つるつるさん  看護師の狂気が招いた怪談話

河杜隆楽

つるつるさん

 つるつるさん、というお話は聞いたことがありますでしょうか。


 他愛もない噂話でございます。つまらないのであれば、子守歌として、聞き流していただいて結構でございますよ。


 病院でよく聞く怪談話です。この辺りでは有名なお話なのですよ。


 その怪談はいつも朝の検診から始まります。検診に訪れた看護師の、病院中に響き渡る悲鳴から始まるのです。


 看護師は見ます。ベッドに横たわる患者の顔を。


 その顔はきれいに剃られているらしいのです。眉、髭、髪はもちろんのこと、剃られているのです。


 患者は真っ赤な血まみれの筋肉が露出したまま、眠っているそうです。健やかに。何事もなかったように。そして、そのままゆっくりと死んでいくそうです。


 誰がやったのでしょう。そうですね。いつも疑われるのは、ある看護師だそうです。彼女が夜勤の時に限って、その翌朝にそうなっているのですから、仕方のないことでしょう。


 でも、証拠が全く無いそうなのですよ。ええ、とても不思議なことに。それで彼女は逮捕されることなく、居心地が悪くなったその病院を後にして、新しい病院を転々とするようです。


 ご想像の通り、彼女が犯人です。


 彼女はどうしてそのようなことをするのでしょう。そうおっしゃりたいのでしょ。ほほほ、そんな目をしなくても答えて差し上げます。


 きっかけは、何のことはない、幼い頃の出来事だったそうです。彼女が庭で弟と遊んでいた時のことです。まだ弟は歩き方がたどたどしく、それはもう可愛らしいものだったそうですよ。


 その可愛い弟の眉に、庭の木から落ちてきた毛虫が乗ったのです。弟は泣いて、彼女に取ってくれて頼みました。彼女は取ろうとしましたが、子供のことですから力加減を誤ったのでしょうか、その毛虫を潰してしまった。毛虫の体液が弟の眉毛にべったりとくっつき、彼は余計に泣いたと聞いております。


 彼女は大変に反省したそうですよ。弟は感触が残っているのか、その晩はひたすら眉毛をかいていたそうです。それを見て、彼女も心配しました。かきむしられる彼の眉毛が、いつの間にか毛虫に変わっているのではないか。幼心に、そう感じたそうです。


 そして寝るころには、弟の眉毛がそうですよ。


 気持ちの悪いことでしょう。彼女は弟を助けようとしました。責任を感じたのでしょうか?いえいえ、単純に自分の気分の悪さを解消しようとしたにすぎません。


 両親もぐっすりと寝込んだ夜中、彼女はひっそりと起き上がりますと、父親の剃刀かみそりを探し出し、弟の眉毛を剃りました。


 弟はすぐに起きて、泣きわめきました。それはそうでしょう。彼女は眉毛と一緒に、下の皮膚も剃りあげてしまったのです。両親もすぐに起き、血と涙を流す弟を病院に連れていき、その後彼女をこっぴどく怒ったそうです。


 しかしながら、彼女の家族は優しかったのです。両親はその時だけしか彼女を怒らず、弟も眉毛が生えそろう頃には彼女を許したそうです。


 彼女は大いに反省し、家族の優しさに感謝しました。彼女は家族と仲良く暮らしました。


 ところが、神様は残酷でございました。これで終わらせてくれなかったのですよ。


 彼女は弟の眉毛を毛虫と思い込んで以来、人の顔が虫のように見え始めたそうです。最初は眉毛が、そのうちに体毛全て、そして皮膚全体が虫の集合体のように感じてしまったのです。


 彼女の学生生活は地獄でございました。クラスメイトが笑ったり、怒ったり、悲しんだりと、表情筋を動かすたびに、無数の虫がうごめいているように思えて、気持ちが悪いものでした。休み時間になると、いつもトイレで吐いていたそうです。当然のことですが、彼女は友達を作ることもできず、毎日隠れて過ごし、逃げるように卒業していきました。


 なぜ、彼女は耐え忍んだのでしょう。そう疑問に思われますか?……確かに、彼女は逃げることもできました。自殺も幾度も考えたそうです。


 ところが、家族の優しさが彼女を逃がさなかったのですよ。彼女は許してくれた家族に迷惑をかけたくなかった。彼女は吐き気を抑えて、顔一面に虫が這いずる家族の顔にむけて、いつも笑っていました。気丈な娘だったと、褒めていただければ幸いです。


