最後の夜汽車

RIKO

最後の夜汽車

 海鳴りの音が聞こえる。夜風が僕の横を通り過ぎる。そして、僕の中の最後の客が、駅のホームに降り立った。胸がしめつけられるようで、僕は思いきり汽笛を鳴らした。


 僕の名前はアンドロメダ号。海沿いの町を走る機関車だ。

 この町へ来てから、いったい何年がたつのだろう。ここでの毎日が僕にとっては宝物だった。


 子供たちの笑い声。海道を走る僕の影法師。無賃乗車の野ネズミたち。そして、優しい機関士さん。


 機関士さんと僕は、今までずっと一緒に仕事をしてきた。けれども、それも今日でおしまいだ。この仕事が終わったら、僕はバラバラにされてしまう。僕は働くには年をとりすぎたんだ。


 誰もいない車両の中で、缶コーヒーの空き缶が、ころころと一人遊びをしていた。

 やがて僕は終着駅の一つ手前の遠里おんりの駅へ到着した。


*  *  *


 ここで、機関士さんは業務連絡のために一時、下車する。それといれかわるように、友だちのキツネが、ひょいっとホームの上にあらわれた。


「もう、行くのかい?」

「うん、僕はどうしても海へ行くんだ。それもあの浜木綿はまゆうの岸を越えて」


 僕は、ずっと、遠里おんりの駅と終着駅との間に見える浜木綿はまゆうの姿にあこがれていた。

 海を背にした浜木綿はまゆうは、大空を舞う小鳩のように美しい。


 そうかとうなずくと、キツネは、くるんっと、とんぼ返りをした。とたんに、キツネは駅員の姿になった。


『まったく、うまく化けるものだ』


 僕はキツネが、うらやましくなった。


 やがて、駅舎からもどってきた機関士さんは、見知らぬ駅員の姿を見て首をかしげた。


「機関士さん、大変大変っ! 隣の駅で事故がおきたって。今、会社から電話が入ってるから、早く、駅舎へ戻ってくれよ」


「えっ、本当? ち、ちょっと待ってて!」


 機関士さんは、あたふたと駅舎の方へ駆けていってしまった。


「うまく、いったぞ。さあ、出発だ!」


 ぺろりとしたを出すと、キツネは急いで僕に飛び乗った。僕はそろりそろり走りだした。ところが、


「おーい、駅舎に電話なんて、かかってない……あれっ、機関車が動いてる!!」


 その時の機関士さんの猛ダッシュはすごかった。そして、ホームを離れる直前に、機関士さんは僕に飛び乗ってしまった。


「すまない……アンドロメダ号。機関士さんが乗ってしまった……で、これからどうする?」


 機関士さんを連れてはいけない。僕は迷った。けれども、浜木綿の岸が近づいてくる。いきなり、急ブレーキをかけると、僕はキツネに言った。


「機関士さんには、ここで降りてもらう」

「でも、あの人が、簡単に君から降りると思うのかい?」


「それでも、海へゆきたいんだ。バラバラなんてとんでもないよ。僕は、あの青い海の中を世界の果てまで走りたいんだ」 

 

 その時、機関士さんが運転席に入ってきた。


「お前は、あの有名ないたずらギツネだな! 今度はわしをだましたな!」


 あわてたキツネは、びくんっと体をこおばらせた。すると、化けた駅員のお尻に、ぴょこんとしっぽがはえた。


「ごめんなさいっ、でも今回ばかりは、アンドロメダ号のためにやったことなんですっ!」


 正体をあらわしたキツネを見て、機関士さんは笑った。


「話はぜんぶ聞いたよ。いま、わしがアンドロメダ号にしてやれることは、だまって海へいかせてやる事だけだ。だから、わしも一緒に連れていってくれ。なあに、海岸までさ。わしは、そこで、アンドロメダ号を見送ってやりたいんだ」


 僕は、機関士さんをぎゅっと抱きしめたくなった。けれども、連れてゆくわけにはゆかないんだ。


 “キツネよ、なんとか、機関士さんに僕の思いを伝えてくれ”


 キツネは、黙ってうなづいた。


「アンドロメダ号は、機関士さんが大好きなんです……だから、あなたとは、ここでお別れした方がよいのです」


 この時、何百匹もの野ネズミが海の方からやって来た。手には赤い提灯ちょうちんをさげている。


 野ネズミの一匹が提灯ちょうちんに灯をともし、その灯を次々に別の提灯に渡していった。

 やがて、真っ暗な浜木綿はまゆうの岸に、ぽっぽっぽっと赤い灯が広がった。


 僕は今までこんなに美しい景色を見たことがない。

 機関士さんは、そのみごとさに息をのんだ。


「なぜ、だめなんだ! わしはアンドロメダ号の最後を見とどけてやりたいんだ」


「あなたが、一緒にいるとアンドロメダ号の決心がにぶってしまうんだ。アンドロメダ号は、本当はもっともっと、線路を走っていたかった。海へ行くよりも、本当はここへ残りたかったんだ!」


 僕はせいいっぱい、汽笛を鳴らした。キツネの言葉をかき消すように。


遠里おんりの駅まで、野ネズミたちがお送りします。どうか、このままお帰りください」


 キツネの合図で、三匹の野ネズミが機関士さんのまわりにあらわれた。そして、別の野ネズミが、僕のために線路のまわりの柵をかじり倒してくれた。


 今から僕は線路を離れて海へ向かう。


「キツネよ。お前はアンドロメダ号と一緒にゆくのかい?」


「海の入口までです。そこからは、アンドロメダ号は一人でゆくのです」


 キツネの言葉は、僕の心の奥底にまでしみこんだ。

 浜木綿はまゆうの岸に広がった何百もの提灯の灯がいまは二本の直線をなし、それは海へつづく光の線路になった。


「アンドロメダ号、たっしゃで暮らせよ」


 僕は、機関士さんの声を聞きながら、光の線路を走り出した。



 僕は、何度も何度も汽笛を鳴らした。


 泣きたかったんだ。


 海鳴りの音が近づくにつれて


 自分の汽笛の音までが、なつかしく思えて


 提灯ちょうちんの灯にゆれる浜木綿はまゆうの白さが、まぶしすぎて


 キツネの毛のぬくもりが、やけに思い出されて


 僕は、泣きたくなってしまったんだ。



 だから、何度も何度も汽笛を鳴らそう。

 みんな、本当にありがとう。そして、さようなら



―  僕は、海をめざします ―




      【最後の夜汽車】 ~ 完 ~

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最後の夜汽車 RIKO @kazanasi-rin

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