海の手

滝川創

海の手

 俊司しゅんじの髪の毛は潮風になびいていた。

 そこへ泰典やすのりと京子が楽しそうに話しながらやってくる。

 気持ちよく空を飛ぶカモメたちの声が聞こえる。

 彼らを乗せた船、「彼方丸」の所有者である叶太かなたが舵を取っているその横で真美まみが空を眺めている。

 五人はこの休暇で近場の海をクルージングしていた。

 彼方丸はなかなか乗り心地の良い船だった。


 五人は海の上で食事をとった。

 皆で食べる食事は美味しかった。


「いやー、食った食った」


 叶太がそう言いながら紙皿と紙コップを持って立ち上がった。

 叶太は船の端に立つと、それを海に投げ捨てた。


「おい、海に捨てちまうのかよ」


 俊司が困惑した顔で言う。


「こんなにも広い海だ。どうせ、ゴミを捨てる人なんて山ほどいるだろうし、別に気にすることはないね」


 泰典が言うと、皆次々とペッドボトルやらビニール袋やらを海に捨てた。


「なんか気が引けるなあ」

「俊司、お前も捨てちゃえよ。大した量でもないんだから大丈夫だって」

「うーん、まあ、そうか」


 俊司は自分の使った紙皿を海へ投げ捨てた。


「船も綺麗になってスッキリしたし、そろそろ帰るか」


 叶太はそう言って運転席へ戻った。



 *****



 京子と連絡が取れなくなったのはクルージングから帰ってきて一週間が経った頃からだった。

 京子が心配になった四人は、皆で京子の家を訪ねることにした。


 外は雨が降った後で、あちこちに水たまりができていた。

 その日は彼らの住んでいる地域の祭りの日だった。

 その祭りではたいまつを持った人々が町中を練り歩くという、炎の大行列が見どころだった。

 四人は道中でその行列にぶつかった。


「すごい人だなー」


 俊司は驚いていた。

 四人は行列に巻きこまれた。

 熱気に包まれた人々とメラメラ燃え上がるたいまつの火で視界が一杯になった。


 俊司は皆とはぐれた。

 何とか人混みから抜け出し、細い通りに避難する。

 空には煙がもくもくと上がっている。

 人混みの中から、叶太と真美が出てきた。


「ほんと、すごい人だな。あれ、泰典は?」


 電話をしてみたが泰典は出なかった。


「どこ行っちまったんだ、あいつ」


 叶太がいらだちを見せる。


 その時だった。

 近くにあった水たまりから青い手がにゅーっと伸びて、真美の脚を掴んだ。


「いやっ!」


 真美は倒れて地面に頭を打ちつけた。


「何だこれ!?」


 俊司が声を上げる。


「引きずり込まれてる! 助けて!」


 真美は水たまりの方へズリズリと引きずられていく。

 俊司と叶太は、目の前で起きている突飛なできごとにぽかんとしたまま棒のように立っていた。

 叶太がはっと我に返り、真美に手を差し伸べる。


 だが、遅かった。

 真美の体はゆっくりと水たまりの中へ引きずり込まれていった。

 叫び声がゴボゴボという音に変わっていき、やがて音が消えた。

 真美の姿が見えなくなった後には水たまりの表面に小さな泡が浮かんでいるだけだった。


「真美! 今助けるぞ!」


 叶太は腕を水たまりに突っ込んだ。

 だが、彼の手はすぐ下にある地面に当たり、それ以上の深さは、人が入れるような深さはなかった。


「一体これはどういうことだ?」


 俊司が見た叶太の顔色は見るからに悪かった。

 叶太は水たまりの横にしゃがみ込んだ。

 一瞬、水たまりの色が深くなったように感じた。


 バシャッ


 再び、水たまりから手が出てきて叶太の右腕に絡みついた。


「嘘だろっ!」


 叶太の身体が前に傾く。

 俊司は叶太の後ろに素早く駆け寄り、叶太を引っ張った。

 青い手が叶太の手から取れ、水たまりの中に引っ込んだ。


「ヤバいぞ。とにかくここから逃げよう」


 俊司はそう言うと、放心状態の叶太の手を引っ張って走り始めた。

 二人が曲がり角を曲がろうとしたとき、一台のトラックが飛び出してきた。


 キキィーッ


 地面が張り裂けそうな音を出してトラックは急カーブした。

 その勢いでトラックは消火栓に突っ込んだ。


 プシュー!


