第9話 なんでもない日に花束を(曽、景、阿、柊、藤)

「いつもありがとうねぇ、おまわりさん」


 腰の曲がったお婆さんが、眩しそうに目を細めながら顔を上げる。それに俺は、両手で自転車を支えながらかぶりを振って返した。


「自分はこれが仕事ですから。それより、この間の湿布はご主人に効きましたか?」

「ええ、ええ。主人もいくらか楽になったようです。最近は、市販でもあんないいものがあるのねぇ」

「病院で貰うよりは、少々高くつきますが。突然痛みが出た時なんかは、すぐ手に入るので重宝しますよ」

「本当にありがとうねぇ。こうして時々顔も見せてくれるし、まるで孫がもう一人できたみたいだわ」

「こんな目つきの悪い孫はお嫌でしょう」

「そんなことないわよ、素敵な目だわ」


 そう言って、彼女は微笑む。どうやら本気で言ってくれているようだと判断し、自分も笑ってみせた。あまり容姿を褒められる事がないので、こうストレートに言われるとくすぐったい気持ちになる。

 ここでお婆さんは思い出したように手を叩くと、さっきまで椅子にしていたショッピングカートの中を探り始めた。


「いつもね、あなたにお礼をしたいしたいと思ってたのよ。ちょうどいいわ。これ、おまわりさんにあげる」

「いいですよ。さっきも言ったように仕事なので、気にされる事はありません」

「私があげたいのよ」


 ショッピングカートの中から出てきたのは、青色の花弁が愛らしい小さな花束だった。その素朴ながらも鮮やかな色に、つい見入ってしまう。

 お婆さんは、半ば強引にその花を俺に押し付けた。


「青色が好きって仰ってたでしょ?これ、ブルースターってお花なの。詳しいことは忘れちゃったけど、縁起のいいお花なんですって」

「そうなんですか」

「良かったら貰ってちょうだい。とてもあなたに似合うわ」

「……ええ、では」


 花束を受け取り、じっと見る。青色は好きだが、あまり自分に似合うとは思わない。それでも、彼女の感謝と好意が、純粋に嬉しかった。


「……どこに飾ろうかなぁ」


 お婆さんと別れた後、俺は小柄な花束を持って考えていた。家に飾るだけでは、勿体無い気がする。せっかくこんなに綺麗なのだ。もっと人目がある所の方が……。


「あ」


 思い当たる場所が一箇所だけある。俺は丁寧に花束をカゴに入れると、その目的地に向けて自転車を走らせたのだった。











「で、今回も事態が大き過ぎた、と」


 だいぶ髪の毛の後退が進んだ四十代後半の男は、縁のないメガネを手首で押し上げ、ボクを睨んできた。……そんな顔をされても困る。公表できないものは仕方ないのだし。

 男――ボクの編集長は、ため息をついて手にした原稿を片手で軽く叩いた。


「確かに、相当ヤバいカルト教団だったようだな。君の報告にも目を通したが、俄かには信じられない内容ばかりだった」

「でしょ?ボクもちょっとは表に出したかったんだけど、これはもうムリよ。宗教にハマってたっていうお偉いさんのお子さん、まだ入院してるんでしょ?」

「それもあるし、何がマズイって、教祖が行方不明になっている点だよねぇ。あ、いや、逆にそれなら出せるか?でもなぁ、しかし……」


 頭を抱えて考えこんでしまった編集長に、ボクは別の原稿の束をドサリと机に落とす。


「ま、そこは後で考えるとして、シンジには新しい小説書かせといたから。穴埋めにでも使いなさいな」

「例のミニスカ妖怪退治シリーズ?」

「スレンダー美女怪奇事件簿シリーズ」

「今初めて聞いたけど、それ絶対君のことだよね?」

「そう!きっと人気出るわよぉ?」

「かの怪異の掃除人は、小説家にでも転身するつもりかい?」

「そうかもね。ま、それもいいんじゃない?」


 呑気だね君は、と編集長は呆れた顔をした。紙媒体の売り上げが伸び悩むこの時代に、まあまあ根強い固定ファンに支えられているうちのオカルト雑誌である。中でもあの不審者面が寄稿するコラムや小説は、シンプルながらも独特な文体で妙な人気を博していた。

