第1話 迷い猫を探したり(曽、景、阿)

「私は暇じゃないぞ」


 悪い目つきの下に濃いクマを引いたもじゃもじゃ頭の不審者男は、僕からの指摘に口を尖らせた。椅子に沈ませたその身は、きっちりとスーツを着こなしており、それが逆に彼の怪しげな雰囲気を助長させている。

 僕はというと、そんな雇い主にぬるい茶を運びながら彼の不満を軽く流した。


「でも、今日は暇でしょ」

「今日という日に限れば、そう見えるかもしれない」

「じゃあいいじゃないですか」

「良くない。どうして、この私が迷い猫の捜索なんかしなくちゃいけないんだ」

「仕方ないでしょう、そういう依頼を受けてしまったんですから」


 彼の名前は、曽根崎慎司。とあるビルの二階を事務所として借りている、オカルト専門のフリーライターである。しかしそれはあくまで表の顔。本業は、警察などでは解決できない不気味な事件に始末をつける “ 怪異の掃除人 ” だ。

 かくいう僕――竹田景清は、そんな彼に雇われた、しがない大学生アルバイトだ。この曽根崎という男は、事件を解決する能力はともかく実に生活能力が無い人間で、少し目を離すとすぐに餓死しかけるのである。だから、僕は大学が終わるとほぼ毎日この事務所に寄り、彼の身の回りの世話をしていた。


 そういうわけで、今日もここを訪れていたのだが……。


「大体な、私は探偵でも何でも屋でもないんだ。猫を探すノウハウなんて、さっぱり持ち合わせてないぞ」


 どうも、ここを探偵事務所と勘違いしたオバサマが、半ば強引に飼い猫の捜索を依頼してきたらしい。普通であれば、大抵どんな相手にも不遜な態度を取る曽根崎さんが追い返すのであるが、今日は違った。


「……だって猫だぞ。可哀想だろ」


 ソファーに座る、ガタイの良い男が口を挟んできた。彼は曽根崎さんの弟で、警察官の阿蘇忠助さんである。口は悪いが、常識的で世話焼きな性格が災いし、常日頃から曽根崎さんに付け込まれて、あれこれと手伝わされている苦労人だ。

