第5話 誕生日ぐらいは祝いましょう(曽、景、阿、柊、藤)
まさか、こんな所で彼に会うとは思わなかった。
「あれ、景清君。偶然だな」
手に取った香水を棚に戻しながら、阿蘇さんは僕に驚いた顔を向ける。それに僕は、曖昧に笑って返した。
成人男性二人、プレゼントショップにての出来事である。
「どうせやるなら、派手にやりませんか」
ハンバーガーを頬張りながら、僕は阿蘇さんに提案した。甘ったるいシェイクを一気に飲み干した強面の彼は、鋭い目を睨むように細める。
「この歳でパーティーっていうのも、なんだかな。喜ぶのかアイツ」
「こういうのは気持ちですよ。柊ちゃんも呼びましょう。多分一番盛り上げてくれます」
「兄さんは?」
「事務所でパーティーをすれば、もれなく付いてきますから問題ありません」
「事務所が本命で、兄さんはオマケか……」
実の兄の扱いに哀れの色を浮かべる阿蘇さんだったが、僕は気にしない。むしろ、いつも辛気臭いあの事務所をどう飾り付けてやろうかと、今からワクワクしていた。
パーティーなんて初めて開くのだ。しかもサプライズで。
「プレゼントはどうしましょうか。あの人の趣味、あんまり知らないんですよね」
「……俺は毎年、香水を贈ってるよ」
「え、そうなんですか?」
「おう。俺があんまり香水得意じゃねぇんだけど、それを伝えたら、匂っても問題ない香水を選んでくれって言われてな」
殊勝な面があるものである。いや、逆に面倒くさいか?
「だから毎年同じ香水を贈ってる。楽でいいぞ」
「楽って言っちゃった」
少なくとも阿蘇さん側は、億劫に思っていないようである。そんな彼に向かって、僕はつい頬を緩めた。……こうして、毎年きっちり誕生日を祝ってくれる人があの人の近くにいてくれるのは、子供の頃に世話になった甥としてはとても嬉しかった。
彼がある場所に縛り付けられていた時期、まともに誕生日を祝われた事など、一日たりとて無かったのだ。
「……あの人の誕生日って、ご両親の命日でもあるんですよね」
それはつまり、僕の祖父と祖母の命日でもあるのだが。
阿蘇さんは、難しい顔で頷いた。
「毎年、自分の誕生日は本当なら祝われるべきじゃないって言うんだよ。一年で一番、アイツが辛気臭ぇ日だわ」
「でも一緒にいてくれるんですね」
「他に用事が無けりゃな」
多分今まで、用事があった日など無いのだろうな。人一倍世話焼きの阿蘇さんは、そういう人である。
「……ハンカチとかでいいですかね」
「プレゼント?ああ、喜ばれるんじゃね?」
「これで少しでも己が業を綺麗にしてください、という願いをこめて」
「それはハンカチぐらいじゃ無理だろな」
「じゃあ、マッサージ券もつけてみましょうか」
「間違いなく下ネタにされるから、やめとけ」
「クソッ、極端だな、あの人」
難儀な人である。悪い人ではないのだが。
僕は、残りのハンバーガーを口の中に押し込んだ。
「阿蘇さんはもう香水買いました?」
「まだ。君が来て棚に戻しちまった」
「なぜ」
「なんかエロ本を手に取りかけて、同級生に会った時の中学生みたいな気持ちになったんだよな」
「わからないですわからないです」
「俺も何言ってるんだろうな……。とっとと買ってくるわ」
「あ、僕も行きます。どんなハンカチにしようかな」
「アイツ赤色が好きだよ」
「あれ、青色じゃなかったですっけ」
「それは俺」
間違えた。時々この二人の好みって混同するんだよな。正反対な性格してるのになんでだろう。
「赤色のハンカチってあるかな……」
「ワンポイントとかでいいんじゃね?」
「めっちゃアドバイスくれますね。流石一番のお友達なだけあります」
「そういうのは思っても口に出すな。テンション下がる」
「照れちゃってー」
「はいよいしょー」
「首絞まってます阿蘇さん本当に絞まってます」
調子に乗った僕が阿蘇さんに絞め落とされそうになったところで、僕らはハンバーガーショップを後にした。向かうは、あの人へのプレゼント探しである。
「誕生日パーティー?」
「はい」
「ここで?」
「はい」
「……別に構わんが……」
「が?」
「行動に移すのは、家主が許可を出してからにするべきだったと思うぞ」
曽根崎さんは、色とりどりの風船や紙リングで飾り付けられた事務所内を眺め、微笑んだ。困っているのだろう。
「なぁに心の狭い事言ってんのよ。アンタ、とうとう誰かを祝う気持ちすら成仏したの?」
脚立に乗って、天井から素材不明な液状の何かを垂らしながら、柊ちゃんは僕に加勢してくれた。いや、柊ちゃん、何付けてんの?途中で固まって鍾乳石みたいになってるけど、本当にそれ何?