 そろそろ、うちのお抱え作家にしてもいいんじゃないかしら。ボクは、結構本気でそんなことを思っているのである。


 まあ、その為には編集長やら何やらを説き伏せなければならないので、面倒故に先延ばしにしているのだが……。


 そんなことを考えていると、ふと机の上に飾られたピンク色の花に気がついた。原稿を読みながら渋い顔をする編集長の肩を、人差し指でつつく。


「これ、どしたの?」

「ああ、うちの作家先生からの贈り物だよ。デンドロビウムといったかな」

「でんでろでんでん……?」

「デンドロビウム」

「綺麗ね。ボクにぴったりだわ」

「いるかい?宝の持ち腐れになりそうで、困ってたんだ」

「くれるなら貰うわよ。ありがとね」


 編集長の気が変わらないうちに花をかっさらい、目の前に掲げる。……うん、やっぱり綺麗。ボクが持っていたら、尚更輝きを増したようだ。

 とはいえ、花の世話など、自分には荷が重い。どこか、適当に世話をしてくれて、ボクが見に行ける場所は無いだろうか……。


「よし」


 例の不審者面が思い浮かぶ。そうよね、むしろあそこしか無いでしょ。

 ボクは社内に設けられたスケジュールボードに「直帰」の二文字を書き加えると、編集長に見つかる前に外へと飛び出した。










「藤田君、休憩にしない?」


 三十代前半の女性に声をかけられた藤田は、顕微鏡から目を離さずに右手を振った。


「もう少し。あと三匹分サンプルを見たら、休憩にします」

「熱心なのはいい事だけど、根を詰めすぎると参ってしまうわよ?」

「中途半端な所でやめてしまうと、逆に気持ち悪いんですよね」

「まあ、研究者としては素晴らしい事だけど。それじゃ、コーヒーでも入れてあげましょうか」


 オレはお礼の代わりに、上げた右手をピョコピョコと曲げた。この場所は、自分が所属するラボである。ここでオレは、彼女の研究のサポートをする傍ら、自分の研究に勤しんでいた。