 しかし、このたび意外な動物好きが発覚し、渋る兄を抑えて猫探しを引き受けてしまったのである。


 曽根崎さんは、呆れたようにため息をついた。


「あんな毛玉のどこに同情の余地があるってんだ。そもそも、自由になりたいから逃げたんだろう。それが嫌なら、最初から首輪でも何でもつけておけば良かったんだ」

「好奇心旺盛な所がまた可愛いだろ。今となっては、飼い主さんに会いたがっているに決まっている。早く見つけてやらないと」

「じゃあ忠助がやれ。依頼料も全部渡す」

「そうしたいのは山々だけど……」

「だけど?」

「……俺、めちゃくちゃ猫に逃げられるんだ……」

「……」


 心底悔しそうに、阿蘇さんは言った。同情を禁じ得ないが、一睨みで人を射殺しそうな眼光を持つ彼を鑑みると、仕方がない気もする。

 僕は、肩を落とす阿蘇さんと、そんな彼に何も言えず見下ろす曽根崎さんを交互に見やり、言葉を投げた。


「まあ、一度引き受けてしまったんですし、今回だけ頑張って猫探しをしませんか」

「……仕方ないな。ほら、元気出せ弟。君も手伝うんだぞ」

「勿論。ありがとう、兄さん、景清君」

「どういたしまして。ちなみに、その迷い猫ってどんな猫なんですか?」

「コイツ」


 阿蘇さんは、さっきからずっと手にしていた写真を見せてくれた。……丸々と太った茶トラ猫が、段ボールにギチギチに詰まってこちらを見ている。


「可愛いよな。モーリーっていうんだと。エキゾチックの血が入ってるのかな、なんだか顔がクシャッとしてる」

「本当に好きなんですね」

「好きだぜ。家でも飼いたいんだけどな、際限なく飼いそうで怖くて手を出せない」

「忠助、その猫の写真をよこせ。とりあえずSNSで情報収集をする」

「ああ、うん」


 阿蘇さんから写真をひったくり、曽根崎さんはパソコンに向かった。と思いきや、何らかの地図を掲げて、僕らに向かって言う。


「君らは、依頼人の近所で猫探しでもしていろ。幸い、猫が居なくなってからそんなに時間も経っていない」

「景清君、構わないか?」

「ええ、行きましょう」

「ああ待て、冷蔵庫の中からチーズを持っていけ。好物があるのと無いのとでは、捕獲の難易度が段違いだ。それと、蓋つきのカゴが倉庫にあるから持って行きなさい」

「アンタ、本当は猫探し得意でしょ」


 やけに手慣れた様子の曽根崎さんに、思わずツッコんでしまった。案の定曽根崎さんは少し嫌な顔をしたが、追い払うように片手を振った。


「早く行きなさい。とっとと終わらせて、依頼人から金をせしめよう」


 曽根崎さんは、どこまでも乗り気ではない。しかしその分、取り掛かるとなれば早いのだろう。僕らは曽根崎さんを信じ、地図を持って猫を探しに外へ出ることにした。










 とはいっても、どこをどう探せばいいのだろう。猫はおろか動物を飼ったことすらない僕は、依頼人の住居付近に来たものの途方に暮れてしまった。

 阿蘇さんは阿蘇さんで、細い隙間を覗き込んではニャーニャー猫を呼んでいる。あれ、逆に猫は逃げるんじゃないかな。


「いないな」


 探し始めて十五分。阿蘇さんは、片手を腰に当てて汗を拭った。


「いませんね」


 そう返した僕だったが、まあ、すぐ見つかるだろうとは思っていなかった。こういうのは、根気が大事だろう。

 塀の上にいやしないかと、手をかけて爪先立ちしていると、スマートフォンに着信があった。


『私だ』


 曽根崎さんである。


「どうです、何かわかりました?」

『一通り問い合わせてみたが、猫が保護されている様子は無さそうだな』

「目撃証言は?」

『SNSでは結構いい勢いで拡散されているが、まだめぼしい情報は無い』

「ならなんで電話してきたんですか」

『ひとつだけ。その付近には、よく粗大ゴミが廃棄されている場所があるそうだ』

「粗大ゴミ?」

『狭い所が好きな猫にとっては、うってつけの場所だろう。他に当てがないなら行ってみるといい』

「わかりました」


 電話を切り、阿蘇さんに目を向ける。話を聞いていたのであろう阿蘇さんは、しっかりと頷いて歩き出した。どうやら、その場所に心当たりがあるようだ。


「時々通報というか、連絡が入るんだよ。確かにあの場所なら、モーリーもいそうだ」


 十分ほど歩いた所で、川辺に出た。そこに架かる橋の下に、例の不法投棄場所が見える。


「にゃー」


 変色した冷蔵庫やら洗濯機やらが重なり合うその場所を覗き込み、阿蘇さんが鳴く。僕には止めることができない。動画を撮って残しておきたい衝動に駆られたが、多分それをやれば殺されるので、なんとか踏みとどまった。


「いねぇな」


 いても返事はしないだろうな。

 阿蘇さんは僕を振り返り、手招きした。


「景清君なら返事してくれるかもしれねぇ。ほら、やってみろ」

「え、僕もやるんですか?」

「モーリーの為だ。ほら鳴け、そら鳴け」

「えー……にゃー」

「猫舐めてんのか。そんなんで来るわけ……」


 ニャー。


 僕の声に呼応するように、一匹の猫の鳴き声がした。僕らは顔を見合わせ、慌てて声のした方に体を向ける。


 写真で見たでっぷりした茶トラ猫が、不法投棄されたバイクの上でこちらの様子を伺っていた。


「いた!いましたよ、阿蘇さん!」

「シッ、怖がらせちゃダメだ。こういう時は、ゆっくりとまばたきして……」


 阿蘇さんは、泣く子も黙る形相で笑っている。怖い。なんで猫を微笑ましく見ているだけなのに、こんなサディスティックな笑顔になってしまうんだ、この人。


 モーリーも阿蘇さんの姿に気づいたのか、全身の毛を逆立てている。


「ちょ、ちょっと阿蘇さん、僕が説得してみますから!」

「大丈夫、怖くない、怖くない」


 アンタが一番怖いんだよ!

