赤い人

ほしのかな

赤い人

「彼」を初めて見たのは、忘れもしない5歳の初秋の事です。


 当時の私は祖母、両親、叔母、妹と一緒に暮らしていました。

 当時の家はほとんどの部屋が和室で、私の部屋は二階の北の角部屋。

 あまり日の差しこまないその和室は、心なしかジメッとした雰囲気のある部屋でした。


 ただでさえ日当たりが悪いのに、窓を半分塞ぐように旧型の茶色いクーラーが埋め込まれていて、夏場は常にジーというモーター音が響いていました。


 私はその薄暗い部屋に一人でいる事があまり好きではなく、ほとんどの時間を一階の居間で過ごしていました。



 その日は朝から発熱があり、幼稚園を休む事になりました。


 例によって部屋に居たくない私は、何かと理由をつけながら居間でグダグダと子供番組を見ていました。


 しばらくすると母から「薬を飲んでちゃんと寝なさい!」という雷が落ち、私はしぶしぶ自分の部屋に戻って布団に潜り込みました。


 しかし、いざ寝ようと思ってみてもなかなか寝付けません。

 発熱時特有の浮遊感が気持ち悪く、寝返りをうってはため息をついていました。

 しばらくそうしていると、いつのまにかうつらうつらと夢うつつの状態になりました。

 眠っては覚め、眠っては覚めを何度か繰り返していると唐突に──それは、来たのです。


「まずい」


 そう思うと同時に、パッと目が覚めました。

 それが何故かはわかりません。

 ただ、凄まじい程の恐怖感だけが私を埋め尽くしました。


 眼に映る景色に変わりはありません。


 ただいつのまにか夕方になっていたようで、部屋が暗い朱に染まっていました。家具が落とす影も濃く、隙間から差し込む夕日に照らされて長く伸びていました。


 別段いつもと変わりのない光景なのに、瞬きひとつするのも恐ろしくく感じられて、私はじっと布団の中で縮こまりました。


 そうしているうちに、ふと違和感に気づいたのです。


 ──音がしない。


 そう。なんの音も聞こえないのです。

 一階にいるはずの母や祖母の生活音も、部屋に飾られた古い時計の音も、あんなにうるさいと思っていたクーラーのモーター音も。


 気づいてはいけない事に気づいてしまった!

 私は直感的にそう思い、サッと血の気が引くのを感じました。


 その時です。


 チリン。

 ドンドン!

 シャンシャンシャン。


 窓の外から、場違いなほど賑やかな音が鳴り響きました。

 ガヤガヤと人の話す声も聞こえてきます。


 ようく耳をそばだててみると、どうやらそれは祭囃子のようでした。


 チリン。

 ドンドン!

 シャンシャンシャン。


「どこだーどこだ」

「返せ。返せ」

「迎えに来たよー」

「かみ(髪なのか紙なのかわかりません)をあげたはずだぞー」


 祭囃子の合間に、子供のような大人の男性のようななんとも言えぬ声が聞こえてきます。その声は遠くから、だんだんこちらへ近づいているようでした。


 それに合わせて、視界の隅で何か動くものが見えました。

 

 恐ろしさのあまりそちらに顔を向ける事も出来ずに、目だけで横を見やると窓の外に複数の影が蠢いていたのです。


 はダメだ!

 見つかってはいけない!


 私は本当に恐ろしくなって、もう指の一本も動かせなくなりました。

 少しでも音を立てれば彼らに見つかってしまう。

 そう思い、必死に自分の気配を殺そうと息を潜めました。


 窓の外にたくさんの人がいる。

 でもそんな事はありえません。


 2階のその部屋には、ベランダも何もありません。

 足をかけられそうな、プランター置き場すらないのです。


 でもを、大勢の人が行き交っている!


 ――お母さんでも、おばあちゃんでも、誰でもいいから助けて!