 消火栓が破裂し、水が噴き出す。

 すぐに二人の足元に水たまりができた。

 すると、その出来上ったばかりの水たまりの中から先ほどと同様、青い手が飛び出した。


「うわっ。ここにもいるぞ!」


 青い手は二人を掴もうとあちこちを探るように這いずり回っている。


「水に近づいたら危険だ! 家に逃げよう!」


 俊司と叶太は俊司の家に向かって走り出した。

 二人は閑静な住宅地を走り抜けた。


「もう少しで家だ!」


 一人の女性が家の前で水をまいていた。そこから、何本もの青い手が二人目掛けて飛び出す。


「気をつけろ!」


 叶太が叫ぶと女性は目を丸くしてこっちを見た。


「なあ、俊司。もしかして、俺たちにしか見えてないのか……?」


 あの反応からして、彼女には自分がまいた水からいくつもの青い手が伸びているのが見えていないようだった。


「さあ、一体どうなってるのか訳がわからないよ」


 二人は俊司の部屋に逃げ込み、鍵を閉めてから息を切らしてその場に倒れ込んだ。

 一体自分たちの身に何が起きているのか、全く理解ができなかった。

 静かな部屋の中に、二人分の乱れた呼吸の音。


「ん? 俊司、あの音聞こえるか……?」


 二人以外に誰も居ないはずの部屋に風呂のドアを叩く音が低く響いていた。


 ドシン、ドシン、ドシン


 風呂場の前まで行って見ると風呂のドアが歪み、中に無数の腕の影が動いていた。


「昨日の風呂をまだ抜いてなかったんだ……」


 俊司がつぶやいた。


「ってことは、この家の中も安全じゃないのかよ!?」


 叶太が言ったのと同時に洗面所の蛇口が破裂した。

 二人に向かって水が噴き出す。

 続けざまに風呂場の扉が突き破られる。


「くそっ! あっちの部屋に逃げろ!」


 水が噴き出す音に負けじと俊司は声を荒げた。

 二人は水気のない寝室に逃げ込んでドアを閉め、ドアと床の隙間にタオルを敷き詰めて水が入ってくるのを防いだ。

 ドアを力強く叩く音が、腹に響いて伝わってきた。

 ドアが軋み、歪む。

 窓の外から炎の行列が通る音が聞こえてきた。

 炎の行列は毎年ここら辺も巡回するので俊司はいつも窓から行列を見ていた。

 二人の意識はそんな行列よりも、目の前でドアを破壊しようとしている青い手に向けられていた。

 二人が外を歩く人々に気づいたのは室内に煙が入ってきてからだった。


「おい、煙が入ってきてるぞ!」

「祭りの日はたいまつの煙が室内に入るから、窓を閉めないといけないんだった!」


 窓から煙がモクモクと入ってくる。


 ピピピ


 部屋に機械音が鳴り響き、二人は火災報知器が作動したのだと気づいた。

 それと連動して天井に設置されたスプリンクラーが水をまき散らし始める。

 今、二人にとって恐ろしいのは火でも煙でもなく、水だった。

 部屋はすぐに水浸しになってうようよと手が生えだした。

 二人は藁にもすがる思いで机の上に飛び乗ったが、無数の手はあっさりと机の上まで這い上って、獲物を取り合うようにして二人に巻き付いた。

 二人は腕を振り払おうと全力で暴れ回ったが、その抵抗も虚しく彼らの体は水の中へと吸い込まれていった。



 俊司は海の中にいた。

 少し離れた所に叶太がゆらゆらと浮いている。

 上を見上げると海面に叶太の船の船底が見えるが、海面まではかなりの距離がある上に体がうまく動かなかった。

 いつのまにか体にびっしりと巻き付いていた手は消えていた。



 何かが海の中に浮いているのに気付いた。

 それは静かに俊司の方へ近づいて来る。


 京子の死体だった。

 叶太の方を見るとその周りに泰典と真美の死体が浮いていた。

 それぞれかなり破損しており、何かに食いちぎられたような跡があった。

 俊司の視界を何かが落ちていった。

 上を見上げると大量のゴミが船から落ちてきているのだった。


 俊司は自分が置かれている状況を直感的に理解した。

 今、俊司と叶太が沈められている海は五人でクルージングをしてゴミを捨てた、あの海の中なのだ。

