第2話 デートについていったり(景、三、柊、大)
とある平日の大学食堂で、僕の友人である三条正孝は、大学芋をリスのように頬張りながら、唐突な申し出をしてきた。
「もーひょのみみょーは、ほーふふへーひはへ?」
「え、何?食ってから言って」
「むい!」
「よく噛んで食べるんだよ?」
「おかーはんみへーらな!」
「誰がお母さんだ。それで何だよ」
残りの大学芋を水で流し込んだ三条は、大きな目に光をたっぷりとためてこちらを見た。その顔は幼い少年のようで、今にも外へ駆けていきそうである。
彼は少し腰を浮かせ、前のめりになりながら僕に言う。
「今度の日曜にさ、水族館行かね?」
「水族館?なんで?」
「大江ちゃん、ずーっと受験勉強ばっかだからさ、たまには息抜きも必要かなと思って誘ったんだよ。水族館だったら、遊園地と違って近いからすぐ行けるし。そしたら、オーケーはしてくれたんだけど、なんかそれから口数が減っちゃってさ……。もしかしてオレと二人きりだと気まずいのかな、って思って」
「……」
「で、景清だったら大江ちゃんも知ってるだろ?三人で水族館を楽しもうぜ!」
「却下!」
つい大声が出てしまった。僕の声に周りにいた人もこちらを向いたが、そんなことは気にしていられない。
僕は、三条のいつもの的外れっぷりに、じれったく思いながら前髪をかきあげた。
教師志望の三条は、大江未智という名の女子高生の家庭教師をしている。そして、その彼女から静かで熱烈な恋心を向けられているのであるが……。
なんせこの三条という男は、鈍い。数々のアプローチもどこ吹く風で、この恋が進展する様子は全く無かった。
まあ、相手はまだ未成年かつ受験生なので、あまり進展してもマズい面はあるのだが。
しかしそれはさておき、先程の話である。紛れもなくデートじゃねぇか、それ。絶対僕が行っちゃダメなヤツだろ。
わかってねぇな、コイツ。
頭痛をこらえる僕を見ながら、三条は心配そうに尋ねる。
「……用事でもあんの?」
「用事は無いよ」
「じゃあ、景清の彼女も連れて来ていいから」
「いない」
「あれ、そうなの?最近の景清、足にアクセサリーつけてるから、てっきりまた彼女ができたのかと」
「二人で行ってこいってば。大江さんだって、僕が混ざるより三条と二人の方が、気を抜いて過ごせるだろ」
三条の言葉を遮り、無理矢理結論を出す。僕の話はどうでもいいんだよ、バカ。
三条は、じっと僕の言ったことを吟味しているように、腕を組んで考えていた。
そして顔を上げ、おずおずと切り出す。
「……実はさ、女の子と二人で出かけた事ってなくて」
「うん」
「大江ちゃんを楽しませられる自信が無いんだよな。前にイルカが好きって言ってたから、じゃあ水族館とか行けば見られるかなって思って、そこにしたんだけど。でも、それだってずっと見てるわけじゃないじゃん。オレと一緒にいる時間の方が長いわけでさ、大江ちゃんは、それで楽しいのかなって」
三条は、困ったように眉尻を下げた。
「……でも、だからって景清についてきてもらうのは、“逃げ”だよな」
「うん」
「ハッキリ言うなぁ」
「言うよ、友達だし。誘ったなら、責任持って二人で行ってこいよ」
「わかった」
「よし」
「じゃあ隠れてついてきて」
「バカなの?」
とうとう罵倒が口をついて出た。三条は、恥も外聞もなくテーブル越しにオレにしがみついてきた。
「頼むよー!オレほんっとわかんないんだよ!景清ならイケメンだし優しいし女の子エスコートするとなったらもう猛者じゃん!指南してくれー!」
「やだやだやだやだ絶対やだ!!何が悲しくて友達のデートに僕ついてかなくちゃいけないんだ!」
「ででででデートじゃねぇし!付き合ってねぇもん!」
「うるせぇ!もうこれデートっつっても差し支えないんだよ!」
「あーもう意識しちゃったじゃねぇか!デートじゃありませんー!あくまで息抜きですー!ついてきてください!」
「うううううう」
ああしまった、僕が意識させちゃダメじゃん。
大声で泣きつく三条に、僕はわざと大きなため息をついた。
「……入場料は出せよ」
「神様!!」
