白兎雪譜(はくとせっぷ)

RIKO

白兔雪譜(はくとせっぷ)

 吹降山ふきおりやまの天辺には、今日も凍りついた風が舞っていました。雪おこしの雷鳴がなると、雪羅せつらは、手足をしなやかにたわませ、麓の村に、若者らしい、しんと、澄んだ瞳を向けました。

 雪羅の体は雪でできていました。瞳は氷で、銀色の髪は霧氷で。暖かな血のかわりに、体の中には、身をきるような風がめぐり、その心はいつも寂しく凍りついていました。

 それは栓ないことだったのです。春から秋にかけて、優しく麓を見守っていた山は、冬にはいると、村人にかたく道をとざし、雪羅は冬の間は、山神さまに代わって、一人でこの山を守らなくてはならなかったのですから。


「あのこは、くるかなぁ、雪羅のところにくるかなぁ」


 おともの雪うさぎが、南天なんてんの実のような赤い瞳をくるくると輝かせて、雪の青年にいいました。

 少しだけ眉を動かしましたが、雪羅は北風に吹き上げられた銀にかがやく前髪をもどしもせずに、黙りこんだままです。


「もうっ、じれったい。おいら、あの子をむかえに、ふもとの村まで行ってくる」


 白い姿が、雪につけた足跡が遠ざかってゆくのを見て、雪羅は、一瞬、氷の瞳を曇らせました。けれども、思い直したようにに小さく笑みを浮かべ、また、麓の方へ、しんとした目を向けるのでした。


* *

 

 麓の村には、止むことを知らないような雪が降り続いてます。

 屋根から、いくつもの氷柱を垂れさせた家の中で、6つになる詩多うたは、窓ガラスを白く凍らせた雪の欠片を見つめていました。

 暖かに燃えるストーブの火が、かたかたとたてる音を、双子の弟の友望ともは、つまらなそうに、姉の布団のそばで聞いていました。今年の冬は、前から悪くしていた詩多の胸から、たくさん、咳が出て、友望は、ちっとも一緒に遊べなかったからです。


「詩多と外であそびたいなぁ」


 お母さんが、二人に買ってくれた赤と青の手袋。

 まだ使われないまま、テーブルの上に置かれた赤い手袋を見るたびに、友望は悔しいような、悲しいような、はがゆい思いがしてなりません。


「もう、少し。もう、少しのがまんなんだって」


 寂しそうに、微笑んだ詩多の肌の白さが、窓ガラスの雪の欠片よりも、はかなく、透きとおって見えて、それが友望の心をきゅっと締めつけました。


 だって、おとなたちがいってた。次の冬には、詩多はもういないって……。


 口をへの字に曲げた弟の不機嫌な顔に困って、詩多は、かたかたと音をたてている、窓ガラスの方へ目を移しました。すると、


「あっ、白うさぎ!」

「えっ、白うさぎ?」


 こんもりと積もった雪野原で、南天の実のような赤い目が、くるりと輝きました。それは、窓ガラスごしに、こちらにおいでと、誘いかけてくるような不思議な光でした。


「友望、ゆこう!」


 迷わず、布団からとびだし、テーブルの赤い手袋を手にとった詩多に、友望は驚き、叫びました。


「待って、詩多! おかあさんにしかられるよ!」


* *


 詩多のあとを追って、家を飛び出した友望は、真っ白な雪の中を、踊るように歩いてゆく姉に大きく顔をしかめました。手には赤い手袋をし、その足下には、同じような赤の南天の目をした白うさぎが、はべるように身をすりよせています。


