7.ゆめのおわり

 それから最上階へ向かうまでの間、ぼくたちはなにも話さなかった。上の階に進むにつれ、絶叫が激しさを増したからだ。ぼくでさえそうなのだから、青山さんの苦痛たるや、計り知れるものではない。


 それは展望台の最上階の隅にある、無愛想な扉の奥にあった。「総合コントロール室」と書かれた無愛想な扉を、青山さんは突撃銃カラシニコフの乱射でブチ破った。


 巨大な制御盤が内蔵された機械や、ガラス坂に隔離されたケーブルだらけの機械が、視界いっぱいに広がっていた。コードに足を絡めないよう慎重に進むと、一番奥にテーブルがあった。その上には一体誰が置いたのだろう、水の満たされた小さな水槽が置かれている。中には腫瘍らしきものが浮かんでいた。腫瘍から数々のが生えて、発電装置や放送器具に繋がっていた。


「よう。助けにきたぜ」


 ぼくから離れ、己の二本足だけで堂々と向かい合って、青山さんは宣言した。すると、周囲のモニターに勝手に電源がついて、ザリザリ、とスピーカーが鳴る。


『いや……来ないで、来ないで……』


 意思がある。感情がある。言葉を話す。ぼくと違って青山さんは、そのすべてに一切の感情を動かさなかった。


「そう怖がらなくていい。私は敵じゃない」


『ああああああああ嫌ぁぁぁぁぁぁイヤァァァァァァァァッ!!!! 苦しい苦しい苦しい苦しいァァァァァァァァッ!!!!』


 水槽内にごぼごぼと気泡が舞った。絶叫は部屋中に響き、ガラス板がビリビリと振動を伝えた。だが、青山さんは怯まずに前進する。


「いままで頑張ったよな。辛かったよな。でも今日でぜんぶ終わるんだよ。本当によくやった。お前の声はちゃんと聴こえてたぜ。だから私がここに来たんだ」


『そうよ死ぬほどつらくて死ぬほどがんばったのにどうしてぇぇぇえぇぇぇぁぁぁぁぁぁいやぁぁぁぁぁぁっ死にたくないっぃぃぃぃぃぃぃぃぃ生きたくないぃぃぃぃぃぃぃ』


「大丈夫。ぜんぶ悪い夢だったんだ」


 爆音にひるむことなく、青山さんは一歩、また一歩と水槽に近づいていった。


「死ぬほどつらいよな。死ぬほど頑張ったよな。そういう時は、もう死んでもいいんだぜ。――人ってのは、本当はいつ死んでもいいんだよ」


『………』


 ぴたり、と音がとまった。


「死ぬほどつらくて、死ぬほど苦しいときは、死ぬって選択をしてもいいんだぜ。だってお前は、お前の人生を自由に生きられるんだから。生きてると色んな嫌な事があって、色んな嫌な奴がいて、忘れちまうかもしれないけど――それだけは、ほんとだぜ。そこんとこだけ、夢から醒めた後も忘れるなよな」


『あ、ああ……あ……あなたは……だれ?』


「青山せらぴ。いい名前だろ?」


 そういって青山さんはにこっと笑った。もう水槽から気泡は昇らなかった。もうスピーカーはなにも音を発しなかった。青山さんはおぼつかない足取りで、それでもはっきりと笑顔を浮かべ、一点の曇りもなく、水槽の前で、削岩式注射器を取り出した。


「ちょっとチクっとするが大丈夫だ。目が覚めたら、そこは今よりきっといい世界だから」


 水槽の中の小さな腫瘍は、もう何も言わなかった。ただ、ゆっくりと体に沈んでいく針に身を任せていた。


『……ありがとう』


 その言葉を最期に、周囲のあらゆる電子機器の電源が落ちた。いきなり世界が終わったみたいだった。薄暗い部屋の中で、青山さんがゆっくりと手を合わせていた。

 なにかの機械がバチバチと火花を上げてショートした。しばらくその匂いが何に似ているか思い出せなかった。それが線香に似ていたのだと気が付いたのは、スカイツリーを後にしてからだった。


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