僕の小悪魔
椎葉伊作
僕の小悪魔
僕には彼女がいる。冴えない僕にはもったいないくらいの彼女だ。
出会いは突然だった。友達が一人もいなかった大学生の僕は図書館で本を読んでいた。広いテーブルに独りで座り、静寂に溶け込むように存在していた僕に、声をかけてきた人がいた。それが彼女だった。
「何読んでるの?」
彼女は初対面だというのに砕けた言い方でにこやかに笑いかけてきた。
「・・・黒魔術の本」
僕は伏し目がちにボソッと呟いた。人見知りだし、女の人から話しかけられることなんて今まで両手で数えて足りるくらいしかなかったからだ。こういう本だよ、なんて説明でもできればよかったんだろうけど、子供みたいに言葉を返すしかなかった。
普通の人ならすぐにその場を離れるだろう。けど彼女は、自分の情けなさに絶望しきった僕に、また笑顔を向けてきたんだ。
「それ、私も読んだことあるよ」
その時僕は初めて彼女の方を見た。彼女は両手いっぱいに悪魔や黒魔術に関する本を抱えていたんだ。
「そういうの、興味あるんだ。私も」
それからなにがどうなったのか、僕は生まれて初めての彼女が出来た。自分でも信じられない。夢なんじゃないかと思った。けどいくら頬をつねったって、肌に切れ込みを入れたって、目が覚めない。夢じゃないんだ。
僕たちは同棲を始めた。大学をさぼって部屋にこもり、悪魔学や黒魔術の本を読みふけるのが日課になった。二人ともそういうのが好きだから、気が合ったんだろうか。自分でもわからない。
僕は悪魔の存在を信じている。彼女も悪魔の存在を信じている。それだけで僕には十分だったんだ。
彼女は可愛くて、朗らかで、そしてちょっぴり小悪魔だった。僕が本を読んでいると後ろから抱き着いてきて、僕の眼球に爪を立てようとするんだ。
「やめてよ、本が読めなくなっちゃうよ」
「本が読めなくなるのと、私が視れなくなるのと、どっちが辛いの?」
僕が言葉に詰まっていると、彼女はいたずらっぽく笑って言った。
「そんな顔しなくたっていいのに」
それがお決まりのセリフだった。僕にちょっかいを仕掛けてきて、僕がやり返すと決まって自分を天秤にかけるんだ。僕は言い返そうとするけど、言葉に迷って沈黙が続く。そしたら彼女は意地悪な笑みを浮かべて満足そうにそう言う。
僕の体には細かい傷が増えていったけど、生活は順風満帆だった。彼女がいるって、こんなにも嬉しいことなんだなあ。そう思っていた。さっきまでは。
僕は彼女を殺した。部屋で首を絞めたんだ。きっかけは彼女とのちょっとした言い争いだった。
「ねえねえ、悪魔ってコントロールできると思うんだ。目の前に現れたとするじゃない。契約なんてしないで、人間なら服従させられると思わない?」
「・・・どうしてそう思うの?」
「だって、悪魔って本来地面に門を描いて召喚するんだよ。でも実際にこの世に現れた悪魔は誰かに憑りついているじゃない。だったら契約もなにも、ルールに乗っ取っていないんだから、こっちから一方的に扱えると思わない?」
確かに僕と彼女が読み漁っていた本には、そういったことが記してあった。
悪魔とは、人間が地面に召喚門を描いて呼び寄せることで現れるのだ。その際に契約を交わすことで、この世の理に反する力を得ることが出来る。
「・・・僕はそう思わないよ。悪魔はこの世の理に反する力を持っているんだ。だから人間が存在する次元のルールなんて通用しないと思うな」
僕はきちんと自分の考えを述べた。すると彼女は顔色を変えないまま続けた。
「でも、人間だって悪魔に匹敵するぐらい邪悪な存在よ。悪魔が裸足で逃げだすような世界に、私たちは生きているんじゃないの」
彼女の言いたいことは理解できたが、その言葉は僕の魂を否定されたようで、悲しみと怒りがふつふつとこみあげてきた。