周りの好奇の視線と友人の懇願に耐えきれず、僕はとうとう根負けしたのだった。
三条が、いつも通りのラフな格好で水族館前に立っている。スマートフォンを眺めているのは、漫画を読んでいるのか、彼女からの連絡を確認しているのか。
……前者だろうなぁ。
僕はというと、水族館から少し離れた場所で三条の様子を見守っている。一応大江さんに気づかれたら困るので、伊達メガネをかけて帽子をかぶってみた。ちょっとした探偵気分である。
そうして自動販売機の影に隠れていると、突然強めに肩を叩かれた。
「わーっ!」
「わーっ!じゃないわよ。何?アンタいつから視力死んだの?」
聞き慣れたハスキーで強気な声。僕は、恐る恐る振り返る。
そこにいたのは、絶世の美女だった。
「……柊ちゃん、何故ここに?」
彼女の名前は、月上柊。艶々の黒髪を背中の真ん中辺りまでなびかせた、スレンダーな迫力系美人だ。実は戸籍上は男だが、彼女は自分の性を女性と宣言しているので、女性なのである。
彼女は睫毛の長い目を細めると、挑発的に僕を見た。
「決まってんでしょ。かわいいみっちゃんの初デートの様子を見に来たのよ」
この人、隠さねぇな。
「なんで?」
「頼まれたのよ。デートなんてした事ないから、見守ってて欲しいって」
「なんだ、同じ穴の貉ですか」
「アンタもそうなの?ってことは、マサから言われたのね。なんてヘタレなの、あの子は」
「後で直接言ってやってください」
「そうするわ」
いや、ダメか。それを言ったら、大江さんも柊ちゃんについてきてもらった事がバレてしまう。
柊ちゃんにその事を説明していると、三条の元に駆け寄る女の子の姿があった。
薄緑色のワンピースが、揺れるポニーテールによく似合う。三条の元にたどり着いた大江さんは、眼鏡越しににっこりと三条に笑いかけていた。
その時、僕のスマートフォンに連絡が入った。相手はあの三条である。
こんなタイミングで、一体どうしたのだろう。
僕は急いで確認したが、画面を見た瞬間スマートフォンを地面に向かって投げつけたい衝動にかられた。
「――財布忘れたって、アイツの頭は脱脂綿しか詰まってねぇのか!!」
「まー……早速見守りが役に立ってる……」
怒る僕の後ろで、柊ちゃんがドン引きしていた。
財布を忘れた以外は、なかなか順調なデートのようである。
二人はまずイルカショーを見に行き、大いに楽しんでいた。なんなら、大江さんより三条の方が盛り上がっていた。あまりにも目立つので、最後には舞台に呼ばれてイルカにボールを投げるまでやってのけ、僕に向かって手を振った。やめろ。バレたらどうすんだ。柊ちゃんもニコニコ手を振らないで。帽子を被っているとはいえ、あなたこそ目立つんだから。
お次は、ふれあいコーナーである。ここでも、三条は成人済みとは思えないほどウキウキとしていた。ナマコを撫でては跳びのき、ネコザメの背中を触ってはニヤニヤする。大江さんは、三条が何かするたびに、心からおかしそうに手を叩いていた。
……もうこれ、僕らがいなくてもいいんじゃないかな。ネコザメを捕まえようと、ふれあいコーナーをぐるぐる回る柊ちゃんを横目に見ながら、僕は思っていた。
大江さんは、次から次へと興味が移る子供のような三条についていきながら、目をキラキラさせている。
そんな大江さんに、彼女の恋を応援する者としてはつい保護者じみた感想が出てしまう。
「……かわいいなぁ、大江さん。本当に三条の事が好きなんだなぁ」
「あら、アンタ、ああいうの見てて羨ましくなんないの?」
「ああ、僕そういうのは無いですね。柊ちゃんはなるんですか?」
「そうねぇ。あんな風にまっすぐ愛されたいな、なんて思ったりはするかしら」
思いも寄らぬ返答に、僕は彼女の顔を見た。柊ちゃんは、頬に手を当てて二人の様子を眺めている。
「……恋っていいものよねぇ」
「そうですね」
「景清は恋した事ってあるの?」
「失礼な。何人かとお付き合いした事ぐらいありますよ」
「そうじゃなくて」
楽しそうに笑い合う二人を追いながら、柊ちゃんは僕の背を叩いてきた。
「あんな感じで、相手の事を想った事はあるかって聞いてんの」
「……は」
あんな感じ?
