第4話 看病ぐらいはやりますし(曽、景)

 様子がおかしいとは感じていたのだ。


 いつもサッサカ動く長い手足は緩慢で、お茶はこぼすわ積まれた本は落とすわ、普段ならしないだろう失敗を立て続けに起こしていた。

 最初はただ注意し、ブツクサ言いながら片付けていただけだったのだが、こうなると流石の僕でも異変に気付く。


 気怠げにモジャモジャ頭をかき上げながらパソコンに向かう曽根崎さんに、僕は雑巾を片手に声をかけた。


「風邪でもひきました?」

「……わからん。でも体がだるい」

「ちょっと失礼」


 手を洗い、曽根崎さんの側まで寄って額に手を当てる。案の定、想定したぐらいの熱さを手の平に感じた。


「熱ありますよ。もう帰ったらどうですか」

「大丈夫だ。今日中にこの原稿を仕上げて……」

「締め切りいつです」

「一週間後」

「帰れ!」


 こういうタイプにしては珍しく、締め切りは守り過ぎるくらい守る人なのである。無理矢理曽根崎さんを机から引き剥がすと、ひとまずソファーに転がした。

 こうでもしないと、永遠にパソコンの前に居座り続けるだろう。僕はスマートフォンを取り出すと、タクシーの手配をする。そして、曽根崎さんに言った。


「誰か訪ねてきても困りますから、僕は時間までここに残ろうかと思います。曽根崎さん、一人で帰れますか?」

「……」

「曽根崎さん?」


 返事がない。嫌な予感がして、ソファーの向こうを覗き込む。


 音も無く転げ落ちていたらしい曽根崎さんは、ぐったりと床に体を投げ出して、気を失っていた。


「死んだ!?」


 その時、僕は心の底からそう思ったのである。










「……なんで、僕がこんな事までしなくちゃいけないんだ……」


 タクシーを降り、曽根崎さんに肩を貸して彼のマンションまでやってきた僕である。病院にぶち込んでも良かったのだが、今日が休日だったのと、タクシー内でうっすら目を覚ました彼が拒否したので、仕方なくこうなったのだ。


「曽根崎さん、鍵」

「……内ポケット」

「はい」


 ドアを開け、なんやかんやですっかり見慣れた部屋に上がる。いつもは僕の寝床と化しているベッドに曽根崎さんを横たえ、道中のコンビニで買ってきたマスクをつけた。そしてスーツの上着とベストを脱がし、ネクタイとベルトを外してその辺りに置く。本当ならもっと通気性の高い衣服に着替えることができれば良いのだが、まあ今の状態では難しいだろう。僕は手洗いとうがいをした後、彼の元に戻り、病状を尋ねた。


「熱と体のだるさ以外は、何がありますか」

「……寒気」

「じゃあ、しっかり布団をかぶってください。ああ、その前に経口補水液を飲んでおいてくださいね。脱水症状になると怖いので」

「……あと、頭痛がする、気がする」

「額を冷やせば気持ちいいかもしれませんが、寒気がするなら今はやめましょう。食欲は?」

「無い」

「わかりました。では、水分を摂ったらゆっくり寝てください。不眠症でも、目を瞑ってじっとするぐらいはできるでしょう。食欲が出たら、消化に良さそうなものを作りますから」

「……ありがとう」


 曽根崎さんは、どこかぼんやりとした目でこちらを見て、大人しく布団をかぶった。……こういうのを、鬼の霍乱というのだろうか。いつもはむしろ丈夫過ぎるぐらいな人なので、こんな姿を見ることになるとは予想外だった。