 綺麗な魚の群れが泳いできてそのゴミを食べ始めた。

 そのうち、何匹かの魚は動かなくなった。

 口からビニール袋の端っこが出たり入ったりしている魚もいた。

 ゴミを目で追っていくと、そのゴミの行き先である海底の暗闇で何かが動いていた。

 目を凝らす。

 やはり何か大きな物がこちらへ向かってきていた。

 顔を上げると叶太が必死に泳いでこちらへ向かってきていた。

 下に視線を戻す。

 それはすごい速さで近づいてきている。

 光が当たるところまで近づき、やっと影の正体が確認できた。


 サメだ。

 

 だが、普通のサメではない。

 その体はゴミの数々がくっつき、まとまり、できているのだ。

 口を開けると、ペットボトルの切り口でできた歯やガラスの歯などが見られた。

 俊司は無我夢中になって海面目指して泳ぎ始めた。叶太もゴミザメに気付いて、俊司の後を追う。

 ゴミザメはすぐそこまで近づいてきている。

 サメの大きさは叶太の二倍ほどもあるように思えた。


 ゴミザメが叶太の腕に噛みついた。

 

 叶太は口を大きく開けた。

 開いた口から空気の泡が逃げていく。

 ゴミザメは体を大きく動かして叶太から離れた。

 叶太の周りの水が真っ赤に染まる。


 ゴミザメはある程度離れた距離まで行くと、こちらへターンして叶太に直進を始めた。

 ゴミザメが叶太に飛び掛かると、手足をバタバタさせていた叶太の姿は一瞬にして消えた。


 ゴミザメの目がギョロリと俊司の方へ向けられた。

 俊司は海面向けて脚を滅茶苦茶に蹴り、手を振り回した。


 右脚の太ももの辺りに激痛が走る。

 下を見ると、ゴミザメがすぐそこに見えた。

 ガラスのビンでできたサメの歯が脚に食い込んでいた。

 サメが口を開くと赤い液体が海に混ざった。


 サメは脚から離れると、俊司の正面に回り込んだ。

 サメの口が目の前で大きく開き、すぐに目の前が真っ暗になった。



 *****



 気付くと俊司は砂浜にいた。

 辺りを見回すと叶太、京子、真美、泰典が横たわっていた。

 砂浜には叶太の船が乗り上がっている。

 恐ろしい記憶は脳にはっきりと残っていたが、目の前には穏やかな世界が広がっていた。


「うう……ここは?」


 叶太が起き上がる。どうやらアレは夢だったようだ。皆に付いていたはずの傷もきれいさっぱり無くなっていた。

 その後、五人と砂浜で眠っている間に見た夢について話し合ったが、不思議なことに五人全員が同じことを口にした。

 それからというもの、俊司は毎日ゴミザメに襲われる夢を見るようになった。


 俊司はある日、悪夢に耐えられなくなり、せめてもの償いとして広告で知った海辺のゴミ拾い活動に参加することにした。

 当日、活動場所に行くと一緒にクルージングをした四人も偶然、それに参加していた。

 どうやら、みんな同じ状態のようだ。


 その日から、五人とも悪夢を見ることはなくなった。

 月日が経つにつれて、彼らは海を保護する会の中心人物となっていった。


 五人は年を取って色々なことを忘れていったが、彼らの頭からあの日のできごとが薄れていくことだけは絶対になかった。



 あの出来事から十五年、俊司は海辺に座って夕陽を眺めていた。

 彼らが進めた海の清掃プロジェクトにより、海は十五年前とは比べものにならないほど美しいものになっていた。

 もともとはこうであるべきものなのだ。

 それを周りにながされて、自分のことしか考えない人間が汚していたのだ。

 我々人間は地球に生まれた以上、地球と仲良くしていくべきだと思う。

 友達に優しく接するように地球にも優しく接する。そうすれば、地球も人間にきっと優しくしてくれるだろう。


 

 俊司はオレンジ色に輝く海を眺めた。

 遠い水平線に何か黒いものがあった。

 それは、ゴミでできたサメの後ろ姿のようにも見えた。

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