 そんな彼女が卒業して進んだ道は、看護師の道でした。なぜでしょうか。家族の勧めもあったそうです。しかし一番の理由は、清潔な病院なら虫も寄ってこないのでは、と考えたからだと聞いています。実際、彼女は病院に行くと、消毒液の匂いで人の顔が人らしく見えたようなのです。おかしなことでしょう?でも、彼女にはそれが救いでした。看護師という道も、当然の帰着点でしたでしょう。


 ただ、彼女には誤算がございました。入院患者だけは、不思議なことに、その顔が虫に見えたそうです。


 彼女も首をかしげたことでしょう。消毒された病院の一番奥にいる入院患者だけがそう見えるなんて、思ってもいなかったことでした。


 その理由は分かりません。ええ、分からないのです。いつまで経っても。


 彼女は学生時代と同じように耐えました。幸いなことに、彼女の担当は外来だったので、直接入院患者と接することはありませんでした。彼女は彼らを目に入れないように、必死に耐えたそうですよ。


 そんな彼女が変わってしまったのは、家族の死でした。両親と大学生の弟が交通事故で亡くなったそうです。不運な出会いがしらの衝突だったと聞いています。


 彼女は病院の安置所で彼らと再会しました。白い布をとりますと、無数の虫で覆われた家族の死に顔が見えたそうです。彼女は誰もいなくなったことを見計らって、彼らの顔に殺虫剤を噴出しました。彼らの顔からぼたぼたと虫が落ちたのが見えたそうです。


 ところが、葬式の時にお棺のふたを開けると、また虫がこびりついていました。ええ、殺虫剤では効かなかったのです。その遺体を火葬して、やっと彼女は安心したと聞きます。だって、白くなった遺骨には虫はついていなかったのですから。


 そして翌年、彼女は病棟勤務に転属させられました。こういうのを弱り目に祟り目というのでしょうね。また吐き気に耐える日々を送ることになりました。


 彼女はこの不幸に嘆き悲しむよりも、むしろ怒ったそうです。なんで私だけがこんな目に会うのか。今まで死ぬような思いをして耐えてきたのは何だったのか。


 いつしか、彼女の心は壊れました。彼女は決意したそうです。患者を救ってあげようと。まるで理想の看護師のように。


 彼女は子供の頃より利口になっていました。弟のように、患者を起こすことはありません。くすねてきた麻酔をたっぷりと、寝ている患者の点滴に入れ、じっくりと彼らの顔を剃るのです。研ぎに研いだ剃刀かみそりを動かすたびに、汚らしい虫が死んでいく。


 その時の彼女の表情は、よく分かりませんが、恐らく微笑んでいたのではないでしょうか。誇らしげに、穏やかに、剃っていたのではないでしょうか。


 それからというもの、彼女のライフワークは『患者の顔から虫を追い出すこと』になりました。彼女はそれをとても素晴らしいことだと、もちろん誰にも言えませんが、確信しているのです。


 そのせいでしょうか。彼女はそれを行った翌日は、ニコニコと微笑みを絶やさなかったそうです。それを見つけた看護師の悲鳴が聞こえても、ニコニコと。


 疑われるのは当然でしたでしょうね。しかし誰も彼女に問いたださない。自分の近くにそんな人がいることが、怖くて仕方なかったのでしょう。


 彼女自身も自分が異常であることに気がついています。それでも止めない。ほら、道義的に正しいことをする時、世間の常識を外れないといけないこともありましょう。彼女は信じているのです。自分の正しさを。


 長々と失礼しました。こういう噂話はつい、話してみたくなるものです。こんな不吉な話は、なかなか機会がないと話せないのですから。このチャンスに巡り合えたことに感謝して、あなた様の迷惑も考えず、語ってしまいました。


 お楽しみいただけましたか?

















 ……それで、お分かりでしょうか。


 ワタクシが目の前にいる意味が。








 あなた様が悪いのですよ。麻酔が効いてくるこのタイミングで、目覚められてしまうなんて。


 でも、あなた様には残念なことに、もう体の自由は効かないでしょう。虫と一緒に、まぶたと唇をパクパクと汚らしく動かすことしか、出来ないようですね。


 でも、ご安心ください。昨日研いできたばかりのこの剃刀かみそりで、助けてさし上げますわ。


 そうです。そのままお眠りください。まぶたが重くなってきたでしょう。その目がしっかりと閉じてから、虫を取り除いてさし上げます。


 痛くはありません。じきに終わります。


 でも、ひとつだけ、聞いてもよろしいでしょうか。先ほども言いましたが、せっかくの機会ですもの。わがままをお許しください。


 小さく頷くだけで、結構でございます。


 ワタクシは今、微笑んでいますでしょうか。

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