視線の先には、頬を上気させながら、三条の指差す魚を見る大江さんの姿があった。時々チラリと三条の横顔を見ては、嬉しそうに笑っている。
幸せそうだな、と思う。多分三条は寿司ネタの事しか考えてないんだろうな、とも思う。
あの大江さんの感情に該当する気持ちになった事はあるのか、だって?
「……」
「無いでしょ」
僕の隣の美麗な人は、勝手に決めつけてきた。水族館の中は薄暗く、海の中にいるように青い。僕は整い過ぎた横顔に、なんとか噛み付いた。
「な……くはない、ですよ」
「じゃあ言ってごらんなさい。その人の声を聞けるだけで、舞い上がった事はある?誰?いつ?さあ言いなさい」
「……ぐ」
なんだそれ。恋ってそういうもんなの?こう、付き合えばなんとなく、そのために時間を割かなきゃいけない義務感のようなものじゃないのか?
え、違うの?
「……柊ちゃん」
「何」
「……僕って、恋した事がないんですか?」
「知らないわよ。ボクにはそう思えただけ」
「うわぁー……引く。自分に引く」
「引いてるって事は間違いないわね。アンタは恋愛に関してはお子ちゃまよ。シンジにも劣るわ」
「死んでも言われたくない一言を言われた」
なぜ今、その男を引き合いに出してきたんだ。言い様のない敗北感と自己嫌悪に苛まれながら、僕は三条と大江さんを見た。三条は好きな魚を見つけたのか、大江さんの腕を取ってはしゃいでいる。大江さんが真っ赤になっているのは、残念ながら気づいてないようだ。
あれが、恋か。
「……気づくと、無性に羨ましくなりますね」
「でしょ。やっぱアホだわ、マサは」
「いいなぁー。いつか僕も恋ができるんでしょうか」
「知らないわよ。ついでに興味もないわよ」
「ですよねー」
長い息を吐く僕に、柊ちゃんはポツリと言う。
「でも、アンタは恋したら厄介そうね」
「そうですか?」
「特に向こうが振り向いてくれなかった時。今まで向こうから勝手に来てくれてたから、手に入らない物への諦め方なんて知らないでしょ。だから、しがみついてそのまま死にそう」
「なんて恐ろしい想像をするんですか……」
「ま、相手は選びなさい。アンタ一人ぐらいしがみついても、平気な顔してる人間がいいわ」
サラリと言ってのける柊ちゃんであるが、そんなメンタルの強い女性などいるのだろうか。
あ、大江さんは強そうだな。しがみついた所で、叱られて終わりそうだけど。
しかし、僕と恋をしてくれる人には、もう一つ越えて貰わねばならない壁がある。
「……その人は、僕が三千万の借金背負ってても愛してくれますかね」
「……すっかり忘れてたわ……。アンタの枷は重いわね」
「よし、諦めよう」
「割り切るんじゃないわよ。頑張んなさい」
柊ちゃんからエールを送られたが、僕は半分聞き流していた。青い世界に包まれながら、ぼんやりと呟く。
「……金持ちでも捕まえるか」
「アンタならいいヒモになれそうね」
「一応止めてくれません?」
僕らを見下ろし笑うように、巨大な魚が水槽を横切っていった。
「ありがとうございました、景清様!」
翌る日の大学で、三条は手土産と共に僕に土下座してきた。水族館クッキーの上には、昨日彼に貸した一万円札が乗っかっている。それを財布の中に入れ、三条の腕を取って体を起こした。
「……ぶっちゃけ、財布忘れた以外では僕の見守りはいらなかっただろ。心配し過ぎなんだよ」
「だな。途中から景清がいた事すっかり忘れてたし」
「ああやっぱり?最後の方で僕、お前を見失ったもん」
「そのまま大江ちゃんを送って帰りました!」
「よくできました、ってバカヤロウ!」
クッキーを奪うように受け取り、そのまま三条の頭を軽く叩いた。三条は照れ臭そうに笑い、頭を押さえる。
その笑顔に僕はなんとなくたまらなくなって、つい何の脈絡も無く尋ねてしまった。
「ねぇ三条。恋ってさ、どんなの?」
三条は、一瞬キョトンとした顔をした。それから、腕を広げてみせる。
「こんぐらいの淡水魚!」
うん、それは鯉だな。
「水族館にはいなかったぜ!」
知ってる。僕も行ってたからね。
――チクショウ、羨ましいなぁ。
「痛い痛い痛い!なんでクッキー箱の角で肩をグリグリすんの!?」
僕は、自分の知らない感情を向けられている贅沢者を、ただただ小憎たらしく小突いていた。
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