 結局、怪異の掃除人といえど、ただの人間なのである。


 さて、僕はどうしたものだろうか。

 最低限の看病はしたので、別に家に帰ってもいいのだが……。


 時計を見上げる。もうすぐ、五時だ。

 先日、ここに遊びに来た時の記憶が蘇る。エンディングでどんでん返しがあるという触れ込みのRPGを二人で始めたものの、途中の敵が強すぎて先に進むことを断念したのだ。

 少し考え、よいしょと立ち上がる。


「……レベル上げでも、しといてやるか」


 七時に帰るとしても、二時間はみっちり作業ができる。曽根崎さんが無事に回復する頃には、中ボスを雑魚敵のごとく蹴散らせるぐらいにはなっているだろうか。

 僕はリビングに行き、ゲーム機の電源を入れた。










 自分は思いの外、自己分析ができていない人間だったようである。

 あれから気でも違ったかのように、ひたすら雑魚敵を倒し、装備を整え、また雑魚敵を倒しを繰り返し、気づけば五時間が経過してしまっていた。

 時刻は午後十時。我ながら何をしてるんだろう。しかし一番問題なのは、それでもまだやれると断言できてしまう所である。


 レベル上げが苦でないゲームは、良いゲームである。開き直ることにした僕は、曽根崎さんが眠っているはずの寝室を振り返った。本当に中に人がいるのか疑ってしまうほど、何の物音もしない。


 ちゃんとセーブデータを作れているか確認し、僕は腰を上げた。


 うっすらと戸を開け、中を覗く。一筋の光に照らされた布団は、よく見れば呼吸と共に小さく上下しているようだった。

 よしよし、ちゃんと寝ているな。


「景清君」

「起きてんのかよ」


 そっと戸を閉めようとしたのに、暗闇から聞こえた声についツッコんでしまった。僕は戸を開け、リビングの明かりを頼りに、曽根崎さんの元へ行く。


「お体はどうですか」

「……よくわからん」


 上半身を起こした曽根崎さんの体からは、風邪らしい熱っぽさが感じられた。ちゃんと汗をかいているので、経過は良さそうであるが。

 僕はベッドに座り、枕元に置いていた経口補水液のペットボトルの蓋を開けた。


「飲んでください。喉が渇いたでしょう」

「ありがとう」

「……ずっと起きてたんですか?」

「いや、寝てたよ。君に起こされた」

「うわ、すいません」


 やっぱり、早く帰るべきだっただろうか。マスクをずらし、ペットボトル丸々一本を一気に飲み干す曽根崎さんに、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 そんな僕の様子を見て、曽根崎さんは空になったペットボトルを横に置きながら、いつもより萎れたモジャモジャ頭を横に振る。


「……謝る必要は無い。むしろ、助かったよ」

「助かった?」

「夢から覚めることができた」

「夢ですか」

「うん」


 彼は、いつもよりトロンとした、真っ黒な瞳を僕に向けた。


「悪夢を見ていた」


 その一言に、ドキリとした。……この人は、不気味で尋常ならざる力を行使することができる。しかし、それを得るに至った過程や、そうなることで失ったもの、力を使う中で見てしまった光景は、筆舌に尽くしがたいものだっただろうと容易に想像を巡らせられた。


