一夜のキリトリセン

西藤有染

一夜のキリトリセン

 学生の頃は、何かと紙を提出する機会が多かった。部活の入部届、文化祭で業者が撮った写真の購入表、三者面談の日程調査表、模試の受験希望届、進路調査表、保護者会の参加の可否……。例を挙げていけばキリがないが、様々な意思表示を紙にして出してきた。そういった紙は大抵、黒い点線で上下に分かれていて、必要事項を記入して下半分だけを切り取って提出していた。学生なら誰もが一度は出会うこの点線だが、対処法には人によってかなりの個性が出ると思う。オーソドックスにハサミで切る人、まっすぐ切り取れるように丁寧に折り目を付けてから切る人、めんどくさがって手で破る人など、ぱっと思いついただけでもこれだけの差が出る。私はというと、裏と表の両方に折り目を付けた上で定規を宛がい、手で千切るというやり方をとっていた。こうするとまっすぐに切り取れる。昔はハサミを使っていたのだが、扱いが下手なのか、折り目に沿って切っても歪な切り口になってしまっていたので、いつからかこの方法を取るようになった。たまに失敗して歪な形になってしまうこともあるが、それはそれで割り箸を割るときの様な、ある種運試しのような要素になっていて楽しい。

 様々な個性が出るこの点線の切り離し方で、衝撃を受けたことが人生で二度あった。一つは、学級委員をやっていた友達が、私のやり方を見て、


「それ、紙が丸まるから集めるときちょっとめんどくさいんだよね」


と言った事。切り口の綺麗さにしか焦点が当たっていなかった当時の私は、そういう視点もあるのか、と衝撃を受けた。コペルニクスにでもなった気分だと伝えたら、そんなことで転回すんな、と笑われた。かといってやり方を変えることは無かったけど。いや、多少紙が丸まらないようには意識するようになったかな。まあその程度の衝撃だ。


 もう一つは、点線を「キリトリセン」にして切り取る人間に出会ったことだ。

  

 その日は確かHRホームルームで紙を配られ、その場で必要事項を記入し、回収する必要があった時だった。紙の内容はよく覚えていないが、かなり綺麗に紙を切り離せたことと、教卓に立つ先生に紙を渡したら、「やけに早いな木嶋。ちゃんと考えて書いたのかー?」と言われたことは覚えている。「ちゃんと考えたに決まってるじゃないですか」なんて軽くあしらった気がするが、中身を全く覚えていないということはつまり適当に書いたということだろう。教卓まで行ったら、当然自分の席に戻らないといけない訳だが、当時の私の席は教室の1番後ろだったので、戻りながら教室全体の様子をなんとなく見ることができた。その当たり前の行動の中で、私は当たり前じゃない行動を目撃した。

 私の隣の席に座っていた奴が、ペンを置いたかと思うと、おもむろにバッグからゴムマットとカッターを取り出したのだ。小学校の図画工作で使う様な、あの緑色で細かいマス目がつけられている、あのゴムマットだ。あれを机に敷き、紙をカッターで何度も突き刺し始めたのだ。一番後ろの目立たない席ということもあって、先生も含めて誰もその奇行には気づいていなかった。ある程度カッターを刺し終えると、そいつはその紙に一度折り目を付け、空中に持ち上げて左右に引っ張った。次の瞬間、軽快な音の連続と共に紙が切り取られた。あっけにとられた私と目が合ったそいつは、何故かにかっと満足げな表情をしてきた。いわゆる、どや顔というやつだ。


 それが人生二度目の点線ショックであり、隣の席の男、吉田とのファーストコンタクトだった。


 同じクラスになってから半年ほどは全く絡みの無かった相手だったが、それをきっかけに何故か会話をするようになった。普通なら距離を置くところなのだろうが、そうはならなかったのは、吉田が紙を切り離した瞬間の光景が、しばらく頭から離れなかったせいだろう。奴が切り離した紙は、切り口が真っすぐで、紙も丸まっていなかった。その上、切り離す瞬間の音も良かった。手で千切る時の「びりっ」という濁った音や、ハサミで切る時の「じゃきっ」という音はよく聞くと思うが、あの時に聞こえた、小気味の良い「ぷつっ」が連続する音は、少なくとも教室では聞いたことの無いような気持ちの良い音だった。だから、紙の切り取りというのは、切り口や紙の状態だけでなく、切り取る瞬間の音まで含めて評価する芸術であり競技なんだろうと吉田に言ったら、


「木嶋っておかしな奴なんだな」


と笑われた。点線をわざわざカッターとゴムマットまで使って「キリトリセン」にするような奴に言われたくはなかった。

 吉田からすれば、


「道具に頼らないと綺麗に切り取れない点線なんてキリトリセンじゃない」


らしい。キリトリセンを切り離す時はいつもそうやっているのかと聞いたら、「これはキリトリセンじゃなくて只の点線だ」とわざわざ訂正された。学校のプリント類に印刷されている只の点線は、自分で加工して手で綺麗に切り離せるようにしているんだそうだ。ゴムマットを使うのは、机の保護と、等間隔に細かく切り込みを入れるためらしい。変わってるなと面と向かって言ったら、


