものに早変わりする。

「でもよ、それで何で高得点を狙わない?お前なら簡単だろうし、わざわざ1つ評価を落とすメリットはないだろ?」

 さすがお金持ちというか、なんというか…。学校のテストをとやかく言ってくる環境に育つとそうなるのかもしれないが、テストの点数が自分にとって損を生むかもしれないという状況が理解できないらしい。

 虎はおそらく、私が提示したメリット(就職の邪魔はしないこと)をメリットだとは思っていない。思っていれば他の部分が目に留まることはほとんどないからだ。加えて、今の虎は割と混乱しているらしい。少なくとも、いつもの虎のように、人が触れられたくない部分にニコニコ顔で踏み入ってくる虎ではなく、自分が持った疑問をそのまま口に出している印象がある。いつも通りなら「嫌な奴」と一蹴するか諦めのような感情でもって話してしまったりするかもしれないが、今の虎は妙に素直なだけあって、どう対処するか迷うところである。

 しかし、学校で相当我慢して自分の能力やら感情やらを隠してきた蘭は、自分の本当の性格の悪さを抑えることができなかった。つまり、虎が普段とはあまりにも違う状態であったため、つい守りを緩めてしまったのである。自覚はあるが、相当悪趣味で意地の悪い性格だろう。

「では仮に、五十嵐さんのような評価を付けられていたとしましょう。うちの学校は成績に応じて推薦があるじゃないですか。成績が良ければ、その分良いところに就職ができる。では、その推薦を受けなかったらどうです?『どうしてだ』という追及が始まるでしょう。そうなれば家にまで範囲が広がるかもしれない。イヤなんだよ。せっかくここまで必死に隠してきた…の、に…。」

 途中まで勢いよくまくしたてた蘭は、虎がやたらとニヤニヤしているのに気が付いた。そこで蘭は自分が犯したミスに気が付いた。

 しまった。決定的な発言をしてしまった。今まで一切人に気が付かれることなく、周りにうまく溶け込んできた。実技ではせめてもの爪隠しとしてオール4、私生活ではお坊ちゃん・お嬢様と価値観を合わせつつなるべく関わらないようにして距離を置く。そんな事をいちいち習うのかと思うものから、知らなかったこと、サーブの仕方やテーブルマナーに至るまで、食に関わることを全て教え込まれる座学においても目立つことなく、完璧に森の中の木でいたのに。

「ふーん…家のことねぇ…。隠してるんだ?」

 どうして感情的になったのかと後悔するが、時すでに遅し。口からついて出た言葉を取り消す方法など存在しない。もしあるなら是非とも今知りたい次第だ。

「で、家がどうしたって?」

 これ以上面白いことなどない、と言いたげな心底愉しそうな顔を浮かべて聞いてくる。

 悪魔か!こいつは!

 …そんな感想は内に秘めつつ、虎に一矢報いるならこれ以上隠そうとしない方が良いと思い、覚悟を決めた。

「分かりました。では、会長が対価が見合っていないと判断したということで。そうですね…さすがに家族が絡むので、今すぐにというわけにはいきませんが…。夏休みの初め頃、夕方などいかがでしょう?」

「何の話だ?」

 仕返しとしては悪くない反応を貰えただろう。

「言葉で説明するより、実際に見てもらった方が早いかと思いまして。うーん…帰ってみないと分からなそうですね…。連絡先をいただいても良いですか?とりあえず、こちらの予定が良さそうな時を見繕ってご連絡させていただきますね。」

 ポカンとしている虎を横目にまくしたて、半ば強引に約束を取り付ける。場所が変われば形勢も変わるかもしれない。かすかな望みを夏休み中の自分に託す。

 テストはといえば、虎はもちろん亜貴奈も小豆(落ちそうだと蘭に相談に来ていたが)も蘭自身も危なげもなくパスし、何事もなかったかのように各々の夏休みが始まった。

 後で気が付いたのだが、真木副会長のクラスを知らない。目立ちそうなものなのだが…。

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