かげろうの追悼者

『で――今回のオチというか、その後の顛末は?』


 ボブ爺さんのしゃがれた声に、ぼくは「とくに何もありませんよ」とだけ返した。通話機の向こうからは、神妙な唸り声が聞こえた。


 あの後、ぼくと青山さんは旧東京を後にした。そして、各地の電波塔を巡り、同様の患者がいないか捜索するという方針だけ立て、また奔放な旅を続けている。


『まぁ、それはそれとして、だ。俺ぁずっと気になっていたことがあるんだが、一つ訊いてもいいかね』


「ええ、いいですよ」


『お前さん、どうして無事でいられるんだ?』


「…………と、言いますと?」


『あのな、お前さんみたいな正常な人間が、あのお嬢と一緒にいられるのは異状なんだよ。お前さんと、あのじゃ、立っている場所が違いすぎる。要するにだ、あのイカレ女のふざけた道楽に付き合っていて、なんで特記障を発症しない?』


「ああ――」


 なんだ、そんなことか、とぼくは言いかけた。確かに青山さんは、ぼくとは違う。強いし、綺麗だし、カッコいい。後ろを着いていくのも精一杯で、隣に並べる日なんて永劫来ないように思える。もちろん、今回のように、一緒にいてヒヤヒヤさせられる場面も多々ある。


 だけど――そんな程度のことで、ぼくがストレスを感じる理由にはならない。


「だってぼくは青山さんのことが大好きですから」


『は?』


「好きな人と一緒にいられるのに――ストレスを感じる道理はないでしょう?」


 ボブ爺さんは、しばらく無線の向こうで沈黙していた。あれ、ぼくは何かおかしなことを言ったのだろうか。


『面白い奴だよ、お前は』


 それだけ言って、ボブ爺は哄笑の限りを尽くした。悪魔みたいなわらい声だった。


『まったく、最高の後日談ピロートークもあったもんだぜ。まさか教えを説いてやるつもりが逆に説かれちまうとはな』


「え? それって……」


『愛だぜ、ボーイ。ま、お前さんの人生楽しんでるようで何よりさ。そのまま引き続き、よろしくやってくれや。あのイカレた嬢ちゃんと進展があったなら、また連絡しな。ベッドの作法くらいは教えてやるぞ。じゃあな』


 それきり、ボブ爺さんは通話を切ってしまった。ぼくにはいま一つ、その意味が理解できなかった。


「おい、いつまで茶番をしてやがる。用が済んだらさっさと行くぞ」


 九十八年式ランドクルーザの助手席に座るピンクのドレスが、ドスの効いた声で言った。ぼくは、慌ててシフトを一に切り替える。


「まずは西だ。旧大阪のタワーを見物だ」


 そこに患者さまがいるならゴキゲンだ――と言わんばかりに、彼女は頬を釣り上げる。その視線の先にぼくはいない。それでいい、とぼくは思った。


 いつか旅路のその果てに、ぼくたちを何が待ち受けるのか。それは、誰にも分からない。

 だけど七月の空は広く青く、どこまでも広がっている。そして隣に好きな人の笑顔があるなら――なんだって、どうにかなる気がしてくるだろう?


「それじゃ行きますよ、青山さん」


 かげろうの追悼者。

 淡く儚く、悲しい命を葬るメンタル施工士を乗せた車は、今日も滅んだ世界を往く。



 終


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青山せらぴの特奇症患者治療録~かげろうの追悼者~ 神崎 ひなた @kannzakihinata

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