曽根崎さんは腕を組んで柊ちゃんを見上げながら、言う。
「プレゼントか。金でいいかな」
「面倒くさくなってんじゃないわよ」
「面倒には思ってない。だが、いらないものを貰っても困るだろ」
「バカね。相手のことを考えながらプレゼントを選ぶ、その労力が一番喜ばれるのよ」
「そういうものかな」
「ええ」
柊ちゃんに言われ、曽根崎さんはもじゃもじゃ頭を捻って考え始めた。……ちゃんと、ああいう事もできる人なんだな。正直、誰に何と言われようとも万札を叩きつけるだろうと思っていたので、少し意外だった。
「……兄さん、食い物にしとけ」
「なんだ、いきなり」
しかし、阿蘇さんが横槍を入れる。察しの良い彼は、膨らませた風船の口を縛りながら渋面を作った。
「今思い浮かべてる物は、多分あんまり良くないと思う」
「性病検査キットが?」
「性病検査キットが!」
「でも必要だろ」
「誕生日プレゼントにあげるもんじゃねぇんだよ!」
違った。やっぱダメだったわ、あのオッサン。
口を尖らせる曽根崎さんに、僕は赤い薄紙を手渡した。
「一緒に考えてあげますから、これでお花作ってください」
「懐かしいな。学生の時にごまんと作ったよ」
「そりゃ良かった」
「枚数が増えると、より花っぽくなるんだよな。色も混ぜてみようか」
なんだかウキウキしている。こういった、手先を使う作業が好きなのかもしれない。僕も彼の隣に座り、一緒に花を作ろうとした。
その時である。
事務所のドアがガチャリと開き、聞き馴染んだ優しげな声が飛び込んできた。
「ヤッホー、曽根崎さん。ちょっと近くまで寄ったから遊びに来……」
反応が速かったのは、曽根崎さんだった。僕の前を黒い影が走ったかと思うと、ほとんど同時にドアが勢いよく閉められる音が事務所に響いた。
「え、え、え!?何何どうしたの!?」
ドアの向こうでは、藤田さんが慌てた声を出している。曽根崎さんは完全にその辺りの理由を考えていなかったようで、額に手を当てて真上を見ていた。
だが、そんな状態が長くもつはずがない。阿蘇さんに無言で催促され、苦し紛れに彼は藤田さんに叫んだ。
「……今、ここには、君に見せられない光景が広がっている!」
「なんですか、それ!」
ほんとにな。
何とかフォローする為に、僕も彼の元に行く。
「曽根崎さん、藤田さんがびっくりしてますよ。もっとちゃんと説明してあげてください」
「いいのか?君は秘密にしておきたいと言ってただろ」
「できればそうしたかったですけど、実際に僕らの現場を見られてしまっては……」
「そうか。じゃあちゃんと言うとしよう」
「ええ。曲がりなりにもお世話になっている人ですから、藤田さんには誠実でいたいです」
「わかった、君はいいヤツだな。それじゃあ藤田君、改めて挨拶を……」
ドアを開ける。しかし、そこに藤田さんの姿は無かった。上半身をドアの外に出してようやく、階段の影に隠れるよう壁に張り付いている藤田さんを発見する。
何か声をかけようとしたが、その前に彼は目を白黒させつつ、曽根崎さんを見て言い放った。
「……うちの景清は、そう簡単に渡しませんよ!!」
なんか言ってる。
「えー……そういう仲だったの?いや、怪しいと思わないでは無かったけどさ」
「藤田さん?」
「それでも順序ってもんがあるだろ。まずはオレだろ。オレに相談してほしい。心の準備がほしい」
「藤田さん?」
「つーか、事務所って……。そういう事をやるにしても色々場所を選んでくれよ、事務所って」
「藤田直和キサマてめぇ!!」
おぞましい勘違いをした叔父に駆け寄ると、僕は思い切り蹴りあげた。藤田さんは短い呻き声をあげて、無抵抗に階段に転がる。
「アホか……アホか!!」
「落ち着け景清君。どうやら中は見られてなかったようだぞ。良かったな」
「良かねぇわ!!まだ見られてた方がマシな誤解が生まれてんだよ!!」
「落ち着いてください。うわ、忠助めちゃくちゃうけてる」
見上げると、階段の上で腹を抱えて静かに爆笑する阿蘇さんが目に入った。しっかりしてくれ。まともに説明してくれそうな人間はもう、あなたしかいないんだから。
痛みが和らいできたのだろう藤田さんは、半分涙目で僕を見る。
「……誤解?」
「はい、誤解ですよ。どんな気色悪い勘違いしたか知らないし聞きたくもありませんが、とにかく何もありません」
「そう。ごめん、びっくりして……」
「いえ。ただし次はありませんが。二度目は確実に息の根を止めにいきます」
