第6話「ラスト・ダンス」

 その日以来、私は紀子と定期的に会うようになった。

 

 互いの行きつけの店で酒を飲み、好きな映画や音楽について語り、気に入りの散歩道を歩いた。時々、六本木や代官山のクラブへ繰り出して踊ることもあった。

 何気ないありふれた日常を、私たちは時に優しく、時に情熱的に共有した。日曜日は、やはり昼すぎから日本棋院に行って碁を打った。付き合うとかあるいは付き合わないとか、そういう言葉を口にすることはなかった。私たちの間にそのような名目があろうがなかろうが重要ではないことを、互いにわかっていた。

 

 紀子と会って以来、私は明るくなった。

 会えないときも心でつながっているという安心感は、日々の生活の支えになる。他人との関わりや行動が特別に変わったということはないが、それまで機械的に過ぎ去っていた日常に感情が宿されるのを実感した。

 新年度に入っても、私たちの関係は変わらなかった。これからも変わらずに、このままでいられるような気がした。外濠公園のソメイヨシノは優雅に咲き誇り、ついこの間まで閑散としていた園内は花見客でにぎわっていた。


 紀子が事故に遭ったのは、六月に入ってすぐのことだった。

 不慮の事故だった。仕事帰り、いつもどおりに横断歩道を渡っていた時に――もちろん、青信号だった――飲酒運転の車が突っ込んできた。

 その日も会う約束をしており、私は彼女の自宅へ向かっていた。事故現場には居合わせなかったが、警察から彼女が事故に遭ったという悲報を聞き、すぐに病院へ向かった。病院では迅速な手術が為されたが、打ちどころが悪く、そのまま泉下せんかの客となった。

 

 不思議と、涙は落とさなかった。感情を身体的な反応に結び付けられるほどの冷静さを、たぶん持ち合わせていなかったのだろう。その場で、ただ憮然ぶぜんとした表情でいることしか出来なかった。佇んだまま、病室の時計の針が刻む規則的な旋律をいつまでも聞いていた。


 紀子が夭逝ようせいしてから、私の生活は元通りになった。

 機械的に仕事をこなし、絶望的な曇り空を見上げる日々。あまりに元通りで、彼女との数ヶ月は幻だったのではないかと思うほどだ。

 休日になると、相変わらず例の喫茶店に足を運んだ。カンパリオレンジが以前よりも苦く感じる。声をかけてくる客は、もういなかった。

 

 紀子が去ってから、囲碁は打っていない。

 哲学や情熱を忌憚きたんなくぶつけ合い、心を通い合わせることができた彼女なくして、私は何のために打てばよいのかわからなかった。彼女がいるから、私はもう一度碁を打ってみようと思ったのだ。碁を打っていて楽しいと久方ぶりに感じたのだ。


 あの事故から八ヶ月が経過した頃、日本棋院から一通の封筒が届いた。

 年度末に開催される、朝日アマ名人戦予選の案内だった。もう五年も参加していないというのに、毎年律儀に送ってくる。

 いつもならすぐにごみ箱へ放るのだが、この日は手に取ったままじっと見つめていた。棄てることが出来なかった。グラスを交わしながら、「あなたはもっと碁を打つべきよ」と言った紀子の顔が浮かんだ。


 押し入れから碁盤を引っ張り出し、紀子と初めて対局した一局を並べる。それは初手から終局まで、盤上に正確に再現された。

 幻ではなく、確かに私は彼女との日々を生きていた。このとき私は、紀子が居なくなってから初めて泣いた。


 日曜日、私は早くに家を出た。五年振りの参加ハガキを手に、市ヶ谷の街へ向かう。

 ウォークマンから、『ラスト・ダンス』――セルフカバーアルバム『WASTED TEARS』の音源だ――が流れる。“もう一度踊っておくれ このままで” というサビのフレーズを、繰り返し口ずさむ。紀子との日々を思い返しながら。


 空は澄んだ青が広がり、どこかで見たことがあるような上品な笑みを浮かべていた。

 外濠公園の桜が、もうすぐ満開になろうとしている。

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空模様 サンダルウッド @sandalwood

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