5個目
その後は特に何もなかった。虎から釘を刺されたりすることもなく、基本的には平和に進んだ。
ある日─。期末の実技のテストにて、全員が動きを止めた。原因は虎のある一言。
「僕と文武さんをペアにしてもらえませんか?」
教室中の空気が止まった。無理もない。誰も近づけないあの五十嵐虎が、虎本人から料理ペアの指名が来ることはちょっとした異常事態だ。そして先生が言う言葉は、大抵虎の助けになる。
「いいけど…困ったわ。そうすると、貴方以外の誰かが1人になってしまうのよね。」
肯定しつつも反論する先生に、蘭は少しの望みを託す。虎が1人なのは誰もついていけないからであって、それを周りが認めているから成り立っている構図だ。人数の関係もあるが、虎がいるからこその暗黙の了解だ。
しかし、虎は前々から決めてあったかのように説明を始める。
「それは亜貴奈さんにお願いしたいです。文武さんに評価5を取らせてあげたいのです。そしてあわよくば、その原因を学び、自分に昇華したいと思っています。」
出しに使いやがった。しかも取らせてあげたいだ?冗談じゃない。こっちは好き好んで評価4を取っている。何かを言われる筋合いはない。
そんな口の悪い心の声が届いている筈もなく、先生は案の定、簡単に許可を出した。
「そうね~。是非、文武さんには1つ上の評価を取らせてあげたいのよ~。いつも惜しいところまではいってるのよね~。頼りにしてるわよ。」
「はい。」
虎は清々しく返事をするのだが、それよりも私は周りの視線が痛い。推測だが、五十嵐に恥をかかせるなという視線だろう。もしそうなら、止めて欲しい。被害者はこっちだ。勝手に指名されて、勝手に話が進んでいる。周りに何か文句を言われる筋合いはないはずだ。さっきからもらい事故かりだ。
周りでは「何であの子なの?」「確かに評価4ばかりだけど…」「五十嵐さん、騙されてるんじゃないの?」「脅されてるとか!」「何それ、酷い…」とか言ってる。いやいや、明らかに貴方たちの方が酷い。脅すとか騙すとか、あの五十嵐虎に通用する訳がない。むしろこっちが脅されている。
「じゃあ、文武さん。始めようか。フォローするから、いつも通りやってみてよ。」
人当たりが良さそうな顔で言ってくる。コレが仮面で、素顔がアレなんて、誰が想像できるだろう。虎の心中は知らないが、見事なものだと思う。
試験が開始される。今回は飲み物とデザートの模倣課題。各々の班に見本が置かれる。これは試食をしても良いのだが、最終的に同じ見た目になるようにする。原型が分かる形で残しておくことが基本だ。
しかしそこは天才。普通ではあり得ないことを平気で言ってくる。
「何をしてもいいよ。見た目は完璧に覚えているから。途中で不味そうなら止めるから、自分に正直に作ってね。くれぐれも、間違えて僕の評価を落とさないでね。」
笑顔が怖い。暗に「分からないふりは通用しない」と言っている。まぁ、そうだろうと思う。虎とペアになった時点で私の隠し事は限界だ。こうなった場合の道は2つ。しらを切るか、完璧にこなすか。そして前者は封じられた。強行しても意味がない。更に退路を絶たれるのが落だ。
覚悟を決め、ケーキと向き合う。半分に切り、中身を確認する。中央に色の違うクリームがあることが確認でき、白いクリームと黄色いクリーム、タルトを一緒に一口食べて味をみる。チーズとレモン、カスタードにはバニラ、タルトは少しバターが感じやすくなっている。
飲み物はアイスティー。一口飲めば、口のなかにオレンジの香りが広がる。色もオレンジがかっているので間違いなさそうだ。
蘭は作業に取りかかった。タルト生地を作りながらカスタードクリームを作る。冷やす時間も計算にいれるので、本当は白いクリームも一緒に作りたいくらいだ。アイスティーは茶葉を選んでこし器に入れ、氷で水出しする。これはどうしようもないことだが、時間が惜しい。ただ、いつものように評価を気にして細工しなくて良い分、作業がはかどる。
虎は八分の一カットにしたケーキを食べながら、目を丸くしてこっちを見ていた。
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