「本当にすいませんでした。それじゃ、中に入ってもいい?」
「……」
それは、まずい。
黙ってしまった僕に、藤田さんは少しずつ青ざめていく。先ほどの約束があるので、言葉には出せないようだが。
「……すまん、藤田。今は中に入れてやることはできないんだ」
ようやく爆笑から復活した阿蘇さんが、階上から見下ろす。ここでやっと阿蘇さんの存在に気づいた藤田さんは、安堵と疑問の入り混じった表情を作りながら立ち上がった。
「なんで?何かやってるの?」
「ちょっとな」
「オレも混ぜてよ」
「ダメだ。でも明日ならいいぞ」
「……明日は、ちょっと」
藤田さんの眼差しが陰り、左腕をさするように手が置かれる。それに気づいただろう阿蘇さんは、しかしそれでも態度を崩さない。
「うるせぇ、ちゃんと来いよ」
「……明日は、風邪ひきそうだな」
「ひくわけねぇだろ。ピンピンしてんじゃねぇか」
「……」
ラチがあかない。この人、こんなに頑なだったっけか。
阿蘇さんの説得でも難しいとなれば、僕らなどの言葉で動くとは思えない。困ったように曽根崎さんを見たが、やはり彼も首を横に振った。
どうしたものだろう。僕らは途方にくれ、珍しく鬱々としている藤田さんをただ囲んでいた。
「――乱交パーティー」
ハスキーで艶やかな声が、重たい沈黙を破る。その言葉に、俯いていた藤田さんは顔を上げた。
いや待て、今何て?
言葉の主である柊ちゃんは、口元に妖艶な微笑を浮かべて、階段の上に立っている。
「明日、すっごいスケベな乱交パーティーがこの事務所で開催されるわ。ナオカズ、アンタも来るでしょ?」
「……らん……え?」
「そうよね?シンジ」
「え?……ああ、うん、する。百人ぐらい来る」
そんなに入らねぇだろ、この事務所!
そんでもって、今世紀最大級に酷い嘘だな、これ!!
柊ちゃんは、僕の視線など平気な顔をして躱し、艶やかな黒髪をサラリと背中に流してみせた。
「勿論、ボクやタダスケ、シンジも参加するわ。景清はどうする?」
「僕ですか?」
「さっきねぇ、皆で説得してたの。景清にだって、こういう体験一度はさせてあげたいわよねって。景清、どう?」
柊ちゃんの人形のような目が、僕に一芝居打てと言っている。――嫌だ。嫌だったが、せっかく準備した藤田さんの誕生日パーティーが流れるのも、嫌だった。
意を決し、僕は藤田さんに向き直る。
「……乱交パーティーはアレですが……その、藤田さんがいてくれたら……心強いというか……参加しても、いいですよ」
「行きます」
チクショウ即答!!!!
拳で壁を殴りつけたい衝動を堪え、僕はなんとか彼にお礼を言った。褒めてくれ。誰か僕を褒めてくれ。
そう思っていたはずだったが、なんやかんやで藤田さんが大人しく帰ってくれた後、皆が代わる代わる無言で頭を撫でてくれたのは、なぜか無性に腹立たしかった。
そして翌日。
「ハッピーバースデー藤田さーん!!」
事務所のドアが開けられると同時に、僕と柊ちゃんがクラッカーの雨を降らせた。事態が飲み込めず目が点になっている藤田さんに、僕は言う。
「乱交パーティーは嘘です!!今から執り行うのは藤田さんの誕生日パーティーです!!」
「乱交パーティー嘘なの!?」
「嘘に決まってんだろ!!誰がンなもん企画するかバーーーーカ!!」
「騙されたー!可愛くて頭が良くて優しい甥に騙されたー!」
「いやちょ、えっと……突然褒めるな!動揺するだろ!」
ともあれ、誕生日パーティーである。藤田さんの腕を引いて、いつものソファーに座らせた。
「これ、どうぞ」
そう言って、僕はプレゼントを差し出す。中が見える包装にしてもらったので、何が入っているかは一目瞭然だろう。
「ハンカチ?」
「はい」
「うわぁー、ありがとう。毎日使うよ」
「いやちゃんと洗ってワーッ!!」
突然抱き締められた。もがもが抜け出し、曽根崎さんにバトンタッチする。
曽根崎さんは、ビニール袋に入ったそれをぞんざいに手渡した。
「私からはこれだ」
「これは?」
「激辛ラーメン一週間分」
「地味に嬉しい……」
雑なプレゼントであるが、喜んでもらえたようである。性病検査キットにしなくて、本当に良かった。
お次は柊ちゃんだ。彼女の隣には、何故か巨大なステゴサウルスのぬいぐるみが付き添っている。……まさか、あれじゃないだろうな。
「どうせアンタの事だから、一人じゃ寝られないと思ってね!この子探すの、苦労したのよ!?」
あれだったー!