 私は心の中で、一心不乱に助けを呼びました。


 すると部屋のどこからか、スッと畳を擦るような音が聞こえたのです。


 私は思わず音のした方を見ました。

 動かないようにしていた事も忘れ、反射的に見てしまったのです。


 人です。


 人が居ました。


 和室の角に、見知らぬ人影が正座しています。


 体格からして多分男の人でしょう。

 服も着ておらず、頭髪は生えていないように見えました。

 まるで裸のマネキンが突然あらわれた様な風体だったのです。


 けれどもマネキンと決定的に違う所がひとつ。


 体中が血のように「真っ赤」に染まっていました。

 皮膚も白目も黒目も赤く、暗がりでもぬらぬらと光っているようでした。


 その人は何をするでもなく、ただ正座をして私を見ているのです。


 私は恐怖で今にも叫び出しそうでした。


 その恐ろしい人をもう見たくないのに、目をそらす事もためらわれて、根気比べのようにじっと見つめ合っていたのです。




 気がつくと、朝になっていました。


 あのままずっと見つめ合っていたのかどうかも定かではありません。


 私は急いで階段を駆け下りると、母に昨日の出来事を話しました。

 母は呆れたように「夢でも見たんでしょ」と言いました。


 確かに、あんなに非現実的な事夢でなくては起こり得ません。

 そうか、夢だったんだ。夢だから平気。何も怖くない。

 半ば言い聞かせるように、私はそう唱えました。




 今となって考えれば、あれは確かに夢だったのです。

 熱に侵されて見た悪夢。

 その証拠に、私はその夢をそれから度々見ることになりました。


 何度も何度も繰り返し、祭囃子と喧騒を聞き、赤い人と見つめ合う。

 そうしているうちに、ひとつ嫌なことに気がついてしまったのです。


 ――赤い人が、少しずつこちらに近づいて来ている。


 部屋の隅から、こちらに向かってじりじりと。


 見つめ合っている間は微動だにしないので、私が夢を見ていない隙ににじり寄っていたのかもしれません。


 私の恐怖は「夢を見ること」から「追いつかれてしまう事」に変わっていきました。


 このままではいつか追いつかれてしまう。

 その時が来たらどうなってしまうのだろうか。


 私は、眠ることがとても怖くなり、夜泣きをするようになりました。



 しばらくして。

 それが原因では無いのですが、私たちは引越しをすることになりました。


 新築の家は綺麗で今風の造り。

 和室も一部屋しかなく、私の部屋も南向きの洋室になりました。


 私は「これで夢から逃れられた」と思っていました。

 家が変わってしまえば、赤い人も追ってこれないと思ったからです。


 けれども、それもぬか喜びでした。


 それからも変わらず、赤い人は私の夢へやって来ました。

 綺麗で明るい洋室で眠っても、夢の中の私は、いつもあの和室に引き戻されていたのです。



 そんな生活が続いていた最中に、母が亡くなりました。


 その頃から生活は大きく変わり、次第に夢を見る回数は減っていきました。

 高校生活、社会人生活を満喫する中で、私はいつしか「赤い人」の存在を忘れていったのです。



 それからさらに数年経ったある日のことです。

 憧れの東京で一人暮らしていた私は、日頃の不摂生が祟り風邪を引きました。

 解熱剤を飲んで眠りに落ちると、あの嫌な静けさを感じたのです。


 終わったんじゃなかったのか――!

 そう思い目を開けると、思わず息が止まりました。


 赤い、顔。


 そう。目と鼻の先に赤い顔があるのです。

 その人は赤い目をニッと細めて、笑っているようでした。


 初めて見えた歯も赤く、歯茎との境目もよく見なければわからない程です。


 驚きと恐怖で声も出ない私から少しも視線を離さずに、赤い人が口を開きました。


「ここに来るまで8年かかりました」


 赤い人の低い掠れた声を聞いた瞬間、私は叫んで飛び起きました。

 たかが夢。考えすぎだという事は分かっています。

 

 ただ、あの夢を最後に見たのは確かに8年前だったのです。

 

 次にあの夢を見る時、私はどうなってしまうのでしょうか。

 今はただ、それが恐ろしいのです。


 おわり

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赤い人 ほしのかな @kanahoshino

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