 言っておくが、体の関係は無い。こう見えて、公私は分けるタイプなのだ。


「ありがとうございます」


 彼女からコーヒーを受け取り、一口飲む。自分には熱すぎてむせそうになったが、なんとかこらえた。

 顔を上げ、サンプルを取り替える。顕微鏡の隣に置いた懐中時計を見ると、もう午後五時になっていた。


「……五時!?」

「うわびっくりした。知らなかったの?」

「ここに来ると時間の感覚おかしくなりません?」

「わからないではないわ。どうしたの、何か用事でもある?」

「用事というほどではないのですが、遊びに行こうと思ってました」

「あらそうなの。行ってくれば?」

「……サンプルを見終わったら……」

「そうよね、あなたの性格からしたら、そうなるわね」


 うんうん頷いて同意してくれた彼女に、少しホッとする。背を向けて、また顕微鏡を覗き込んだ。


 やがて残る分も片付き、パソコンに数値を打ち込んだ所で、オレはぐるぐると肩を回した。……疲れた。時間を確認してしまったからか、余計にそう思う。

 髪をかきながら大きく息をしていると、ふわりと肩に柔らかな香りが乗った。


「……花?」

「そう、花」

「これはライラックですか」

「あら、よくわかったわね」


 小さな紫色の、香りの良い花である。一部では恋の花とも呼ばれるらしい。


「で、どうしたんですか?デートの誘いです?」

「なわけないでしょ、こちとら既婚者よ」

「残念」

「冗談も休み休み言いなさいな。アナタ、この間誕生日だったんでしょ?そのプレゼントよ」

「ああ、ありがとうございます。てっきり、教え子から貰ったものの持て余してしまった花束をオレにくれたのかと」

「……図星だわ……。アナタ勘が鋭いのね……」

「しょっちゅう似たような事になってるじゃないですか。綺麗な人なんですから、もっと既婚者っぷりを周りにアピールしとかないと」

「考えとくわ……」


 言うだけ言って、オレはライラックの花束を受け取り、眺め回してみる。花を渡す事には慣れたものだが、貰う側になった事はそういえば少ないかもしれない。


「さて」


 そろそろ、行くとするかな。

 机の上の懐中時計を手に取り、ポケットにしまう。そして白衣を脱いでいつもの場所にかけると、オレは花束片手に例の場所へと遊びに出かけたのだった。










「……なんで、こんな事になってるんですか」


 事務所のドアを開けた僕の目に飛び込んできたのは、いつもの三人に囲まれ、花に埋もれた曽根崎さんの姿だった。


「ここはゴミ集積所じゃないぞ」


 そして酷い言い草である。

 案の定、周りの三人が口々に責め始めた。


「ゴミだなんてヒドイわね、こんな綺麗な花を捕まえて」

「そうだぞ兄さん。花を愛でる心を失くしたら人間終わりだ」

「それかもう花では癒されないほど疲れてますか?大変だ、早くベッドに行きましょう」

「自宅に持って帰らず、ここに飾ろうとしてる時点で説得力が無いんだよ!」


 曽根崎さんがツッコんでいる。なんか面白いな、この光景。


「……あれ、景清も花持って来てるの?」

「え?あ、はい」


 藤田さんに指摘され、花束を後ろに隠す。しかしその前に、目ざとい柊ちゃんにからかわれた。


「また女の子から?モテる男は辛いわねぇ」

「違いますよ。まあ、ちょっとした貰い物です」

「赤い花だな。目の覚めるような色だ」


 そういう阿蘇さんの持っている花も、綺麗な青色だ。あんまり見たことのない花だけど、なんていうんだろう。

 僕の視線に気づいたのか、曽根崎さんは阿蘇さんの花を指差して言った。


「ブルースター。キョウチクトウ科の花で、西洋では結婚式の際に贈られたりもする。花言葉は “ 信じあう心 ” 」

「詳しいな、兄さん」

「今調べた」


 見ると、曽根崎さんはパソコンの画面を凝視していた。なるほど、便利な世の中である。

 花言葉に食いついたのか、柊ちゃんが身を乗り出した。


「じゃあ次!次はコレ調べなさいよ!」

「それは……名前は?」

「でんでろでんでん」

「そんなお化けが出そうな名前なのか?」

「曽根崎さん、デンドロビウムです」

「ああ……」


 藤田さんのサポートで、曽根崎さんはパソコンに文字を打ち込んでいく。虫には詳しいと言っていたが、花にも造詣が深いのだろうか。

 少し待っていると検索結果が表示されたようで、曽根崎さんは読み上げる。


「デンドロビウム。ラン科の花で、四大洋ランの一つ。花言葉は “ わがままな美人 ”」

「まさにボクね」


 まさに柊ちゃんである。フフンと胸を張った彼女だが、そのような花言葉を突き付けられて自負できる人はかなり少数派だろう。まったく、いい性格をしている。


「せっかくだから、オレもいいですか。紫のライラックです」


 今度は藤田さんが口を開いた。曽根崎さんは頷き、タイピングを始める。


「……ライラック。モクセイ科で、香水の原料にもなるほど香り高い花だ。紫のライラックであれば、花言葉は、“ 初恋 ”」

「初恋ですか」

「こんなロマンチックな逸話もあるぞ。ライラックの花弁は基本四枚だが、時折五枚のものが混ざっているらしい。で、この五枚の花弁を見つけた時に誰にも言わず飲み込むと、愛する人と永遠に結ばれるという」