「詩多、そっちに行っちゃ、だめ! もどってきて!」


 けれども、吹きつけてくる吹雪をかきわけて、友望が、姉の手をひこうとした時、

 するどく吹きおろしてきた風が、二人を引き裂いたのです。

 友望は、突然、目の前に現れて、詩多を包みこむようにかかえた、若者の姿に、あっと驚き、後ずさりました。


 それは、しなるからだに、雪の欠片を煌めかせ、氷の瞳に厳しい光を蓄えた山守り -山の精霊- 雪羅せつら


「詩多をつれてゆかないで!」


 知らず知らずのうちに、友望の口から溢れ出た言葉に、


「連れてゆかねば、この冬さえ、のりこえられない命」


 そう答えた雪の精霊の胸に、白うさぎを腕に抱えた詩多は、蝋細工のように生気のなかった白い肌を、白桃のように瑞々しく輝かせて、夢うつつのまま身を任せていました。

 雪羅から迸る強い力に、押しつぶされそうになりながらも、やっと友望は声を出しました。


「行けば、詩多は生きれるの? 来年も……その後もずっと」


 泣き出しそうな顔をして、睨みつけてくる少年に、雪の精霊は、一瞬、口を閉ざしました。……が、


「それならば、連れていってもいいか」

「……ぼくは詩多にまた会える?」


 すると、雪羅は、透きとおるような笑みを、頬に浮かべたのです。


* * *


 あの時、何故、僕はうんと言ってしまったんだろう。

 

 詩多が消えてから10年が経ち、16歳になった友望は、吹降山への山道の入り口で、また、同じ問いを繰り返していた。

 

 ”姉さんのことは、もう諦めなくてはならないよ。神隠しに遭った子供は、あの世とこの世の結界を超えて、神域に入りこんでいったのだから”


 大人たちの言葉を飲みこめないまま、また冬がめぐり、吹降山からの寒風が厳しく村に吹き下ろしてくる度に、友望は、山守りに抱かれた双子の姉の水密糖のように輝いた頬を思い出してしまうのだ。


 麓から山道に続く道にある道祖神は、あの世とこの世を隔てる道標なのだよ。


 村の年寄りたちが言う場所から、遠くに見える吹降山を見上げて、友望は、白い息を吐いた。……その時、吹降山から吹く風が突然ぴたりと成りを潜めたのだ。しんと研ぎ澄まされた不思議な感覚に、耳を澄ませると、


 とも……


 その鈴の鳴るような声に、はっと上げた顔の真横に通り過ぎる白い影。


「白うさぎ!」


 南天の赤い目をした純白の兎。


 友望は、血相を変えて兎の後を追いかけた。だが、追いついたと思って手を伸ばした瞬間に、それは、深く積もった雪の中に、姿を消してしまった。……とその時、


 とも……


 とも、とも、友望。


 雪の中から、響いてきた鈴を鳴らすような声に、友望は、形振り構わず、白兎が消えた雪の後を素手で掘り返した。払いのけた雪の中から、赤い手袋の手を差し出して、微笑みかけてきたのは、白桃のような頬の少女。


「詩多!」


 その手に手を伸ばした瞬間、6つの姉と16歳の弟の異なる世界は刹那に交わり、身を切るような風が、姉弟を繋ぐ赤の手袋を吹き飛ばした瞬間に


 二つの世界はまた隔たった。


 白い吹雪が舞う道に取り残され、手に触れた柔らかな余韻に唇を噛みしめる。頭上に飛び去るのは、雪の山守りに抱かれながら、吹降山へ去ってゆく、少女の面影を脱ぎ捨てた乙女。


 その時、友望は、 -16歳の詩多- の姿を虚空に見た。


「あの雪の野郎は嘘つきだ! 詩多を返せ!」 


 悔しげに空を見つめる友望の足元に、雪間から現れた南天の実の目をした白兎が、そっと温かな体を寄せた。


 ごめん。

 でも、あのこは、雪羅のところへきたんだよ。

 さみしそうな顔をした、あのこと雪羅がわらって


 ぼくは、うれしくてたまらなかったのさ。



 一筋の煌めく光が温かな手触りで、友望の頬をなぜて通り過ぎてゆく。


 そして、雪おこしの雷鳴が今年も鳴り始めた。

 長い冬の間、吹降山はかたく人に道を閉ざすのだ。


「畜生! 取り返してやる。絶対に!」


 17歳になった友望が白い兎に導かれ、道祖神の神域に踏み込む、雪解けの春が来るまでは。

 


    【白兎雪譜】 ― 完 ―


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白兎雪譜(はくとせっぷ) RIKO @kazanasi-rin

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