しかし立派な大人である藤田さんは、迷惑そうな様子をおくびにも出さずに顔を綻ばせた。
「……ありがとう、大事にするよ」
「当然よね!」
どうやって持って帰るんだろう。いや、むしろどうやって持ってきたのだろう。
謎は深まるばかりだが、最後は阿蘇さんである。彼は、先日僕が見たままの包みを藤田さんの手に乗せた。
「ほい、いつもの」
「ああ、ありがとう」
「……と、これ」
「何これ」
「こないだ借りてたCD」
「プレゼントくれよ」
ただ荷物を増やしただけである。まあ、この距離感が藤田さんにとってはいいのかもしれないが。
阿蘇さんはさっさとプレゼントを渡すと、何も言わずにキッチンに行く。そして次に現れた時には、見事という他ない美味しそうなバースデープレートを用意していた。
「よし、お前ら、存分に食え!!」
もはや誕生日パーティーというより立食パーティーだったが、みんながみんな、楽しいひと時を過ごしたのだった。
「……お前、本当は乱交パーティーじゃないこと、知ってたろ」
その日の晩。阿蘇は藤田を車で送りながら、助手席に座る彼に向かって言った。対する藤田は、困ったような笑みを浮かべて返す。
「どうだろなぁ。期待はしてたよ?」
「すんじゃねぇよ。……今日、楽しかった?」
「うん。久しぶりにあんなに笑ったし、あんなに……そうだな、誰かに何かをしてもらったのは、初めてかもしれない」
「そうか」
「オレなんかの為に時間使っちゃって、ほんと皆お人好しなんだから」
「……景清君もアレだけど、お前もまあまあ自尊心低いよな」
「そう?」
対向車線のライトに、阿蘇は目を細める。オレンジ色の光に照らされた車内で、束の間の沈黙が落ちた。
「……阿蘇」
「何」
「ちょうだい」
「何を」
「あの時くれるはずだったもの」
「……」
阿蘇は、あからさまに嫌そうな顔をした。
「なんでそういう所だけ勘が鋭いんだよ」
「幼馴染の特権だよね」
「腐れ縁の間違いだ」
「ハイハイ。それで、何くれるの?」
「えー……」
ちょうど信号が赤に変わり、車は緩やかに止まった。藤田からの期待を裏切ることができず、阿蘇は渋々といった様子で後部座席に置いた鞄に手を伸ばす。
「ん」
手探りで掴んだそれを、無造作に藤田に突き出した。信号が青になり、阿蘇はアクセルを踏む。
藤田は、オレンジの光に、金属製のそれをかざした。
「……懐中時計?」
「お前の職業上、机に置けるタイプの小さい時計があれば便利かなと思ってさ。この間行った店で見かけたから、買っておいた」
「かっこいいね」
「そうか?それしか無かったから、選べなかったんだけどな」
「嬉しいよ、ありがとう。……でも、なんで?」
「あ?」
「いや、毎年香水だけだったろ。それで全然良かったんだけど、どうして今年になって時計までくれたんだ」
「んー……」
また信号が赤になる。阿蘇は、ハンドルを握ったままで、友人の横顔を盗み見た。
藤田は、じっと懐中時計を見つめている。
「……なんでだろな」
「ええー、教えろよ」
「いや、俺もうあげる気なかったし。何なら返せ」
「やだね。阿蘇からの愛の証だ」
「クソッ、変な名称がついた。やっぱ消耗品だけにしとくべきだったな」
「時計は減らないからねぇ」
「だけど止まるぞ。クォーツ式だから、電池交換しても大体十年ぐらいが寿命」
「え、嘘。寿命とかあんの?」
「電子回路にも限界はある」
「うわ、嫌だなぁ。オレこの時計止まったら泣くかも」
「大袈裟だな。そしたらまた買ってやるよ」
「ほんと?」
「ほんとほんと。15パーセントぐらいほんと」
「残る85パーセントの大いなる不確定要素は何?」
――誕生日は、祝われるべきだ。無事に、その人がその年齢まで生きてこられたことを、祝福する為に。
どうして、安物でも時計なんかを買ってみたりしたのか。
……多分、少しだけ、他の奴らより祝ってやりたかったのかもしれない。
心から、誕生日というものを喜べなかった友人に。
阿蘇は、相変わらず時計を眺めてははしゃぐ藤田に気づかれぬよう、柔らかな微笑みを口元に浮かべていたのだった。
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