「……ちょっと用事を思い出したので帰ります」

「まあゆっくりしていけ。せっかく遊びに来てくれたんだ」


 ここぞとばかりに意趣返しをする曽根崎さんに、藤田さんは本気で嫌そうな顔をした。いや、ガチで実践する気か、この叔父は。時々えらく純な所があるな。


 ひとまず僕は、自分が持ってきた花を生けてしまおうと花瓶の在り処を探す。すると、いつのまにか後ろに回り込んでいた阿蘇さんに、花を奪われてしまった。


「景清君も調べてもらったら?」

「……いや、いいです。興味ないです」

「へぇ?」


 阿蘇さんの目が愉快そうに細まる。……どうやら、早くも僕のついた嘘がバレたらしい。だから嫌なんだよ、人一倍察しがいいこの人の目を見て話すの。

 僕はポケットに入れた紙切れを握り潰しながら、無理矢理話題を変えた。


「それより、流石にこの量の花束となると、事務所にある花瓶の数じゃ足りなくなるでしょう。ここは一旦、花瓶を買いに外に出かけませんか」

「あら賛成!景清ったらイイ事思いつくじゃないのー!」

「や、オレは普通に花を持って帰りた……」

「ハイハイ、お前も行くぞ」


 花束を僕に返し、阿蘇さんは渋る藤田さんの首根っこを引っ掴んで、ドアへと向かう。それに柊ちゃんも続いたが、僕は机から動こうとしない曽根崎さんを振り返った。


「……行かないんですか?」

「行かない。行く義理もない」

「行かないと、事務所が花で溢れかえるかもしれませんよ」

「待て、なんで花まで追加購入する予定になってるんだ」

「多分途中から楽しくなってしまうので……」

「頼むから花瓶だけにしておいてくれよ。ただでさえ、新装開店か、死んだ人間に贈られる量の花に囲まれてるんだ」

「今死んだらめちゃくちゃ絵になりますよ」

「いかにも名案だという顔をするんじゃない」


 軽い言い合いを終えた所で、階下から柊ちゃんが僕を呼ぶ声が聞こえた。それに返事をし、花束を投げつけるように曽根崎さんに渡して、外へと急ぐ。


 ――ああ、やっぱり僕は、こういう渡し方しかできないなぁ。まあ、元々小っ恥ずかしいなとも思っていたので、これはこれで良しとしよう。


 無理矢理自分を納得させた僕は、少し年上の友人達の待つビルの下へと駆けて行った。










 賑やかな人達が去り、静寂が訪れた事務所で、曽根崎慎司は未だパソコンに向かっていた。


「確か、この花の名は……」


 机の上に無造作に置かれた赤い花束を見て、彼は呟く。画面に表示されたのは、とある情報。

 フウロソウ科の花で、ヨーロッパでは魔除けの意味もあるという。


 気になったのは、その花言葉だ。


「“ 信頼 ” 、“真の友情 ” ね」


 あのアルバイトは言葉を濁していたが、一体誰に貰ったのやら。花言葉を見る限りでは三条辺りが思い浮かぶが、きっと彼ではこのような事は思いつかないだろう。

 まあ、深入りするほどの疑問でも無いのだが。


 二時間もすれば、また喧しくなるだろう事務所を思う。せめてそれまでは原稿をしようかと椅子に座り直そうとした時、ふと気になるものを床の上に見つけた。

 側まで寄って見てみると、そこに落ちていたのは一枚の小さな紙切れだった。

 曽根崎は、何とは無しに、そのクシャクシャになった紙切れを拾い、広げてみる。しかしそこに書かれていた文字に、彼は思わず目を見張った。


 それは、花屋のレシートだった。


「……あいつめ」


 花言葉とは面白いもので、同じ花でもその色によって意味合いが違ってくる。曽根崎は口元に手を当てて、そのレシートを見つめていた。


 ――“ 君在りて幸福 ”。

 それが、赤いゼラニウムの持つ固有の花言葉だった。


「……素直じゃないヤツだよ、ほんと」


 言葉とは裏腹に、曽根崎は可笑しそうに笑う。そして、十も年の離れた一人の友人を想い、彼は複雑な感情が入り混じった息を吐いた。


 もうパソコンに向かう気にはなれず、夕日に照らされた赤い花束を、ただ見つめていた。





 怪異の掃除人は日常を満喫する・完

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怪異の掃除人は日常を満喫する 長埜 恵(ながのけい) @ohagida

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