 ああ、でも言えねぇ!怖いもん!


 いつの間にか持っていたネコジャラシを揺らしながら、阿蘇さんは一歩一歩モーリーに近づいていく。モーリーはとうとう、ウゥーと威嚇し始めた。


 こうなったら、僕が向こうに回り込むか?阿蘇さんからモーリーが逃げた所で、僕が捕まえて……捕まえて?どうやって?抱っこ?猫ってどうやって抱っこするんだ?


 取るべき行動を決めあぐねていると、阿蘇さんがいよいよモーリーの座るバイクに手をかけた。その瞬間、モーリーは電流が走ったかのように飛び上がり、一目散に逃げ出した。


 猫が走るその先にいたのは――。


「おっと」


 殆ど体当たりするように、モーリーはその人の腕の中に飛び込んだ。猫は難無く抱きとめられると、大きな手でフサフサの毛を程良く撫でられ、次第に落ち着いていく。

 僕は、彼の元まで歩み寄ると声をかけた。


「……曽根崎さん」

「やぁ。やはり君は優秀だな」


 スーツを猫の毛まみれにしながら、曽根崎さんは僕に向かって怒ったような顔をした。恐らく、笑いかけたかったのだろう。感情表現が壊れているこの人は、時として自分が思う表情が作れない事が多々ある。


「来てくれたんですね」

「ああ。情報収集がひと段落ついたから、捜索に加わろうと思ってな。チーズあるか?」

「はい、あります。あ、でも阿蘇さんが持ってるから……」

「君が貰ってきてくれ。忠助が猫に近づいて、また逃げられたら敵わん」

「構いませんが、阿蘇さんが泣いてしまうかもしれませんよ」

「知るか。忠助より猫、猫より依頼料だ」


 曽根崎さんは淡々と酷いことを言う。しかしそれには僕も同意見だったので、羨ましそうに曽根崎さんを見つめる阿蘇さんにチーズを貰いに行こうとした。

 が、その前に一つだけ気になった事を彼に尋ねる。


「そういえば、どうしてモーリーは真っ直ぐ曽根崎さんの元に来たんですか?スーツにマタタビでも仕込んでるとか?」


 僕の問いに、曽根崎さんはどこか迷惑そうな顔で首を横に振った。


「……昔から、猫にはとても好かれるんだ」


 モーリーは、曽根崎さんの腕の中で居心地良さそうにあくびをした。









 その後、依頼人に猫を引き渡し、相応の料金を貰って、無事に依頼は完了となった。


「不公平だよな」


 阿蘇さんは、不貞腐れたようにソファーに寝転んでいる。


「なんで俺は猫に嫌われて、兄さんは好かれるんだ。需要と供給を考えりゃ逆だろ」

「私が思うに、君は必死過ぎるんだ。それが猫にも伝わって、怯ませてしまう」

「だったら兄さんの猫嫌いも伝わるだろ」

「別に猫は嫌いではないよ。何とも思っていないだけで」


 阿蘇さんは、面白くなさそうに息を吐いた。それを宥めるように、僕は彼にココアを差し出す。


「いいじゃないですか、モーリーは無傷で飼い主さんの所に帰れたんです。阿蘇さん達の迅速な対応のおかげですよ」

「ん。景清君は優しいな」

「いえいえ」

「猫の鳴き真似は下手だけど」


 阿蘇さんにだけは言われたくないな。


「なんだ、君は猫の鳴き真似が下手なのか?なら私に弟子入りすればいい」

「弟子取れるぐらい上手いんですか」

「上手いぞ。猫物真似その一、喧嘩を始める直前の一鳴き。オアー」

「上手いのか下手なのかわからない」

「兄さん、流石だ……!こればっかりは尊敬せざるを得ない……!」

「そうなんだ……」


 夕焼けの日が差し込む事務所に、猫の鳴き真似をする三十路と、それに感動する弟が一人。

 今日も、怪異の掃除人は日常を満喫していた。

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