「おかしな奴に言われたくない」


と返ってきた。こっちのセリフを取るな。


 そんな変人気質な吉田だが、非常識だったり世間知らずだったりする訳では無く、キリトリセン以外に関しては、割とまともだった。一度、軽い気持ちで愚痴をこぼしたら、予想以上に客観的で的を得た解決策を得られたので、それ以来、何かと吉田に相談することが多くなった。周りの目を気にしたり流されたりせずにキリトリセンを作るような奴だからだろうか、案外しっかりとした芯を持っていて頼りになった。どんな話でも真面目に聞いてくれるし、かなり参考になる意見もくれる、良い相談相手なのだが、何かにかこつけてキリトリセンに例えようとしてくるのはやっぱり頭がおかしいと思う。そのおかしな例えで、たまに成程と納得してしまう自分もいて、ちょっと悔しくなることもあるのは内緒だ。

 年ごろの若者の悩み事といえば当然恋愛ごとも含まれてくるわけで、勿論それも吉田に相談していた。隣のクラスの知らない男子から告白された時も、同じクラスの男子に告白する時も、初デートの前にも相談に乗ってもらっていた。同性の友人に相談すると、気が楽になることはあっても、「いいじゃんいっちゃいなよ、大丈夫大丈夫」みたいな、ろくでもない答えが返ってくることが多くて正直当てにならない。それどころか下手をすると嫉妬の対象になったりして大変なので、恋愛相談において、客観的に判断してくれる異性というのは本当に貴重だ。吉田には何度も助けられたし、かなり明け透けな話なんかもした。

 だからこそ、別々の大学に進学してからも何度も相談に乗ってもらっていたし、高校の時から3年間付き合っていた彼氏に浮気されていたことが分かって、真っ先に呼び出した相手は吉田だった。でもまあ、フラれてヤケクソになってたのと、酒の勢いも相まって、自分からホテルに連れ込んでしまったのはさすがにどうかしてると思ったけど。

 

「コンドームの袋って、キリトリセン無いからあまり好きじゃないんだよな」


 女の裸を前にして、緊張するどころかそんなムードもへったくれも無いような事を言う奴がいるか。というか、そんな余裕があるってことはあれか、お前さては童貞じゃないな。いや、そんな経験したなんて一言も言ってなかったじゃん。こっちはいろいろと喋ってたのに自分のことはだんまりかこのやろう。私は一夜の過ち的なサムシングで元カレの事を上書きして、吉田は童貞卒業して、Win-Winになると思ったのに、それじゃあ私が一方的に得するだけじゃないか。そう思ったら、罪悪感の様なものが生じ、心をざわつかせ始める。


「そんなこといいから早く私をめちゃくちゃにしてよ」


 内心を誤魔化す為にそう口にしてみたものの、声が震えてしまい、逆効果となってしまう。すると、吉田は仰向けに寝転ぶ私の横に両手を置き、覆い被さるように目を合わせてきた。その向けられた真っすぐな視線に、思わず目を逸らしてしまう。


「キリトリセンって、製作者と切る取る側の両方が協力しないと綺麗に切り取れないんだよ」

「何それ。こんなとこでもキリトリセンの話?」

「製作者は綺麗に切り取れる精密なキリトリセンを作らないといけないし、切り取る側は一度折り目を付けて丁寧に切り取らないといけない。二人の合意が無いと、綺麗に切り離せないんだ。恋愛も、こういうこともおんなじじゃない?」

「私は、自分の都合だけで吉田を利用しようとしてるだけだよ」


 訳の分からない例え話なのに、まるで内心を探り当てられたかのようで、ついそう零してしまう。


「自分の寂しさを紛らわす為に、あんたの気持ちに構わずに抱かれようとしてるだけ」

「俺はそこまで都合の良い生き物じゃないよ。好きな人じゃなきゃ抱こうなんて思わないし、好きな人以外にはこうはならない」

「……キリトリセンでしか興奮しない変態のくせに」

「あながち間違いじゃないな」

「えっ」


「今まで出会ってきた中で、キリトリセン以上の魅力があると思ったのは、木嶋だけだからな」


「……何それ。全然嬉しくない」


 言葉とは裏腹に、顔が熱くなるのを感じる。体の奥底から熱いものがこみ上げ、視界が滲み始める。そんな変化を吉田に見られたくなくて、腕で顔を隠す。


「でもそれが、正直な気持ちだから」

「というか、そんなに好きだったのに何で今まで告白してこなかったの」

「何でって、木嶋の中での俺の存在ってキリトリセン程度だっただろ」

「キリトリセン程度って……」

「無かったら不便だけど、無くても生きていける存在」

「自分でそれ言うの悲しくならない? 吉田は大事な友達だし、いなくなったら泣くからね?」

「でも恋愛対象ではなかっただろ」

「それは、まぁ……」


 正直、フラれてヤケクソになっていなければ、ホテルに誘うことなんてなかったと思う。


「だから、こんなことにでもならない限りは告白する気なんて更々無かったんだけど、……なんでこんな状況になってんだ」


 本当に何でこんな事になってるんだろう。余りにシュールな状況に、思わず笑ってしまい、弾みで顔を覆っていた腕が上がり、吉田と目が合う。


「まあ、その、なんだ。……木嶋の人生、半分切り取らせてください」

「何そのプロポーズ。意味わかんない」


 ひとしきり笑った後、私は困った顔をする彼の頭を引き寄せてキスをした。

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