「・・・僕は、悪魔はきっと人間以上に邪悪な存在だと思うよ。この世界の理解が及ばない悪の化身がきっとどこかにいると思う」
「そうかしら。でも、私はそんな悪魔なんかよりよっぽど邪悪な人間がいると思うの」
「・・・例えば?」
「あなたみたいな」
気がついたら僕は彼女の首に手をかけていた。力いっぱい細くて白い首を締めあげて、彼女の息の根を止めた。
不思議なことに、彼女は一言も悲鳴を発さなかった。いや、発することが出来なかったのか?わからない。
でも首を締めあげている間、彼女はいつもの、あの意地悪な笑みを浮かべていた。満足そうな笑顔で、首を絞める僕の顔を見つめていたんだ。
彼女の体が痙攣して白目が真っ赤になった頃、僕は首から手を離した。目の前には彼女だった物が横たわっていた。完全なる死がそこに存在していた。
僕は半刻ほど後悔した。生まれて初めてできた彼女。僕の魂の理解者。そう思っていた。けど、君は違ったんだ。悲しいことに。
これからどうしようか。彼女だった物を前に考える。死体の処理なんてしたことがない。
とりあえず調べてみよう。スマートフォンを取り出した。わからないことがあればすぐにインターネットで調べることが出来る。便利な世の中だ。
「・・・この方法かな」
僕は彼女だった物をシーツにくるむと、それを丁重に車のトランクまで運んで乗せた。行先は、近くの山林だ。真夜中の暗闇をライトで切り裂きながら、僕は車を走らせた。
これくらいだろうか。僕は近くの山小屋から拝借してきたスコップで、人一人が収まるほどの穴を掘っていた。本当はもっと深く掘らなければならないのだろうが、仕方ない。木の根が邪魔して掘れやしないからだ。
まあこの辺には野犬などいないし、人が寄り付くような場所でもない。大丈夫だろう。スコップを地面に突き刺してから、トランクを開けた。シーツをくるんだまま、彼女だった物を穴に寝かせる。
最後に顔くらい見ておこうか。シーツをはらりとめくると、彼女だった物はやはりあの笑顔を浮かべていた。見開いた目は真っ赤に染まったままだ。
「・・・・・・・・」
ふいに生前の彼女の肌が懐かしくなり、ブラウスを捲った。白く透き通るような胸元が現れたが、よく見ると赤く腫れている。
「・・・・?」
目を凝らす。針で引っ掻いたような傷が幾重にも重なっている。・・・いや、これはでたらめに傷をつけたのではない。きれいな曲線を描いて模様が形作られている。
これは悪魔の召喚門だ。
傷の具合から察するに、今日つけたものだろう。器用に描いたものだ。寸分の狂いもなく複写してある。
どうして胸元に悪魔の召喚門を描いたのだろう。疑問に思ったが、考えていても仕方がない。彼女だった物をシーツにくるみ直すと、土をかけていった。
掘る時は苦労したのに埋めるときは簡単だ。あっという間に彼女だった物は土中に埋まり、見えなくなってしまった。
その場に立ち尽くしたまま、もの思いに耽る。結局この世界に僕の魂の理解者など現れないのだろうか。それならばせめて、悪魔の存在を証明したい。悪魔はきっと、僕より邪悪なはずだ。でなければ僕は———。
目の前の地面を眺めた。悪魔は召喚門を描くと、地面を割って姿を現すのだという。ならば、僕が殺した彼女だった物も、僕を恨んで悪魔となり、この地面を割って現れるのだろうか。
「そんな顔しなくたっていいのに」
頭上から彼女だった者の声がした。僕の、僕だけの小悪魔。僕は笑みを浮かべると、天を仰いだ。
僕の小悪魔 椎葉伊作 @siibaisaku6902
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