 ――それこそ、僕などが簡単に触れてはならないと感じるほどに。


 弱々しく呼吸をする曽根崎さんに、できるだけ誠実に問いかける。


「……大丈夫ですか」

「ああ。ただの夢だよ」

「でも、怖かったんじゃないですか」

「そうだな、怖かった」

「……僕で良ければ、聞きますよ」

「……聞きたいのか?」


 曽根崎さんは、じっと僕の目を見つめた。それに呑まれそうになりながらも、堪え、見つめ返す。


「――正直どっちでもいいんで、曽根崎さんのお好きな方で」

「正直過ぎるだろ」

「今すぐ寝るのも、ちょっと僕とおしゃべりして寝るのも、そう変わらないでしょう。スッキリする方でどうぞ」

「……それなら、おしゃべりをしようかな」


 曽根崎さんは、二本目の経口補水液に手を出す。そして、またしても一気に飲み干した。

 マスクを戻しながら、彼はおどろおどろしく切り出す。


「――夢で、私は魔法使いだった」

「はい。……はい?」


 現実世界ではありえない単語に、思わず聞き直してしまった。しかし曽根崎さんは、全く気にせず続ける。


「いわゆる魔王を倒す為に、四人パーティーを組んでてな。他にいたのは、遊び人の藤田君と、戦士と僧侶の力を備えた忠助と、町人の君だった」

「パワーバランス偏りすぎでしょ」

「しかも私は、一回の戦闘に二、三発しか魔法を使えない」

「阿蘇さんの負担ヤベェ」

「だからかな。ある日、忠助がパーティーを抜けたいと言い出した」

「でしょうね」

「残る三人で必死に止めたんだ。でも、聞く耳をもってくれなかった」

「っていうか、藤田さんはともかく、なんでしがない町人の僕がそのパーティーに組み込まれてるんですか。柊ちゃん辺りならまだ戦力になったでしょうに」

「そこは私の忖度だろうな」

「命がけの旅に私情を挟むな」

「とにかく、忠助が抜けて、その後なんやかんやでピンチになって、私はドラゴンに食べられそうになった」

「ほうほう」

「そこに、君が割って入った」

「なんと」

「私の目の前で、君がドラゴンの口の中に消えていった時には、ああまずいな、と思ったよ。夢とは気づいていたが、やけにリアルで、振り払えなかった」

「……」

「そこで、君がそこの戸を開けたんだ。いなくなってしまったはずの君がまた現れて、ホッとした」

「……そうだったんですか」

「うん。これでおしまいだ」


 幾ばくか元気になったような気がする曽根崎さんは、ベッドに倒れ込んだ。僕は、空になったペットボトル二本を捨てようと、手に取る。

 それから一瞬迷ったが、やはり頭を下げることにした。


「……曽根崎さん、すいませんでした」

「だからなんで謝るんだよ」

「あなたの悪夢の原因、多分僕です」

「……ん?」


 僕は、黙ってリビングを指差す。そこには、レベル上げ途中のゲーム画面。


「……なるほど」


 曽根崎さんは、大体理解したらしい。


「どれぐらいレベルを上げた?」

「15ぐらい」

「装備は?」

「揃えられる一番いいものを」

「新しいフィールドは?」

「目星をつけていますが、まだ行っていません」

「完璧だな」

「ありがとうございます」


 我ながらいい仕事をしたと思う。いや、そのせいで、この人にいらぬ悪夢を見せてしまったのだが。

 曽根崎さんは布団をかぶり、どことなく嬉しそうに言った。


「風邪が治った時の楽しみができたな」

「でしょう。今なら、あの中ボスも雑魚敵同様なぎ払えますよ」

「負けイベントだったらどうする。そうだとしてもおかしくない強さだったぞ」

「そんなまさか。……いや、冗談ですよね?」

「私は知らん」


 そう答え、曽根崎さんは深呼吸をした。……少し、話し過ぎてしまったのかもしれない。僕はベッドから立ち上がり、乱れた布団を直してやった。


「……また明日の朝、会いましょう。その頃には、食欲が湧いているといいのですが」

「……来てくれるのか?」

「面倒なんで泊まります」

「それがいい。もう遅いしな」

「あともう10レベルぐらい上げたいですし」

「いいから寝ろ。あんまり上げると、ラスボス戦が盛り上がらなくなるぞ」

「確かにそれは惜しいですね……。じゃあ、今日は寝ることにします」

「うん。……本当にありがとう」


 その言葉を最後に、曽根崎さんは口を閉じた。代わりに、耳をすまさなければわからないほどの寝息が聞こえ始める。

 ……以前より、不眠症が改善しているのかもしれない。それが風邪のせいか、はたまた別の何かせいなのかは、定かではないが。


「……おやすみなさい。今度こそ、いい夢を」


 聞こえないだろう一言を寝室に残し、僕は静かに戸を閉めた。

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